極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

美諡、霊諡はまだ早い

2017年07月21日 | 時事書評


            

          文公元年:楚の太子商臣、成王を弑(しい)す / 晋・秦・楚鼎立の時代     

                                  

   ※ 楚の成王は在位四十六年の間に、南方諸国を従え、晋と南北に対峙して譲らなかった。この
     英主も、晩年おきまりの相続問題で、息子の太子商臣(しょうしん:穆圧)に殺されてしま
     った。商臣は令尹子上(しじょう)の評したごとく残忍な人物で、父を殺す前年、子上を父
     に讒(ざん)して死なせている。しかし、在位十二年間に、父の事業を継いで南方に勢力を
     拡張し、次代の荘王の覇業の基礎を固めた。
     【経】 冬十月丁未(ていび)、楚の世子商臣、その君頵(いん)を弑(しい)す。
 

     「あなたはまだお若くて、愛妾も多いことゆえ、その必要はございません。もし、太子に立
     てたあとで
廃嫡するような事態になれば、それこそ国の乱れるもとです。それにわが楚国で
     は、王位継承権は、
あとからお生まれになった方にあたえられるのがふつうです。それでな
     くとも、商臣さまの、あの蜂の
ような目、あの豺(やまいぬ)のような声は、残忍なお人柄
     を表わしています。とても太子の器ではありません」

     だが成王はこの意見を無視し、商臣を太子に立ててしまった。
     やがて、成王は案の定、太子商臣を廃してその異母弟の王子職を太子に立てたいと考えるよ
     うになった。一方、商臣のほうは、その聯だけで、確かな証拠がつかめない。そこで、師の
     藩崇に相談した。

     
「どうしたら確証がつかめるだろうか」
     「江茉さま(成王の妹)をご招待して、わざと無礼をはたらいてごらんなさい」
     商臣は、さっそく教えられた通り実行した。果たして、江芋は挑発に乗って来た。
     「ふん、この下司下郎め。兄君がお前を殺して職を太子に立てようとするのももっともだよ」
     商はさっそく藩崇に報告した。
     「やはりあの贈は本当だった」
     「あなたとしては、職さまに仕えて行けますか」
     「とてもガマンできない」
     「それでは亡命しますか」
     「いや、それもむりだ」
     「では、反乱は」
     「それならできる」

     冬十月、商臣は東宮の兵をひきいて王宮を包囲した。「せめて熊の掌の肉を食ってから死に
     たい」と、成王は頼んだが、商臣はきき入れなかった。丁未の日、王は首を縊(くく)って
     死んだ。霊王という諡号(いつごう)が贈られたが、瞑目しない。そこで成王という諡号を
     贈ると、はじめて瞑目した。かくて穆里が即位し、東宮時代の邸を藩崇にあたえて大師に迎
     え、近衛軍の長官に任命した。

     〈江羊〉 楚の成王の妹で江氏に嫁した。楚の姓は羊であるから江羊という。
     〈熊の掌の肉〉 古来、八珍(ぴん)の一としてその美味賞せられるが、煮えるのに時間が
      かかる。これで時間をかせいで、万一の僥倖を期待したのである。
      〈霊王という論号〉 『諡法』によれば、「乱れて損せざるを霊という」とあって、霊は悪
      い諡号である。「民を安んじ政を立つるを或という」とあって或は美諡である。
 

 July 17, 2017

【皮膚に装着したバイタルセンサで健康管理】

● 1週間装着しても大丈夫、ナノメッシュ電極

今月7日、染谷隆夫東大教授らの研究グループは、皮膚呼吸が可能な皮膚貼り付け型ナノメッシュ電極の
開発に成功したこと公表。この電極を1週間、皮膚に貼り続けたバッジテストの結果でも、炎症反応は認
められなかった。このナノメッシュ電極は、生体適合性が高い金と高分子材料(ポリビニルアルコール:
PVA)をナノサイズのメッシュ構造としたも。軽量で、通気性と伸縮性に優れている。高いガス透過性を
検証するため、20人の被験者でバッチテストを行い、皮膚に電極を1週間貼り続けても、明らかな炎症反
応は認められず――比較のために、薄膜フィルムとゴムシートも用意して同じ実験を行った。これらの材

