【専守防衛に流れる墨子の思想】
先秦時代の思想家の中で、かれほど行動的な人はいない。それは、すましかえった。‘君子’の眼に
は「役夫の道(ドレイのやり方)」(荀子)と映じた。しかしそういわれることはむしろ墨子の本望
だったのではないか。ひたすら形式を守り、もっともらしい道徳を説きながら、富者貴人に寄生して
その日を送るえせ君子はかれの最も唾棄するところであった。「愛すれば、必ず愛される」-それは
まことに単純な論理だ。しかしそれを支える重みは無限である。それなればこそ、かれの思想は、儒
家の思想を圧倒して戦国の人々の心をとらえ、動かすことができたのである。その重みとは何か。そ
れを解明することは、同時に、秦帝国以来、二千年間、墨子思想が“絶学”と化した理由を知ること
にもなろう(中国思想シリーズⅤ『墨子』徳間書店第二版の「解題」より)。
【盗癖】
子墨子見王曰、今有人於此、舎其
文軒、隣有敞輿、而欲窃之。舎其錦
繍、隣有?褐、而欲窃之。舎其梁肉、
隣有糠糟、而欲窃之。此為伺若人。
王曰、必為有窃疾矣。子墨子日、則
之地方五千里、宋之地方五百里、此
猶交軒之与敞輿也。荊雲有夢、犀□
鹿麋満之、江漢之魚□□、為天下
富。宋所為無堆屯鮒魚片也。此哨巣
肉之与糠糟也。荊有長松文梓、□□
予章。宋無長木。此猶錦繍之与□褐
也。臣以三吏之攻宋也為与此同類。
臣見大王之感傷義而不得。王日、善
哉。雖然公輸盤為桟為雲梯、必取宋。
於是見公輸盤。子墨子解帯為城、
以牒為械。公輪盤九設攻城之機変、
子墨子九距之。公輸盤之攻械尽、子
墨子之守禦有余。公輸盤?。而目、
召知所以距子矣、召不百。子墨子亦
日、召知子之所以距我、召不言。楚
王問其故。子墨子日、公柚子之意、
不遇絞殺臣。殺臣末莫能守、可攻也。
然臣之弟子禽滑餓等三百人、已侍臣
守禦之器、在末叙上、面持楚寇矣。
雖殺臣、不能絶也。楚王日、善哉。
召請無攻末矣。
子墨子帰週末。天雨。庇其間中。
守間者不円也。故旧、治於神者、衆
人不知其功、争於明者、衆人知之。
子墨子、王に見えて曰く、「今ここに人あり、その文軒を舎て、隣に敞輿(へいよ)ありて、これを窃
(ぬす)まんと欲す。その錦繍(きんしゅう)を舎(す)て、隣に□褐(じゃかつ)ありて、これを窃
まんと欲す。その嚇肉を舎て、隣に糠糟ありて、これを窃まんと欲す。これをいかなる人となす」。
王曰く、「必ず窃吹ありとなさん」。子墨子曰く、「別の地、方五千里、宋の地、方五百里、これ文
軒の敞輿におけるがごとし。荊に霊夢あり、犀?鹿麋(さいじびろく)これに満ち、江南の魚□□□(
ぎょべつげんだ)は、天下の富たり。宋はいわゆる雉兎鮒魚(ちとふぎょ)もなきものなり。これ梁
肉の糠糟におけるがごとし。別に長松・文梓・梗梢・予章あり。末に長木なし。これ錦繍の□褐(じ
ゃつかつ)におけるがごとし。臣、三吏の宋を攻むるをもってこれと類を同じくすとなす。臣、大王
の必ず義を傷いて得ざるを見る」。王曰く、「善いかな。然りといえども公輸盤わがために雲梯をな
り必ず宋を取らんとす」。ここにおいて公仙盤を見る。子墨子、帯を解きて城となし、牒をもって械
となす。公輸盤九たび城を攻むるの機変を設け、子墨子九たびこれを距(ふせ)ぐ。公輸盤の攻械尽
きて、子墨子の守禦余りあり。公輸盤詣す。而して曰く、「われ子を距ぐゆえんを知れども、われ言
わず」。子墨子また曰く、「われ子のわれを距ぐゆえんを知れども、われ言わず」。楚王その故を問
う。子墨子曰く、「公祐子の意は、臣を殺さんと故するに過ぎず。臣を殺さば宋よく守ることなし、
攻ひべきなり、と。然れども臣の弟子禽滑董ら三百人、すでに臣の守禦の器を持し、宋城の上に在り
て楚の寇を待てり。臣を殺すといえども、絶つこと能わず」。楚王曰く、「善いかな。われ語う宋を
