極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

夢だけでは終わらない

2017年07月24日 | 神道物語

 

            

                         宣公三年(- 606) 鼎の軽重  / 楚の荘王制覇の時代 


                                                

   ※ 楚の荘王はすでに内乱を静め外患を除き、まさに朝日の昇るがごとき勢い。晋兵を北
     林に敗って、鄭を服せしめ、今また陸渾の戎を伐った余勢を駆って、周の円筒近くで
     観兵式を行なった。彼の眼中にはもはや周の王室もない。
     【経】 三年、春、楚子、陸渾の戎を伐つ。

   ※ 陸即地方(河南俗談邱県)の戎を伐った楚の荘王は、そのまま軍を洛水のほとりに進
     め、周の国境でこれみよがしの示威を行なった。周の定王は大矢玉孫満を使者として
     差しむけ、その功をねぎらわせた。その会見の席上、荘王は眉王室に伝わる鼎のこと
     を話題に持ち出し、その大小、縦貫をたずねた。

     「鼎の価値は、所有者の徳しだいで決まるのであって、鼎自体の大小、言言とは無関
     係であります」と、使者の王孫満はきり返した。「むかし、夏王の徳治が天下に行き
     届いていた時代、遠方の諸国に令じてその地に摺息する怪物の類を描いた模様を献上
     させたことがありました。夏王はこの献上物が届くと、さらに九州の長官に兪じて鼎
     の材料を集めさせ、その材料でこれらの怪物をかたどった鼎を鋳造させたのです。こ
     うして人民にありとあらゆる怪物の姿をあらかじめ示すとともに、その魔性の恐ろし
     さを周知徹底させたおかげで、人民は沼沢山林に踏み入っても、魔物にも逢わず、山
     川の悪病神にとりつかれる心配もなかったのです。かくて夏王の徳は上下をしっくり
     と一致させ、天佑をさずけられました。

     しかるにその夜桀王が現われて無道を行なったため、この鼎は夏から殷に移りました。
     さらに六百年たち、紂王が現われて暴言にふるまうと、この鼎は殷から周に移ったの
     です。つまり、鼎の軽重は所有者の徳しだいで決まります。鼎自体は小さくとも、所
     有者が明徳の持ち主であれば、鼎はどっしり腰を据えて、いくら他へ移そうとしても
     移せません。反対に、鼎自体は大きくとも、所有者がよこしまであれば、それは軽々
     と他へ移ってしまいます。

     明徳の持ち主が授かる天佑にも、おのずから限度があります。かつて或王がこの鼎を
     郊鄩(こうじょく)周邦の雒邑(らくゆう)に安置して、周の将来を占ったところ、
     三十世、七百年は続くという託宣でありました。これが天の定めた限度であります。
     してみれば、今日、周王の徳は衰えたりとは申せ、天命はまだ改まったわけではあり
     ません。したがってまだ鼎の軽重を問われるときではないと存じます」

   ★ 威勢赫々たる荘王にぐうの音も出させなかった王孫満。周の王室衰えたりといえども、
     なお人ありというべきである。二十年前の靉の戦いの直前、秦軍の敗北を予言した王
     孫肩は「年なお幼かった」から、この時まだ三十歳にも副たぬはずである。
      



● 7・30 大橋悠依選手パブリックビューイングで応援

    

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』      

     第42章 床に落として割れたら、それは卵だ  

  「ひとつ君に頼みたいことがあるんだ」と私は雨田に言った。そろそろ話を切り上げて、寝支度
  をしようかという頃だった。時計の針は11時前を指していた。
 「おれにできることならなんでも」
 「よかったら、君のお父さんに会ってみたいんだ。その伊豆の施設に行くときに、ぼくを一緒に
  連れていってもらえないかな?」
  雨田は珍しい生き物を見るような目で私を見た。「うちの父親に会ってみたい?」
 「もし迷惑じゃなければ」
 「もちろん連惑なんかじゃないよ。ただね、今の父親はもう、筋の連った話ができる状態じゃな
  くなっている。混沌とした、ほとんど泥沼みたいなことになっている。だからもしおまえが何か
 そういう期待を待っているのだとしたら……つまり雨田典彦という人物から何か意味のあるもの
 を受け取りたいと望んでいるのだとしたら、がっかりするかもしれない」
 「そういうことは期待していない。ぼくとしてはコ皮でいいから君のお父さんに会って、しっか
 り顔を見ておきたいんだ」
 「どうして?」

