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映画 「 臨場 劇場版 」

2012年07月05日 15時57分32秒 | 映画・社会

ベストセラー作家の横山秀夫のミステリー小説を原作にした人気テレビドラマの劇場版です。

検視官 倉石義男(内野聖陽)が、ある事件の関係者を狙った連続殺人事件の真相を追い詰める物語です。
この映画には、刑法第39条の取り扱いが焦点となっています。

刑法第39条(心神喪失者及び心神耗弱) 心神喪失者の行為は、罰しない、 2項 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

 
         

 多くの人で賑わう広場に、緊急事態の発生を表示する路線バスが、突っ込んできて、乗客たちが転がり出てきて、何か大声で叫んでいる乗客の後から、返り血を浴びた青年が続いて降りてきました。

奇声を上げて、刃物を振りかざし、広場で逃げ遅れた人に襲い掛かる光景は、最近の実際に起こった事件を連想させ、その恐怖感が、体中に湧き上がるという幕開けでした。

この血まなぐさいシーンが、この劇場の中を支配し、その殺人鬼の気迫せまる演技も、ことの起こりの重大性が緊張感が高まります。
その中、遺体霊安室で、変わり果てたわが子の姿に体面した遺族の状態や言葉は、胸に込み上げるものを感じました。

物語は、その犯人と遺族との心境を中心に進みますが、その中で、突然奪われた遺族のやり場のない気持を、検視官たちが、目をそむけたくとも、淡々と作業に臨まざるを得ない心理を追いかけてゆきます。

無差別殺人を起こした容疑者波多野進(柄本佑)は、心神喪失と認定され、刑法39条により、無罪となります。

勿論、その判決に遺族は、納得できません。
がそれから2年後裁判で無罪を引きだした弁護士と精神鑑定を務めた医師が何者かによって殺されます。

警視庁と神奈川県警の合同捜査は、2年前の無差別殺人事件の遺族の遺恨が絡んでいると捜査を進めます。
が、検視官の倉石は、死亡推定時刻に疑問を持ち、犯人は遺族ではないと推察します。

  

遺体から出てくる二つの真実は・・・・
捜査本部と異なる方針で独自の捜査を展開し、通常の捜査ではあぶり出すことが出来なかった事件の裏側に隠された真相に迫っていきます。

刑法39条の矛盾が真意を見逃し、警察の捜査のあり方の壁となり、本来の姿を見えなくしているのではないでしょうか?
いわゆる、刑法上の責任能力とは、物事の是非や善悪を分別し、かつそれに従って行動する能力のことであると言われています。

そこで、責任能力のないものに対してはその行為を非難することが出来ない、あるいは非難することに意味がない、刑罰を科す意味に欠けるとされているそうです。

行為自体には、罰する価値があるが、その行為したものには責任能力がないということで罰せられないというのには、すごく矛盾を感じます。
責任能力がないとは、どのような状態で、誰がそれを決めるのか・・・・被害者より加害者の方が人権が守られていると言われる所以ではないでしょうか・・・・・

この映画のテーマには、責任能力とは、被害者と加害者で判断が異なり、それを法規で決めて良いものなのかを問うているのではないでしょうか?