平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

レ・ミゼラブル 第4話

2006年03月21日 | テレビドラマ(海外)
「レ・ミゼラブル」第4話は意思疎通のドラマ。

 バルジャンは、瀕死のマリウスを助け、コゼットをマリウスに与える決心をする。
「マリウスの家に行きなさい」「パパもマリウスを愛しているのね」
「愛し合うのはおまえたちだ。私はお金と贅沢な暮らしを与えることは出来るが由緒ある名前を与えることはできない。それにマリウスなら信頼できる」

 こうしてコゼットはマリウスの所に行き、嫁ぐことになる。
 家柄のことでマリウスの祖父が難色を示すが、バルジャンは手持ちの金すべての60万フランを持参金として渡して結婚を認めさせる。

 そして結婚式。
 バルジャンは幸せなコゼットを遠くから見つめている。
 理由は「遠くから見ることに慣れないといけないから」。
 コゼットはマリウスの屋敷にバルジャンの部屋を用意している。銀の燭台も運び入れた。
 だが、バルジャンはその部屋に住もうとしない。結婚式のパーティも気分が悪くなったと言って消えるように帰ってしまう。
 理由は、コゼットを手放した哀しみの方が彼女が幸せになった喜びよりも大きかったからだ。
 しかし、コゼットはバルジャンのこうした行動が理解できない。
 パーティでいっしょに踊りたかったのにと思う。
 マリウスもいっしょに踊ってほしいと進めるが、バルジャンは踊りは出来ないからと言って断る。出来なくてもコゼットは踊ってほしいと思っているのに、と思うマリウス。

 バルジャンはコゼットを完全に自分から切り離すためにある行動に出る。
 マリウスに自分の出自を正直に話し、自分を出入り禁止にしようとするのだ。
 それでも自分を受け入れるマリウス。
 そんなマリウスにバルジャンはこう言う。
「私はコゼットを愛している。父親としてではなく」
 これにはマリウスも怒る。
 家にはもう来ないでくれと言う。バルジャンは仕事で外国に行ったことになる。

 ここから第4話のモチーフである「意思疎通」のドラマが始まる。
 バルジャンはコゼットと会うことを禁じられ、コゼットは「パパは自分を避けている。どうして?」と思う。
 こんなに愛し合っているふたりなのにどうして切り離されなければならないのかと見ている者は思う。
 そしてもう一度再会して心を通わせてほしいと思う。

 第2話では、追跡されるハラハラドキドキを。
 (バルジャンに捕まらないでほしいと見ている者に思わせる)
 第3話では、心の葛藤を。
 (バルジャンはどちらを選ぶのだろうと見ている者に思わせる)
 第4話では、何とか再会させたいという想いを見ている者に思わせる。

 こうした様々な手で「レ・ミゼラブル」は見ている者を物語に没入させる。

 バルジャンは病気になる。
 コゼットを失って、彼には生きる意味がなくなったのだ。
 バルジャンは言う。
「燭台は私に道を示してくれた。だが、その燭台の輝きもおまえ(コゼット)の前ではなきに等しい。おまえがいたから、私の様な日陰の人間が光に満ちて生きていけることができた」
 しかし、それが失われて。
「今年の冬はとても長く感じ」「心が生きたいと思わなくなる」
 医者が来るが、それはマリウスの祖父が呼んだもので。コゼットが自分を気にかけて呼んだのではないことにがっかりする。

 バルジャンがコゼットとの再会を果たせたのは、まさに彼が死の床にある時だった。
 テナルディがマリウスに金の具申に来た時、マリウスは知ったのだ。
 革命の時、自分を救ってくれたのがバルジャンであることを。
 コゼットを連れてバルジャンの屋敷に行くマリウス。
 死の床にあるバルジャンを見てコゼットは言う。
「パパの過去がどんなものでもパパを愛する妨げにはならない」
 バルジャンは燭台に火をつけてほしいと頼む。
 光の中でコゼットを見る。
 コゼットの幸せを願うバルジャンにコゼットはマリウスに言う。
「いいパパでしょ。誰よりも心が美しい人なの」
 そう言われて嬉しいバルジャン。
「死がこんなに穏やかなものだとは思わなかった」と語る。
「私からパパを取り上げないで」と叫ぶコゼット。
 そしてバルジャンの最期の言葉はこうだった。
「光だけが見える。神々しい」

★研究ポイント
 ドラマ
 ドラマの作り方
 見る者を感情移入させる様々な手法。
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WBC 日本・韓国戦 2

2006年03月20日 | スポーツ
イチロー『3番』で3安打!!最高に気持ちいい“屈辱”倍返し (サンケイスポーツ) - goo ニュース

 どん底まで落ちたチームが復活。
(準決勝進出ならず。しかしアメリカがメキシコに敗退)
 おまけに準決勝の相手チームは連敗しているライバル韓国。
「同じチームに3連敗するわけにはいかない」
 どんな作家も考えつかないすごいドラマだ。
 