  私は一息ついて、居間の中を見回した。そして言った。「もう半年この家で暮らしている。お
 父さんのスタジオで、お父さんの椅子に度って緒を描かせてもらっている。お父さんの使ってい
 た食器で食事をし、お父さんのレコードを聴かせてもらっている。そうやっていると、実にいろ
 んなところに彼の気配みたいなものを感じるんだ。だから雨田具彦という人物と、コ皮でもいい
 から実際に顔を合わせておかなくてはという気がしたんだ。たとえまともに話ができなくても、
 それはかまわない」
 「ならいいんだ」と雨田は納得したように言った。「おまえが行ったところで、うちの父親はと
 くに歓迎もしないし、いやがりもしないよ。誰が誰だかもう見分けがつかなくなっているからさ。
 だからおまえを一緒に連れて行くことには何の問題もない。近いうちにまた伊豆高原の施設に行
 くことになると思う。もうあまり長くはないだろうと、医者に宣告されている。いつ何かがあっ
 てもおかしくはない状況だ。おまえの予定がなければ、そのときに一緒に連れて行くよ」

  私は予備の毛布と枕と布団を持ってきて、居間のソファに寝支度をととのえた。そして部屋の
 中をもうコ皮ぐるりと見回し、騎士団長の姿が見えないことを確認した。もし雨田が夜中に目を
 覚まし、そこで騎士団長の姿を飛鳥時代の衣裳に身を包んだ体長六十ンチの男を目にしたら、き
 っと肝を潰すだろう。自分がアルコール中毒になったと思い込んでしまうかもしれない。`
  騎士団長のほかに、この家の中には「白いスバル・フォレスターの男」がいた。その絵は人目
 につかないように裏向きにしてある。しかし真夜中の暗闇の中で、私の知らないあいだにどんな
 ことが持ち上がっているか、ちょっと見当もつかない。

 「朝までぐっすりと眠れるといいんだけど」と私は雨田に言った。それは本心からの言葉だった。

  私は雨田に予備のパジャマを貸してやった。だいたい同じくらいの休型なので、サイズに問題
 はなかった。彼は服を説いでそれに着替え、用意した布団の中に潜り込んだ。部屋の空気は少し
 冷えていたが、布団の中はじゆうぶん温かそうだった。

 「おれのことを怒ってないか?」と最後に彼は私に尋ねた。
 「怒ったりしていない」と私は言った。
 「でも、少しくらいは傷ついているだろう?」
 「かもしれない」と私は認めた。少し傷つくくらいの権利は私にもあるはずだ。
 「でもコップにはまだ水が十六分の一も残っている」
 「そのとおり」と私は言った。

  それから私は居間の明かりを消し、自分の寝室に引き上げた。そして少しばかり傷ついた心と
 共に、ほどなく眠りに就いた。

    第43章 それがただの夢として終わってしまうわけはない

  目を覚ましたとき、あたりはもうすっかり明るくなっていた。空は灰色の薄い雲にくまなく覆
 われていたが、それでも太陽はその恵み深い光を、地上に談く静かに往いでいた。時刻は七時少
 し前たった。
  洗面所で顔を洗ってから、コーヒーメーカーをセットし、そのあとで居間の様子を見に行った。
 雨田はソファの上で布団にくるまって深く眠っていた。目を覚ます気配はまったく見えない。そ
 ばのテーブルの上には、ほとんど空になったシーヴァス・リーガルの瓶が置かれていた。私は彼
 をそのままにして、グラスと瓶をかたづけた。