攻むるなからん」。 子墨子帰りて宋を過ぎる。天雨ふる。その?(りょ)中に庇せんとす。?を守る
者、内(い)れず。故に曰く、「神に冶むる者は、衆人その功を知らず、明に争う者は、衆人これを
知る」。
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【解説】
墨子は王の前に進み出ると、こうきりだした。
「ここにある男がいます。立派な車をもちながら、隣家のぼろ車を盗もうとします。豪華な衣装をも
ちながら、隣家の粗末な着物を盗もうとします。穀物や肉があるのに、隣家の糠や糟を盗もうとしま
す。この男をどう思いますか」
「盗癖があるにちがいない」
「お国の領土は五千里四方もあるのに、宋国の領土は五百里四方しかありません。これは、立派な車
をぼろ車とくらべるようなもの。お国には、雲夢の沢に犀や鹿が満ち、江漢の川には魚や貝類がとれ
て、天下一の豊かさを誇っているのに、宋国では、雉子(きじ)、兎、鮒などのごくありふれたもの
ですら、手に入りません。これは、穀物や肉を抑や糟とくらべるようなもの。お国には、また、松、
梓、楠などの大木が生えているのに、宋国にはそういう大木けありません。これは、豪華な衣装を粗
末な着物とくらべるようなもの。王の将軍たちが宋を攻めるのは、ちょうど、盗癖のある男と同じで
はないでしょうか。王の義'に傷がつくだけで、なんらうるところはありません」
「たしかにお説のとおりだ。だが、公輸盤の立場もある、わざわざわしのために雲梯までつくって、
宋を攻めとるという以上、いまさらやめるわけにいかぬ」
墨子は、公輸盤のほうに向き直った。そして、革帯を解くと、これを城郭にみたて、小さな木札を手
にして、これを兵器になぞらえ、公輸盤に攻めさせることにした。
公輸盤は、機をみてくりかえし攻撃に出たが、墨子はそのたびに防いだ。ついに公輸盤のほうは、攻
撃用の木札が尽きてしまった。一方、墨子の手中にはまだ防禦用の札が残っていた。
「わたしの負けです」と公輸盤がいった、
「しかし、わたしは、どうすればあなたに勝つかを知っている。だが、それはいわずにおきましょう」
「わたしも、どうすればあなたがわたしに勝つかを知っている。だが、それはいわずにおきましょう」
帰路、墨子は宋を通りすぎた。
途中、大雨にあって、村里のなかで雨宿りしようとしたが、村人に追い立てをくってしまった。
-「人知れず危機を救ったときには、人々はその功績に気づかない。これみよがしに騒げば、その功
績は知られるのだが・・・」
〈禽滑釐〉 禽子ともいわれる。はじめ儒家の子夏の門に学んだが、のち墨子に師事した。墨子の高
弟である。墨子に兵法を学び、守城の法を修得した。
墨子の生涯や行動を示す記録は論敵によって抹殺され、今日ほとんど伝わっていない。この編は、墨
子の足跡と人間像を知る数少ない手掛りのひとつである。墨子はたんなる観念的な平和論者ではなか
った。弱小国を侵略の危険から守るためには、身を挺して行動に立ち上がる「行動家」であった。公
輸盤との問答、楚王とに、科学技術の役割という今日的な問題をなげかける。公輸盤も墨子も、とも
に当時第一級の技術者、しかも武器の設計に長じていた。二人のちがい-それは前述にみられるとお
りである。ちなみに、春秋時代には、戦争の規模はそれほど大きくはなかった。動員される兵力はせ
いぜい二、三万であった。戦車で整然たる密集隊形を組んで交戦し、一、二日で勝負のケリがついた。
ところが墨子の生きた戦国時代になると、戦争の方式は一変する。動員される兵力は十万単位になり、
秦と趙との間で戦われた長平の戦いでは百万近い大軍が動員された。戦争規模を拡大させた要因のひ
とつとして、武器の発達をあげることができる。春秋時代の武器は、戈、矛、剣、弓矢などが主で、
