北朝鮮=スイスの闇
1954年、フランス領であったアルジェリアで独立運動が起こると、アルジェリアの経済界を支配していたフランス系ユダヤ人の利権が失われる危険が発生した。
イスラエルのアイゼンベルグ社は、ユダヤ系フランス人の利権の保護を「名目」に、アルジェリアの内乱に乗じ武器販売のチャンスを生かし、当時アルジェリアを支配していたフランス政府のアルジェリア総督ジャック・スーステルを全面的に支援し、独立を弾圧するための武器販売を行う。
この時の協力関係を元に、スーステルは後に、アイゼンベルグの資金力と軍事産業ネットワークを生かし、フランス政府の原子力大臣となる。
この時以降、フランスの核兵器開発・原子力発電産業には、イスラエルの軍事産業アイゼンベルグ社が深く関与する事となる。
大臣退任後、スーステルはアイゼンベルグ社のスイス支部で雇用を得、スイスを舞台にアイゼンベルグ社の核兵器販売ビジネスを担う事になる。
スーステルが営業網拡大に尽力したアイゼンベルグ社の核兵器部門は、他国の核兵器開発と原子力発電所建設に資金融資する専門銀行ABT(アメリカン・バンク&トラスト)を創立する。このABTが1988年のパキスタンの核武装に際し、資金を供与し、このパキスタンから北朝鮮に核ミサイル技術が「流された」。北朝鮮は核兵器開発に際し、その資金の一部をABTから「融資」されている。このABTと、そのボス=アイゼンベルグ社の経営幹部が、前ブッシュ政権の副大統領ディック・チェイニーである。
なおパキスタンのムシャラフ元大統領は、その回想録「イン・ザ・ライン・オブ・ファイア」(フリープレス出版)の中で、パキスタンの核兵器開発の現場には北朝鮮の核兵器開発技術者達が常に同行し、パキスタンの核兵器開発技術を学んで北朝鮮に持ち帰っていたと語っている。