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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

プリズン・ブレイク 第2話・3話

2006年10月21日 | テレビドラマ(海外)
★第2話
 マイケルの脱獄計画は進行する。
 ベンチのボルトを抜き取り、削って整形する。
 医務室に定期的に行くため、糖尿病に見せかける薬を調達する。
 脱獄ストーリーにとっては、この「調達」というのは重要なテーマだ。

 しかし、兄のリンカーンが言った様に、災厄は黙っていても降りかかる。
 黒人対白人の対立。
 ティーバックは「恋人」としてマイケルに目をつけた。
 囚人たちのボス・アブルッチは、マイケルが居場所を知っている証人の居場所を聞き出すために過激な行動に出ようとする。
 人間はマイケルが考えたようには行動しない。
 当然、計画はマイケルの考えたとおりに進行しない。

 計画の華麗なる遂行と共に主人公を襲う困難。
 エンタテインメントの王道だ。
 「プリズン・ブレイク」が特異なのは、邪魔する事柄が主人公の計画とは直接関係ないことだ。
 「24」であれば、ジャックの捜査を阻止しようとする敵が主な障害になる。
 しかし、この作品の場合、まわりの人間はマイケルの脱獄を邪魔するために障害になっているわけではない。別の論理で動き、マイケルの行動を邪魔する。

 そんな連中の中で計画を遂行しなければならないマイケル。
 彼にとって誰を敵にして誰を味方にするかの判断が重要になる。
 黒人対白人の対立では、マイケルは薬を手に入れるために黒人の側に加担した。
 暴動の中で殺したのは、ティーバックの愛人。
 当然、ティーバックの怒りを買う。
 アブルッチはマイケルに証人の居場所を吐かせるために足の指を切断するという行動に出る。

★第3話
 第2話では「調達」が重要な要素であることを描かれたが、第3話では「信頼出来る仲間」が重要であることが描かれる。
 アブルッチに足の指を切られたマイケル。
 しかし、マイケルはアブルッチにやられたことを刑務所側に言わない。
 アブルッチは脱獄に必要な人間で、信頼を得ておかなくてはならないからだ。
 アブルッチもマイケルのことを見直した様だ。
 どうやって脱獄しようとしているかはわからないが、この男は計画遂行に強い信念を持っている。現に暴力には屈しなかった。
 アブルッチは歩み寄る。協力を申し出る。
 しかし、マイケルは具体的プランを話すことはしない。
 アブルッチが信頼に足るかどうかを見極めているのだ。気分で敵になり味方になる男。そんな男は信頼できない。
 アブルッチの歩み寄りを通常ならすんなり受け入れる所、この作品の作家はワンクッション置く。実に巧みだ。
 同時にマイケルの計画の全貌が視聴者に伝わらない。
 視聴者は次回も見ようという気になるという仕掛けだ。

 マイケルの「信頼できる仲間」探しは、同室のスクレにも及ぶ。
 スクレだけはマイケルの不確定要素だった。
 誰と同室になるかわからないからだ。
 マイケルはスクレが信頼できる人物かを試す。
 携帯電話。刑務所ではもちろん持ち込み厳禁の品をマイケルはスクレにわざと見せる。
 スクレの弱点は外にいる恋人。恋人が浮気しないか気が気ではないが、現在電話をすることは禁じられている。携帯のことを刑務所側に売れば、電話ができるようになるかもしれない。
 果たしてスクレは刑務所側に売らなかった。その代わり、マイケルの携帯で自由に電話をかけさせろと言う。
 しかし、スクレが携帯だと思っていた物は実は石鹸で作った物。
 打算的ではあるが、スクレが簡単に人を売るような人間でないことを知るマイケル。脱獄のこと打ち明けるが、スクレは巻き込まれたくないと言って拒絶した。
 マイケルと同じ房では嫌だと言い、別の房に移動してしまった。
 スクレは弱さを持った不安定な人間だった。
 そして、この移動はマイケルにも打撃だった。
 脱獄はマイケルの房から行うもので、同室の人間の協力は不可欠のものだったらしい。
 スクレの代わりにやって来た男は、精神科房にいたヘイワイヤー。
 彼の心の中が読めない。
 おまけに神経障害で夜は一睡もしないという変わり者だった。

 アメリカのドラマ作家は、この様に主人公に困難を与えるのがうまい。
 第2話では「物」。
 第3話では「人」。
 刑務所という設定も上手く使っている。
 刑務所なら「物」は簡単に調達できないし、「人」はマフィアから、性犯罪者、こそ泥、サイコなやつまで、いろいろな人間がいるからだ。