 野球の勝ち方
 ・ミスをしないこと。守りきること。
   7回韓国は小笠原にデッドボール。その後パスボールがあって、小笠原は2塁へ。
   こういう綻びを作ってはいけない。ほころびはどんどん大きくなる。
 ・各プレイヤーが自分の仕事をする。
   自分に与えられた仕事をきっちりすること。
   自分のフィールドをきっちり守ること。
 ・勝利のセオリーに従うこと
   2塁にランナーを進めること。

 以上が基本。
 これだけを見ると堅実で非常につまらないものだが。
 それ以外のプラスアルファは?

 ひとつは、各プレイヤーが自分自身のプレーを出来るようキャスティングし、作戦を立てること。
 第2に流れを自分自身に持ってくること。自分自身のリズムに乗ること。

 そして気持ち、精神的なもの。

 ミスが続きマイナス思考になっていく気持ち。
 ファインプレーで盛り上がる気持ち。
 塁には出ているのだが、抑えられ点が取れない気持ち。
 この精神面を描くとドラマになる。

 イチローの気持ちは報道されているが、先制のHRを打った福留の気持ちを見てみたい。
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行列のできる法律相談所

2006年03月19日 | バラエティ・報道
島田紳介のトークにはすべてオチがある。
3月12日の「行列のできる法律相談所」。

ゲストはオカマのイッコーさん。
「わたしの夢はスチュワーデスになることだった」というイッコーさんに「それはテロリストやな」
「わたし、子供を産みたい」「そりゃウンコやな」
「わたし、ミンクのコート着てたの」「郊外だったら撃たれるで」

高知東急には
「大阪に行くと奥さんから解放されて嬉しい。だけど、新大阪に着くとでっかい奥さんの看板がある」
「女性を口説くには、ひたすら話を聞いてあげること」「それは石田純一と同じや」

高知東急が泣けるいい話をすると、「選挙に出るの?」
「この紳介さんに会えて感謝している」という橋下弁護士には、「会えて感謝してるのは、テレビに出られて儲かったからや」

この落とすテンポがいい。
だからオチがない話が嫌いだ。
高田万由子が自分の家はお金持ちであること、高校の時、何となく東大に行きたいなと思って勉強をしたら受かってしまったという話をした時、紳介は言う。
「なんやそれ、オチもなんにもないやないか?」
そしてさらに突っ込む。
「あんたは回転寿司で目が回ったことなんてないやろ」「ラーメンが400円と聞いてプッと笑うやろ?」
これでは高田万由子がイメージダウンになるので、次の様にフォローするが。
「まあ、ダンナ(葉加瀬太郎)が変だから許す」

この様に紳介のトークはキレのいいオチが身上。
しかもそのオチは辛辣で、自分よりは他人に向けられる。
番組中、自分をオチにしたのは次のふたつ。
家では「ミー君」と呼ばれているという紳介。後輩が遊びに来て奥さんが「ミー君」と呼ぶと、後輩は猫を探す。
子供の頃、良い成績を取ったらおばあちゃんが死んだ。俺が勉強したら人が死ぬと思った。

この点、明石家さんまとは大きく違う。
さんまはむしろ自分をネタにして笑いを取る。
同じ日の「からくりテレビ」での小倉優子とのやりとり。
「何の目標もなくここまで来た」という小倉優子に「俺なんか17歳からしゃべり続けて、やっとこれや」
「さんまさんに番組で優子がいじめられてるのを見て、心配したおばあちゃんのガンが良くなった」という小倉優子に「俺はガンの特効薬か?」

明石家さんまはリアクションの天才でこれは別の機会で書いてみたいが、今回は島田紳介の話。
今後もキレがあって毒のあるオチトークを楽しみにしています!

★研究ポイント
 芸人
 ギャグ

★追記
 イッコーさんはひとりでも笑いを取っていた。
 業界用語でいう「フリオチ」。
 男性をゲットするにはスキンシップが大事という高田万由子にイッコーさんは「そうですよね」と言う。
 司会の紳介に頼らず自分で話題に食いついて落とした。
 こういう芸は芸人さんでないと出来ない。

 坂下千里子は話題をふられても自分で落とせない。
 VISAが切れる外国人芸人チャド。坂下千里子が結婚して「坂下チャド」なったら、日本にいられるとふられて「そんなの国籍がほしいだけじゃないですか」と千里子はリアクション。
 紳介に「29歳にもなって自分のことをチリというやつがいる」とふられてリアクションを返せず、東野に「チリチリは俺の専売特許や」とチリチリ頭を擦りつけられてフォローされる。
 千里子さんもタレントとしての持ち味が違うからこの対応でいいのだが、こうした様々な個性をまわして番組を盛り上げる島田紳介の司会術はすごい。

