格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

計画停電=原子力発電所に事故があった場合、停電させ、市民を脅迫し、

2011-03-25 19:02:35 | オルタナティブ通信

計画停電=原子力発電所に事故があった場合、停電させ、市民を脅迫し、原子力発電・反対の声を「口封じ」する戦略


 原子力発電は、太陽光発電、地熱発電、波力発電、風力発電等よりも、「コスト」が安い、というデマが流されている。

代替エネルギーには、「コスト」問題がある、という、デマである。

原子力発電は、放射性廃棄物を数万年、冷却し続けなければならず、

冷却しなければ放射性廃棄物が「容器」を熱で溶解させ、モレ出し、土壌・地下水を放射能汚染する。

この数万年分の電気料金=コストが、原子力発電の「コスト」に算入されていない。

意図的な、情報操作、デマ宣伝である。



今回のように、原子力発電所が事故を起こすと、放射能汚染された農産物等が廃棄され、

汚染されていない水を調達し、

観光客は日本から逃げ出し、外国企業が日本から逃げ出し、

原子力発電所の周辺の住民が、避難し、新しい住居に移動し、避難所を設置し、

原子力発電所の周辺の行政が活動拠点を移動させ、周辺の企業活動は停止する。

廃棄された農産物の総額、

汚染されていない水の調達費用、

観光客の激減=航空会社の収入減少、

企業の海外逃避による日本国家・社会の経済損失、

原子力発電所の周辺住民の転居・避難の費用、避難所設置の費用、

原子力発電所の周辺の企業活動の停止の損失、企業に勤務しているサラリーマンの収入減少、

これ等は全て、原子力発電の「コスト」である。

このコストを計算に入れない、デマが、

原子力発電は、太陽光発電、地熱発電、波力発電、風力発電等よりも、「コスト」が安い、というウソである。



この「コスト」問題での、デマと同一の情報操作が、

現在行われている、「計画停電」である。

原子力発電が止まると、電力が不足し、停電すると、市民・国民を脅迫し、

事故を起こした、危険な原子力発電の事業を廃止せよという、国民の非難を、「封殺」する、口封じの情報操作が、

「計画停電」である。

日本に存在する54基の原子力発電所が、「全て停止しても」、電力は、余っている。

この原子力発電所に事故があった場合、停電を行い、市民を脅迫し、原子力発電・反対の声を「口封じ」する戦略は、

事前に「計画的に」、準備されていた。

従って、「計画」停電、「計画的犯行・停電」と、呼ばれている。



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3.19デモ中止から再び闘いの開始をはじめよう

2011-03-25 06:28:20 | 阿修羅コメント


私たちは、3・19の東京デモを、小沢一郎総理総裁実現への最も重要な一里塚であると位置づけていた。残念ながら3・11の大震災によって中止となったが、私的には、3・11は、中止をせざるをえない事情であったというより、むしろ3・11の政治的意義をより拡大し、より鮮明にするべき必要性のほうが優先していたのではないかと考えている。3・11が発生したことによって、「2009政権交代の原点にかえれ!」、「こんな民主党なんて、いらない!」という思いは、スローダウンするどころか、いっそう募るものになったはずである。

未曾有の数の犠牲者や被災者は、自分たちの生命をかけた悲痛な叫びを、誰かに代弁してほしいはずである。また私たちは、その叫びを代弁するべき責務を背負っていたのではあるまいか。その上で、二度とこのような「人災」をくり返さないためにこそ、「2009政権交代の原点にかえれ!」をより強く叫ぶべきであったし、「こんな民主党なんて、いらない!」と強く強く叫ぶことによって、真の日本維新、日本復興を実現する政治勢力の結集と勝利を誓うべきではなかったか。犠牲者や被災者のことを思うと、デモなんかやってる場合ではないだろう、ではなくて、犠牲者や被害者のことを思えば思うほど、彼らの叫びをも糾合して、より力強くデモをしなければならなかったのではないかというのが、個人的ではあるが、私の見解である。

そういう意味で、私は3・19が中止になったことについては、残念でならない。ただしこれは、私の一つの個人的見解であり、感想である。主催者たちのご苦労やご努力に、無責任に水を掛ける意図は微塵も無い。私は一協賛団体の代表者に過ぎないし、もちろん主催者ではないのだから、主催者の決定については当然敬意を払って尊重するものである。主催者が苦渋の選択として中止を決定した背景には、おそらく私などの知りえないご苦労やご配慮があったものと推測する。

中止決定の文章を読むと、「4月下旬以降または政局の動向が見えるようになるまで延期やむなし、との判断に至りました」とある。4月下旬と言えば、まさに統一地方選挙が終り、「政局の動向が見えるようにな」っている時点である。それまで手を拱くのではなくて、むしろ政局の動向をリードすることこそ、デモの趣旨であるべきではなかったか。私としては、地団太を踏む思いである。中止を決定された主催者の思いも、地団太を踏む思いであろうと思う。またぜひとも参加したいとてぐすねを引いておられた参加予定者の皆さんも、みんな同じように地団太を踏む思いであるに違いないと思う。

ここは延期の起間を最小限にして、可能な限り早期に、あらためて開催に踏み切ってはいただけないだろうか。ぜひともご検討をお願いしたいものである。


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