格差階級社会をなくそう

平和な人権が尊重される社会を目指し、マスゴミに替わって不正、腐敗した社会を追求したい。

教育で大事なのは個人の尊重と多様な価値観許容

2013-05-05 22:29:14 | 植草一秀氏の『知られざる真実』


教育で大事なのは個人の尊重と多様な価値観許容




「こどもの日」に因んで教育に関する考察が行なわれるが、私たちは民主主義の根幹に置かれる個人の尊厳、思想・良心の自由の尊重を改めて重視しておかなければならない。


日本の敗戦後、日本の統治のあり方は根本から修正された。


現行憲法の制定に際してGHQの意向が強く反映されたのは事実である。


しかし、そのことは現行憲法を改正するべきであるとの主要な論拠にはなり得ない。


憲法制定に誰が主導権を持ったのかが大事なのではなく、憲法の内容が良いものかどうかが大事なのだ。


自分たちで決めた憲法でも内容が悪ければ改正するべきだし、自分たちでない人が制定に深くかかわったとしても、内容が良いなら改正する必要はない。


誰が制定に深く関与したかどうかにこだわる姿勢は、形式主義の弊害そのものである。



民主主義において何よりも重視されなければならないことは、個人の尊厳の尊重、思想・良心の自由、そして政治的自由の尊重である。


伝統や文化を守り、育てることは大事だが、それは国家権力によって上から強制するものではない。


個人の自由な意志によって、自発的に守り、育ててゆくべきものである。


教育基本法は教育における憲法のような存在であるが、現行法は安倍政権下で2006年12月に公布・施行されたものである。


安倍氏によって教育基本法の根幹は著しく改変された。


旧教育基本法と現行法の違いはその前文によく表れている。


旧法の前文


われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。


 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。


 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。



現行法前文


我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。


 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。


 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。



教育の民主化は戦後民主化の骨格のひとつである。


現行法と旧法の前文の違いは第二段落に明確に表れている。


旧法が


「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」


としているのに対し、現行法では、


「我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。」


とされた。


「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」





「個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」


に書き換えられた。


「真理と平和」が「真理と正義」に変えられ、新たに「公共の精神」が加えられたことが主要な変更点である。


また、


「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」





「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育」


に書き換えられた。



同時に、教育の目的を定めた第一条の条文が次のように書き換えられた。


旧法


第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身とも健康な国民の育成を期して行われなければならない。



現行法


(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。



「個人の価値をたつとび、自主的精神に充ちた」の具体的記述が削除された点に大きな特徴がある。


要約すると次のことが言える。


第一は、「個人の価値」よりも「公共」が優先される懸念が強まった。


第二は、「普遍的で個性豊かなもの」が排除され、「伝統」が押し付けられる懸念が強まった。





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みなさまこんにちは(^^♪ まだまだ寒さを感じる今日この頃ですが、

2013-05-05 09:20:47 | 生存権

みなさまこんにちは(^^♪
まだまだ寒さを感じる今日この頃ですが、
晴天に恵まれた連休をいかがお過ごしでしょうか?
前号でご案内したように、28日29日と学生時代の4年間を過ごした懐かしい
松本へ出かけてきました。クルマに自転車を積んでの一人旅でしたが、様々な
出会いと春の信州をたっぷり味わい、自分を見つめなおした二日間でした♪
連休前半の松本ミーティングの報告と、憲法記念日を迎えてのCaccyo通信を
お届けします。

◆【真っ白】ミーティング in松本130428
◆今後の市民運動の方向性はいかに?
◆現状認識が進めば進むほど高まる無力感!絶望感!
◆信州の自然を満喫した29日~美ヶ原ヒルクライム
◆「何をしようかな!?」と考えられるシアワセ
◆憲法記念日に「25条 生存権」に想いをいたす



◆【真っ白】ミーティング in松本130428

Caccyo通信130418でご案内したように、昨年12月の総選挙において信じられない
規模での不正選挙が実行されたとの疑念を持つ者が、ネットでの情報交換から
実際に会って情報交換をしようという試みでしたが、とても楽しい集まりでした♪
何が楽しかったか?メディア情報に支配された方々とお話しする際の「ストレス」
を感じることなく会話を進めることができることが何より最高に快適でした!!!

