きょうはジョン・レノンの命日。もう何年になるのかなぁ~。なに、もう32年にもなるのか。
80年と言えば、咸陽市郊外のプラント建設に従事し、トランジスタラジオでフォークランド紛
争の成り行きに耳を傾けていったころだ。それほど情報に飢えていたというのがその時の状況
なんだって、現代子にわかるかなぁ~っと。英国では「イマジン」は放送禁止曲とされ、ポー
ル・マッカートニーは「島は住民たちのもの」とフォークランド紛争の反対を訴えた。ジョン
とおなじ反戦主義に立っていたんだね。
【イマジンな開戦記念日】
ところで、英国領のフォークランド諸島には軍事と外交以外の自治権があり、同諸島周辺の海
産物は豊富で、最近では海底油田の試掘権収入が富をもたらす。紛争時約1600人だった人口も
今は3千人余。2008年の金融危機で国防費削減を強いられた英国では、戦闘機を搭載できる空
母が退役、19年に新たな空母が配備されるまで前方展開力を 欠いている。一方、アルゼンチン
空軍機は老朽化し、同国には侵略の意思も能力もないとされが、南米で反米感情が高まるのを
恐れるオバマ米政権が、英国の肩を持たず双方に「合意による解決」を求めている上、中国が
アルゼンチンの領有権を支持している。同諸島周辺では豊富な石油埋蔵量が確認され、フォー
クランド自治政府の認可を受けた複数の英企業などが試掘を開始している。新興国の台頭によ
り、海底資源が豊かな各海域では領有権争いが顕在化しており、米国は南・東シナ海で領有問
題を抱える中国がフォークランド紛争を研究していると指摘されているというが「武闘信仰」
(『バイオプラスチックな007号』)の自ら撒いた火種は燻り消えそうもうないようだ。
その意味では、その兄貴分のジョンはいまでも反戦平和主のシンボルとみるか、それゆえ「イ
マジン」の天国を否定する反キリスト教会の悪魔の化身と見なすかという論争は絶えない。か
つて「国家とは宗教の最終形態」(故吉本隆明)と喝破したように、英連邦主義と宗教は表裏
一体をなしているんだ、そうなんだ。因みに、英国の葬儀で「イマジン」を流すことを英国キ
リスト教会は禁じ「Imagine there's no Heaven」(想像してごらん、天国なんてないんだと」とい
う歌詞を咎めた。葬式で故人の思い出の曲をBGMとして流すことは少なく、使われる曲の25%
は「歌詞が攻撃的」だという理由でボリュームを絞られてしまうとか。ザ・トランプスの「デ
ィスコ・インフェルノ」やミートローフの「地獄のロック・ライダー」、クイーンの「ファッ
ト・ボトムド・ガールズ」などがその一例だとニュース記事が紹介していた。当の葬儀会社は、
かつて、葬儀を支えていたのは賛美歌だったが、ポップスは亡くなった方の人生のテーマソン
グとして、重要な役割を果たすことが多いのです」と現在の葬儀事情を語る。 現代の葬儀で
使用する楽曲は個人の趣味嗜好を色濃く反映するものが非常に多く、過去3万件の葬儀のうち、
クラシック音楽を使用した例はわずか4%にとどまる。 もっとも、リクエストの多い人気曲
はフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」で、 およそ15%の葬儀で使用されている。また、型
にはまりたくない個性派がレディー・ガガの「バッド・ロマンス」を選曲するとか。
White Man Queen
【国政選挙の論点 その2】
そこで話は、もう一度、朝の会話。きょうは何の日なのかわかると彼女が、したり顔で僕にそ
う尋ねるので、ジョンの命日だろうと返事をすると、71年前の今日が日米開戦の日よと切り返
してきた。そういえばそうだねとつぶやくように言うと。それで、自衛隊を国防軍と改称する
ことは嫌でしょうとまた訊くので、名称などどうでもいいことだが、重火器を装備している部
隊を軍隊でないという嘘は、教育の旨でも可笑しいし、反道徳的だものね。もっとも、安部自
民党などは改称し予算額を増やす意図は透けて見えるがねと言うと、いまもフィリピンあたり
では戦没者が放置されたままで惨たらしゃないのと、必濃くいうのでなぜと訊きかえすと滋賀
彦根新聞の社説に書かれたいからという。それで何なのだと語気を強めると、戦争反対するこ
とと靖国参拝しなければならないことの意味が分からない、と。どうもそういうことを言いた
