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極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

七角形の魚篭に寄せて

2012年12月26日 | 日々草々

 

 

【墨子の思想 尚賢】

縁故より能力

 

            是故古之聖王之治天下也、其所富、
           其所貴、未必王公大人骨肉之親、貫
           故富貴、面目美好老化。是故昔者舜
           耕於歴山、陶於河瀕、漁於雷沢、販
           於常陽。堯得之服沢之陽、立為天子、
           使接于下之政、而治天下之民。昔伊
           尹為莘氏女師腰、使為庖人。湯掛而
           挙之、立為三公、使接天下之政治天
           下之民。昔者傅説居北海之洲、図土
           之上、衣拐帯索、能築於傅巌之城。
           武丁掛而挙之、立為三公、使之接天
           下之政、面治天下之民。是故昔者売
           之挙舜化、湯之挙伊尹也、武丁之挙
           傅説也、豈以為骨肉之親、貫故富貴、
           面目美好者裁。惟法典言、用其謀、
           行其道、上可以利天、中可以利鬼、
           下可以利人。是故推面上之。
             古昔聖正既審尚賢、欲以為政。故
           書之竹帛、琢之槃恚、伝以造後世子
           孫。於先王之書、呂刑之書然。玉目、
           於来、有国有土、告女詳刑。在今面
           安百姓、女伺択。否人。伺敢。不刑。
           何度。不及。能択人面敢為刑、亮舜
           両潟文武之道可及也。是伺也。則以
           尚賢及之。於先正之書、距年之言然。
           日、晰夫聖武知人、以評輔脂身。此
           言先王之治天下也、必選択賢者、以
           為其群属輔佐。


 この故に古の聖王の天下を治むるや、その富ますところ、その貴ぶところ、いまだ必ずし
も王公大人の骨肉の親と、貫故富貴なると、面目美好なる者とにあらず。この故に昔は舜、
歴山に耕し、河瀬に陶し、雷沢に漁し、常陽に販(ひさ)ぐ、堯これを服沢の陽に得て、立
てて天子
となし、天下の政に接して天下の民を冶めしむ。昔、伊尹は莘氏の女師の媵(よう)
たり、庖人たら
しめらる。湯得てこれを挙げ、立てて三公となし、天下の政に接して天下の
民を治めしむ。
昔は傅説(ふえつ)は、北海の洲、圓土の上に居り、褐を衣、索を帯にして、
傅巌の城に傭築す。武丁
得てこれを挙げ、立てて三公となし、これをして天下の政に接して、
天下の民を治めしむ。

 この故に昔は堯の舜を挙ぐるや、陽の伊尹を挙ぐるや、武丁の持説を挙ぐるや、あに骨肉
親と、貫故富貴なると、面目美好なる者たるとをもってせんや。ただその言に法り、その
を用い、その道を行なわば、上はもって天を利すべく、中はもって鬼を利すべく、下はも
て人を利すべし。この故に推してこれを上べるなり。
 古は聖王すでに賢を尚ぶに饗かにして、もって政をなさんと欲す。故にこれを竹帛に書し、
これを槃孟に琢り、伝えてもって後世子孫に造す。先王の書、呂刑の書において然り。王曰
く、「ああ来たれ、有国有土、なんじに詳刑を告げん。今に在りてなんじ百姓を安んぜんと
せば、なんじ何をか択ぶ。人にあらずや。何をか敬する。刑にあらずや。何をか敬る。及に
あらずや」。よく人を択びて敬みて刑となさば、堯・舜・両・励・文・武の道及ぶべし。こ
れ何ぞや。すなわち賢を尚ぶをもってこれに及ぶ。先王の書、距年の言において然り。日く、
「かの聖武知人を睎晰て、もってなんじの身を屏輔せよ」。これ先王の天下を冶むるや、必
ず賢者を選択し、もってその群属輔佐となすを言うなり。

解説

聖王が、天下を冶めた時代には、こういうことはなかった。つまり、富と地位を与えるさい、
縁故関係、財産、身分、容貌が重んじられることはなかった。たとえばかつて、舜は歴山の
ふもとで畑仕事をし、河瀬で陶器を作り、雷沢で魚をとり、とれたものを常陽に売りに行っ
て、くらしをたてていた。この舜を服沢の北で見出しだのは、堯である。堯は舜を天子に迎
え、自分に代わって政治をみさせた。
伊尹(いいん)は、はじめ有莘氏の家臣のそのまた家
臣として、料理番に使われていた。この伊尹を見出したのは、湯工である。湯王は、伊尹を
大臣に登用し、自分に代わって、国を治めさせた。また説は、北海の洲にある監獄の近くに
住み、粗衣をまとい、縄を帯代りにし、傅巌の道路工事にやとわれていた。この傅説を見出
にりたのは、武丁である。武丁は、傅説を大臣に登用し、自分に代わって、国を治めさせた。