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24 面白さの秘密

2006年03月18日 | 研究レポート
「24」の面白さの秘密をまとめてみる。

1.制約……24時間リアルタイム進行
 制約はある意味、作品の個性・魅力になる。
 「24」は24時間の出来事で同時進行していること。
 結果、制作者はジャックが飛行機に乗ってニーナを輸送している時、別のエピソードで繋がなければならない。
 これが制約。結果、各サブキャラクターのドラマを深く描くことができた。

2.対立・葛藤
 必ず対立・葛藤がある。
 ジャックと犯人は当たり前だが、その他にも「CTUと本部」「ジャックとトニー」「大統領と副大統領」など、各シーンすべてに対立葛藤がある。
 犯人が口を割らないのも対立・葛藤のひとつ。

3.味方が敵、敵が味方
 CTUはジャックを支援する立場だが、本部の思惑などで時としてジャックの敵になる。そしてジャックの捜査の障害になる。ニーナも敵だか味方だが分からない行動を。
 揺るがないのは、大統領とジャックだけだ。

4.エピソードの緩急
 核爆弾の爆発というエピソードもあれば、娘のキンバリーが強盗に捕まるというエピソードもある。キンバリーのエピソードは確かに緩いが、緊急事態ばかりでは疲れてしまう。

5.リアリティ
 装備やアクセスコードなど、専門用語(造語もあり)がどんどん出て来る。
 これが作品のリアリティを増す。

6.これでもかという障害
 マイクロチップの音声データを探すのでもこれでもかという障害を与える。
 敵が襲ってきて脱出するが、チップの在処を知っている人間が死んで、チップが体に埋め込まれていることを発見するがチップには発信装置がついていて、チップを託された捜査官は暴動に巻き込まれ負傷し、やっと手に入れたチップは破損している。
 日本のドラマの場合は1つの障害で問題はクリアしてしまう。

7.タイムサスペンス
 爆弾の爆発、中東の国の爆撃が近づいているなど。

8.謎
 チップの在処、爆弾の在処、証人の在処、敵の正体など。

9.視聴者の視点
 ジャックと同じ視点の時もあり、すべてが分かっていてジャックを上から見つめる視点もある。
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レ・ミゼラブル 第3話

2006年03月17日 | テレビドラマ(海外)
レ・ミゼラブル 第3話は苦悩の時代。

あわれな人々を想う「愛の人」ジャン・バルジャンが父親としてのエゴに悩む。

バルジャンはコゼットのために生きている。
本を読むのはコゼットと話をするため。
現在の政治体制や監獄制度を憎み、自分が監獄にいたことを誇りに思っているが、コゼットに知られてしまうことは恥ずかしい。

だが、コゼットも親離れの時期が来ている。
マリウスに恋をする。
ジャベールに嗅ぎつけられ、コゼットを伴いイギリスに急遽引っ越すことにしたバルジャン。だが、コゼットは行きたくないと言う。病気で倒れてしまう。
看病をするバルジャンはコゼットの部屋でマリウスに宛てた手紙を見る。
「最愛なる人へ。最悪に事態になりそうです」
最悪の事態とはイギリスに行くこと。
最愛の人とはバルジャンのことではない。
「相手は誰だ?!」と憤慨し、バルジャンは自分の想いを召使いに吐露する。
「コゼットがいなくなったら私は死んでしまうかもしれない。私のボロボロの人生でコゼットは唯一の私の輝きなのだ」
バルジャンは、そこへやって来たコゼットと話す。
「パパがコゼットのことを考えていた時、コゼットは別のことを考えていたのかい?おまえの心を奪ったのは誰だ?」
コゼットは応える。
「彼が奪ったんじゃない。私が与えたの。愛がいけないなんてパパは言えない。パパは愛の人だから」
それに対してバルジャンは否定する。
「20歳の私は憎しみだけだった」

コゼットに対する愛がエゴに変わり、バルジャンの心は嵐のように葛藤する。
エゴは心の平安を奪う。
折しも革命が起きる。
エポリーヌに「コゼットは引っ越した」と嘘を言われ絶望したマリウスは革命に身を投じる。
マリウスがカフェ・ミューザンでバリケードを作って闘っているという話を聞き、
バルジャンはミューザンへ向かう。
「都合がいい。どさくさに紛れてやつを殺せる」と言って。

