水俣病の惨事を世界に伝えた写真家、ユージン・スミスの日本での活動の様子を描くヒューマンドラマ。
ジョニー・デップが製作・主演を務め、監督アンドリュー・レビータス。
1971年、ニューヨークに住むカメラマンのユージン・スミス(ジョニー・デップ)は、過去の栄光にすがり、酒に溺れる日々を送っていた。
そんな折、日本のカメラマンとその通訳を務めるアイリーン(美波)がやって来て、水俣病のことを取材して欲しいと訴える。
ユージンはアイリーンと共に、1971年から3年間にわたり水俣で暮らしながら、公害に苦しむ人々の闘いの日々を撮影する。
当初は水俣の人々にも中々受け入れて貰えず、チッソの社長(國村隼)には大金での買収を持ち掛けられ、挙句は家に放火され、デモの際に企業側から半殺し(脊椎骨折、片目失明)の目に遭う。
それでも彼はあきらめず、被害者たちに寄り添い、撮影を続け、そしてあの奇跡の一枚を撮るのです。
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「入浴する智子と母」
1975年、この写真が入った写真集「MINAMATA」英語版が出版され、世界中で大反響を呼んだといいます。
5年ほど前に、東京写真美術館でユージン・スミスの写真展を観ました。
ユージンといえば、このポスターにもなっている「楽園の歩み」しか知らなかった私は、
沖縄戦や水俣の暗く悲しい写真が多いのに言葉を失くしたのでした。
彼は沖縄戦で重症を負って後遺症に苦しんでいたというのに、更に水俣での暴行の怪我が元で、その後1978年に59歳で亡くなったと、映画のエンドロールに出てきて驚きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/66/dd2a9f49ee323ab5084a1f3cef9b55f9.jpg)
冒頭でユージンとアイリーンが出会ってから、いつの間にか一緒に暮らしていて、結婚の経緯などが省かれていたのはちょっと残念。
「撮っていいか聞かないの?」
「キスと同じで聞くのは野暮だ。今だと思ったら撮る」
「こんな風に?」
あたりが、この暗い映画の中でホッとできた数少ないシーンの一つでした。
1952年に初の患者が出てから地元住民と企業側の闘いが始まり、水俣病が認定されたのは68年、住民が勝訴したのは71年。
実に20年近くの闘いが続いたのですね。
それにしてもこうした映画が日本人ではなく、外国人によって作られたというのは、ちょっと情けないなあ。
「MINAMATA」公式HP