極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

世界環境営林のスケッチ

2013年09月15日 | 地球温暖化

 

 

  


温暖化の気象に与える影響の予測不可能性あるいは対策遅延リスクを漠然と考えていたが、
何らか対策をイメージしていなければいけないんじゃないかと思った。その思いの根拠は、
森林の寿命と人間の寿命の差にある。人類が滅ぼうと森林は生き残るだろうから、そのく
くりで共同意思をまとめればいいわけで、足尾鉱毒事件の田中正造の“亡国(=人類社
会)に至を知らざれば、これすなわち亡国なり”の逆バージョンというわけだが、実際に
そのような決断を迫られる終末場は“生き地獄”に違いないが、その話は置いておいて、
今朝の教育テレビで、内村鑑三のその生涯と哲学について教養講座番組のなかで、百年も
前に「自然再生エネルギー」の重要性と可能性に触れた内村鑑三が、デンマークのダルガ
ス父子のユトランド荒野の植林事業をすでに評価していることを初めて知る。このことは
寺島実郎がブログで取り上げているので
(「デンマークという国」、2006.09)、それを
引用する。

 内村鑑三が「デンマルク国の話」を書いたのが1911年のことだから実に95年も前のこ
 とになる。内村は、デンマークが1864年のドイツ・オーストリアとの戦争に敗れ、失
 意の底から立ち直った過程に注目して、感動的な話を紹介している。つまり、ビスマ
 ルク率いるプロイセンがウィルヘルムⅠ世をドイツ帝国の皇帝に押し上げていく中で、
 敗戦国として南部の肥沃な土地を奪われてしまったデンマークの悲劇を国民的指導者
 エンリコ・ムリオス・ダルガス(1828~94)が克服していく話である。「戦いに敗れ
 て精神に敗れない民が真に偉大な民である」と内村は述べる。まるでそれから4年後
 に訪れる日本の敗戦を予感していたかのごとき内村の目線の確かさは心に沁みる。

 ダルガスは「ユトランドの荒野を薔薇の花咲くところへ」というフレーズを掲げて、
 農業と畜産と植林によってデンマークを豊かな国へと蘇えらせていく。「牛乳をもっ
 て立つ国」としての姿を整えていくのである。ダルガスの父方の先祖はフランスのユ
 グノー派(カルバン派キリスト教徒)の子孫であった。つまり、16世紀後半のフラン
 スで吹き荒れた宗教戦争(ユグノー戦争)を背景に、カトリックの弾圧によって欧州
 各地に逃れたユグノー派の人々が「自由と熱信と勤勉」を移植して失意のデンマーク
 を支えたのである。この話は、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムと資
 本主義の精神」(1905年)にも通じるもので、克己奮励の倫理、質素倹約という強い
 精神性をもって経済活動に立ち向かった人達の情熱の背景には何らかの宗教性を見て
 とることができる。

 
敗戦で国土の3分の1を失い、人口も250万人から170万人にまで減少したデンマーク
 に対し、ダルガスは「外に失ったものは内で取り戻す」と呼びかけ、1866年に「原野
 開発会社」を設立、ひたすら開墾地を守る防風林を植林する事業に邁進した。農地を
 増やし協同組合方式を採用して、付加価値の高い農業を目指して酪農に転換していく
 ことを通じ、「農産物輸出大国デンマーク」の礎を築いたのである。


※ハンス・ホルスト(デンマーク語版)の「外に失いしものを内にて取り戻さん(Hvad
udad tabes, skal indad vindes)」の言葉に象徴されるように、軍人のエンリコ・ダルガス(
デンマーク語版)は1868年にデンマーク・ヒース協会(デンマーク語版)を設立しヒース
に覆われたユラン半島北部に植林を開始し、開拓に乗り出す。これは、エンリコ・ダルガ
スとその息子、フレゼリク・ダルガス(デンマーク語版)の植林に
よる国土復興の美談を
内村鑑三が1911年10月22日に東京柏木の今井館で講演、その話は「
デンマルク国の話」で
まとめられている(内村(1911)、内村(1946)pp.73-88、99-101)。 