集まったのは呼びかけ人となったボクら3名の他には茨城・山梨・長野からの
3名を加えた6名、年齢層はアラ還世代以上が4名、アラ50が2名、男5名で
女性が1名でした。
みなさんそれぞれに自立した社会人としての見識を持った紳士淑女でありながら
程度の差こそあれメディアの垂れ流す洗脳情報の悪質さに気付き、日本の将来
に対して強い危機感を共有する方ばかりでした。

関東地区にお住まいの方々は、様々な政治的集会やデモにも参加されてい て
ボクらがネット上の情報としてしか知らない情報やウラ情報を教えて頂いたり、
あるいは有志の方が丹念に集められた不正選挙を裏付ける状況証拠の資料の
数々など、貴重な情報を提供していただきました。

また、ボクなんかよりもうんと早くに横暴な権力の実態に気付いて、その過ちを
裁判を通じて司法の場に訴えて明らかにしようと実践してこられた高校教諭に
よる裁判の経過報告などは、全員が驚嘆の声を上げて聞き入りました。

地元から参加のお二人は、ネットでの情報収集が中心でまだ情報発信までは
至ってみえないようでしたが、メディアに情報統制された今の世の中の実態に
憤慨された様子でした。
これを「なんとも仕方ないことだ!!?」と諦めの境地で受け入れてしまうか!?
「そんな馬鹿なことは黙って認めるわけにはいかん!」と義侠心を奮い立たせ、
何らかの情報発信やデモなどの行動に移されるのか!?興味深いところです。


◆今後の市民運動の方向性はいかに?

集合が遅れたこともあって時間を延長し7時近くまで話は続き、その後は居酒屋
に場所を移してかんかんがくがくの議論は10時頃まで延々と続きました。
さてその意見交換の結果として、どんな結論が導き出されたのか?という点では、
なかなか顕著な成果を得るには至らず!!というのが正直なところでしょうか!!!?
共通の認識として確認できた(とボクが感じた)のは、

①日本の政治は戦後この方ずっと米国に属国と支配されたままであり、特に
 冷戦後は日本の経済力がソ連に替わる「仮想敵」と位置付けられ平成以降は
 日本経済を欧米資本の支配下に収めさせる売国策を「カイカク」と称して、
 日本人に押付けて国民をデフレ恐慌の苦しみに陥れてきた。

②メディアはそんな政治を批判し、権力の横暴を監視する!という本来国民が
 メディアに期待する「ジャーナリスト精神」をとうの昔に忘れ去り放棄してしまい、
 権力の広報機関として大衆の世論誘導機関に堕している。
 最近では世論調査の数字も、必ず何らかの恣意的力学で操作され権力の
 意向に沿うような結論に誘導されている。

③行政や立法とは独立した司法権も、最近の村木裁判や小沢秘書裁判などで
 明らかになったように、権力の意を汲んだあからさまな歪みを露呈しているの
 にも拘らず、「臭いものにフタ」や「トカゲのしっぽ切り」どころか、ほとぼりが
 冷めるのを待って「うやむやのまま無罪放免」という信じられない実態である。

④上記のように信じられないほど劣化しつつある政治や司法など「日本の権力」
 であるにも拘らず、多くの日本人は戦後の「日本人骨抜き化教育」によって
 自らのアタマで考えることをせず、漠然と信奉する大手メディアが騒ぎ立てない
 限り、問題意識すら持つことすら出来なくなってしまった。
 「政治とカネ」を論えば小沢真っ黒を問題視し、消費増税やTPPも仕方ないと
 論説されれば「やむを得ない」とあっさり受け入れてしまう。
 考えない日本人を量産してきた戦後教育にこそ根本の問題あり!!!

と、ざっとこんなところでしょうか!!?


◆現状認識が進めば進むほど高まる無力感!絶望感!

上記①②③④の認識はCaccyoが感じたものであって、必ずしも全員が等しく
感じているものではなく、程度の差は全員それぞれ異なるだろうと思います。
概観すると、早くにメディアからの覚醒を果たした方ほど、また権力の不正と
正面から対決してきた方ほど、無力感を感じてみえるように感じました。

何度かデモに参加した程度で、あとはCaccyo通信を通じて発信を続けてきた
程度のCaccoですが、実践してきた方々の無力感絶望感は共有できます。
「正論の伝わらなさ感」は実践すればするほど感じられることでしょう!!!??

まして法に基づいて国民全てに平等に正義を実現してくれるはずの司法に
裏切られ、また、民主主義の原点である国政選挙において集計の過程で電算
処理上のプログラム改ざんという信じられない不正が行なわれたとする疑惑が
事実であったとしたなら、我々国民が意思表示をすることは可能でしょうか???