バルジャンの心がいかに解放されるのか?
これが物語のラストになる。

また、この第3話ではもうひとつの哀しい愛が描かれる。
エポリーヌだ。
彼女はコゼットはマリウスを捨ててイギリスに行ったと嘘をついた。
マリウスにコゼットを諦めさせるために。
しかし、エポリーヌは政府の兵士にバリケードの中で撃たれてしまう。
死の床にありマリウスに見守られながらエポリーヌは自分の気持ちを伝える。
「少しは私を見てくれた?」
マリウスはエポリーヌがもうじき死ぬこともあり、優しい言葉をかけると、
エポリーヌは言う。
「あなたは知らないのね。人の悪意というものを」
そして、エポリーヌの父親テナルディがワーテルローでマリウスの父親を助けたのは嘘で、実は時計を奪うためであったことを語り、コゼットが引っ越したと言ったことは嘘であることを告げる。そして言う。
「あなたもこの戦いで死ぬ。あなたが死ねば安心だわ。あなたが死ねば、あなたはあの子を抱けないから。ああ、私は何を望んでいたのかしら。あなたの幸せ?あなたの不幸?」
血を吐きながら彼女はさらに言う。
「ここにいて。ひとりで死ぬのは怖い。私が死んだらキスをしてほしい」
彼女は目を閉じ、マリウスはキスをする。

「ああ、私は何を望んでいたのかしら。あなたの幸せ?あなたの不幸?」はそのままバルジャンの葛藤にも繋がる。
マリウスをコゼットから離そうとすること、殺そうとすることに対してバルジャンは思う。
「自分は何を望んでいるのだろう?コゼットの幸せか?不幸か?」
そして、この心の苦しみはやはり死によって解放される。

 バルジャンとエポリーヌ。
 このふたつの葛藤する愛の物語が奏でられ、大きく揺さぶる。
 これがひとつだけだったら、これほどの衝撃にはならないだろう。

 また激しい愛は苦しく、エゴと狂気の面を持ち合わせていることを教えてくれる。


★研究ポイント
 物語の作り方
 ふたつのモチーフが奏でる物語。 
 テーマ
 愛 激しい愛

★追記
 革命をめぐって様々な人々がリアクションする。
 まず、革命前の大学。
 大学教授は、大学に警察が入ろうとするのを抗議する。
 マリウスは革命でなく恋に生きる決心をする。
 これに対してジャベールは言う。
「恋に夢中なら祝福するよ。戦争で子供が減った。結婚を奨励するよ」
 そして革命。
 若者たちはこう言って同志を鼓舞する。
「この店はカフェではない。革命の司令部になるのだ」
 この熱狂に対してジャベールは冷静だ。若者たちの人数を数え
「53人。戦いを放棄しろ。君たちには公正な裁判を受ける権利がある」
 バルジャンはこう言う。
「彼らの思想と行動は共感し尊敬するが、これはジャベールの自分への追及をそらす良い機会だ」
 そして革命が瓦解。
 昼にはパリ中が立ち上がると信じていた若者たちだったが、援軍は来ない。
「市民は共和制を見捨てた」と嘆くがリーダーは言う。
「市民は我々を見捨てても、我々は市民を見捨てない」
 若者はスパイ活動をしていたジャベールを銃で殺そうとするが、バルジャンは止める。
「君たちは死刑執行人ではない。君たちは革命家だ。私が撃とう」

 こうしたリアクションがしっかり描けているから面白い。
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WBC 日本・韓国戦

2006年03月16日 | スポーツ
野球人生で最も屈辱的 イチロー悔しさかみしめ (共同通信) - goo ニュース

 野球というのはひとつひとつのプレイを確実にやることが重要なスポーツの様だ。
 バッターは3割打てれば1流。
 7割は失敗でもいい。
 ただ、この失敗の数字を出来る限り少なくすることが勝利に繋がる。
 マイナスを少なくして、地道にプラスを積み重ねていくことが勝利に繋がる。

 韓国が2点取った物語はこう。
 サード岩村がホーム突入でアウト。
 さらに足を怪我して欠場。
 これでふたつのマイナス。

 8回、韓国のバッターはライトにファールフライを打つが観客と接触したこともありイチロー惜しくも捕れず。
 捕球は難しい打球。イチローだからこそ捕れたかもしれない打球だったが、捕っていればプラス。だが結果は捕れなかった。
 そしてフォアボール。相手は9番バッターだ。
 これでふたつのミス。

 そして李炳圭(イ・ビョンギュ)がセンター前ヒット。
 1塁ランナー金が三塁を狙い、センター金城が好返球したが、怪我をした岩村に変わった今江がタッチの際に落球。タッチしていたのだが、グラブが滑り込むランナーの体に巻き込まれた。
 その後、藤川(阪神)が、元中日の李鍾範(リ・ジョンボム)に2点タイムリー二塁打を浴びた。