 してみると、堯が舜を用し、湯が伊尹を登用し、武丁が傅説を登用したのは、果して縁故
関係、財産、身分、容貌を重んじたからであろうか。そうではない。その意見にしたがい、
そのはかりごとを用い、その道を行なえば、天、鬼神、人間、三者にひとしく利益をもたら
すことができたからである。古代の聖王は、人材登用の道を明らかにして政治を行なうこと
を願った。そこで、このことを竹帛に書き、うつわに彫って、後代の人々に伝えた。たとえ
ば、「呂刑」(書経の編名)には、こう述べられている。「諸侯よ、政治の在り方を示そう。
民生の安定をはかるには何をなすべきか。選ぶこと、慎しむこと、度ること、この三つを実
行することだ。すなわち、人材を抜擢し、刑罰の乱用を慎しみ、聖王の道から外れなかった
か否かを反省するのだ」つまり、人材を抜擢し、刑罰の乱用を慎しめば、聖王の道に行きつ
ことがで
屈のすぐれた人物がとりたてられるからだ。先王の書はまた、聖人、武人、智者を模範
とせよ」 といっている。つまり、天下を洽めるさい、聖王は、必ず能力のすぐれた人物を群臣にとり
たて、相談相手としたのだ。

※中国の五帝を一応歴史の範疇内に置いた司馬遷といわれるが、誰をもって五帝となすかは下表
に示すように様々で矛盾がある。「黄帝伝説は史実とは思っていないが、黄帝伝説のあるところに限
って共通の民俗風土があり、いくばくかの史実が紛れ込んでいることは否定できない。よって、これら
を記録することに価値を見出すものである。」と断りを入れている。

※墨子の人材登用論に通底する平等主義=反差別主義に照らし、また、中国法制史をもてし
て現在の中国共産党体制はどのように解釈するのだろうか。特に太子党といわれる中国共産
党の高級幹部の師弟グループをどう評価されているのだろうか。特定の政党や団体を組織し
ているわけではないが、受け継いだ特権と太いネットワークを基に政財界で大きな影響力を
持つ。党中央では、前国家主席江沢民や賈慶林、李長春ら上海閥とのつながりも深い。
現指
導部では、国家主席の習近平や呉邦国(全人代常務委員会委員長)らの太子党閥をもってなす
政治は果たして自国民にとって、近隣諸国民にとって、吉とでるのか凶とでるのかなかなか
面白い事象だとわたし(たち)は看ている。なかでも習近平は副首相を務めた習仲勲を父に
持ち、同じ太子党の曽慶紅(前国家副主席)の強い後ろ盾があることから、2007年の第17回党
大会で政治局常務委員に抜擢(ばってき)されて以来の太子党の筆頭格。また、江沢民と同じ
上海閥でもあり、次期習近平体制は前政権の息がかかった守旧派とされている。また、
太子
党閥は、胡錦濤や李克強らの共青団閥(共産主義青年団系のグループ)との対立は共産党内の
権力闘争や利権争い以上のものを生み出せるのか否かと興味は尽きない。このことは織り触
れでコメントしていく。

 

【降灰の付着対策の行方】

火山列島日本で火山灰の降灰で太陽光パネルはどの程度影響あるだろうか?霧島・桜島など
を抱える火山県の鹿児島では、昨年の降灰量は1,781グラム/m2で今年に入り6月25日時点で
2,663グラム/m2(同県地方気象台調べ)。しかし、ユーザ不安を余所にメーカ販売サイド
では、太陽光パネル自体ほこりが着きにくい構造になっているので、発電量に影響は見られ
ず心配はないという。寧ろ、「ドカ灰」が降った場合でも年間を通してみるとその影響は少
ないと
いうが、リニューアラブルジャパン株式会社(東京都)は「火山灰がパネルの内部に
侵入し、電線などを腐食することがまれにある」としてその対策パネルを開発していたが
(2012.7.8)、同社は垂水市が桜島からの降灰の影響を受けるため、従来は「日射量が豊富
であっても太陽光発電には不利である」との対策で、パネルメーカーが共同で「降灰」の実
物を詳細に研究した結果、特殊なシーリング加工の組み合わせとパネル部材の形状への工夫
を施し、降灰にも耐え得る独自の「降灰対策パネル」を開発できたという(2012.12.21)。
このパネルを使用することにより、降灰による発電量への影響を軽減するとともに、降灰に
対する施設管理の簡易化を図ることが可能となり、降灰地域でで長期にわたり安定的な発電
が見込めるとのこと。