★ディティルにも様々な工夫がある。
・マイケルをつけ狙うティーバックと手を組もうとするアブルッチ。
 マイケル危機一髪。
 しかしアブルッチは逆にティーバックを痛ぶった。
 自分がマイケルの仲間であることを示すために。
・シークレットサービスのケラーマンは、リンカーン無罪の証人となる黒人女性を拉致し、同僚の捜査官に殺すよう指示する。
 同僚はそこまでするんですか?とビビッている。
 黒人女性は同僚捜査官の隙を見て脱出。
 これはもしかして逃げ切れるかと思わせておいて、ケラーマンが殺してしまう。
 同じ人を殺すのでも、普通に撃って殺すのと、この様に殺すのでは大きな違いだ。
 実によくシナリオが練り込まれている。

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M:i:Ⅲ

2006年10月20日 | 洋画
 「ミッションインポッシブル3」息もつかせぬアクションとはこの作品のこと。
 あまり深いことは考えないで楽しめばいい作品。

1.ベルリン作戦:リンジー救出
 囚われたIMFのスパイ・リンジー(ケリー・ラッセル)を助けに行くイーサン(トム・クルーズ)。
 リンジーは教え子だけに思い入れがある。
 チームはハッキング・メカのメカニカルマン・ルーサー(ヴィング・レイムス)、武器のエキスパート・ゼーン(マギー・Q)、あらゆる乗り物を操縦しイタリア語にも堪能なデクラン(ジョナサン・リス・マイヤーズ)。
 作戦は同時攻撃。
 赤外線探知でリンジーの場所を確認するとイーサンとゼーンが時限爆弾を仕掛けつつ侵入、時間と共に爆発させ攻撃、ルーサーは外から擬装装甲車で攻撃する。
 イーサンはリンジーを助け出し、元気づけるためにアドレナリンを投与。
 銃をリンジーに渡して連係プレイ。
 ゼーンは敵のデスクトップを奪取して情報を確保。
 3分後、作戦通りにデクランがヘリでやって来る。
 ヘリで脱出かと思いきや敵の戦闘ヘリが強襲。
 擬装装甲車を爆破させて敵ヘリを巻き込もうとするが交わされ、おまけにリンジーの頭には爆弾が仕掛けられていて。

2.バチカン作戦:ディヴィアン拉致
 ブラックマーケットの総帥ディヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン)がバチカンにやって来ることが判明。
 リンジーの事件に関連し、謎の兵器「ラビットフット」の取り引きも画策しているという。
 イーサンたちのチームはディヴィアンを捕まえ、すべてを明らかにしようとする。
 このミッションクリアの過程がかっこいい。
★車の事故トラブルを装ってバチカンに潜入するイーサン。監視カメラも偽装。
★ゼーンはゲストを装ってフェラーリーで潜入。
 帰りの脱出口になるマンホールに発信器をつける。
★イーサン、壁を破壊してルーサー、デクランを侵入させる。
★パーティ会場。ゼーン、ディヴィアンの写真を撮影。
 画像を送り、変装用マスクを作成。
★ゼーン、ディヴィアンにワインをかけ、トイレに拭きに行くディヴィアン。
★ここでディヴィアンを拉致。マスクをつけたイーサンが入れ替わる。
 声をディヴィアンのものにするための音声データを取るが間に合わず、戻りが遅いのでやって来たディヴィアンの部下と鉢合わせ。
 声の出ないふりをしてごまかすが。(サスペンス)
★ディヴィアンになりすましたイーサン。
 ゼーンがワインをこぼしたお詫びをしたいと誘い、いっしょにゼーンの車に乗る。
★車を脱出口のマンホールの上に停め、ゼーンとディヴィアンになりすましたイーサン、車の下から脱出。
 車を爆破。ゼーンは「いい車なのに」と残念そう。
 しかし、これでディヴィアンは死んだことになった。

3.敵の強襲:ディヴィアン奪回、ジュリア拉致。
 ディヴィアンを護送してやって来るイーサンたち。
 しかし、敵の武装ヘリが。降下する敵兵。
 敵の戦闘機までがやって来て。
 車に大型の銃。炎上する車に取りに行くイーサンだが。
 結局、ディヴィアンは奪回される。
 敵が強襲したのには、情報を漏らしたスパイがIMFにいるらしい。

4.上海作戦
 報復のためにイーサンの婚約者ジュリアが拉致される。
 ジュリアを奪回するために、「ラビットフッド」の取り引きされるという上海へ飛ぶイーサン。
 「ラビットフッド」と引き換えにジュリアを救おうと言うのだ。
 ツインタワービル。
 振り子の原理を利用して、取り引きのされる敵ビルに潜入。
 ビルはパラシュートが開く高さではなく、イーサンは急降下。
 何とか地上にたどり着くが。