銅製品であったが、戦国時代にかけて冶金術が発達し、これらの武器は鉄製のものに変り、破壊力が
いちじるしく増大した。新型兵器として、遠方まで射ることのできる弩機が発明されたほか、雲梯や、
「鉤拒」(こうきょ)といわれる舟戦の兵器が登場した。密集隊形で戦う戦闘形式は、これら新兵器
の登場で不利となり、歩兵を主力とする野戦・包囲戦が支配的となった。そのため戦争の性格も持久
戦、長期戦の様相を呈するようになった。大量の兵員を必要とするようになったため、各国は徴兵制
度を布いて、兵力の増強につとめた。泰代になって確立された「郡県」制度のねらいは、ひとつには
この徴兵義務をスムーズに行なうためであった。この徴兵制度の制定で多くの農民が戦争にかりたて
られた。こういう大規模な戦争は、ばく大な軍事上の支出をともなうから、当然、国家の財政負担を
増大させる。そして、その負担は、民衆にしわ寄せられた。春秋から戦国にかけて、大規模な農民暴
動がいくつか起きているが、これは農民に対する苛酷な収奪を示すものである。墨子の「非攻」論は、
こういう背景のもとに生まれた。
【日清のラーメン屋さん】
即席ラーメンの麺が美味くなっている。これは、強力粉よりタンパク質含量が少なく10〜12%のもの
準強力粉をα化処理した麺を包装体に包装した後、95℃以下で加熱殺菌し、麺原料に炭酸ナトリウム
炭酸カリウム、炭酸水素ナトリウムや酸化カルシウム及び又は水酸化カルシウムを添加し、さらに、
食塩、塩化カリウム、塩化カルシウムを対原料粉合計に対して最適重量比で添加し、加熱殺菌後の麺
のpH(水素イオン濃度)を最適化するなどの組成素材分の工夫の上に、下写真図のように麺表面に茹
で上げ時間短縮のための形状加工を施して、生麺のようなもちもちとした食感を生み出すことに成功
している。その加工方法はメーカにより異なるものの基本的にはよく似た製造方法よりつくられてい
るようだ。
つまり、即席麺の改良段階はほぼ考えられる問題解決の最終段階に各メーカはある。裏返せば日本の
独壇場にあり、我が国の美味・安全・健康という品質アイテムもってしてなる加工食品立国のブラン
ドという高付加価値は当面揺るぎがない。そこで提案というわけで、先進諸国や新興国で稼いだ利潤
で食糧難の極貧諸国の人々に無償販売する、そこで、日本でいう農業普及委員制度のような運動をメ
ーカを中心とした民間ボランティアを常住させ現地ニーズに合わせた食料援助の贈与経済を行うとい
うもの。ならば、日本のメーカが世界に打って出ようという提案でした。
総選挙が終わり、嘉田未来の党代表、滋賀県知事が袋叩きにあっているが、叩く方の気持ちは分から
ないことはないが、やり過ぎは政治の品位が疑われる。これって政権与党民主党への国民の偽らざる
気持ちが投影されているのだから、お門違いもいいところだと思っている。マニフェスト選挙・二大
政党制=小選挙区比例代表制が試された絶好の社会実験だったと冷静に考えればこの程度の混乱はや
もう得ないのではと冷静にみている。裏返せば、政権の交代ルールが明確になった上は今後もスパイ
ラル・アップしていくことは約束されている。あの松下幸之助が天国で「転んだら、起きなはれ」と
声を掛けくれているぞ!と、話はそのことでは、なく安倍政権は日銀にインフレターゲット設定を申
し入れ日銀が同調した。貨幣的裏書き(金融)が得られたからには、表の仕事の産所。これを公共事
業いうが、1に復興、2に防災・減災、3に人口増加ターゲット設定、つまり嘉田代表が掲げる「ダ
ブルインカム、スリーキッズ」の最優先政策ということだ。この方面は麻生前首相の手腕に期待した
いところだが、精緻な運用は日本の官僚力にも期待がかかる。