このニュースを受け、ここで重要な技術ポイントは2つということを確認する。1つは上図
京セラの新規考案を代表する取り付け構造やパネル構造を工夫することで「ドカ灰」の堆積
を防ぎつつ、2つめは、降灰の付着物の内部浸潤を防止するシーリング加工、特に接着樹脂
(カネカの新規考案、下図クリック参照)を代表する透明樹脂の開発などが肝となる。そう
いったことを確認する(発信された情報から受信者がどう深めかという例)。

 

【セレンディピティー的研究のすすめ】




偶然は用意された心にのみ幸運を恵む                  パスカル 

知識よりイマジネーションが大切だ。サイエンスに関しては           アインシュタイン





   セレンディビティーという言葉があります。意に反して偶然に良好な発見をものに
  すること、と
辞書にあります。私の発見したカーボンナノチューブは、必然的流れ
  はありましたが、まさに
セレンディピティー的発見といえるでしょう。これとは対
  象的な研究戦略は正攻法的スタイル
です。外堀を埋めて、内堀を埋めて……という
  やり方。もちろん研究の主流をなすもので、巨
大科学や、半導体や自動車産業の開
  発研究スタイルになります。この正統派的研究手法と
は別の線で、セレンディピテ
  ィー的研究戦略も大いに見直してよい、というのが私の主張です(中略)
。科学史
  に登場する発見・発明を、セレンディピティー的視点から眺めると、偶然になされ

  たものがきわめて多いことに驚かされます。アルキメデスによる金の判定、ダイナ
  マイト、
X線、放射線、ペニシリン、ビッグバン、テフロンさらには近くは高温超
  伝導酸化物、フラーレンなど、枚挙に暇がありません。ノーベル賞に輝いた研究と
  いえども例外ではないと、『セレンディピティー』という本に詳しい実例が紹介さ
  れています。身近な例ではこんな話がありました。エレクトロニクス工業で重要な
  材料、フェライトの開発で、いま一つ特性が安定せず、研究がストップしてしまい
  ました。よくよく調べてみると、なぜか風の強い日に作ったものに限って、よい特
  性を示すことが突き止められました。原因は、風に舞い上がった砂ぼこり、すなわ
  ち硅酸(SiO2)が不純物として試料に紛れ込んでいたことでした。(中略)「直感」
  だと言ってしまうと話が進みません。多少の判断材料、知識が必要なことは確かで
  す。しかしあまり知識で武装してしまうと、次の判断に迷いがでて、個性が発揮で
  きなくなります。知識が邪魔をすることもあり得るかもしれません。この辺のバラ
  ンスをいかにとるかが、この国の教育制度を考える根本であるように思われます。
  偶然を発見に結びつけるもう一つの条件は好奇心です。

                        

                                    飯島澄男 著『カーボンナノチューブの挑戦』


セレンディピティ(serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値
あるものを見つける能力・才能をいう。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発
見をする「能力」をさす。ふとした偶然をきっかけに閃きを得て、幸運を掴み取る能力のこ
とであり、英国は政治家にして小説家のホレス・ウォルポールの造語で、失敗してもそこか
ら見落としせずに学び取ることができれば成功に結びつくという、一種のサクセスストーリ
ーとして、また科学的な大発見をより身近なものとして説明するためのエピソードの一つと
して語られる。偶然は強烈な好奇心と知識と想像力の均衡の持ち主の元に時として舞い降り
てくるという。これって年齢に関係あるのかなぁ~~。 


 

Water Lock Water Saving For Bathtub Taps

予定していた、技術レポートの翻訳とPID現象対策のサイトアップ作業の二つは出来ずに
終わった。こんな状態では「セレンディピティの天使」は舞い降りてこないなぁと思いなが
らも忙しなく過ごしたが、併走してブラッドオレンジの開花が進行している。実に妙な感じ
だ。

コメント
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