 野球はわずかに付いた火を小さい内に消しておかないと、どんどん燃え広がる。

 メキシコ戦の松坂のように力で三振を取ってねじ伏せて火を消すこともある。
 ファインプレーで火を消すこともある。
 しかし重要なのは地道にねばり強く小さな火を消しておくこと。

 王監督のコメント。
「いい試合をしたが、もてる力は発揮できたと思う。すばらしいピッチャーとあたると得点するのは難しい。こちらの勝とうとする執念よりも、相手の気力が上回ったと考えるしかない」

 すばらしいピッチャーと当たるからこそ、バットの一振り、ひとつのプレイ、一球が重くなる。
 気持ちと確実性が求められる。
 まさに「一球入魂」。

 ひとつのプレイはそれで完結するものではない。
 すべてに関連してくる。

★研究ポイント
 スポーツ


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蝉しぐれ

2006年03月16日 | 邦画
 父と子の物語がある。
 川の氾濫。父は田畑を救うため別の場所の土手を切ることを懇願する。
 息子・文四郎はそんな父を尊敬している。
 しかし、父は世継ぎをめぐる派閥抗争に巻き込まれて切腹することに。
 文四郎は切腹前の父に会いに行く。
 父は「自分は恥ずべきことをしていない。母を頼む」と言う。
 父と別れて文四郎は後悔する。
 何一つ言いたいことが言えなかった。
「父を尊敬していること。母を守って大事にすること」
 こんなことは父に言われる前に自分から言わなくてはならなかった。
 そして「これまで立派に育ててくれてありがとうございました」という言葉。

 恥。命を賭して事をなすこと。
 父への尊敬。母への思いやり。育ててくれた事への感謝。
 これらはかつての日本人が持っていた価値観。
 これらを現代に生きる我々に突きつけてくる。
 これらを各自はどうとらえるか?

 恋の物語がある。
 幼い恋。
 ヘビに噛まれて血を吸ってあげる。
 お祭りにいっしょに行く。少年を慕って少女は少年の袖を掴む。
 少年は仲間を救うため喧嘩をしに行く。少女はそれを待っている。
 父親が切腹し、荷車で遺体を引いていく少年。町の人間たちは少年に水を浴びせる。坂道、少年は重くて荷車を引くことができない。少女が駆けてくる。荷車を押してくれる。
 少女ふくは江戸に行くことになって。

 そして成人しての再会。
 ふくは妾となり主君の子供を産んでいる。
 文四郎とは既に立場が違う。
 そんなふくが藩の派閥争いに巻き込まれている。
 世継ぎでふくの子が邪魔なのだ。
 文四郎は自分の火の粉を払う意味もあり、ふくを助ける。
 共に苦難をかいくぐり、ふたりは昔の想いを甦らせる。
 ふたりの間に上下はない。
 そして派閥争いが収まってふくは寺に入ることに。
 昔のことを回想するふたり。
 ヘビのこと、お祭りのこと、お米を借りに行ったこと、荷車のこと、江戸に行くことになった時のこと。
 決して結ばれることのない恋。そんなふたりにとって、その想い出は輝いていて、同時に哀しい。
 当時のふたりにとっては何でもない日常であったが、ふたりにとっては貴重な心のふれあった瞬間。
 だから、その想い出は美しく哀しい。

 相手の立場を思いやって忍ぶ恋。
 これもかつての日本人の姿。
 この日本人の姿をわれわれはどうとらえるか?

 この作品は映像が美しい。
 日本人は自然と共にあった。
 父は実りの少ない茄子をもぎ、いろりで魚を焼いて食べる。(このシーンがいい)
 友は木の上で語り合い、戯れて川の中にどぶんと飛び込む。
 友は大人になって再会するが、同じ木の上で話をする。

