Zooey's Diary

何処に行っても何をしても人生は楽しんだもの勝ち。Zooeyの部屋にようこそ!

コンヤのメヴレヴィー旋舞教団

2008年09月05日 | トルコ旅行2008
コンヤは中央アナトリアに位置し、11~13世紀にセルジュク・トルコの首都が置かれた所。
ここは非常に保守的な地域なのだそうで、確かに灼熱の太陽の下、スカーフで頭と顔をすっぽり覆い、足元までの長い服をすっぽり着込んだ女性をよく見かけました。

ここはまた、メヴレヴィー教団の総本山でもあります。

”メヴレヴィー教団とは、イスラム教のイスラム神秘主義の教団の一つ。
メヴレヴィー教団は日本語では旋舞教団といわれ、スカートをはいた信者が音楽にあわせて、くるくると回転をし踊るという宗教行為で知られる。
これは祈りの手段であり、回転は宇宙の運行を表し、回転することで神との一体を図るというものである。
1923年のトルコ革命では、「脱イスラム政策」の一環として、1927年までに霊廟は破却され、教団は解散させられた。
その後、歴史的文化価値などから復興し、霊廟は博物館として一般に開放されおり、また舞踏もルーミーの命日に体育館などで公共の場で披露されており、トルコの古都コンヤを象徴する祭礼となっている。”(Wikiより)

今では年に一度、旋回舞踏が公開されるのだそうですが、その日は世界中から見物客が訪れ、コンヤの全体が凄い人数に膨れ上がり、ちょっとやそっとで会場には近づけないのだそうです。
”無我の境地に至り、神と一体になる”旋回舞踏ってどんなものだろう?と思ったら、YouTubeで見つけました。
ただ廻っているだけにしか見えないのですが…
単調ですが、なんだか脳裏に残りそうな曲調です。

旋回舞踏の動画 
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パムッカレ

2008年09月04日 | トルコ旅行2008
パムッカレとは、トルコ語で「綿の城」という意味なのだそうです。
その名の通り、見渡す限り、真っ白!
世界遺産にも登録された、段々畑のように連なる白い石灰華の岩棚。
自然保護のために靴のまま入るのは禁止されており、裸足で入ります。
ここの一部に、ヒエラポリスの遺跡が底に沈んでいる天然のプールがあります。
水底に大理石でできた遺跡が沈んでいるという、なんとも贅沢なプールです。
泊まったホテルにも、温泉プールがありました。

温泉といえば、トルコにはハマムという伝統的なお風呂があります。
ハマムはアラビア語で公衆浴場のことで、トルコでは長い歴史を持ち、垢すりやマッサージ・サービスが受けられるというものです。
私はここに行くのを楽しみにしていたのですが…
中々の得がたい経験をしました。

ハマムにはカメラを持っていけなかったので
代わりに、トルコの有名なハマムのHPを紹介します。
結構凝ったサイトで、ハマムの様子がよく分かります。

ハマム 
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エフェソス遺跡

2008年09月01日 | トルコ旅行2008
次の日、エーゲ海沿いを走ってエフェソス遺跡へ。

紀元前11世紀にイオニア人が作った都市国家。
ここは、トロイよりもはるかによく修復されており、見応えがあります。
おかげで外人観光客がとても多く(私達もそのうちなのですが)、焼けるような日差しの中、凄い人混みでした。
何を喋っているのかさっぱり分からないのですが、ドイツ系、ギリシア系、イタリア系が多かったような。

紀元前1世紀に作られたアゴラ(市民広場)、紀元前3世紀の収容人員2万5千人の大劇場、117年に建てられた1万冊の蔵書を誇るセルスス図書館、そして1世紀に作られた水洗トイレ、他にも見どころが山ほど。
ちなみに古代トイレは座って使用したようで、横の仕切りはなく、話しながら用を足したそうです。

その日泊まったホテルは、パムッカレのリゾート・ホテル。
エントランスの横に、リボンで派手に飾った車があったのでもしやと思ったのですが、やはりその夜、そこで結婚式が行なわれたのでした。
ホテルの庭に広いプールがあり、その周りに赤白のレボンで飾った丸テーブルが何十と。
フロントで聞くと、パーティは8時から12時くらい、招待客は300人程とか。
私が食事をしたレストランはその会場に面していたので嫌でも見えたのですが、8時になってもお客はまだ2割程度。(この辺りがなんともトルコらしい…)
段々とお客が増えてきた頃、純白のウエディングドレスを着た輝くばかりに美しい花嫁登場。
中年の、というか初老に近い紳士と共に登場したので、初めお父さんかと思ったのですが、なんとそれが結婚相手だったのでした。
一流ホテルでの、あれだけの客を招いての豪華な式を挙げるからには、仕方がないのかもしれません…
で、その花嫁と花婿、会場の中央でやおら踊り出し、そのうちどんどんお客も参加して踊り出し、会場は凄い熱気。
トルコでは、こうして夜もすがら踊り明かすのだそうです。