  私にしてはかなりウィスキーを飲んだはずだが、二日酔いの気配はなかった。頭はいつもの朝
 のようにすっきりとしていた。胸やけもしていない。私は生まれてから二日酔いというものを経
 験したことがない。どうしてかはわからない。たぶん生まれつきの体質なのだろう。どれだけ飲
 んでも、一晩眠って朝を迎えれば、アルコールの痕跡はすっかり消えてなくなっている。朝食を
 とって、すぐさま仕事にとりかかることができる。

  トーストを二枚焼いて、卵二つの目玉焼きをつくり、それを食べながらラジオのニュースと天
 気予報を聴いた。株価が乱高下し、国会議員のスキャンダルが発覚し、中東の都市では大がかり
 な爆破テロ事件があって多くの人が死んだり傷ついたりしていた。例によって、心が明るくなる
 ようなニュースはひとつも聞けなかった。しかし私の生活に今すぐ悪い影響を及ぼしそうな事件
 は起こっていなかった。それらは今のところどこか遠くの世界の出来事であり、見知らぬ他人の
 身に起こっている出来事だった。気の毒だとは思うが、それに対して私に今すぐ何かができるわ
 けではなかった。天気予報もまずまずの気候を示唆していた。素晴らしい日和とも言えないが、
 それほどひどくもない。一日中うっすら曇ってはいるものの、雨が降るようなことはないだろう。
 たぶん。でも彼人たちは、あるいはメディアの人々は利口だから、「たぶん」というような曖昧
 な言葉は決して用いない。「降水確率」という便利な(誰も責任を負う必要のない)用語がその
 ために用意されている。

  ニュースと天気予報が終わると私はラジオを消し、朝食に便った皿と食器を片付けた。そして
 食卓の前に座って、二杯目のコーヒーを飲みながら考えごとをした。普通の人なら配達されてき
 たばかりの朝刊を広げて読むところだが、私は新聞をとっていない。だからコーヒーを飲み、窓
 の外にある立派な柳の木を眺めながら、ただ考えごとをした。

  私はまず、出産を控えている(という)妻のことを考えた。それから彼女はもう私の妻ではな
 いのだということにふと気づいた。彼女と私とのあいだには、もはや何の繋がりもない。社会契
 約上も、また人と人との関係においても。私はもうおそらく彼女にとっては何の意味も持たない
 よその人間になってしまっているのだ。そう考えるとなんだか不思議な気がした。何ケ月か前ま
 
では毎朝一緒に食事をし、同じタオルと石鹸を使い、裸の身体を見せ合い、ベッドを共にしてい
 たというのに、今ではもう関係のない他人になっている。

  そのことについて考えているうちに次第に、私自身にとってすら私という人間が意味を持たな
 い存在であるように思えてきた。私は両手をテーブルの上に置き、それをしばらく眺めてみた。
 それは疑いの余地なく私の両手たった。右手と左手が左右対称にほぼ同じ格好をしている。私は
 その手を使って絵を描き、料理をつくってそれを食べ、ときには女を愛撫する。しかしその朝は、
 それらはなぜか私の手には見えなかった。手の甲も、手のひらも、爪も、掌紋も、どれもこれも
 見覚えのないよその人間のもののように見えた

  私は自分の両手を眺めるのをやめた。かつて妻であった女性について考えるのもやめた。テー
 ブルの前から立ち上がり、浴室に行ってパジャマを説ぎ、熱いシャワーを浴びた。丁寧に髪を洗
 い、洗面所で髭を剃った。それから再び、子供を私の子供ではない子供をやがて出産しようとし
 ているユズのことを考えた。考えたくはなかったけれど、考えないわけにはいかなかった。


