あのヤマザキマリが、海外を渡り歩きながら息子と暮らした日々を描く子育て放浪記。
この人のことは、「イタリア家族風林火山」「世界の果てでも漫画描き」「望遠ニッポン見聞録」「ヴィオラ母さん」などで散々楽しませて頂いてきましたが、息子のことをじっくりまとめて読んだのは初めてです。
男の子の母として、興味がありました。
フィレンツェで同棲していた貧乏詩人との間の子として生まれ、その後シングルマザーとなった母と、サッポロ、シリア、リスボン、シカゴとあちこち連れ回され、最終的に自分の意思でハワイの大学を選んだデルス君。
直情径行型、破天荒の母親に比べて、いつも何処か醒めた目で見ているようで、その対比が面白い。
デルスが9歳の時に、35歳の母親は「細くて病弱で現役の大学生」に熱烈に求愛され、サッポロからシリアに渡るのですね。
そのベッピーノ氏は、著者が中学生の時に欧州の電車の中で出会い、イタリアに招待してくれた陶芸家の孫。
いかに長い付き合いだったとはいえ、いきなり14歳上の子連れの日本女性と結婚したいと打ち明けられたベッピーノのマンマはどんな気持であったことか。
そのイタリア人家族と一緒に暮らした時期のことは、「イタリア家族風林火山」に面白おかしく描かれていました。
大家族というのは、パワフルな姑、夢想家の舅、98歳の大姑、お洒落な義妹、鶏30羽、アヒル20羽、犬2匹、猫3匹、そして夫と息子とで構成されていたというのです。いやはや逞しい…
(その時期のことは「ムスコ物語」には書かれていませんが、デルスが13歳の頃らしい)
この本の後書きに「ハハ物語」と題する、息子デルスの文章があります。
サッポロで母と祖母、犬のピエラと楽しく暮らしていた時に、いきなりシリアに行くと告げられた時の戸惑いと悲しみ。
”子供というだけで、親のどんな理不尽な決定にも耐えなければならないのが、悔しくてならなかった”
しかし、最後に
”息子にとってこの世で誰よりも理不尽でありながらも、お人好しなほど優しい人間である母ヤマザキマリ。そんな母のおかげで国境のない生き方を身につけられた私は、おかげさまでこれから先も、たったひとりきりになったとしても、世界の何処であろうと生きていけるだろう”
息子にこんな風に書かれたら、母親冥利に尽きるでしょうね。