料だとわずかに炎症反応が認められた。これら3種類の材料で水蒸気透過性試験を行い、ナノメッシュ電
極の特性は極めて高いことを検証。被験者へのアンケート調査の結果、開発したナノメッシュ電極は装着
時の不快感も少なかった――自然な皮膚呼吸が行われていることを検証。

  July 18, 2017

また、開発したナノメッシュ電極は、少量の水で比較的簡単に皮膚へ貼り付けることが可能であり、指紋
や汗腺などの凹凸があっても、皮膚に密着して貼り付けることができる。皮膚とともに伸縮しても、高い
導電性を示す。研究チームは人差し指の第2関節にナノメッシュ電極を貼り付けて検証。指の屈曲を1万
回繰り返しても、ナノメッシュ電極は良好な導電性を示す。さらに研究チームは、このナノメッシュ電極
を生体電極として用い、筋電位を測定、市販のゲル電極と比べても、遜色のない信号を取得することがで
きた。ナノメッシュ電極アレイを指先に貼り付け、布地型ワイヤレスユニットと組み合わせることで、指
の上にワイヤレスで読み出しできるタッチセンサーを作製。小型のセンサー素子と組み合わせて、温度や
圧力などを計測することにも成功している。このように、この電極の活用で、金属などの導体に触れたり、
離したりしたときの抵抗変化や温度、圧力、筋電を計測。装着感のない生体情報計測手法として、将来、
健康や医療、介護、スポーツへの応用が期待される。

 


   

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』    

        第42章 床に落として割れたら、それは卵だ

   金曜日の夜に雨田政彦から連絡があった。土曜日の午後にそちらに行くということだった。新
  鮮な魚を近くの漁港で買って持って行くから、食事の心配はしないでいい。楽しみに待っていて
  くれ。
  「他に何か買ってきてほしいものはあるか? ついでだから何でも買っていくよ」
  「とくにないと思う」と私は言った。それから思い出した。「そういえば、ウィスキーが切れて
  いるんだ。このあいだもらったものは人が米たので、飲んでしまった。銘柄はなんでもかまわな
  いから、一本買ってきてもらえないかな?」
  「おれはシーヴァスが好きだけど。それでいいかな?」
  「それでいい」と私は言った。雨田は昔から酒や食べ物にうるさい男だった。私にはあまりそう
  いう趣味はない。ただそこにあるものを食べ、ただそこにある酒を飲む。
   雨田からの電話を切ったあと、私はスタジオの壁から『騎士団長殺し』をはずし、寝室に持っ
  ていってカバーをかけた。屋根裏からこっそりと持ち出した雨田典彦の来発表の作品を、息子の
  目に触れさせるわけにはいかない。少なくとも今の時点では。

   そのようにして、スタジオの中で来客の目に触れる絵は『秋川まりえの肖像』と『雑木林の中
  の穴』の二点だけになった。私はその前に立ち、二つの作品を左右交互に眺めた。その二つを見
  比べているうちに、秋川まりえが祠の裏手にまわり、その穴に近づいていく光景が順に浮かんで
  きた。そこから何かが始まりそうな予感があった。穴の蓋は半分闇いている。その暗闇が彼女を
  導いている。そこで彼女を待ち受けているのは「顔なが」なのだろうか? それとも騎士団長な
  のだろうか?

   そしてこの二枚の絵はとこかでつながっているのだろうか

   この家に来てから、私はほとんど立て続けに絵を描いている。最初に依頼を受けて免色の肖像
  画を描き、それから『白いスバル・フォレスターの男』を描き(それは色を加え始めた段階で中
  断したままになっているが)、今は『秋川まりえの肖像』と『雑木林の中の穴』を並行して描い
  ている。その四彼の絵はパズルのピースとして組み合わされ、全体としてある物語を語り始めて
  いるようにも思えた。
   あるいは私はそれらの絵を描くことによって、ひとつの物語を記録しているのかもしれない。
  そんな気がした。私はそのような記録者としての役割を、あるいは資格を、誰かによって与えら
  れたのだろうか? もしそうだとしたら、その誰かとはいったい誰なのだろう? そしてなぜこ
  の私が記縁者に選ばれたのだろう?  

