【再開 ローイング旅】
長い間、ローイングトレーニングをやめていたが、バイオリズム・ボトムを脱するために続けはじめ一週間が経つ。そこで、
木曽川源流の地。木祖村-木曽の「祖(おや)」という意味で名付けられ、北に鳥居峠、西には野麦峠が控え、飛騨から野
麦峠を越えてやってくる女工たちが休息する場でもあったとされる中山道35番目の宿場は薮原宿を仮想ローイングの旅先に
おいた。薮原宿は、火災のためその面影を見ることはできないが、中山道の難所であった鳥居峠越えのために栄えた宿場で
ある。当時は「お六櫛(おろくぐし)」(長野県伝統工芸品)の産地として栄えたが、現在では需要の減少とともに職人も
少なくなった。近年その伝統技術を受け継いでいくための「お六櫛研究会」が結成され、櫛材の育成にも力が注がれている。
昭和49年に建てられた「木祖村郷土館」では、製造工程やお六櫛の由来、当時の宿場の様子などを観ることができる。ここ
はまた上高地に入る南ルートの基点でもある。
実際の長野・岐阜への観光はドライブ旅行となり、木曽十一宿近くへ行くことはあっても宿そのもを目的として訪れたこと
は記憶の限りない。漆器店でもある宮川家は宿場町の面影を残す建物があり、店内奥の土蔵が史料館になっている。天明年
間(1781~89)から1927年(昭和2)まで、6代にわたり医師を務めてきた宮川家。4代目の玄純(げんじゅん)は尾州藩より
帯刀を許可されるほどで、多くの役人の治療に当たってきた。館内には当時の医療器具はもちろん、松尾芭蕉・与謝蕪村の
色紙や山岡鉄舟の書画・巻物など、貴重な品々が展示されているという。また、薮原神社があり、中央西線の線路脇に建つ
社で、天武天皇9年に、三野王が勅使として巡視を行った際に熊野から勧請したのが最初と言われる。そのため、熊野社、
熊野大権現、熊野大神宮とも呼ばれ、明治4年に藪原神社と改称され、木曽村薮原に建つ。ところで、特産品には、長野県
の伝統工芸品にも指定されているお六櫛があり、ミネバリなどの木で丁寧に挽いて作った櫛は優しい梳き心地とか。で、豊
富な森林資源に恵まれた木祖村では全国有数のキャンバスの産地でもあり、木曽五木のひとつ、ネズコ(クロベ)を材料にし
た工芸品(下駄・桶・俎板・盛台(すしげた)、漆器、玩具)が有名。食べ物では、カブ、野沢菜、大根漬けをし、絶品の
御嶽白菜を用いたキムチ、手打ちそば、木曽和牛、木曽名物五平餅、そば饅頭・朴葉巻き、とうもろこし。胃腸薬の百草・
百草丸(腹痛の妙薬)、木曽路の酒は全国に名だたる辛口として有名な木祖村でつくられる地酒「木曽路」などがあるが、
創作ラーメンとしては御岳白菜・木曽牛・そばなどを巧くアレンジして考えれば特産になることは間違いないだろう。^^;
【スターウォーズ・デザイン】
すべてはデザインで決まる。
【ぱらぱらと寺山修治】
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子
亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり
※ 暗くて怖い歌首である。寺山修司の歌を紹介するとおびえ、反応を示す少女がいるそうだ。その、彼女たちがなぜおびえるのかは
わからない。暗いものにひかれて引き返せなくなる、そういう気持ちならばわたし(評者・河路由佳)にも覚えがあると解説していた。
【アボガドと野菜添えサーモン焼き】
今朝は、母親を見舞い、故田中豊一の年命日に金剛寺へお参り(田中家の家紋とわが家の家紋は同じ鷹の羽紋)。これから
暑い季節の仏花には高野槇ねと彼女がという。それから恒例の日本料理「橘菖」でランチをとり、世間話をし帰る。維新の
会の内紛をたずねるので、ポツダム宣言を破棄する沈み逝く「太陽の党」といつしょになったのが運の尽き、橋元市長が可
哀想だねとの感想を伝え、義姉が顔面神経痛を患い治癒した話を聞かせもらったしていた。さて、猛暑が予想されているの
で朝一番のスクワットとローイングを欠かすことなく頑張ろうとこころに誓ったのであります。