5.対決
 敵の隠れボスと対決。
 隠れボスは××××。
 イーサンは頭にリンジーに仕込まれた爆弾を入れられている。
 身体に電気を流して、頭の爆弾を破壊しようとするが。

 大まかに5つのブロックで展開されるミッションとアクション。
 2のバチカン作戦は華麗だ。
 4の上海作戦はまさにミッションインポッシブル。
 この様な「華麗な作戦」と「不可能な作戦」が同居しているのが、このシリーズの特徴だ。

 ゼーン役のマギー・Qという役者さんがいい。
 武器を持たせればクールに戦い、女を武器にバチカン作戦でディヴィアンと接触する。
 フェラーリーを爆破する時には「いい車なのに」と残念がる一面も。

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嫌われ松子の一生

2006年10月19日 | 小説
 人を信じて愛して裏切られてきた川尻松子の物語。

 信じて愛した男たちはこう。
・教育者として尊敬していた校長の田所。
・松子に好意を寄せていた同僚教師の佐伯。
・自分に盗難の罪をなすりつけた龍洋一。
・自殺した文学青年徹也。
・松子を弄んだ妻子持ち岡野。
・松子をいいように利用したシャブ中毒の小野寺。
・刑務所に入った松子を待っていないで別の女と結婚した理容師の島津。
・自分の愛を受け入れず逃げた龍洋一。(洋一は二度、松子の人生と関わる)
・シャブ、殺人、罪を犯した松子を受け入れなかった弟の紀夫。
・自分を愛してくれなかった父親。

 物語はこうした男たちに裏切られて転落していく松子の流転の人生を描いていくが、文庫版解説の香山二三郎氏は転落の理由をこう分析している。
 1.家族の支えがない。
 2.男を見る目がない。
 3.運やツキもない。
 4.人生の指針もない。

 殺人を犯した松子の性格を判決文はこう描いている。
「自己中心的で、場当たり的で、狭い視野でしか対人関係を築けない」

 松子には男にのめり込んでしまう性格がある。
 父親の愛を得るために、進みたかった理学部でなく文学部に進学して教師になる。
 文学青年のためにソープで働く覚悟をするし、稼いだお金をすべてシャブに使ってしまう男のためにソープで身を削って働いている。
 逃亡先で親切にされた美容師(結婚の約束もした)と共に理髪店を行う夢のために刑務所では理容師の免許を取るためにがんばる。
 シャブでヤクザに狙われた洋一と心中する覚悟をするし、洋一が刑務所で服役していると、刑務所の側の理髪店で働いて出所を待っている。

 しかし、こういうふうにも解釈できる。
「自分の居るべき場所は、たぶん。ここではない。わたしにとって安住の地は、どこかにある。きっとある。あるはずだ」(下巻・P182)
 松子の人生は「安住の地」を求めての人生であった。
 それが男の腕の中であっただけ。

 そんな松子が今までの人生をふり返ってこう決心する場面がある。
 ソープ時代に稼いだお金の残額1000万円を通帳に見てこう思う。
「結局、わたしを裏切らなかったのは、お金だけなのか。いいだろう。それならわたしにも考えがある。もう誰も信じない。誰も愛さない。誰にもわたしの人生に立ち入らせない」(下巻・P342)

 そして何故か怒りが込み上げてくる。(下巻・P346)
「田所、なぜわたしを乱暴しようとした?なぜわたしを学校から追い出した?
 佐伯、なぜわたしをかばってくれなかった?
 徹也、なぜわたしを連れていってくれなかった?
 岡野、なぜわたしを弄んだ?
 小野寺、なぜわたしを裏切った?
 島津、なぜわたしを待っていてくれなかった?
 洋くん、なぜわたしを置いて逃げた?
 紀夫、なぜわたしを許してくれなかった?
 両親、なぜわたしを愛してくれなかった?
 わたしがこんなになったのは、おまえたちのせいだ」

 今までの人生をこう恨み、憎しみで総括してしまう松子。
 怖ろしいと共に、今までの居場所を探すために一生懸命だった松子の人生を知っている読者には、とてもせつない。
 怖くてせつない。
 こんな複雑な感情を表現するのが、すぐれたエンタテインメント作品であると思うが、この「嫌われ松子の一生」には、こうした様々な感情が渦巻いている。
 やはり感情がドラマを作るのだ。

