
まだ岐阜にいます。
地方新聞って結構大胆。

これは岐阜新聞の昨日の一面で、両面開くとこんな感じです。
真ん中に写っているのは、岐阜城を抱く金華山。
全国の新聞の令和第一日の紙面がどんなものだっか、見てみたいものです。

それにしても、改元がこんな大騒ぎになるとは思いませんでした。
テレビはこのところ、いきなり皇室一色。
私は特に皇室擁護派ではないし、それほど関心もないのですが、
新天皇陛下と、たまたま同じ時期に同じ学窓にいたのでした。
一学年違うし、学科も違うのですが、
同じ文学部だったので、大きな教室での共通の授業もありました。
学内の食堂や、学生会館の中の本屋でご一緒したことも何度か。
小さな本屋の通路は人がすれ違えないくらい狭くて、そこで殿下(周りからそう呼ばれていた)は、
御自分からいつも身を引いて下さいました。
だから私は、陛下となってしまわれた今も、あの腰の低い、穏やかな印象の同窓生のことを、
決して悪く言う気にはなれないのです。
新しい令和の時代が、希望と平和の時代となりますように。
スタートしましたね、令和元年。
そしてなんと陛下とご学友でしたか!?さすがです~~
令和天皇は即位の儀式のときも実にご立派で、しかも柔和なお顔をなさっていてすでに天皇としての貫禄がありましたよね。
これからの時代がきっと平和になるだろうと思わせてくれる雰囲気をお持ちだと感じましたよ。
今年もマラソンお手伝いなさったのですね、ご苦労様でした!!
席が遠くて話せませんでしたが、この話題は出て
いました。
何しろ陛下とは18歳の大学入学からご縁が
あったのですからね。
もともと謙虚なお人柄だったのですね。
このことはテレビでは言いませんが
Aっちゃんは実体験されていましたね。
後年、自分で息子を育ててみて、
殿下はよくあの環境の中でグレもせず、奢りもしないで穏やかにしてらしたものだと改めて思いました。
本当に柔和な感じです。
平和な時代になるといいですね。
わざわざ車で送り届けて頂きまして、申し訳なかったです。
御長男にもよろしくお伝えください。
学内では彼のことを悪く言う人はいませんでした。
雅子妃、時間がかかってもよくなられるといいですね。
エッ?!新時代の令和天皇が皇太子殿下だったころ、御学友だったのですか?!「スゴッ!」と思わず口に出てしまいました (^_^;;ヘヘッ!
象徴としてどのように生きるべきかを体現した平成天皇、そのお姿を長年見ておられた令和天皇・・・、きっと国民に寄り添う素晴らしい天皇になられることでしょう。
ただ一つだけ心配なのは、皇后雅子妃殿下の御病気です。皇后としての職務をどれほど果たせるのか・・・?決してご無理ないよう、できる務めだけをしながら陛下を支えていただければ・・・と思います。
素晴らしい天皇になられるのが予兆されるようなお話ではありませんか。
殿下から陛下にですか。
混同しそうですが、まさにそうなのですね。天皇殿下とは言いませんからね。
若き日の学窓の思い出が素晴らしくて、まぶしいくらいです。
雅子妃、まずはお元気に最初の大役を果たされたことが喜ばしいことです。
このところの改元騒ぎでメディアで度々殿下のお姿を目にして
改めてあの頃のことを思い出したりしています。
雅子妃、「環境不適応障害」ということで、環境を変えないことには治りようがないという意見を聞いたときには愕然としましたが
今回の笑顔に、少しホッとしました。
まだまだ時間はかかるでしょうけれどね。
エピソードは他にも色々あるのですけれど
とりあえず最初に思い出したのを書いてみました。
殿下、陛下、あと閣下というのもありますね。
私もそれぞれの、ちゃんとした定義は知らないのですが…