   土曜日の午後四時前に、雨田が黒いボルボ・ワゴンを運転してやってきた。旧型の、真四角で
  実直頑強なボルボが彼の好みだった。ずいぶん長くその車を運転しているし、もうかなりの距離
  を走り込んでいるはずだが、新しいモデルに買い換えるつもりはないようだ。彼はその日、わざ
  わざ自分の出刃包丁を持参してやってきた。よく手入れされた鋭利な刃物だった。そしてそれを
  使って伊東の魚屋で買ってきたばかりの大きくて新鮮な鯛を、台所でさばいた。もともと手先の
  器用な多才な男だ。彼はきれいに丹念に骨を取り、無駄なくたくさんの刺身におるし、あらで出
  汁をとり、吸い物をつくった。皮は火で炎って酒のつまみにした。私はそのような一連の作業を
  ただ感心してそばで見ていた。プロの料理人になってもそれなりの成功をおさめたかもしれない。
  「こういう白身魚の刺身は、ほんとうは一目おいて明日食べた方が、身が柔らかくなり、味もこ
  なれてうまいんだが、まあしょうがない。我慢してくれ」と雨田は包丁を手際よく使いながら言
  った。

  「贅沢は言わないよ」と私は言った。
  「食べきれなかったら、明日一人で残ったぷんを食べればいい」
  「そうするよ」
  「なあ、ところで今夜はここに泊まっていっていいかな?」と雨田は私に尋ねた。「できれば今
  日は、ゆっくりと腰を据えて、おまえと二人で酒を飲みながら話をしたいんだ。しかし酒を飲ん
  でしまうと運転はできないからな。寝る場所は居間のソファでかまわないよ」
  「もちろん」と私は言った。「そもそも君の家だ。好きなだけ泊まっていけばいい」
  「どこかの女が訪ねてきたりするようなことはないのか?」

   私は首を振った。「今のところそういう予定はない」
  「なら、泊まらせてもらう」
  「なにも居間のソファじやなくたって、客室にベッドがあるけれど」
  「いや、おれとしては居間のソファの方が気楽でいいんだ。あのソファは見かけよりずっと寝心
  地がいい。昔からあそこで寝るのが好きだった」


   雨田は紙袋からシーヴァス・リーガルの瓶を取り出し、封を切って蓋を開けた。私はグラスを
  二つ持ってきて、冷蔵庫から氷を出した。瓶からグラスにウィスキーを往ぐときに、とても気持
  ちの良い音がした。親しい人が心を間くときのような音だ。そして我々は二人でウィスキーを飲
  みながら食事の支度をした。
  「二人でこうやってゆっくり酒を一緒に飲かのは、ずいぶん久しぶりだよな」と雨田は言った。
  「そういえばそうだな。昔はずいぶん飲んだような気がするけど」
  「いや、おれがずいぶん飲んだんだ」と彼は言った。「おまえは昔からそんなには飲まなかった」
  私は笑った。「君からみればそうかもしれないけど、ぼくとしてはあれでもずいぶん飲んだん
  だよ」

  

   私は酔いつぷれるほど酒を飲むことはない。酔いつぶれる前に眠くなって寝てしまうからだ。
  しかし雨田はそうではない。いったん腰を据えて飲み出すと、とことん腰を据えて飲むタイプだ。
   我々は食堂のテーブルをはさんで刺身を食べ、ウィスキーを飲んだ。最初に彼が鯛と一緒に買
  ってきた新鮮な生牡蠣を四つずつ食べ、それから鯛の刺身を食べた。おろしたての刺身は、とび
  きり新鮮でうまかった。確かにまだ身は固かったが、酒を飲みながらゆっくり時間をかけて食べ
  た。結局二人で刺身を残らず平らげてしまった。それだけでかなり腹が一杯になった。牡蝸と刺
  身の他には、ぱりぱりに炎った魚の皮と、わさび漬けと豆腐を食べただけだった。最後に吸い物
  を飲んだ。

  

  「ひさしぷりに豪勢な食事だった」と私は言った。
  「東京じやなかなかこういう食事はでぎないよ」と雨田は言った。「このあたりに往むのも悪く
  なさそうだ。うまい魚が食えるものな」
  「でもこのあたりでずっと暮らすとなると、それは君にとってはたぶん退屈な生活になるだろ
  う」
  「おまえには退屈か?」
  「どうだろう? ぼくは昔から退屈をそれほど苦にしない。それにこんなところでも、けっこう
  いろんなことが起こるんだよ」