結論だけ先に書いておこう。植林・営林は“百年の計”とされるが、バイオマスエネルギ
ー(再生可能エネルギー)事業も今計画し予算付けしてもその事業効果が百年先といこと
だと、大規模気候変動の進行速度とこの計画の実効度との競争となり、仮に植林を開始し
てもしても異常気象による豪雨や干ばつ被害を被ること想定される。従って、国連が中心
となり、全世界規模で議論し早急に植林・営林計画を制定し、一斉にこの事業を展開させ
ていく必要がある。と、いうことを考えたというわけだ。
 



そこで、もう1つ考えたことは“割り箸”のこと。木製箸文化の世界展開で、中国・韓国
は勿論、アジア・環太平洋経済圏にユーラシア大陸、アフリカ大陸を含め割り箸の食文化
を積極的に推進することで、再生可能エネルギーの普及あるいは持続可能社会へ向けての
仕掛け・仕組みつくりを考えてみた。このことに関して、環境評論家の武田邦彦はブログ
(「大切なこと(3) 割り箸」)で次のように書いている。


 
日本で割り箸は一年に250億膳使う。これは日本の森林を傷めるのだろうか?またかつ
 て日本の割り箸は北海道と奈良県で作られていたが、今では97%が外国から輸入、し

 かもそのほとんどが中国である。この割り箸の使用量を減らすということはどういう
 事だろうか?最初から「割り箸の使用量を減らすと環境に良い」と決めてかからない
 で、「割り箸の使用量を減らすとどうなるか」という事実の確認から始めたい。日本
 は森林の多い国で約3分の2が森林である。そしてその森林に45億立方メートルの樹
 木
がある。あまりに多いのでピンとこないが数字も少しずつわかりやすく行くのでし
 ばらく我慢して欲しい。また「立方メートル」という単位が面倒なので、慣用的にリ
 ューベ(R)という呼び名が使われるので、以後は単に1億Rとか1千万Rとか書くことにす
 る。樹木というのは毎年、成長する。樹木が若いうちは成長も早く、歳を採ってくる
 とあまり成長しなくなる。人間が利用させていただくまでの樹木の寿命を45年とする
 と、日本の樹木の生長量は、45億Rを45年で割るから、一年に1億Rなる。少し少なめと
 いう人もいるが、何しろ現在ではほとんど日本の森林は利用されていないので、この
 ぐらいの計算から始めた方がよい。一年に割り箸250億膳というのはそれに使う樹木の
 体積にすると割り箸1膳10ccだから、25万Rになる。つまり仮に日本の森林からとれる
 樹木を使って割り箸を作ると、日本の森林が生長する1億Rのうち、0.25%が割り箸に
 使われる計算だ

 「私たちの頭の幻想」を取り払って欲しいのだ。 人間は自然の中で生きている。そし
 て食糧も箸もすべては自然からしか得ることができない。ということは、「箸を使い
 たいから箸を使う」という考えは成り立たない。20世紀はそういう時代だったが、こ
 れからは成り立たない。ではどういう考え方なら自然と生きていくことができるのだ
 ろうか?「自分が使いたいから使うのではなく、自然から得られる量に合わせて使う」
 ということである。 つまり、「ご飯を食べるから箸を使う」というのではなく「箸
 が何本あるからそれだけで食べる」という考えに切り替えなければならないたとえば、
 一日に2本の箸が自然からとれるとする。でも自分は一日に3回はご飯を食べたい…
 そういうときには2回は新しい箸、1回は箸を洗って使う。自然の方に自分の生活を
 合わせるのである。 もし、箸が一日に2本できるのに、「自然に優しい」と錯覚して
 「
マイ箸」を使ったとする。一日に2本できる箸は捨てなければならない。そうする
 と箸が売れないので間伐材が要らなくなる。間伐材が要らなければ間伐をする人がい
 なくなり、その結果、森林が荒れる。それが今の日本である。 これからさらに奇妙な
 話になるが、割り箸はあまり樹木を使わない。これほど割り箸を使い捨てにしても日

 本の森林が生長する量のわずか400分の1である。だから本当は一日に割り箸を20本ぐ
 らいは使ってもらいたい。その方が「環境に優しい」?? でも、そんなこと信じられ
 ないだろう。私たちは自然から無限に物質が供給されると信じて、大量生産、効率重
 視の世界に長く生きてきた。だから考えていることの多くが逆さまになっているので
 ある。自然界には足りない物もあれば、有り余っているものもある。すでに私たちに
 はそれは見えない。