  彼女は妊娠七ケ月くらいになっている。今から七ケ月前というと、だいたい四月の後半になる。
 四月の後半に私はとこで何をしていただろう? 私か一人で家を出て、長い一大飯に出だのは三
 月の半ばだ。それからずっと年代物のプジョー205を運転して、東北と北海道をあてもなくま
 わっていた。旅行を終えて東京に戻ってきたのは、五月に入ってからだ。四月後半といえば、北
 海道から青森に渡った頃だ。函館から下北半島の大間まで、移勣にはフェリーを使った。

  私は飯のあいだつけていた簡単な日記を抽斗の奥から出して、その頃自分かどのあたりにいた
 かを調べてみた。私はその時期、海岸から離れて、青森の山の中をあちこち移勤していた。もう
 四月も半ばを過ぎていたが、山間部はまだまだ冷え込んで、雪もしっかりと残っていた。どうし
 てわざわざそんな寒いところに行こうと思ったのか、理由はよく思い出せない。正確な地名はわ
 からないが、湖の近くの人気のない小さなホテルに何日か続けて宿泊していたことを覚えている。
 素っ気のないコンクリートの古い建物で、食事はかなり質素だったが(でもまずくはない)、宿
 泊費は驚くほど安かったからだ。そして庭の隅には一日中入れる小さな露天風呂までついていた。
 春の営業を再開したばかりで、私の他に泊まり客はほとんどいなかったと思う。

ここはコメントなしで次回へ。

                                      この項つづく
 

      
● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり   

         第2章 「日本の年金制度がつぶれない」これだけの理由

     賦課方式は、ずっと制度が続くことを前提にしていますので、「負債」と「資産」は
   必ずバランスするよう計算されなくてはいけませんし、債務超過は発生しません。
    ところが、「日本の年金は積立不足だ」と指摘する人がいます。なぜでしょうか。そ
   れは、バランスシートを途中で区切って見ているからです,

    未来永劫合わせた年金資産と年金負債でバランスシートをつくれば、「保険料」=
   「給付額」という式から、資産と負債は必ず一致しますが、どこかの時点で途中で区切
   ると、負債のほうが大きくなります。
    年金がスタートした時点のことを考えてみると、その理由がわかります。
    昭和三十六年に国民皆年金がスタートしましたが、スタート時点で、すでに高齢者に
   なっている人もたくさんいました。
    仮に積み立て方式でスタートしたとすると、二〇歳の人は六〇歳まで四〇年間積み立
   てて、六〇歳以降は自分の積み立てた分をもらえますから、何の問題もありません。四
   〇歳の人も二〇年くらいは積み立てることができます。将来受け取る額は少なくなりま
   すが、四〇歳の人もそれほど問題はないでしょう。
    しかし、六〇歳の人、八〇歳の人は、すでにリタイアしていますので、積み立てるこ
   とができません。「あなたたちは、一円も積み立てていないから、もらえませんよ」と
   政治家がいうのはまず無理です。

    国民皆年金を積立方式でスタートさせることは難しいため、結果的に、現役世代の保
   険料を老齢世代の給付に充てる賦課方式にすざるをえなくなります。
    最初のうちは、保険料を一円も納めていない人にも給付をせざるをえません。「保険
   料を納めていないのに、給付を受ける人」が出てきます。単年でバランスシートをつく
   れば、必ず赤字になります。その分は、税金などで補填するしかおりません。
    しかし、制度が長く続いていくと、「納めていないのに受け取る人」が減っていきま
   すから、赤字がなくなってバランスしてきます。ものすごく長い目で見ると、保険料と
   給付はきちんとバランスします。

    最終的には必ずバランスして、不足はなくなりますが、どこか途中でバランスシート
   を切り取ってしまうと、保険料を納めずに受け取っていた人の分かおりますから、債務
   超過になります。

