30、
・久米寺講經・・久米寺(奈良県橿原市久米町502)「大師御伝記」に「大師大和国久米寺くだりたまひて、善無為 所説の疏に付けて、大日経を講じたまひける。これ御夢のつげにより彼の寺の東塔のもとにしてはじめて大日経をえたまへしゆえに彼の恩を報じ給ふべきよしにや侍りけん。そのとき伊勢太神をはじめたてまつり、日本國大小の神祇、本地垂迹のおんかたちをあらわしたまひて、御ちょうもん随喜し給ほいけりとかや . . . 本文を読む
日本では聖武天皇以来春秋の彼岸に彼岸会を催し、善根功徳を先祖に回向することとしています。丁度彼岸を前に部屋の整理をしていると不思議な日記がでてきました。昭和60年前後と思われる日記です。それに「大法輪を購入。薬師寺の高田好胤師が慰霊法要で南洋にいったとき、海底の遺骨に対して船上から供養の地蔵菩薩のお姿を流した。すると無数のそれらのお姿はまとまって海中に流れていくので、潜水夫はそのお姿をたどってい . . . 本文を読む
今朝、行中にここ数日間嵐のように荒れて波立っていた心がスーッと晴れて丁度今日の空のようになっているのを感じました。これまで数日間荒れ狂っていた自分の心が特段の理由もなく晴れたのです。心は不思議です。改めて心の不思議さ深さを感じました。
心の構造はいろいろ分析されています。キリスト教は魂と霊に分けて捉え(テサロニケの信徒への手紙5章 23節 では「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者と . . . 本文を読む
29、
・四天王寺(大阪府大阪市天王寺区四天王寺1−11−18)
四天王寺では彼岸の中日となる春分・秋分の日には、同寺「石の鳥居」の中を落ちていく夕日を拝む「日想観法要」が執り行われますがこれはお大師様がが同寺で真西に沈む夕日を見て、西方に極楽浄土を見いだす修行を始められたことに由来する、とされます。「大師御伝記」には「天王寺の西門にして、日想観を修したまひし事、いとありが . . . 本文を読む
Q,幽霊の正体はなんですか?
A,「幽霊とは倶舎論にいう中道の五蘊、あるいは毘婆沙論にいう微細の五蘊が形を変じたものである。五蘊とは色受想行識のことで、身のことを色といい、心の事を受想行識という。微細の五蘊とは中有の身心で、魂魄と称するもののこと。これすなわち正根の滅せぬものである。人が死ぬとこの魂魄が抜け出して浄土にも生まれ、地獄へも落ち、あるいは蓮台にも坐し、火車にも乗ず。すなわち魂魄とは生々 . . . 本文を読む
1、はじめに、私は以前からお大師様の『秘密曼荼羅十住心論』の十住心の順番、特に法相と三論宗の順番がどうして法相が先で三論が後になっているのかわからなくて不思議でした(これは大日経や日本で成立した八宗綱要でも同じですが)。最近の仏教書では歴史的展開に沿って考えて、「空」(三論)を先に「唯識」(法相)を後に解説されているものばかりですから。
そこで教相判釈を少し調べると、いろいろな宗派で教相判釈という . . . 本文を読む
28、大師三十七歳から五十歳
・延命寺御開創(弘仁年間(810年~824年))、・・・延命寺(大阪府河内長野市神ガ丘492) 大師がお地蔵様の石仏を刻んで本尊とし伽羅山宝憧寺としたのが当寺の始まりとされます。寛永16年(1639年)に、この地に生まれた浄厳が伽羅山延命寺に寺号を改め中興しています。上田 霊城猊下が住職をつとめられています。
・観心寺留錫(弘仁年間(810年~824年))、・・観 . . . 本文を読む
27、・滝谷不動御創建(大師四十八歳、弘仁十二年、八百二十一)・・明王寺(大阪府富田林市彼方1762 )
大師は後にのべる龍泉寺御参籠に当たり不動明王を自刻され嶽山の中腹に当寺を建立された。(弘法大師空海の御足跡)
・大峯御修行・・・大峰山寺(奈良県吉野郡天川村大峯山)「大師御伝記」には「大師南山大峰修行ありけるとき、菩提心論、釈摩訶衍論等の聖教をみずから書きたまふて、霊巌のなかにうずませたま . . . 本文を読む
現代の日本人には『あの世』の存在への感覚が戻ってきています。
統計数理研究所『日本人の国民性調査』(2008年)では、『あの世』を“信じる」という人は1958年の平均20%から50年を経て2008年は平均38%へと倍増しており、特に20歳代では49%と半数が「信じる」としています。
あの世の存在を信じるという気持ちは「いのち」への深い愛情と惜別の念なくしては生じえません。こう考えれば日本人、特に若 . . . 本文を読む
Q、仏前で三度跪拝し、神前で二拝する理由はなんですか?
A,仏前で三度跪拝するのは、法身、報身、応身の三身の徳を拝むことです。(仏前で勤行に当たってはまず「おんさらば たたぎゃた はんなまんなのうきやろみ(一切の如来の御足をいただきます)といって三度五体投地します。)神前で二拝するのは本地と垂迹の二つの徳を拝むということです。ついでにいうと人に対して一度礼をするのは今あるその人の徳を尊ぶという . . . 本文を読む
両部神道の始まり・・・両部神道は、伊勢内宮の天照大神が胎蔵界の大日如来で、外宮の豊受大神(とようけのおおみかみ)は、金剛界の大日如来とし、伊勢神宮の内宮と外宮は胎蔵界と金剛界の両部で、この両部が一体となって大日如来の顕現たる伊勢神宮を形成しているとしたものですが、そもそも両部神道は弘法大師が嵯峨天皇を灌頂されたとき嵯峨天皇が恩返しに天皇即位の時の作法を伝えるとされて、大師に三種の神宝、四海領掌、御 . . . 本文を読む