   初夏にここに越してきて、ほどなく免色と知り合い、彼と一緒に祠の裏手の穴を暴き、それか
  ら騎士団長が姿を現し、やがて秋川まりえと叔母の秋川笙子が私の生活に入り込んできた。そし
  て性的にたっぶり熟した人妻のガールフレンドが私を慰めてくれた。雨田典彦の生き霊だって訪
  ねてきた。退屈している暇はなかったはずだ。

  「おれも意外に退屈しないかもな」と雨田は言った。「おれは昔は熱心なサーファーだったんだ。
  このへんの海岸でずいぶん波に乗っていた。知っていたか?」
   知らなかった、と私は言った。そんな話は一度も聞かなかった
  「そろそろ都会を離れて、もう一度そういう生活を始めてもいいかなとも思っている。朝起きて
  海を眺めて、いい波かありそうだったら、ボードを抱えて出かけていく」

   私にはそんな面倒なことはとてもできそうにない。

  「仕事はどうする?」と私は尋ねた。
  「週に二回東京に出て行けば、それでだいたい用は足りる。今のおれの仕事はほとんどがコンピ
  ュータ上の作業だから、都心から龍れたところに住んでいてもとくに不自由はないんだ。便利な
  世の中だろう?」
  「知らなかった」

   彼は呆れたように私を見た。「今はもう二十一世紀なんだよ。それは知ってたか?」
  「話だけは」と私は言った。
   食事が終わると我々は居間に移って、酒の続きを飲んだ。秋もそろそろ終わろうとしていたが、
  その夜はまだ暖炉に火を入れたくなるほど冷え込んではいなかった。
  「ところで、お父さんの具合はどうだった?」と私は尋ねた。
   雨田は小さくため息をついた。「相変わらずだよ。頭は完全に断線している。卵ときんたまの
  見分けもつかないくらいだ」
  「床に落として割れたら、それは卵だ」と私は言った。
   雨田は声を上げて笑った。「しかし考えてみれば、人間って不思議なものだよな。うちの父親
  はつい数年前までは、本当に叩いても蹴ってもびくともしないような、しっかりした男だったん
  だ。頭の方もいつだって、まるで冬の夜空みたいにきりっと冴え渡っていた。ほとんど憎たらし 
  いくらいにな。それが今では、記憶のブラックホールみたいになっている。宇宙に突然現れたと
  りとめもない暗い穴ぼこみたいに

   雨田はそう言って首を振った。

  「『人に訪れる鍛大の驚きは老齢だ』と言ったのは誰だっけな?」
   知らない、と私は言った。そんな言葉は聞いたこともない。しかし確かにそうかもしれない。
  老齢は人にとって、あるいは死よりも意外な出来事なのかもしれない。それは人の予想を遥かに
  超えたことなのかもしれない。自分がもうこの世界にとって、生物学的に(そしてまた社会的に)
  なくてもいい存在であると、ある日誰かにはっきり教えられること。

  「で、おまえがこのあいだ見たうちの父親の夢っていうのは、そんなにリアルだったのか?」と
  政彦は私に尋ねた。
  「ああ、夢だとは思えないくらいリアルだった」
  「そして父親はこの家のスタジオにいたんだな?」

   私は彼をスタジオに案内した。そして部屋の真ん中あたりに置かれているスツールを指さした。
  「夢の中で、おたくの父上はそこの椅子にじっと座っていた

   雨田はそのスツールの前に行って、そこに手のひらを載せた。

  「何もせずに?」
  「ああ、何もせずに、ただそこに腰掛けていた」
   本当は彼はそこから壁にかけられた『騎士団長殺し』をまっすぐ凝視していたのだが、そのこ
  とは黙っていた。 

  「これは父親のお気に入りの椅子だった」と雨田は言った。「何の変哲もない古い椅子なんだが、
  決して手放そうとはしなかった。絵を描くときも、考え事をするときも、いつもここに腰掛けて
  いた」
  「実際に座ってみると、不思議に落ち着く椅子なんだ」と私は言った。
   雨田はしばらくそこに立って、椅子に手を載せたまま、何かをじっと考え込んで
  いた。しかし、そこに座りはしなかった。それからスツールの前に置かれた、二枚のキャンバス
  を順番に眺めた。