 喜び、怒り、哀しみ、希望、絶望、諦め……。
 松子の人生はまさにそれらが渦巻いた人生であった。
 松子の心の中には常に嵐が吹いていた。
 そんな心の中の嵐がおさまったのは、彼女が死んだ時であった。
「ただいま」
 死はすべてを浄化する。

 松子の人生を追って、松子のことを少し理解した甥の笙。
 ラスト。
 彼の理解を得て、自分の人生が彼が生きる上での足し・教訓になって、松子は少し嬉しそうであった。
 
★追記
 この作品に登場する女性は皆たくましい。
 この女性たちについては後日記事にしたいと思う。

コメント (4)
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僕の歩く道 第2回

2006年10月18日 | その他ドラマ
 第2話は母の話。
 この「僕の」シリーズは、最初が「恋人」次が「子供」、主人公が誰かと心通わせていく話なのだが、今回は「母」と絡んでいくのだろうか?

 動物園に勤め始めた輝明(草剛)。
 言われたことを忠実にやる輝明。当然、トラブル・摩擦が起きる。
 ヤギの餌やりの時間を答えられなくて、トラブル。
「大竹さんはお客様と話さないで下さい」と三浦(田中圭)に言われ、さらにトラブル。
 このことを園長(大杉漣)に聴取されて、三浦とさらにトラブル。
 トラブルが発展していく。王道の見事なドラマ作りだ。

 さて、これに対して、母・里江(長山藍子)は「今度は辞めないで、続けよ」と励まして、輝明を動物園に行かせる。
 ここに母親が描写されている。
 息子を現実の中で生きていける強い人間にしたい。
 兄(佐々木蔵之介)の言うことはわかる。
 まわりに迷惑をかけることも、輝明にとってつらいことであることも。
 しかし、ここで自分が流されていては、輝明は強くなれない。
 だから、心を鬼にする。
 見事な母親の心情が描かれている。
 しかし、主治医の堀田(加藤浩次)からは「普通に見えて、我々が想像する以上のストレスを受けている場合があるので、気をつけてください」と言われ、次のカットで輝明は倒れてしまう。
 過度のストレスが原因。
 これで里江の張りつめていたものがプツンと切れた。
 子供を守る母親の顔になり、辞めることを動物園に告げにいく。
 これも母親の心情だ。
 ここで面白いのは、都古(香里奈)が、「動物園で働きたいの?」と輝明に言う所だ。
 里江は「退職すること」、都古は「仕事を続けること」を輝明に対して交互に言う。
 都古が輝明のもうひとりの母であり、物語はこの3人で動いていくだろうことがわかる。

 そして、このふたりの母の想いが輝明を変えていく。
 今回は輝明に場所を与えた。
 輝明はロードバイクに乗る亀田(浅野和之)に「僕の仕事は動物園の飼育係です」と少し誇らしげに言う。
 こう輝明が言えるようになったのは、まず里江のがんばりがあり、次に都古のがんばりがあったから。
 今後、輝明はどの様に変わっていくのだろう。
 妹のりな(本仮屋ユイカ)のことなど、大竹家でもトラブルが起きそうだが。

★追記
 今回、輝明の心に残った言葉は、三浦の「チクんじゃねーよ」という言葉。
 輝明に意味はわからなかった様だが、強い言葉は心をえぐり傷つける。
 だから、輝明はこの言葉にこだわった。 
 同時に「輝明はテンジクネズミの説明を全部覚えている」と園長に言った三浦に「チクッてんじゃねーよ」と言った輝明。
 りなからどんな説明を受けたかわからないが、これは作者のユーモア。

「大竹さんの担当はジンジンです」という言葉も輝明の心に残ったらしい。
 輝明にしてみれば、嬉しい言葉だったのだろう。
 感情をおもてには表さないが、輝明の心の中には様々な感情が渦巻いているようだ。
 そして何もない空虚な生活よりも、つらいことを含めて心の中に様々な感情がある生活の方が素晴らしいのだと思う。
 その点でも、今回の里江、都古のがんばりは正しかった。

 
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のだめカンタービレ 第1回

2006年10月17日 | その他ドラマ
「こいつに合わせられるのはオレ様しかいない」
 
 いよいよ始まった「のだめカンタービレ」。
 第1回は千秋先輩(玉木宏)が、のだめこと野田恵(上野樹里)の才能を見出して引き出していった話。
 同時に千秋が演奏する楽しさを再び見出した話。