そして、「割り箸を使わない運動」… 少なくともこの運動は現在では日本の森林を破壊し
ている可能性もある。でも、それも早計かも知れない。間伐材が間伐材である理由、森林
がそのすべてを利用できない理由は、「森林が遠くにあって急峻だから」という理由だ。
間伐材を利用するのが大切だから、無理矢理、割り箸にするということになると、環境負
荷は大きい。 私たちは「日本の森林が育つ量」にあわせて生活を設計することがまず第一
であろうと結んでいる。

 

彼とわたしの考えにさして変わりがないが、森林伐採が環境変動を大きくしていることに
は違いな
い。上の図は、それを端的に表しており、降雨による土壌流失量は、裸山÷森林
=153.5倍もの違いを見せる。割り箸はその象徴で、地産地消原則に従えば、営林により余
り余る量の間伐材となるが、これは大変もったいない話でもあり、中国からの輸入に依存
することで、自国と産出国の営林品質の劣化を看過するというリスクを発生させてしまっ
ているのではという思惑を生む。ここで間伐とは、植林後10年ほど経つと隣の木の枝がぶ
つかり合い、お互いに成長を妨げてしまうため、間引きする作業。間引きするために伐ら
れた木を有効活用するためにつくられた材が間伐材。最近、輸送コスト等の関係で採算が
とれず、間伐された木は山にそのまま置き去りにされ、せっかくの資源が有効活用されて
いないケースが目立つようになっている。また、間伐さえ行われずに放置され、荒廃して
いる森林も少なくないといわれている。現在、日本国内では年間200億膳もの割り箸が使わ
れているが、実はその97%は海外から輸入されたもの(ほとんどは中国製)。そのため、
国内の割り箸工場数は平成5年には359工場ったが、年々減少し、平成21年現在では99工
場になっている(下図参照)。





上図 一人あたりの二酸化炭素排出量(日本は最上位から7番手に位置する)。下図は地
球規模での炭素循環概説図。



上図は二酸化炭素排出量とその吸収等量のスギ人工林概説図。四人家族で自家用車一台所
有(利用率百%)では、これでいくと、23×4+160+460=712本相当のスギ吸収量となる。
因みに、これを年間バイオマス炭素生成量を求めると、(320×4+2,300+6,500)÷12/44
≒2,749kgC/年/世帯、これをもとに燃焼エネルギーを求めると、2,749kgC/年×34,000
kJ/kgC/年≒93×106kJ/年(=93×106kWs/年、=22×106kcal/年)、因みに、百℃の水1
kgを百℃の水蒸気に変換する所要熱量に換算すると約 41トン/年に相当するが、比較イメ
ージとしては米国の二人分の年間消費電力(日本人では三人分相当)、あるいは米国の自
動車の年間平均のエネルギー消費量の30%増に、また1.08メガキロワット分に相当する。
 

これに対し、森林の水循環に与える影響を考えてみよう。上図はこの地球上の水配分率を
グラフ
化したもの。下表は、水循環の移動量と各状態別の百分率を表したもの(年間あた
り)。これによると陸地での降雨量は全体の 10%相当で、その逆の蒸発は7%、地表水・
中水とするもの3%となる。これに比べ海洋では、38%が降水、41%蒸発と海洋の支配
大きさが伺える。




このように、地球温暖化への対策を考えてみたが、その方向性により、温暖化を抑制する「
緩和」(mitigation)と、温暖化への「適応」(adaptation)の2つに大別できるが、 台風、集中
豪雨、突風、竜巻等の自然災害が多発する現在、山地崩壊や土石流、洪水、さらには、風
倒木被害や潮害
等の発生する可能性が極めて高く、特に、近年、台風等による森林災害が
多発する傾向の
中、森林面積の約6割を占める人工林(海岸線の松林も含む)を中心にし
て本来の機能を
十分に発揮できるよう森林(土壌、樹木等)の健全性を高める森林づくり
の必要性の、それも地球規模のラージースケールで対策の必要性は求められていると、考
える時、国連の機構をフル活用し、“抑制緩和×適応”の二つの対策、ここでは前者の緩
和(ミタゲイション)の防災環境植林・営林世界計画の策定は喫緊の課題(第一優先事項)
であることに間違いないだろうと考えた。

                                      

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