格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

永田町異聞(ヤフーニュース掲載)・・・正論です!お見事!喝破!

2011-03-06 07:30:24 | 阿修羅コメント

永田町異聞(ヤフーニュース掲載)・・・正論です!お見事!喝破!
□16議員の行動をどう見るか
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10806173145.html
16議員の行動を非難する朝日社説に「理」はあるのか(永田町異聞2月19日)より転載

誰が言ったか、社説は「新聞の床の間」だという。なくても困らないが、なければなんとなく体裁が悪いというていどのものだ。
実のところ、筆者は「社説」に異議を唱えるのをあまり好まない。経営陣の意向が色濃い「社論」に沿って、論説委員が意見を出し合い、その総意を汲み取って書くようなものに、さしたる意味はない。いわば、「毒にも薬にもならない」からである。
それでも、この論を信じきっている人も、中にはいるだろうから、時々はお愛想ていどに苦言も呈しておかねばなるまい。
たとえば、今朝の朝日新聞「小沢氏系造反 異様な行動に理はない」と題する社説に、どれほどの「理」があるか。それを今日の料理の材料としてみよう。

いうまでもなく、16人の民主党衆院議員が、国会内の民主党会派からの離脱を表明した一件がテーマなのだが、「政党人として到底許されない行為だ」と書き出しからいきなりバッサリ斬って、怒り心頭といった風情なのである。

なぜ、そんなにお怒りなのか。「社論」の背景は色々あるだろう。それは後述するとして、まずはこの「社説」における怒りの理由を下記に抜粋したので、とくと拝見しよう。

◇16人は「造反」の大義名分として、菅政権が国民との約束であるマニフェストを「捨てた」と断じるが、見当違いもはなはだしい。ばらまき型のマニフェストが財源不足で破綻していることは誰の目にも明らかだ。必要なら見直すのは、政権与党のむしろ責務だろう。確たる恒久財源の当てもなく、「マニフェスト実現」のスローガンばかりを繰り返す方がよほど無責任である。◇

これだけ読んだら、「そりゃそうだ」と納得する読者も多いことだろう。しかし、その納得の思いは、財源不足で破綻しているマニフェストを菅政権が捨てたのを造反の理由とするのは見当違いだ、とするこの社説の意見に同意するからに他ならない。
ならば、本当にこの16人が見当違いなことを言っているのかどうかを検証しなくてはなるまい。
こういうときにこそ、ぜひ、インターネットを活用したいものだ。ネットで検索すれば、彼らが報道陣に配った文書の全文が手に入る。朝日社説が書く「マニフェスト実現のスローガンばかりを繰り返す方がよほど無責任である」に対応する文章はこうなっている。

◇総選挙では、予算のムダを徹底的に削り、新たな政策の財源に充てるとしたマニフェストを掲げ、政権交代を実現した。しかし、「予算の総組み替えなどを行う」と主張していたのに、ほぼ手つかずの一方で、先週、菅総理大臣は、「衆議院の任期中上げない」としていた消費税については、「来年度末までに法的な対応をしなければいけない」と発言し、増税への意欲をあらわにした。菅政権は国民との約束、マニフェストを捨てたのである。

 また、政治家主導で日本を立て直すはずが、目玉とされた国家戦略局の設置法案は実現せず、公務員制度改革も反古(ほご)にされている。官僚に頼り放しだが、尖閣問題や北方領土問題など、もっとも政治主導であるべき案件で失敗すると官僚のせいにする。菅政権は政治主導の御(み)旗も捨てたのである。◇

議員16人が強調しているのは、政治主導で総予算組み替えや公務員制度改革などを実行することによって、国民との約束であるマニフェスト実現に努力するべきであるのに、菅政権は約束を破って消費増税に血道をあげ、官僚依存の自民党政治に逆戻りしたということである。上記の文章で彼らの行動の真の意味は十分、理解できるはずだ。

その真意を無視し、「マニフェスト実現のスローガンばかりを繰り返す方がよほど無責任である」という問題にすり替えて論説を展開する背景に何があるのだろうか。それは、この社説の後半、つぎのくだりにヒントが隠されている。

「小沢氏の処分を早く決め、マニフェストの見直しや社会保障と税の一体改革も決然として進めなければならない。もはや『党分裂』を恐れて迷い、ためらっている段階ではない」