いのらしい。仕方がないので、作業の手をとめ彼女の集中力がとぎれるまで持論を展開する。
Debt of Honor
太陽の党(いまは維新の会)の代表の石原慎太郎などは、占領軍の押しつけられた憲法だから
改憲し核兵器を持たなければならないと、いまだに女々しく言い続けているが(1)二つの世
界大戦から学んだことは、一旦国家間戦争に突入すると総生産力戦争の消耗戦となること、そ
れは、パリ不戦条約、ジュネーブ条約の反故はおろか一般市民を巻き込んだ戦いで、その象徴
が米国による原爆投下であり、裏を返せば戦争の不可能性を意味する。(2)第九条の戦争放
棄は、先駆的的な条項でこれを具体的に世界展開することが唯一現実的な方法である。(3)
自衛隊を軍隊とした上で、専守防衛に徹し、集団自衛権発動は国際的な公準に乗っ取り、国会
元首の承認の基に展開し、1991年の湾岸戦争の経験を踏まえ、国連軍に編入改組行動する。そ
の行動目的は「国連による武器廃棄」を実現させる行動と規定する。この見識は、現在の改憲
派は勿論のこと護憲派と意見を異にする創憲派として位置つけている。前者は「武闘信仰」(
イスラエル・欧・米・中・露列強諸国を見よ)が捨てきれない派閥で後者は保守的、教条的な
派閥となる。なお、靖国はいまだに戦争美化を続ける品位にかける神社と考えている。と、平
たくわかりやすく喋ることとなった。それで、彼女はというと、一応納得したようだった。
話を戻そう。こうして、ジョン・レノンの命日と日米開戦の日が結びついたのだが、そのジョ
ンは、1953年、20歳のとき、学習院大学から米国のサラ・ローレンス大学に入学、音楽と詩を
学び、1959年から、ニューヨークを拠点に前衛芸術家として活動を開始し1966年に活動の拠点
を英国ロンドンに移し、同年11月に個展を開催していた小野洋子と会場で出会い、1969年に結
ばれる。その時のエピソードをジョンは、そこに展示されていた作品『天上の絵』("Ceiling
Painting (YES Painting)")に惹かれた。それは、部屋の中央に白い脚立が置かれており、観客
はそれを昇り天井からぶら下がった虫眼鏡を使って、天井に貼られたキャンバスの小さな文字
を見るという作品だったのだが「もし"No"とか『インチキ』みたいな意地の悪い言葉が書かれ
ていたら、すぐに画廊を出て行ったよ。でも"YES"だったから僕は『これはいけるぞ、心温ま
る気持ちにさせてくれる初めての美術展だ』と思ったんだ」と回想している。ここで極西と極
東が融和する。っう~のなんて、普通の日本人女性と普通の英国人じゃ絵にならないっしょう、
やはりここは。
こうして二人は、1969年3月20日にジブラルタルで結婚。当時、激化するベトナム戦争に反対し、
平和イベント『ベッド・イン』("Bed-in")や『ウォー・イズ・オーヴァー』("War Is Over,
If you want it")ポスター・キャンペーンなどの独自の「愛と平和」("Love and Peace")の活動
を展開した。また、同年二人は自身の音楽ユニットであるプラスティック・オノ・バンド(Pl-
astic Ono Band)を結成し、1969年12月に同バンドのファースト・アルバム『平和の祈りをこめ
て』("Live Peace In Toronto 1969")を発表。また、1970年12月にオノ自身のファースト・アル
バム『ヨーコの心』("Yoko Ono/ Plastic Ono Band")を発表。1971年3月には2枚目のアルバム
『フライ』("Fly")を発表している。『イマジン』(Imagine)は、1971年発表のジョン・レノ
ンのアルバム。全英・全米、日本オリコン総合チャートともに1位を記録したレノンにとって
最大のヒット作である。『イマジン』(Imagine)は、1971年発表のジョン・レノンのアルバム。
全英・全米、日本オリコン総合チャートともに1位を記録したレノンにとって最大のヒット作。
息子ショーン・タロー・オノ・レノンが5歳になったことを契機としてレノンは音楽活動を再
開し、二人は共作アルバム『ダブル・ファンタジー』("Double Fantasy")を発表する。その直
後1980年12月8日、レノンは自宅、ダコタ・アパート前で、多方向から銃弾を受け死去する。
銃口はオノにも向けられたが難を逃れた。