格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

ウォルフレン著『誰が小沢一郎を殺すのか?』④

2011-03-05 05:50:04 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

ウォルフレン著『誰が小沢一郎を殺すのか?』④
(その3)から続く
 

誰が小沢一郎を殺すのか?   画策者なき陰謀
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 日本の検察の特異性について、ウォルフレン氏の指摘はまさに正鵠を射る。
 
「日本では、法律は支配しているのではなく、支配されている。」
 
「日本の法律には、検察がみずから達成しようとする目標に合わせてできるだけ自由に解釈できるような、意図的に曖昧な表現が使われている。」
 
「検察は、どのようなケースを法廷に持ち込むべきかについても、かなり自由に判断することが許されている。」
 
「みずから裁判にかけたケースで、99.9パーセントの勝利をおさめる検察は、事実上、裁判官の役割を果たしているということになる。」
 
「裁判官もまた体制に大きく依存している。最高裁事務総局に気に入られるような判決を下さなければ、地方に左遷されかねないことを、彼らは考えなければならない。」
 
 私は、日本の警察・検察・裁判所制度の前近代性について、最大の問題として、警察・検察の巨大な裁量権をあげてきた。
 
 その裁量権とは、
 
①犯罪が存在しても、犯罪が存在しなかったこととする裁量権
 

 
②犯罪が存在しないのに、人為的に犯罪を捏造する裁量権
 
である。
 
 この検察が日本のど真ん中に居座ることにより、数々の政治謀略が実行されているのである。
 

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 ウォルフレン氏はこのことを、
「日本の検察が守っているのは法律などではない。彼らが守ろうとするのは、あくまで政治システムである。」
と指摘するのだ。
 
 民主党主要議員の人物評定について、ウォルフレン氏は以下の記述を示す。
 
「これまでスキャンダルによって多くの才能ある人々が奪い去られたことは、日本にとってきわめて不幸であったが、もしいま、小沢氏という政治家が無きものにされてしまえば、日本にとってこれ以上の不幸はない。」
 
「民主党政権は、情勢の変化に応じて、日本の方向性を調整していくべきである。しかし、菅氏、前原誠司氏、そして岡田克也氏といった、メディアなどを恐れるあまり、はっきりとした方向性を打ち出しもせずに、無益に時間を浪費するばかりの政治家たちの主導下では、そんなことが期待できるはずもない。」
 
「民主党のトップを任じる人々の行動が示すのは、悲しくも実際に国家の統治に慣れていない政治家の姿である。彼らは仲間内で些細な出来事をめぐって場当たり的に対処するばかりである。」
 
「前官房長官・仙谷由人氏といった民主党の中核をなす人物に、政策や日本の将来に関してなにか原則なり信念があるとでもいうのだろうか?
 
そして鳩山氏に代わって首相になった人物はどうなのか?
 
彼がメディアの批判を恐れているという以外にどんな説明が可能だというのか?」 
 
 日本の政治システムを刷新するため、まずは、ひとりでも多くの主権者国民にウォルフレン氏の著書、そして拙著を熟読賜りたい。



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ウォルフレン著『誰が小沢一郎を殺すのか?』③

2011-03-05 05:38:22 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

ウォルフレン著『誰が小沢一郎を殺すのか?』③
(その2)から続く
 
 日本の政治状況を、日本を支配する米国ではない外国の人物からどう捉えられるのか。ウォルフレン氏の著作を読み抜くことは、この側面だけを捉えても意義のあることだ。
 

誰が小沢一郎を殺すのか?   画策者なき陰謀
著者:カレル・ヴァン・ウォルフレン
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 米国は鳩山政権に対して、きわめて無礼な態度で応じた。鳩山前首相は首相に就任すると、米国の大統領を含む政府幹部と膝を突き合わせてさまざまな論議をすることを求めた。ウォルフレン氏はこれほど道理にかなったふるまいが一体ほかにあるだろうかと述べる。
 
 米国は鳩山首相の要望に応じないどころか、コペンハーゲンで開催された環境会議でヒラリー・クリントンと話す機会があったが、その後にヒラリー・クリントンが日本大使を呼びつけて鳩山首相がウソをついたと非難したのである。
 
 ウォルフレン氏は、
「二国関係のなかでアメリカのようなふるまいは決して許されるものではない。このような侮辱を受ければ、自国の大使を召還させることすらあるだろう。友人であるはずの日本に対して、アメリカがこのような態度をとるなど、信じがたいとしか言いようがない。」
と指摘する。
 
 さらに、
「これまで私を除けば、日本の政治や日米関係について詳細に検証し、それについて執筆し続けてきた非アメリカ人作家はオーストラリア出身のギャバン・マコーマックただひとりだ。」
と述べる。
 
 非アメリカ人の立場から、日本政治を詳細に検証し続け、客観的な立場から分析を提供するウォルフレン氏の指摘は、私たち日本国民にとって、きわめて貴重なものである。
 
 私がいくら主張しても耳を傾けない人も、第三国であるオランダの国籍を持つ正統派研究者の発する言葉であれば、耳を傾けようとするだろう。その意味でも、ウォルフレン氏の著作は大きな意味を持つのである。もちろん、その点を差し引いても、純粋な日本政治分析書として、ウォルフレン氏の検証は第一級のものであると私は確信する。
 
 詳細については、本書をお読みいただくとして、著書の紹介として、あと二点だけ、特記して多くの主権者国民にお伝えしておきたいことがある。
 
 ひとつは、ウォルフレン氏が日本の官僚主権構造、あるいは日本の政治システムの中枢として法務省=検察を位置付けていることだ。
 
 私もまったく同様の判断を持っている。官僚主権構造の中核は法務省=検察と財務省である。そして、このふたつの省は結託して日本支配の実権を手放そうとしないのである。
 
 ウォルフレン氏は日本検察の歪みを見事にあぶり出している。
 
 いまひとつは、現在の民主党主要議員について、きわめて的確な人物評価をウォルフレン氏が示していることである。ウォルフレン氏の人物評価は、当然のことながら、日本の主要メディア=マスゴミの提供する人物評価とはまったく異なる。
 
 私の人物評価、判断が、国内メディアにおいては、異端中の異端であるのとまったく同様に、ウォルフレン氏の人物評価も、その基準に照らすならば、異端中の異端ということになるのである。
 
 小沢一郎氏に向けられた銃口、「人物破壊」の刃は検察とマスゴミの結託によって生み出されるものである。マスゴミが「人物破壊」キャンペーンに乗らない限り、「人物破壊」は成功しない。「人物破壊」キャンペーンが成功するのは、マスゴミが積極的な役割を果たす場合に限られるのだ。
 
 マスゴミが適正な人物評価を示すわけがない。マスゴミの提供する人物評価は、必ず裏のある、特定の目的に沿ったものとなるのだ。



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