 そして、稲は豊かに風に揺れ、雪は激しく降り積もる。
 川は時に穏やかで時に激しい。

★研究ポイント
 テーマ
 テーマ研究
 映像表現
 回想

★追記……藤沢周平作品の意味(HP解説より)
 なぜ藤沢作品に人は魅かれるのでしょうか。
 その答えは、藤沢氏の作品には、私たち日本人が知らず知らず忘れてしまったものを思い出させてくれる力があるからではないでしょうか。そこにあるのは地位や名誉など関係のない、平凡だけれども、慎ましく生きる人の姿と彼らが持つ美しい心。風土とともに生きる姿。読者は、作家としてぶれない一貫した作品姿勢に魅せられ、心癒されるのです。
 そんな数ある藤沢作品の中で、最高傑作として多くの人に読まれ、愛されているものがあります。長編小説「蝉しぐれ」です。この作品には人が理想に思う事柄がいくつも描かれ、それら全てが折り重なってひとつの物語として綴られています。物語の始まりは主人公・牧文四郎が15歳であった少年時代。文四郎は、寡黙ながらも実直に生きる父を大変尊敬していましたが、父は信念に従った結果、世間に誤解を受け切腹させられる運命を背負います。しかし、文四郎は父を決して恥じることなく、母を助け懸命に生きてゆきます。文四郎が人生の無常なる逆境に立ち向かい成長する過程には、「青春」があり、「友情」があり、「人との出会い」があり、「恋」があり、「父から子へと継承される人としての生き方」という普遍的なテーマが見事に織り込まれています。その展開力とダイナミックなテンポの良さは、時代劇の枠を超えた見事なエンターテインメント作品として評され、「蝉しぐれ」が傑作といわれる証左といわれています。
 今年は戦後60年という節目の年を迎えます。
 私たち日本人は、この60年間で、終戦からの復興、東京オリンピック、そして大阪万博を頂点とした高度経済成長から更にバブル崩壊という激動の時代を体験してきました。歴史的に鑑みても稀有な体験と言えるでしょう。大きな夢と希望を抱いて走り続けたその先に私たちが望んだ理想は無く、その事実に気付いた今、誰もが漠然とした不安と疲れの中で生きているのではないでしょうか。そんな私たちに、「蝉しぐれ」は人として生きるのに大切なものを、心穏やかに教えてくれます

 人にとって大切なものとは?
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ALWAYS 三丁目の夕日

2006年03月15日 | 邦画
 舞台となる1960年代はこんな時代だった。

★町の人間の顔と名前が一致している時代。
 淳之介(須賀健太)がやって来て「お前誰だ?」と言われる。
★町で誰が何をやっているか分かっている時代。
 茶川龍之介(吉岡秀隆)はブンガクを志し、駄菓子屋をしている。みんなからは「ブンガク」と言われている。たばこ屋のおばちゃんはたばこ屋。医者の宅間先生(三浦友和)は戦災で妻と子供を亡くしていたことをみんなが知っている。
★他人の子を預かれる時代。
 鈴木オートの社長・鈴木則文(堤真一)は、青森から集団就職で預かってきた星野六子(堀北真希)を預かる。茶川は淳之介を預かる。
★互いに怒れる、互いを許せる時代。
 鈴木オートの社長は自動車修理の出来ない六子を怒る。
 六子は六子で「自動車会社に就職したつもろなのに詐欺だ」と言って怒る。
 履歴書を見直して「自転車修理」を「自動車修理」と読み違えていたことが分かって社長は六子に謝る。
 六子も言い過ぎたと謝る。
 社長も「どんどん大きくして、世界一の自動車会社にしてみせる」と卒業したばかりの六子に話す。
★物事が共有される時代。
 テレビを町中で見る。健太の書いた娯楽小説を子供達はまわし読みする。
★物のない時代。
 六子はシュークリームを食べたことがない。だから、腐ったシュークリームを食べて食中毒を起こす。
 淳之介は万年筆がほしい。クリスマスにもらって大喜びする。

 現在と正反対のこんな時代を描いて、この作品は多くの人を魅了した。
 日本アカデミー賞を受賞した。
 私も吉岡秀隆の髪型がマンガチックだし、単なるノスタルジー物として思っていたから逆に打ちのめされた。


 これらの生活を描いて人を魅了したのは「人の間にあることの幸せ、人のために何かをすることの幸せ」である。

 茶川はブンガクを目差している個人的な男だ。
 だが、飲み屋の女石崎ヒロミ(小雪)に頼まれて、母親のいなくなった淳之介を預かる。
 茶川は自分の創作の邪魔になると思って淳之介を返しに行くが、淳之介が自分が生活のために書いている少年向け冒険小説の愛読者だと知って嬉しくなる。目を輝かせて自分の冒険小説を読む淳之介、何度も読んだであろうボロボロになった自分の小説の載った雑誌を淳之介が持っているのを見て嬉しくなる。
 自分の作品が認められたのだ。
 自分の作品が誰かの生きる糧になったのだ。
 それは芥川賞ではなかったし、100万人の読者ではなかったが、茶川にとっては嬉しいことであった。
 この小さな読者がいるだけで、自分の存在意義を感じる。
 淳之介の存在は、ヒロミも惹きつけた。ライスカレーを作りに来る。

 淳之介はお金持ちの父親に引き取られ、ヒロミはストリップ小屋に戻るが、ひとり家に帰った茶川は、淳之介の描いた「茶川と淳之介、ヒロミの絵」を見る。
 茶川は「前の生活に戻っただけだ」とポツリと言うが、絵に描かれていた生活は輝いていた。

 同じ様な描写に医者の宅間のエピソードがある。
 酔って焼き鳥を家に持って帰る宅間。
 妻と娘とで「おいしい」と言って食べる。
 でも、それは夢だった。家に帰っても誰もいない。戦災で死んでしまったからだ。