 モーツァルトの二台演奏曲。
 楽譜無視で自由に弾くのだめに千秋が合わせてこの曲を作っていく。
 くせがあるが音に妙な魅力があるのだめのピアノ。
 それは楽譜どおり、教科書どおりの優等生音楽ではない。
 そののだめの音楽に惹かれ、彼女の演奏に合わせることで、千秋はのだめの魅力を引き出した。
 彼が指揮者である証拠である。
 指揮者は演奏家ひとりひとりの個性を引き出し、まとめ上げる役割だからである。
 千秋はのだめのとの演奏を「楽しい心が震える演奏」と感じるが、それは彼が指揮者としてのだめを引きだしたから。
 千秋の指揮者魂がよみがえった。

 同時に千秋の変化は、彼が人に心を開いた瞬間でもあった。
 オレ様の千秋は、自分のことしか見えていなかった。
 自分のことで勝手に悩み、ドツボにはまっていた。
 そんな彼がのだめとの演奏で「他人と心通わせる喜び」を知る。
 音楽とは他人とのセッション。
 他人とのセッションこそ人間の喜び。
 音楽という素材を使いながら、こうした人として大切なことを描いてしまうのが、この作品の魅力。

 考えてみれば、千秋がのだめのために、部屋を掃除したり、シャンプーしたり、料理したりするのは、オレ様・千秋が他人に関わるようになった証拠。
 千秋にしてみれば、ゴミの侵入という自己防衛から始まったことだが、なぜかのだめは関わらずにはいられない存在。
 世話を焼かずにはいられない存在。
 恐らくのだめには、その音楽と共に千秋を惹きつけるものがあるのだろう。
 それが今回、シュトレーゼマン(竹中直人)との争い、どちらのベッドに寝るか合戦になった。
 これは恋に発展するのか?
 それとものだめの勝手な思いこみで終わるのか?
 
 そしてのだめ。
 「音楽を一度耳で聴けばそのとおりに弾けてしまうという天才」「本能の赴くままに超絶的な演奏を行う天才」だ。
 やはり天才というのは、生活破綻者なのだろう。
 ゴミをため込み、3日に一度のシャンプーをきれい好きと言う。
 アジは黒こげ。
 この天才のぶっ飛びぶりがいい。

 そして、こののだめからもいろいろなことを学ぶことが出来る。
 すなわち、人は個性的であっていい。
 個性的であることこそ素晴らしいということ。
 人は生きていくと次第に型にはめられていく。
 のだめを見ていると、もっと自由に生きていいんだと気づかされる。

 久しぶりに面白い月9を見た。
 ギャグもテンポがいい。
 クラシックの使い方もいい。
 竹中直人らの変な扮装もなぜか気にならない。
 今後、峰龍太郎(瑛太)や佐久桜(サエコ)などの天才も登場して、千秋指揮のもと、どんな演奏がなされるか楽しみだ。


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福岡・教師いじめ事件

2006年10月16日 | 事件・出来事
福岡の中2自殺 級友の前で「偽善者」「うそつき」 担任、いじめ誘発(産経新聞) - goo ニュース

 別の報道に拠れば、学校では今回の自殺について生徒にアンケートをとり、そのアンケートには「教師のいじめ」のことが書かれていたという。
 そして、学校はそれを親に伝えていなかったという。
 「教師のいじめ」がわかったのは、両親が無理やりアンケートを見せてもらったから。
 この隠蔽体質。
 そして、この教師の人間性の欠如。
 恐らくこうしたことが慢性化して、当たり前になっていたのだろう。

 自殺した少年の遺書。
「いじめです。至って本気です」
「貯金はすべて学級に」
「いじめたウザいやつらに取り憑いてやる」
 少年は最期まで救われることなく、「恨み」と「怒り」の中で死んでいった。

 北海道の事件から続いてまた、この様な事件。
 金属バットや放火の様にこうした事件は連鎖する。
 自分の死がこうした影響力を持つことを知れば、今いじめられている少年たちは同様の方法で復讐を果たすだろう。
 それが自分が生きた存在証明にもなる。
 つらい。

 いじめはマイナスの感情。
 自殺に拠る復讐もマイナスの感情。
 人間がこうしたマイナスの感情を抱くことは否定できないが、他に逸らすことは出来る。
 それがエンタテインメントの力だ。
 笑って感動することはもちろん泣くことも重要。
 劇中の主人公に涙することで、共感し癒される。
 今の人たちはつらいことがあった時、泣くことをせずいきなり怒りに行くという。外に向かってしまう。

「嫌われ松子の一生」 松子は転落の人生を歩むが、人を恨むことは少なかった。
 信じて裏切られて、それでも信じようとした。
 人を恨んで自殺しようとは思わなかった。
 そして、不本意に訪れた死によって浄化された。

 死は「恨み」「怒り」を持っていくものではなく、浄化されるものでなくてはならないと思う。
 その点でもつらい死だ。

★追記
 少年をいじめた子供たちは謝罪に少年の家に訪れたそうだ。
 学校側は相変わらずの対応。
 10月19日には「文部科学省」の報告書類を持って訪れただけ。
 腹をくくってすべてを公にすると言ったにも関わらず。
 いじめをした教師も一生かけて償うと言ったが。
 間違いを間違いと言えること。
 子供の方が立派だ。
 教師や教育委員会は、なぜ「教育」に携わろうと思ったのか?