考えようによっては、気付いてしまったが故の無力感絶望感を味わうよりも
メディアに誘導されるままバラエティ番組のバカ芸人にバカ笑いしながら、
「苦しくてもみんな一緒だから!!」と、“属国日本の運命”を受け入れている方が、
もしかしたら楽チンな生き方なのかも!!?とすら思えなくもありません。。。。。


◆信州の自然を満喫した29日~美ヶ原ヒルクライム

翌朝は5時過ぎに目を覚まし、5時半から松本城を一巡りしながら、30年前と
比べるととても都会っぽくなった松本市内を懐かしみつつ1時間余の散策を
楽しみました。前日午前の知人訪問時にも聞きましたが、華やかな新しい店の
陰で昔ながらの古びた通りに空き店舗が軒を連ねている街並みもあり、日本
中で見られる疲弊する地方経済の一端を垣間見ました。

9時前に宿を出て美鈴湖(標高1000m)に向かい、そこで自転車に乗り換えて
一路、美ヶ原王が頭(標高2034m)を目指しました。乗鞍ヒルクライムレースに
毎年エントリーしていた30代の頃に一度上ったことがありましたが、50代と
なって衰えは隠せないものの、つりそうな足をいたわりつつ、へろへろペース
で2時間近くかかって標高差1000mをなんとか登り切りました。

美ヶ原台上はもっと冬景色かと想像していましたが、意外に雪は少なく拍子抜け
するほどでした。散策する人もまばらで連休中とは思えないほどのどかな風景で
した。ひとりで行くには少しもったいない景色だったかも!?
お天気は晴れでしたが北アルプスや蓼科山・八ヶ岳はかすみが掛かったようで
眺望はイマイチながら、高地の日差しは肌に刺さる程の強さを感じました。
王が頭ホテル前のテラスで証拠写真を撮り、帰りは歯を食いしばりながら登る
同好のサイクリストに声を掛けながら30分ほどで一気に1000mを下りました。
美鈴湖の空気がとても生暖かく感じました。

その後は予定していた駒ヶ根友人宅訪問をキャンセルして、通いなれた木曽路
の国道19号線を新緑を楽しみながらのんびりドライブして帰宅しました。


◆「何をしようかな!?」と考えられるシアワセ

久々のドライブ旅行で感じたのは、エコ意識が定着したせいか!??早く!早く!!と
せっかちに走る車が少なくなった印象と、美ヶ原にしろ木曽路にしろ走っている
車の絶対量が少なくなったのでは!?との印象でした。
とはいえ、最近目にすることが少なくなった大型バイクの集団と行きかうことも
多く、キャンピングカーを何台も見かけたりで、レジャーを楽しむ人びとが闊歩
する姿は、「平和な日本」そのもののように映りました。

Caccyo通信読者の皆さまはどんな連休をお過ごしでしょうか?
どこかへ出かけなくても、どこへ行こうか?何をしようか?休みの過ごし方を
思案できることはとても幸せなことだと認識していただきたく思います。

平成のカイカク政治のおかげで、国民年金に頼るお年寄りや、この15年間の
デフレ時代に社会に出ることになった氷河期世代の若者たちの中には、連休
だと浮かれていられない方々が数多く存在していることは「紛れも無い事実」
なのですから!!!


◆憲法記念日に「25条 生存権」に想いをいたす

皆さん方の身の周りには恵まれた方々ばかりで見えないのかもしれませんが、
資本至上主義の競争経済導入によって、格差は拡大するばかりであることを
決して忘れないでください。しかもそのしわ寄せはまず弱者に向かいます!!

グローバリズムを是とする平成時代の競争経済は今や「残酷経済」と化して、
強きものの一人勝ちを称賛する風潮をいっそう強めているように感じます。
規制緩和で自由競争を促進すれば経済が活性化するかような!?デマゴギーを
実しやかに吹聴し、生活保護世帯増大や若者の就職難の根本原因である
「長期のデフレ」を放置したままで、苦しむ当事者に原因があるかのような分析
を振りまいていることは、お年寄りや若者らをさらに「自己責任論」に追い込む
残酷極まりないことなのです。。。

4月23日のユニクロ柳井氏の「年収100万円当たり前」発言にみられるように
国という枠を外すことが良い方向であるかのような大馬鹿発言が公然と報道
される雰囲気こそ危うい風潮だと思わずにはいられません。。。
このような行き過ぎた競争経済がもたらした残酷経済によって、格差社会化が
より進行して国民を苦しめ、憲法25条に規定された国民の「生存権」をすら
危うくしかねない危機的状況に至ろうとしているのではないか!!?と、憲法記念日
の今日、強く感じたCaccyoでした。

日本国憲法 第25条
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
9条よりも重い日本国憲法の肝だと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございましたm(__)m







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