写真 セルスス図書館
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エーゲ海からトロイへ

2008年08月31日 | トルコ旅行2008
”エキゾチック”という言葉は、”異国風の”という意味なのですから、本来外国であれば、何処であっても当てはまるのでしょうが、トルコという国は、ことの他そのイメージが強いような気がします。
ボスフォラス海峡、トプカプ宮殿、カッパドキア、ペルガモン、ヒエラポリス…
どの名前をとっても、日常からはるかにかけ離れた神秘的なイメージを持っていて、聞くだけでも私は、茫とした憧れを感じたものです。
かといって、トルコという国について詳しいかといえばまるでそうではなく、今回、旅行に行く直前に、色々と本を集めて読みあさった程度。
そのトルコの駆け足旅行から帰って来ました。

まずイスタンブールからフェリーに乗って、陽光眩しいダーダルネス海峡を渡り、エーゲ海からトロイへ。
ここは、かの有名なホメロスの詩「イリアス」の舞台なのです。
そしてそれだけでなく、この地は、古くからいくつもの都市が栄えては滅び、なんと9層もの遺跡が重層しているのだそうです。
一番古いのは紀元前三千年前の青銅器時代にも及び、一番新しいので紀元前350年前のアレキサンダー大王時代なのだそうです。
なので、どこを掘っても複雑に遺跡に当たるので発掘は非常に難しく、極端なことを言えば、歯ブラシで掘るような感じなのだとか。

ガイドブックにも修復状態は決してよくないと書いてあったので、期待はしていなかったのですが、実際に見てみると、もう無残という一言でした。
トルコ西端の片田舎、見渡す限りの広大な丘の上に草が生い茂り、はるか古代の都市の残骸がそこここに残っている。
上物は殆ど残ってなくて、その根っこの骨組のみ。
案内板の”復元想像図”を見て、こういう建物があったのだと想像するしかない(写真)。「夏草や つわものどもの 夢のあと」といったところか。
入り口に、とってつけたように最近作られた「トロイの木馬」の複製がありますが、現地人の姿すらなく、外人観光客の歓声が聞こえるばかり。

長い間伝説上の都市としか考えられていなかったトロイを、ドイツ人のシュリーマンが発掘したのは1873年。
シュリーマンについては、財宝目当てに乱掘したとか、貴重な遺跡をダイナマイトでぶち壊したとか、財宝をこっそり持ち帰ってしまったとか、非難の声も多いようですが、私が子どもの頃読んだ彼の伝記には、「夢を追い求めた男」のように書いてありました。幼い頃読み聞かされた荒唐無稽な神話を信じ、私財を投げ打ってこんなトルコの田舎に幻の都市を掘り当てた業績は凄いと思うのです。
彼がいなければ、ここは今も草に覆われて静かに眠っているに違いないのですから。

彼は又、語学の天才であったそうです。
一説によれば彼は22ヶ国語に通じ、10ヶ国語は流暢に話せたのだそうです。
やはり努力の人でもあったのでしょうね。
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飛んでイスタンブール

2008年08月21日 | トルコ旅行2008
「ミッドナイト・エクスプレス」という映画があります。
1978年アメリカ映画、アラン・パーカー監督。
70年代のトルコ、ほんの出来心で麻薬を持ち出そうとしたアメリカ人の青年が捕えられ、暴力が横行する陰惨な刑務所に、4年間も投獄される。
折りしもニクソン政権下のアメリカとトルコ政府の関係は最悪で
青年はその生贄とされ、なんとさらに30年間の禁固刑を言い渡される。
青年は何度も絶望し廃人のようになるが、脱獄を決意し、遂に成功する…
「ミッドナイト・エクスプレス」というのは、囚人用語で「脱獄」を意味するのだそうです。驚くべきは、これが実話を元に作られたということです。
「ミッドナイト・エクスプレス」

そして、かの有名な「アラビアのロレンス」。
1962年イギリス映画、ディヴィッド・リーン監督。
この中で、トルコの街を偵察に出かけたロレンスが、トルコ軍に捕まり、好色そうなトルコ将校に拷問を受けるシーンがあります。
激しく鞭打たれる以上は映画では描かれていないのですが、ここでロレンスは性的暴行を受けたのでしょうか?
ロレンスはその後、ボロ雑巾のように外に放り出されるのですが、確か屈辱にまみれて泣いていたような…
(これは長年の私の疑問なので、ご存知の方がいたら教えて下さい)
「アラビアのロレンス」 

どちらも20年以上前に観た映画ですが
あまりにも印象的だったので、いまだに覚えているのです。
何しろ観た時は、衝撃のあまりその晩眠れませんでした。
その頃は今よりもずっと感受性も豊かでしたし…
ことほどさように、トルコという国に対する私の印象は良くないのです。


そのトルコに、明日22日から夫と行って来ます。
イスタンブール、トロイ、パムッカレ、アンカラ、カッパドキア。
月末に戻って来ます。
例によって、トルコ関連の本を毎日読み漁っています…
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