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交渉人 真下正義 その2

2006年10月15日 | 邦画
 再びテレビで「交渉人 真下正義」を見る。
 これはデジタル対アナログの戦いだ。

 クモを操る犯人はデジタル。
 彼の乗る宅配便の車は電磁波を発している。テレビの画像が乱れ、カラスが反応する。
 犯行動機も不明。
 動機はゲームで、憎しみ、怒りなど人間的な動機は最後まで描かれなかった。

 そして真下もデジタル。
 データベースのデジタル情報を駆使して犯人捜査を行おうとする。
 おたくの自己顕示欲もある。彼は警視庁初の交渉人としてインタビューを受け、犯人の気にさわった。
 真下と犯人は「デジタルなゲーム」を行う。

 一方、さらに真下。
 真下はアナログな人間でもある。
 交渉自体がアナログな行為。
 人間はどんなリアクションをしてくるかわからない。
 デジタルなゲームで彼女はゲットできても、現実の彼女は人間でもっと複雑だ。
 今回、一番残ったせりふは木島への真下が言った言葉だった。
「木島さん、あなたみたいな人好きですよ」
 すぐ感情をぶつけてくる木島はデジタルな人間にとっては一番扱いにくい厄介な人間。
 そんな木島を好きだと言える。
 地下鉄マン片岡も厄介な人間だが、ちゃんと対峙できる。
 真下は人の中にあって、たくましい。
 上司・室井の信頼。そんな人間的想いが真下に力を与える。

 作品中、アナログは「勘」という形で表現される。
 3回爆発が起きると勘で言う木島。
 「深夜プラス1」で、地下鉄14号線であることを「直感」で指摘する熊沢。
 真下もクモに爆弾が積まれていないと判断した理由を「勘」だと、ラスト木島に言う。

 真下は「デジタル」と「アナログ」を両方備えている。
 木島や熊沢たちもアナログな戦力だ。
 そんな真下がデジタルだけの犯人に勝てないわけがない。

 「デジタル」「アナログ」「おたく」
 この作品はこうしたテーマをうまく料理した秀作だ。

★追記
 片岡ら地下鉄マンも児童運行装置のプログラムが使えなくなった時、手動というアナログで戦った。

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 交渉人真下正義
 容疑者室井慎次

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スラムダンク 2 花道再入部

2006年10月15日 | コミック・アニメ・特撮
 「スラムダンク」を読んでいく。
 第2回は花道が再入部を果たすまで。(第1巻~第2巻)

 バスケ部に入部することになった花道。
 さっそく新人の挨拶。
 流川には敵意いっぱい。「大人になれ」と自分を抑えるが、流川の趣味が寝ること、と聞いてバカにする。
 赤木をダンクで倒したと言って得意になり、掃除をした者がいると赤木に言われて有頂天になる。
 感情がわかりやすく単純。
 これが花道の魅力、主人公の条件。
 バスケ部内に花道の味方を作らなくてはならないと作者は考えたのか、マネージャーの彩子をその役割に据えた。
 やって来た彩子は「あ、桜木花道」と言って、花道が有名人であることを示した。
 さて、自分が一番だという思い込み、流川への対抗意識から花道は練習に情熱を燃やすが与えられたのは基礎練習。
 当然イライラ。春子さんが見ているのに醜態。
 それでも持ち前の身体能力からボールをぐるぐる回す技をやってのけて、アピール。これで練習に参加できると思うが、赤木は基礎が大事とあくまで基礎練習をさせる。
 これにキレる花道。「こんな部やめてやる!」と出ていく。
 そして鬱屈した生活を送る花道。
 春子の視線や赤木の「根性なし」という言葉がちらつく。
 そこでファミレスで不良たちから因縁。
 花道は鬱憤晴らしをするように不良たちを倒し、「ちょっと用事を思い出した。行っていいか」と洋平に言う。
 洋平は「準備運動にもならなかったな」と花道の気持ちを見透かした様に送り出す。
 この花道と洋平の関係がかっこいい。

 こうしてこのパートでは花道を描いた。
 春子のために入部した花道だったが、バスケにも執着を抱きだした様だ。
 物語には主人公が悩み停滞する時期が必要という見本のパートでもある。

