Zooey's Diary

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何故私は感動しなかったのか?「ほかならぬ人へ」

2010年04月08日 | 
新聞の書評や広告、ネットのレビューなどから
久しぶりに期待して手に取った第142回直木賞受賞作品でしたが…

"愛の本質に挑む純粋な恋愛小説。
愛するべき真の相手は、どこにいるのだろう?
「恋愛の本質」を克明に描きさらなる高みへ昇華した文芸作品"(帯より)
「ベストの相手が見つかった時には、この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ」
「人間の人生は、死ぬ最後の一日でもいいから、そういうベストを見つけられたら成功なんだよ」
こんなキャッチ・コピーを読んだら、嫌でも期待は高まります。

二十七歳の宇津木明生は、名家の出でありながら出来の悪い自分に常に劣等感を持ち、
周囲の反対を押し切って元キャバクラ嬢のなずなと結婚する。
しかし、なずなには妻子ある男との関係が結婚前から続いていた。
明生はそれでも妻を赦そうとするのだが…
もがき苦しみながら愛するべき真の相手を模索する。

結論から言うと、私はまったく感動しませんでした。
結構評判もよく、出版部数も伸びているようなのに。
何故か!?

まず、劣等感の塊である筈の明生の苦しみが伝わってこない。
”人生は復讐だ。高校生の頃から明生はそう思うようになった。
そうでも思わないと生きていられなかった。人は断りもなくこんな自分として生まれ
させられ、断りもなくその自分を奪われてしまう。だとしたら、
生きている間のわずかな時間だけでも自分を守り抜き、
この世界に送り出した何者かに対して抗いつづけなければと明生は思っていた。”
そこまで言い切る割には、彼の苦しみの描き様はあまりにも弱々しく、
結局の所、金持ちの坊ちゃんの甘えくらいにしか伝わってこない。

なおかつ登場人物の魅力のなさ。
明生も言うに及ばず、その優秀な長兄や次兄にしても、東大を出ているとか
嫁が美人であるとか、明生の母親は大病院の娘で学習院を出ているとか、
まるで脚本の人物説明のような形容しかなく、人物像がまったく見えてこない。
ヒロインのなずなに到っては、頭の弱い、単なる尻軽女にしか私には思えない。
そんな人物達が何をしようと、共感できるはずもなく、
ああそうですかとしか言いようがない。
恋愛小説につきものの、恋愛の成就に到るまでのドキドキワクワク感や、
それが失墜した時の、悲しみや胸の痛みがまるで感じられない。

構成は面白いのに…
作品に出てくる文章の中で、共感できたのは次の下りくらいか。
”「宇津木はさ、実家が大金持ちだから、悩みなんてないってみんな思ってるよね」
「離婚したってわかっても、宇津木なら次もすぐ見つかるだろうって
言われるだけだよ」
「だからさ、そういう自分に早く慣れなよ」
「宇津木はなかなかそういう自分に慣れない人なのよ。
自分が誰かなんて選べないでしょう。私だって、自分がブサイクなのは
別に私の責任じゃないもの。でもね、私はそういう自分に慣れたの。
自分に慣れさえすれば、あんまり悩まなくてすむようになるのよ」”
この作品は、”自分に慣れない”不器用な大人たちの
挫折と葛藤の物語、とも言えます。
が、これだけ感情移入できないのも珍しい…

私は普段、観た映画や読んだ本については
ある程度感動した作品についてだけ書いているのです。
(例えば最近観た映画「フィリップ君を愛してる」や「シャーロック・ホームズ」については書く気もしない)
が、これは期待があまりにも大きかったので…
思わず書いてみました。

「ほかならぬ人へ」
コメント
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