以前に、同じ政権が265年もの長い間続いたのは、江戸時代の政治の基本的な方向が正しかったからで、役人が極端に少なく、弾圧や強制が思ったほどなく、暴動もなかったことを述べました。
勿論、異論が色々あります。
例えば、5代将軍綱吉の時代の生類憐れみの令が一般庶民を苦しめたということが上げられますが、これも次の6代将軍家宣が、綱吉の特異な性格を殊更大袈裟に喧伝したものらしいということが分かってきました。
研究された山室恭子氏によれば、実際に生類憐れみの令で処刑されたのは24年間の総数が僅か69件で年間平均2.8件しかなかったということでした。
「蚊を叩いただけで首が飛んだ」ということはありえなかったのです。
今日の絵は、京都植物園にて F10
だからと言って、江戸時代が極楽浄土のような理想的な社会と言うわけではありません。
どこかの国が「地上の楽園」などと言っているのは幻想か大嘘なのです。
生身の人間の生きる社会に地獄があっても極楽はありません。
人類は愚行を重ね、愚行のない社会は空想家の頭の中にしか存在しないのです。
つまり、「普通の国」がいかに大切なのかということです。
「普通の国」だった日本には、その愚行の程度が圧倒的多数の庶民が我慢の限度を超えなかったため、江戸時代は265年続いたのです。
革命が起こるのは、我慢の限度を超えていた国々で、革命などと言うものは決してうらやむべき社会現象ではないのです。
「普通の国」とは、大多数の人間にとって、人並みに働けば、食べて着て家に住んで、自由に動き回れることなのです。
不法に拘束されたり、強制されたり、戦争に駆り出されたりすることもないのです。
この意味において、今の日本も江戸時代の日本も「普通の国」なのです。
先の大戦前と戦争中は、勿論日本も「異常な国」でした。