今日から5月。 五月晴れとはいかず、肌寒い雨の一日でした。
つきが変わって、虎の疫病神も離れると思ったのですが・・・・
良い休養、気分転換になって明日からの連勝に期待しましょう。
さて、先日、今の日本人気質、文化は、江戸時代に完成されたと思うということを述べました。
とかく、江戸時代は暗黒の時代と思い勝ちですが、よく考えるとそうでもないのです。
260年もの長い間、徳川政権が続いたのは、一つは「政治の基本的な方向が正しかった」のです。
もう一つは、弾圧や強制により、政権を長期間に亘って維持することが出来ないという経験的な事実です。
一つ目については後日に述べるとして、二つ目の弾圧や強制が少なかったということを考えてみます。
徳川政権の末期には、安政の大獄という弾圧があり、また元禄時期には「生類憐れみの令」という馬鹿げたものもありましたが、 総じて厳しい弾圧はなかったといえると思います。
当時としては識字率が世界を類を見ないほど高く、世界でも指折りの人口を持つ江戸で、一方的な強制によって265年間も服従させ続けることが出来るはずがないのです。
これには、がんじがらめする程の官僚を持たなかったからと推測されます。
つまり、江戸時代中期の江戸の人口は55万人に達していましたが、その庶民を支配する町奉行の下に290人の役人しかいなかったのです。
しかも、警察業務についている役人はその内の24人だけでした。
さらに市中をパトロールする定町廻り同心は、さらにその半分のわずか12人しか居なかったのです。
そして、徳川直参武士の警察機構があったのは、江戸市中のみで、地方にはその組織すらなかったのです。
江戸に並ぶ大坂の人口は40万人でその定廻り同心は、たった4人だったそうです。
これではほとんど警察がない状態に等しいのです。
この比較は、東ドイツは、人口の約25%が秘密警察だったと言われていることを考えれば、そしてあの内部崩壊が起こったことを考えれば、江戸時代の警察組織は、ないに等しい状態であったのです。
それでも、内乱(島原の乱は別にして)や反乱、動乱が起こりえなかったのは、反政府勢力がなく、そのような状態では、政治警察という発想もなかったのではないでしょうか?