 また、この作品では「母親」が描かれる。
 青森から出てきた六子はお盆にも正月にも田舎に帰りたがらない。
 六子は思っている。「人減らし。自分がいなくなって両親は喜んでいる」
 だが、鈴木オートの奥さん・トモエ(薬師丸ひろ子)は言う。
 「子供に会いたくない母親なんかいない」
 そう言って、六子の母親から「娘の近況を聞き、娘をよろしく頼みます」と書かれた手紙を六子に見せる。

 息子の一平が淳之介の母親に会いに行って、お金がなくなった時も、トモエは助ける。息子はつぎはぎのセーターを嫌がるが、「中には御守りが入っているから困った時は開けなさい」と言う。果たして、つぎはぎの中には手紙とお金が入っている。「困った時はこれを使いなさい」。これで電車に乗って帰ることができた。

 最後にもうひとつ、この作品が魅了したテーマは「物ではなく心だ」というテーマだ。
 茶川は飲み屋の女にプロポーズするが、箱だけで指輪はない。お金がないからだ。「いつかは買ってはめるから」と言って、箱を渡す茶川。
 女は「はめて」「本当にきれい」と言って、何もない自分の指を見る。

 淳之介は金持ちの父親に引き取られるが戻ってくる。
 茶川は言う。
 「父親といっしょにいれば何でも買ってもらえるんだぞ。いいのか?」

 これらすべては現代へのアンチテーゼ。
 こうして言葉で書いてしまうと垢にまみれた言葉だが、この作品では素直に見せられてしまう。
 これがエンタテインメントの力だ。

★研究ポイント
 テーマ
 作品テーマ
 エンタテインメントの力

★追記
 CGと言えば、未来を描く物というイメージがあるが、過去を描くという使い方もある。
 建設されていく東京タワーはこの作品の象徴だった。
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太陽にほえろ!

2006年03月14日 | 推理・サスペンスドラマ
 刑事ドラマをずっと書きたくて、シナリオセンターの「21世紀の太陽にほえろ」講座を聴いた。
 お話しされたのは、「太陽にほえろ」の岡田晋吉プロデューサー。

 まずお話しされたのは、「太陽」が「刑事ドラマ」であると同時に「青春ドラマ」であるということ。(ふたつの異なったジャンルを掛け合わせるという企画立案の手法だ)

 そして刑事の心情ドラマだということ。
 これが斬新だ。
 同じ刑事ドラマでも「古畑任三郎」「相棒」は刑事の心情を描いていない。
 ドラマは犯罪を犯す犯人の方にある。
 古畑任三郎は時に観覧車に仕掛けた爆弾犯人(木村拓哉)を戒めて叩いたりするが、あくまで犯人を追いつめる頭脳ゲームを楽しんでいる。ここにドラマ・葛藤はない。
 「24」のジャックには葛藤はあるが、核爆弾爆発を阻止するという使命から起こる葛藤。分かりやすい。

 「太陽にほえろ」のマカロニは、犯人に対して銃を撃てない自分に悩む。自分は刑事に向いていないのではないかと悩む。
 岡田プロデューサーは、刑事の「新入社員」の物語にしたかったとおっしゃられていたが、マカロニの悩みはまさに「刑事の新入社員」の悩み。
 これをどう克服するかが番組1時間のテーマになる。
 決して犯人のそれではない。

 事件はこうだ。
 拳銃でチンピラを撃った若者(水谷豊)が逃亡している。
 マカロニこと速水刑事(萩原健一)は若者を追いつめるが、銃を撃つことができずに逃がしてしまう。おまけにゴリさん(竜雷太)が撃たれて、足に怪我をする。
 ボス(石原裕次郎)はマカロニを叱る。
 刑事に向いていないと悩むマカロニ。
 それに対してゴリは言う。
「ボスが怒ったのは撃たなかったことじゃない。犯人を逃がしたことだ。犯人を逃がしたことで被害者がさらに出る可能性があるからだ」
 これでマカロニは若者を追う。
 自分には拳銃は必要ないと言って。
 マカロニは若者が親しくしているレストランのマスターから、3時に後楽園遊園地で待ち合わせしていることを聞き出すと、若者を逮捕に向かう。
 そして後楽園球場。
 追いつめられた若者はマカロニに銃を向ける。
 マカロニは銃を持っていないと言う。
 銃を撃つことは意味のないことだと言う。
 これで若者は銃を捨て、逮捕される。

 そしてラスト。
 ボスはマカロニに言う。
「あの状況であいつが銃を撃つか撃たないかは俺にもわからなかった。だが、人は簡単に銃を撃つものでないことを俺は信じている」
 これでマカロニの葛藤も解消される。

 テンポは70年代だが、見事なシナリオだ。
 刑事の心情ドラマ、成長ドラマになっている。

★研究ポイント
 企画の立て方。
 企画の作り方。
 切り口を変える。異質なものを組み合わせる。
 現代の刑事の心の葛藤とはなにか?