『老人に訪れる鍛大の驚きは老齢だ』の件はこのわたしもつい最近、知人の見舞いに出かけて世間話して
いる最中に「信じられない、わたしが高齢者なんて!」と発したばかりの言葉である。ただし、「自分が
もうこの世界にとって、生物学的に(そしてまた社会的に)なくてもいい存在であると、ある日誰かには
っきり教えられること、と続く主人公の思いとわたしの発言の背景は異なることは明白であるが、そんな
ことを思い出させた。
        
                                        この項つづく 
     
● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり   

          第2章 「日本の年金制度がつぶれない」これだけの理由

   年金保険は、「人数」ではなく「金額」で考える。それが基本です。
   そもそも、人口減少の影響についても、オーバーに捉えられています。
   1年で現役世代が二割減るというのであれば、年金制度への影響は大きいですが、40年で2
  割減るのであれば、影響はそれほど大きなものではありません,単純平均すれ
ば、1年で0・5
  %の減少ですから、その分、経済成長できればカバーできます。

   現在の人口と40年後の人口を比べて、「こんなに人口が減るから、大変だ」といってみても
  意味かおりません。戦争や自然災害が起こって、一気に現役世代の人口が減少
すると大きな影響
  が出てきますが、毎年少しずつ減っていくのであれば、変化は小さい
ですから、心配するほどの
  ことではありません。


           第2章6節 「一・X人で一人の高齢者を支える」という脅し文句の真実

   年金問題が議論されるときに、「所得代替率」という概念がよく出てきます。
   所得代替率というのは、簡単にいえば、現役時代の収入の何パーセントくらいを年金として受
  け取れるかという数字です。
   第1章でも概算の数値を示しましたが、頭の中でたやすく計算できます。「40年支払った分
  と、20年かけて受け取る分か同じ」であるのが年金ですから、毎月受け取る額は、毎月支払っ
  た額の2倍くらいであろう、ということがわかります。
   厚生年金の場合、毎月の給料の中から二割弱程度を保険料として支払っています。ということ
  は、2割×2倍=4割。所得代替率は40%程度になります。
   そういう大ざっぱな計算ができることがとても大事です。もらえる額は、だいたい月給の「4
  0%程度」です。その数字を踏まえていただいたうえで、2016年に行なわれた不毛な議論を
  見ていきます。

   2016年10月に国会で民違党の長妻昭議員が質問し、それについて朝日新聞が記事にしま
  した。この記事の内容が間違いであるとして、厚生労働省は抗議をし、朝日新聞が記事を訂正し
  ました。 朝日新聞の記事の見出しは、「年金 不適切な試算厚労省収入に対する割合高く」で
  したが、厚労省の抗議を受けて訂正されました。
   かいつまんでいうと、朝日新聞が記事にしたのは、所得代替率を計算するときに、「分母」は
  税金や社会保険料を引いた手取り額にして、「分子」は税金や社会保険料を含めた年金額で計算
  しているため、所得代替率が高く計算されているという内容です。
   2013年度の所得代替率は62.6%ですが、分子も分母も、税と社会保険料を加えた額に
  して計算すると50・9%、分子も分母も、税と社会保険料を除いた額にして計算すると53・
  9%となります。これは、国会で塩崎恭久厚労大臣によって明らかにされた数字です,

   朝日新聞は、厚労省が「不適切な」計算方式を使って、もらえる割合が高くなるように算出し
  ていたという趣旨の報道をしました。それに対して、厚労省は、法律に計算方法が明記されてお
  り、「法律通りに」計算しただけだと抗議したのです。平成十六年に改正された国民年金法の附
  則に、計算方法のやり方と、所得代替案が50%を上回るようにすることが明記されています。
   朝日新聞は、将来の所得代替率が50・6%(43度)と試算されているけれども、5%を割
  り込みそうだという推測を書きました。厚労省は、抗議文の中で「直近(平成二十六年)の財政
  検証においても、経済再生と労働参加が進めば、50%を上回る水準が確保できることを確認し
  ている」としています。

