3月16日の運転をもって寝台特急日本海が引退となりました。長い間日本海縦貫線の顔として君臨してきた日本海号。お疲れ様でした。長躯大阪と青森を長らく結んでいたにも関わらず、24系客車に置き換わって以来食堂車の連結もなく、A寝台の連結は一部あったにせよ、華やかな東海道筋やJR発足後の北斗星などに比べると地味な印象は否めない列車でした。大阪に住むものにとっては新大阪発着の九州夜行とともに歯がゆさを感じる列車でもありました。青函トンネル開業時に日本海は1往復が函館まで運転されるようになりましたが、モノクラス編成は継続。豪華な編成は後に登場するトワイライトエクスプレスに譲り、日本海はあくまでも開放B寝台主体の編成。JR東日本持ちの2・3号にA寝台がつき、後に西日本持ちの1・4号にも瀬戸から転用されたA寝台シングルDXも連結されるにようにはなりましたが、長距離を走る列車にしては単調な編成であったことは否めません。B寝台主体で運転されていたのは団体利用が多かったり、寝台列車の中でも乗車率が高かったため、定員を減らせないという理由があったようですが、見ているファンとしては少々物足りない編成でした。
私は日本海には1度だけ乗車したことがあります。秋田→大阪間で、かつての2号のスジで乗車しました。北海道遠征帰りに利用したのですが、この時は行きにも日本海利用を考えていたものの、1号に乗り遅れて、3号に振り替えて貰おうと思ったら3号が満席だったといういわくつきの話です。3連休前の週末の便だったと記憶していますが、当時の日本海は1・4号は比較的空いているものの、2・3号は結構人気が高く、多客期には寝台が取れない列車だったようです。秋田から大阪まで乗ったものの、同じコンパートメントのおばちゃんが上段への昇り下りがきついとかなんとか言われて、下段と交代させられた記憶が残っています。下段寝台でまったり弁当を食べている時に言われたのでちょっとムカっとしたのを記憶しています。上段に移らされて結局景色を楽しむも何もなくなったので道中はあまり覚えていません。日本海乗車の思い出はこれだけなのでないに等しいと言っても過言ではありません。
日本海と言えば、中学生の頃だったかにNゲージにはまっていて、81+24系寝台で日本海の編成を組成したことがありました。お年玉などをためてハネをやたらと購入したのを思い出します。模型屋のおっちゃんに“日本海でも作るんか”と言われた記憶があります。まさにその通りです。普通は東海道筋のブルトレを組成するのですが、なんでかあの頃は変わったことをするのが好きでした。今でも同じかもしれませんが・・・。