 岡田プロデューサーはこんなことも言われていた。
 「新米刑事が変わることで作品の雰囲気が変わった」
 マカロニはゴリさん達と絡んで自分の色を出し、ジーパンは同じく絡んで自分の色を出す。
 古畑任三郎が様々な犯人と絡むのもこの効果を狙ってだろう。
 これが物作りの面白さだ。

★追記
 各刑事の描写がかっこいい。
 山さんは麻雀屋にいる。そこにいるのは実はたれ込み屋から情報を得るため。
 ゴリさんは銃に弾丸をこめていない。銃を撃ちたくないから。銃を撃たなくても犯人を自分は逮捕できると思っているから。
 そして、それら刑事の自分流のやり方を認めているボス。

 「太陽」は新米刑事が、どの様に自分の捜査方法を作っていくかを描くドラマでもある。
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功名が辻 戦場に消えた夫

2006年03月13日 | 大河ドラマ・時代劇
夫婦の大河ドラマだから、今回は「夫の浮気」がテーマ。

千代の心が様々に変化する。

正直者の一豊、浮気を告白する。
情況説明を聞いて泣き叫ぶ千代。

ねねに相談に行く千代。
ねねは女の先輩、「夫の浮気など大したことではない」と器量を見せる。
この対比が面白い。
だが、こんな本音も。
「体の浮気などよりつらい浮気がある。それは心の浮気」
秀吉の市への想いを語る。

家に帰ってくる一豊と新右衛門たち。
新右衛門たちは「200石加増になったこと」などでフォローするが、千代は笑顔で応対。
泣き叫ばれるより、この方が男は怖い。

翌日、千代は手紙を残して実家の不破家に帰る。
「おいとま賜りたく候」
ショックの一豊。
一方、千代は叔父に諭される。
「それよりも家来を召し抱えることに心を砕け。家来は取り柄のあるものがいい。力の強い者、足の速い者、物覚えのいい者、知恵のある者、銭勘定の出来る者、正直な者」
ここで叔父は墓穴を掘る。
「正直な者?一豊様は正直過ぎまする。せめて黙っていてくれれば」
「それが一豊殿のいい所じゃ」と叔父はフォローするが。
叔母は「本当に一豊殿が憎いのなら戻って来なさい」と言う。
別に憎いわけではない。自分の気持ちがわからない千代。
そこへホラ貝の音。浅井、朝倉とのいくさだ。
「夫の出陣の折に憂いを残してはいけません」と語る叔母。
夫に気がかりがあれば、戦場で十分な働きができぬばかりか、ミスに繋がるというのだ。
早速戻る千代だが、一豊は出陣している。
そして、叔母の言ったことは当たった。

姉川の合戦で一豊行方不明。
責任を感じる千代。自分が守れなかった。出陣で無事を祈れなかったから。
戻ってきた新右衛門からは「功名を立てて不破家に迎えに行く」という一豊の決意を聞かされる。

髪を下ろす決意をする千代。
いくさがない様に神仏に祈る。
「いくさが憎い。この乱世を憎みまする」

雨。家にひとりいる千代、頭を垂れている。
雨の中から「わしは死なん」という一豊の声。
一豊が戻って来た。

45分の間に、主人公の心がこれだけ動くというのが面白い。
嫉妬・怒り~抑えた怒り~迷い~後悔~いくさへの憎しみ。
千代が主体的に働きかけて生まれた感情の起伏ではなく、状況に流されてのもの=リアクションだが、これだけ感情が動くとドラマになる。

一豊が戻ってくるラストはあまり芸がない。
~雨の中から「わしは死なん」という一豊の声~
確かに他にやりようはないが。

後はこの物語は続くのだから、一豊は死ぬわけはないと視聴者は知っている。
これも千代の感情を描くのが、このドラマの主眼だから仕方がないのだが。

★研究ポイント
 物語の作り方
 物語の構成

★追記
 今回は姉川の合戦に駆けつけた徳川家康(西田敏行)が見せ場。
 三河軍の役割を後詰め(予備軍)とする信長。
 それを不服だという家康。それでは帰るという。
 信長は浅井軍に当たることを命じる。
 「ありがたきお指図」と家康は言い、兵をいくらでも貸し与えるという信長に「小国の自分は大軍など扱かったことがない。小勢を扱うことしかできない。小勢で浅井を打ち破ってみせましょう」と言う。
 そして、実際のいくさでは織田軍の窮地を救う。
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