つまり、なにがなんでも「消費増税」をやり抜け、と菅首相の尻を叩き、首相を操る財務省に声援を送っているのである。

ここで、2月10日の「永田町異聞」メルマガ版にくわしく書いた新聞界の思惑にふれないわけにはいかない。メルマガから一部を転載する。

◇新聞と財務省の関係をうかがわせる人事があった。昨年11月16日、丹呉泰健氏が読売新聞の社外監査役に就任するという小さな記事が各紙に掲載された。

丹呉氏といえば、2009年の政権交代直前に財務事務次官となり、2010年7月に退任したばかり。OB人脈を含めた財務・大蔵一家のなかでの影響力は大きい。
読売新聞がなぜ、丹呉氏を必要とするのか。読売グループのドン、渡邊恒雄の意思がはたらいているとみるのが自然だろう。この人事の背後に、「消費増税」への新聞界の思惑が透けて見える。

消費税が数%でもアップされると、ただでさえ人口減、インターネットの台頭、広告収入の大幅ダウンに見舞われている新聞業界はもたない。

そこで、渡邊氏ら新聞界のトップが考えているのが、英国のように食料品など生活必需品の税率をゼロ、もしくは軽減するよう世論を誘導し、その生活必需品のなかに、さりげなく新聞をもぐりこませるという算段だ。

それを可能にするために、財務省の増税路線を大いに支援して恩を売っておく必要がある。いざというときの橋渡し役として、丹呉氏はうってつけだと考えたに違いない。

新聞にとって、もうひとつの恐怖は、再販制度と特殊指定の特権を剥奪されることだ。現在のところは、再販制度によって高価格に維持できているからこそ、まがりなりにも新聞の経営はなりたっている。

ふつうの商品なら、価格を決めるのは小売であり、メーカーが価格を押しつけると独禁法違反になる。新聞は特殊指定によって、メーカーである新聞社が価格を決めることができる数少ない商品だ。

渡邊恒雄氏ら新聞業界トップには再販制度をめぐるこんな前歴がある。2005年11月、公正取引委員会が、再販制度について新聞の特殊指定を見直す方針を打ち出した。実はそれよりはるか前の1998年にも公取委が「基本的に廃止」の方針を固めたことがあったが、新聞協会会長だった渡邊氏らの政界工作で、「当面見送り」にさせた経緯がある。

05年の見直し方針に対しても同じだった。新聞協会は猛反発し、各政党への働きかけによって政界の支持を得た新聞協会に公取委が屈して、方針を取り下げた。

記者クラブの独占的取材体制など新聞協会の既得権に手厳しい小沢一郎は、マスメディアにおもねる体質が色濃い政界にあって異彩を放っており、それが異常なバッシング報道を受ける大きな要因であることは確かだろう。

ちなみに、再販制度を所管する公正取引委員会の委員長、竹島一彦は大蔵省OBであり、読売新聞の社外監査役となった丹呉が、この方面でも一定の役割を果たすことになると推測される。

こうしてみると、強大な予算配分権の維持をめざす財務省は国家財政の危機を過大に喧伝して増税の必要性を唱え、現実に経営危機が迫りつつある新聞社とその系列のテレビ局を抱き込むことで、世論調査という擬似国民投票に右往左往する菅内閣が財務省の言いなりになる形をつくることに成功したといえる。◇

大新聞がこぞって消費増税を支援している理由がわかっていただけたのではないだろうか。
経営の論理が新聞の「社論」になり、そこから逸脱しないよう、いやむしろ社長の覚えめでたきよう意図して「社説」が書かれている日本新聞界の現状が、今日の朝日社説からも浮かび上がってくる。

新 恭  (ツイッターアカウント:aratakyo)




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外国人からの献金受領「行為」が法律違反

2011-03-06 06:48:17 | 植草一秀氏の『知られざる真実』

外国人からの献金受領「行為」が法律違反
民主党は実質的に「正統民主」=「減税民主」と「連赤民主」=「増税民主」に分裂し、二つのグループへの移行が進行し始めているが、「連赤民主」の中核メンバーの「政治とカネ」問題が次々と明るみに出ている。
 
 しかも、これらの人物の「政治とカネ」の問題は疑惑ではなく、事実である。小沢一郎民主党元代表および元秘書にかかる問題は疑惑でしかなく、当事者が冤罪であると主張している。客観的に判断しても、およそ刑事問題として取り上げることが著しく不自然な問題である。
 