 また、このパートで面白いのは春子だ。
 春子の気持ちは流川に向いているが(春子の視線)、同時に花道にも向いている。赤木が花道を見放す発言をすると、春子は言う。
「違う。桜木くんは違う。あたし捜してくる」
 花道を信じている。
 そして自力で花道が戻ってくると「よかった」と笑顔。
 つかず離れず。
 ひょっとしたら春子の気持ちは花道に傾くかもしれない。
 この辺は少年漫画のヒロインの条件。
 春子はいいポジショニングをしている。

 その他で面白いのは描写の仕方。
1.視点の移動
 花道がバスケ部に入部して1週間。
 洋平たちが様子を見に来る。 
 体育館では流川が活躍。女の子のファンもいる。
 流川の中学時代の凄さに触れて、視線は応援している春子へ。 
 「うーん、あれで春子ちゃんはミーハーだからな」とぽつりと感想。
 「てことは…」と言ってイライラしている花道に視線を振る。
 第三者を使った実に見事な描写のテクニックだ。
2.キャラクター視線
 視線という点では、こんなテクニックもある。
 春子視線。
 春子の視界には流川は映っているが花道は映っていない。
 同様の描写が花道にもあった。
 花道の妄想。
 天才・桜木花道といっしょに帰る春子。
 赤木たちがお見送りをしているが、その姿はゴリラやメガネ猿やキツネ。
 花道の意識には彼らはその様にしか見えていないのだ。
 これは「マイ★ボス」で真喜男が桜小路のことを「桜ナントカ」と呼んでいたのと同じだ。
 主観は実にわがまま。
 それをこの様に表現することで面白いシーンになった。

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セーラー服と機関銃 第1回

2006年10月14日 | 推理・サスペンスドラマ
 「セーラー服と機関銃」第1話は堤真一さんの若頭・佐久間に尽きる。

★筋を通す男
  あくまで組長(桂 小金治)の遺言を実行しようとする。
  それがダメだとわかると組を潰した責任から腹を切ろうとする。
★人情味溢れる男
  自殺しようとする泉(長澤まさみ)を助け残された人間が悲しむと言う。
  勘違いではあったが。
★自分の言葉を実行する男
  命をかけて泉を守るという佐久間。銃撃から泉を守った。

 実直、実直、実直。
 今どき、こんな男はいない。
 建築偽装問題の建築士、少女の自殺を認めようとしない教育長。
 これら人間とは反対の人間として佐久間を描いている。
 この作品は25年ぶりの復活。
 今、なぜ「セーラー服と機関銃」なのだろうと思っていたが、佐久間の様な実直な人間を現在に問いたかったのだろう。
 考えてみれば、目高組の連中も皆社会の落ちこぼれ。
 金さん(山本龍二)は元警察官、家族の事情で1回だけヤクザに便宜を図って首になった。武(田口浩正)はプログラマー。騙されてハッキングに手を貸して業界追放、ヒデ(福井博章)は元暴走族。
 人情に篤い人のいい実直な人間は、社会のはずれ者になってしまうということか?
 確かに麻薬に手を出す悪道ヤクザ・浜口組は立派なビルの中に事務所を構え、麻薬撲滅を掲げる三大寺一(緒形拳)は政治家だ。
 実直で人情に流されていては、三大寺らに勝てない。

 この番組は、失われてしまった「昔の男の美学」(少し恥ずかしいが)を描こうとしている。
 かつてヤクザ映画を見た観客は、自分もヤクザのように肩をいからせて映画館から出て来たというが、男性視聴者にはそんなかっこいい男をこの番組を通して体験する。
 佐久間は泉に「命をかけてあなたを守る」と言ったが、女性視聴者には「命をかけて自分を守ってくれる男」を見せてくれるだろう。
 男性も女性も感情移入できるキャラクターを生み出した作品はヒットする可能性が高い。若い視聴者が佐久間の様な人間を「古い」と感じるか、「かっこいい」と感じるかがポイントだが。
 さて、今後、どんな佐久間や昔の男たちが描かれるか?

