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端午の節句の由来は・・・・

2006年05月01日 09時43分56秒 | 独り言・社会・ニュース

いよいよ今年も5月になりました。
4月の後半は、気温も低く肌寒い日が続きましたが昨日から5月らしい気候になってきました。

      

端午の節句(節供)の端午とは、元々「月の初めの5日」を言うらしく、5月に限ったものではないようです
昔に中国から伝わったものですが、日本でも日本書記に5月5日を「薬猟りす」と記述があり、この薬とは「鹿の若い角」のことです。

しかし、日本には古くから5月を「悪月」などと呼び、物忌みする習慣がありました。
これを「さつき忌み」と称し、菖蒲(しょうぶ)と蓬(よもぎ)で屋根を葺き、その家を「女の家」と呼ぶ小屋を作って女性達が忌みごもりをしたと言います。

これは、田植えの始まる前に身を清めて豊作を祈った上で「田植え」を初めたようです。 このことから「端午の節供」も女性の節供だったようです、「男の子の節供」に変化した理由は、武家社会の発達にありました。

「菖蒲」が「尚武」に通じるとして武家では、この日に幟(のぼり)などを立てて子々孫々までの武運を祈るようになりました。
また、「桃の節供」が女の子の節供として定着していることから男の子の節供も必要と考えられたとも言い伝えられています。

幟も武家にとって大事なもので、同時に吹流しも「邪気を祓う呪」であり、元々は吹流しや家紋入りの幟を立てていました。 これは武家社会のみで、庶民にもこの風習が起こってきたのは、江戸時代で、家紋入りの幟は、気が引けるので考えられたのが「鯉のぼり」です。

さて、この季節には「菖蒲」「あやめ(漢字では菖蒲と書きます)」「杜若(かきつばた)」が挙げられますが、さてどこがどう違うのか、分かりません。
お知りになりたい方は、調べてください。