 これに対し、前原誠司氏、野田佳彦氏、村田蓮舫氏などに関する「政治とカネ」の問題は、疑惑ではなく事実である。
 
 とりわけ、前原誠司氏は政治資金規正法で禁じられている外国人からの政治献金を長期にわたって受領しており、刑事事件として立件されるべき事案である。
 
 この違反は、「3年以下の禁錮または50万円以下の罰金」を科せられる重大な犯罪であり、前原氏の責任明確化は避けられない。
 
 国会での質疑において、総務省の田口選挙部長は「政治資金規正法では、外国人から政治活動に関する寄付を受けてはならないとされており、故意にこの規定に反して寄付を受けた人には罰則の定めがある。この刑罰に処せられた場合は公民権停止の対象になる」と説明した。
 
 この説明に対応するように、前原誠司氏は、「外国人から献金を受領したが、その認識はなかった」と述べた。前原氏が献金受領を認識していなかったならば罪を問われないと受け止められかねない総務省田口氏の説明ぶりだが、この説明をこのまま鵜呑みにすることはできない。



政治資金規正法第二十二条の五に、外国人から政治活動に関する寄附を受けてはならないことが定められている。
 
 そして、第二十六条の二において、三年以下の禁固または50万円以下の罰金に処することが定められている。
 
 法律の条文に「故意」の表現はない。総務省選挙部長の答弁には細工が施されていた。法律の規定に対する一つの解釈を、あたかも法律の定めであるかのごとくに答弁したのは、虚偽答弁である疑いが濃い。
 
 いずれにせよ、前原誠司氏が「政治とカネ」の問題で、法律の定めに違反する行為を行ったことは明らかである。捜査当局は法と証拠に基づいて適正な捜査を行う必要がある。まず参考人として事情聴取をし、犯罪が認められれば前原氏を逮捕することが必要になるだろう。
 
 「政治とカネ」の問題で、クリーンな民主党にしたいと述べてきた菅直人氏は前原氏が大臣辞任、議員辞職などの行動を示す前に、前原氏をまずは罷免し、そのうえで離党勧告なり、議員辞職勧告などを行うべきだろう。
 
 これまで「クリーンな民主党」であるとか、「政治とカネ」の問題から訣別などと主張してきた岡田克也氏は、新たに表面化している民主党議員の「政治とカネ」の問題に対して、厳しく、そして迅速に対応する必要があるだろう。
 
 捜査当局の対応が遅ければ、主権者国民が刑事告発することも必要であるし、検察当局の対応が不自然であれば、検察審査会に持ち込むことも必要になってくる。
 
 前原氏は小沢一郎氏に対して極めて冷酷な対応を示してきたのであるから、自分自身の問題が表面化した以上、これまでの発言と整合性がとれるように、議員辞職などの適正な対応を示すべきだろう。また、岡田克也氏は幹事長として、「政治とカネ」の不祥事に手を染めた民主党議員を厳格に処分する必要がある。
 
 政治資金規正法の条文を読む限り、法律で禁止されているのは「外国人から政治活動に関する寄附を受ける」という行為であって、故意であるのか否かの認識について言及していない。前原氏は事実として、外国人から政治活動に関する寄附を受けたのであり、犯罪の構成要件をすでに満たしていると考えるべきだ。
 
 後付けで、誰が行った行為かを見て、人物Aの場合は逮捕・起訴だが、人物Bの場合は無罪放免と対応を変えることは、法治国家の対応ではない。
 
 小室直樹氏は『日本いまだ近代国家に非ず』と指摘した。


日本いまだ近代国家に非ずー国民のための法と政治と民主主義ー
著者:小室 直樹
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 ウォルフレン氏は、『誰が小沢一郎を殺すのか?』に、
「日本では、法律は支配しているのではなく、支配されている」
と指摘した。

 

誰が小沢一郎を殺すのか?   画策者なき陰謀
著者:カレル・ヴァン・ウォルフレン
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 法律の解釈を、時と場合、適用する対象の人物によってそのつど変えて、政敵を攻撃するのは近代国家ではない。日本の警察・検察・裁判所制度は前近代に取り残されているのだ。
 
 この状態を放置してよいはずがない。
 まず、前原氏には明確に責任を取ってもらわねばならぬ。
 また、菅直人氏は、野田佳彦氏、村田蓮舫氏に対して、「クリーンな民主党」を実現するために、厳格な処分を断行しないと、これまでの発言とまったく整合性が取れなくなる。
 
 主権者国民もまず、政治資金規正法の条文をよく読み直す必要がある。



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