 あとは星泉役の長澤まさみさんがいい。
 トロくてちょっとボケな泉を見事に演じている。
 それでいて父親が他殺されたのではないかと言われるとすぐに行動に移す。
 佐久間が腹を切ろうとすると、「ただ逃げてるだけじゃないですか」と啖呵を切る。
 この柔と剛のメリハリがうまい。
 柔や剛の片方だけを演じられる役者さんは多いが、両方を演じ分けて不自然でない役者さんは少ない。
 おまけに感情表現もうまい。
 父親が亡くなる前、浅草に映画を見に行こうと言われる。
 父が死んで泉は浅草に行き、映画館で大人と学生のチケットを買った。

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だめんず・うぉ~か~と結婚できない男

2006年10月13日 | 恋愛ドラマ
 「だめんず・うぉ~か~」はもっと主人公の大泉まりあ(藤原紀香)を描き込まないと「だめ」である。
 まりあの役者さんの演技の問題もあるが、主人公が魅力的でないのが致命的だ。

 冒頭、合コンのシーンから始まるが、ここは男たちに相手にされない「負け犬」を描くのではなく、まりあが「だめんず・うぉ~か~」であるのを真っ先に描かなくてはならない。ここでドラマの焦点がぼけてしまっている。
 まりあが「だめんず・うぉ~か~」であることが、具体的に描かれるのは、一ツ橋信(宮迫博之)との恋に失敗した後半。
 ナレーションでもいいから「自分はだめな男に恋をしてきました。だから恋をするのはやめようと思ってます」ということを視聴者にわからせなくてはならない。
 作品中、雨の中音に捨てられて指輪を投げる回想が何回も使われていたが、描かれるべきは「もてたい男」「暴力男」「ぬいぐるみ男」「ワリカン男」「フリーター男」「やりたがり男」「ドリーム男」「おねだり男」といった原作で描かれてきた男たちに振りまわされてきたまりあ。
 そこから一ツ橋との恋が始まり、ダメ男に引っかかりそうな高見ナツ(山田優)へ忠告するまりあが描かれなくてはならない。

 この作品を見ていてどうしても比べてしまうのは、同じ現代の恋愛を描いている前クールの「結婚できない男」だ。
 まず、前述の主人公のキャラクター。
 桑野信介のキャラクターは実に個性的でその発言も面白かったが、まりあはそうではない。「恋に失敗したからもう恋をしない」では、今までに描かれ尽くされてきたキャラだ。
 金魚の扱いでもそう。
 自宅で金魚を飼っているのは信介と同じだが、金魚に名前を付けて「男」を見ているまりあと「金魚は物を言わず自分の生活が妨げられないのがいい」と思っている信介とでは大きな違いだ。
 金魚にどんな意味を込めるか?
 作家はそこに知恵を絞るわけだが、まりあの場合はあまりにも当たり前だ。
 また「結婚できない男」では金魚すくいで奮闘する信介が描かれたが、「だめんず」では描かれていない。恐らくどこかで買ったのだろう。
 細かい所だが、こういう所にこだわってしっかり描くかどうかでキャラクターが立つかどうかが決まる。

 描かれている場面も「だめんず」では、合コン、セレブなパーティ、高級レストラン。
 視聴者はもうこれらの描写に見飽きている。
 「結婚できない男」に登場した焼き肉屋、マンガ喫茶、レンタルビデオ店の方が新しく見える。
 また、そこで人物たちが何をするかの方が重要だ。
 信介はひとり焼き肉をする。こだわりで見たいビデオがある。こだわりでお好み焼きを焼く。夏美はその時の気分に合わせたマンガを読む。
 「だめんず」の場合は、押切もえが登場、いきなり男が乱入。
 実に安っぽい。
 サプライズでタレントが出たり、大きな事件が起きればドラマになると思っている。
 作家はもっと知恵を絞ってほしい。

 脇キャラの魅力もそうだ。
 「結婚できない男」のみちると山田優のキャラを比べてみれば明白。
 山田優のキャラはただのセレブに憧れるバカ女。
 これでは誰も感情移入しない。

 まりあが一ッ橋に恋に落ちる描き込みも浅い。
 1話完結でひとりの男に失敗するのが作品コンセプトであり、まりあがそういうキャラなので仕方がないと言えば仕方がないのだが、あまりにも芸がなさ過ぎる。
 今回は別のダメ男に失敗して、一ッ橋とのことはある程度、回数を重ねて描くべきだったと思う。(今後も一ッ橋はまりあと絡んでくるだろうが、第1回で正体をばらしてしまうのはどうか?彼がまりあに惹かれる理由もはっきりしていなかったし、いきなり雨で戯れるのも唐突だったし)

 これも「結婚できない男」との比較だが、ドラマのスピードというものがある。
 1話でひとつの恋を描くか、全12話を通してひとつの恋を描くか?
 「結婚できない男」は後者で、それゆえにキャラクターの描き込みが出来たのだろうが、「だめんず」は一話完結にこだわったがために、心情やキャラクターの描き込みを忘れてしまった。
 1話完結で有効なのは事件物。
 心情を丹念に描かなくてはならない恋愛物には不向きだ。

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