   ちなみに、2010年の時点でOECDは、日本の所得代替率は「36%」というデータを出
  していました。60%でも、50%でもなく、36%です。その数字を、私はギリシア危機が起
  こった際に、「現代ビジネス」で記事に書きました。保険数理から考えれば、40%くらいだろ
  うと思っていましたから、36%という数字に納得しました。所得代替率がそれ以上に高くなる
  はずがないのです。厚生年金の保険料案は約18%ですから、倍にすると36%です。「なんて
  日本では50%とか60%という数字が出てくるんだろう」と不思議に思っていました。
   私が書いた「36%」という数字に、国会議員の人たちは、びっくりしたようです。
   みんなの党(当時)の議員から、「どうして日本政府が出している数字と、こんなに数字が通
  うんですか?」と聞かれたので、「国会で質問してみたらどうですか」といいました。その議員
  は国会で質問したのですが、うやむやな答弁をされてしまったようです。

   ・日本政府の試算→日本の所得代替案=五~六割
   ・OECDの試算→日本の所得代替率=四割弱

   モデルの取り方で数字は変わりますので、私は、細かい計算式については知りませんでしたが
  長妻議員の質問で、分母と分子で悦と社会保険料の入れ方が追うことが一つ
の原因だったとわか
  りました,

   欧米諸国では、分子・分母の両方に悦と社会保険料を加えるか、分子・分母の両方から悦と社
  会保険料を除くかどちらかです。それが国際的には当たり前ですから、日本も
そういう計算をし
  ているのかと思っていましたが、追っていたようです。

   計算方法が記された法律は、平成十六年の改正国民年金法です。もちろん、この計算方法はず
  いぶんおかしなものであることは問追いありません。
しかし長妻議員は、平成二十一年に成立し
  た民主党政権下で、厚労大臣を務めていま
す。「ご自分が大臣のときに改正しないで、今さら指
  摘してもね」というのが私の感想
です,法律の計算式がおかしいのなら、ご自身が厚労大臣だっ
  たときに変えれば良かっ
たのです。
   一方、厚労省が朝日新聞に対して「我々は、法律通りにやっている」と反論するのも、どうか
  と思います。世界的な基準で見れば、計算式がおかしいのですから、おかし
な計算式を「法律通
  りだ」と言い張るのはいかがなものでしょうか。

  計算方法としては、次の二つのどちらかであるべきです。

   《所得代替率の計算式》

   分子分母ともに、悦・社会保険料を除く
   分子分母ともに、税・社会保険料を含める

   日本はこの二つのどちらでもなく、分母は、公租公課の額を控除して得た額(つまり手取り額)
  となっています。政治的にいえば、おかしな計算式を、自民党政権も民主党
政権も見過ごしてき
  ました。
   
もともと、こういった数字はあまりあてにならないものです。モデルケースをつくるときに、
  収入が少ないときを基準にすれば、所得代替率は高まります。収入が高くなっ
てからの給料を基
  準にすれば、所得代替率は低くなります。モデルの取り方で、所得代
替率は変わってきますので
  いくらでも数字はつくれます。

                      第2章7節 「所得代替率」に右往左往するなかれ 

ここまでは数字の見方、あるいは、その解釈と根拠を「理解」することが主眼におかれ、これまでの立法
あるいは行政両府あるいは大手マスメディアの錯誤を例示的に指摘されている。ここまで特にコメント掲
載することはないので次回もこのまま読み進めていく。                                                               

                                                                 この項つづく  


                       
 尻無川本津川安治川合流の河口は静かな馬の肌のいろ

                                                             道浦母都子/
ポンポン船

この歌が眼にとまり、記憶がよみがえり深い郷愁と切なさに打たれため息をつく。大川ー土佐堀川-堂島
川-安治川-尻無川-木津川-道頓堀川に囲まれた、数多くの縁のひとは他界されたが、吾が「静かな馬
の肌」のような記憶はいまものその人たちとある。

   ● 今夜の一曲
 

   ネムの並本のこの道は
   チャペル(岫売<白い道
   野原を越えて鐘の音は
    雲の彼方に消えてゆ<
   あしたも二人で歩こうね
   チャペルに続く白い道

   雨に嵐に負けないで
   いつでも強<生きようと
   チャペルの鐘はきょうもまた
   ぼくと君とによびかける
   二人の夢はふくらむよ
   チャペルに続く白い道

   暗<貧しいすぎた日も
   心の中はいつの日も
   明るくすんだ鐘の音に
   明日の幸せ夢みてた
   思いのすべてをこめた道
   チャペルに続く白い道


                『チャペルに続く白い道』/ 1964.04.15

                              唄  西郷  輝彦
                             作詞 水島  哲
                             作曲 北原  じゅん        
                    

 

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