    ・未来永劫すべて合わせたバランスシート↓「資産」と「負債」が一致
    ・ある時点で切り取ったバランスシートー↓「債務超過」になる

    日本は人口が多く、加入音数が膨大です。保険料を払わずに年金を受け取った人もた
   くさんいますので、その人たちの分を全部足すとかなり大きな額になります。人数が多
   いので額も大きくなるのです。
    制度が成熟するにつれて、保険料と給付が一致してきますから、不足分は解消されて
   いきます。不足額が大きいからといって、不安になる必要はありません。不足額が年々
   増えているのであれば問題ですが、少しずつでも減っているのであれば問題はありませ
   ん。時間はかかるかもしれませんが、いずれは解消されます。
    額の問題ではなく、増えているのか減っているのかが重要です。減っているのであれ
   ば、どのくらいのスビードで減っていくのか。制度改正によって、保険給付を抑えた
   り、保険料率を高めたりすれば、減っていくスピードは上がります。

               第2章11節 年金は、なぜ「積立不足」といわれるのか?


     制度設計が正しくても、「経済政策」が悪いと絵に描いた餅になる

    政府は、5年に1回「財政検証」というものをしています。「財政検証」は、人ロや
   経済の実績を織り込んで、公的年金財政の健全性を検証するものです。
   「財政検証の前提条件となっている数字が実態と違いすぎる」という批判がよくありま
   す。
    平成21年(2009年)の財政検証では、平誠二十八年度(2018年度)以降の
   運用利回りを名目4・1%(経済中位ケース)としていました。物価上昇率は1%実
   質賃金上昇率は1・5%という想定でした。これに対して「4・1%の利回りの想定が
   高すぎる」という批判がありました。
    しかし、名目成長率を四%にできれば、長期金利が四%になることは普通のことです
   から、それほどおかしな数字ではありません。
    名目成長率が4%というと、「実態とかけ離れているのでは」と感じる人もいるかも
   しれませんが、2%近辺のインフレ率を達成できれば、リーマンショック級の経済苦境
   さえなければ、4%程度の名目成長率は、けっして夢物語ではありません(図6参照)。
   むしろ十分に達成しうる目標値です。



    思えば、2009年はリーマンショックの翌年でした。そのころの経済状況から見る
   と、途方もない数字に見えたのでしょう。その年に民主党に政権交代しましたが、民主
   党政権金融政策にまったく疎く、インフレ目標の設定なども、もちろんなされません
   でした。
    当時は、マクロ経済政策をきちんとしていなかったため、現実と想定との乖離がいっ
   そう大きくなりました。政府が経済政策をきちんとしていなかったのですから、「想定
   数字が甘い」と批判を受けるのは無理もありませんでした。

    しかし、安倍政権へ交代したあとの経済指標を基準にすれば、当時の想定数字はそれ
   ほどおかしなものには映りません。政府日銀のマクロ経済政策ができていないと、理想
   的すぎる想定に見えますが、マクロ経済政策ができていれば、想定が間違っていたとは
   いえなくなります。
    合計特殊出生率の見積もりが甘いという批判もよくありますが、経済政策がきちんと
   できていれば、多少の少子化はカバーできます。繰り返し述べているように、納付され
   る保険料は、「人数」×「所得」で決まります。人数だけの問題ではありません。
   要するに、「財政検証」の想定に問題があるのではなく、「マクロ経済政策の良し悪し
   の問題」なのです。「経済政策の問題」を「年金の問題」と混同してしまってはいけま
   せん。

    平成二十六年(2014年)の財政検証ではケースAからケースHの8ケースが想定
   されています。ケースAの想定は、物価上昇率2・0%、実質賃金上昇率2・3%、実
   質運用利回り3・4%、実質経済成長率1・4%です。まったくおかしな数字ではあり
   ません,
    重要なことは、名目成長率四%くらいになるような経済環境をつくることです。経済
   政策ができていないと、どんなにすばらしい年金制度をつくっても、行き詰まります。
   経済政策が良ければ、年金制度はきちんと回っていきます。
    アベノミクスでは、雇用を増やしましたが、これは非常に重要なことです。私の勤務
   している大学では、就職内定率が九五%を超えました。「大学の進路指導が良かった」
   といいたいところですが、そうとばかりはいえません。他の大学も軒並み就職内定率が
   上がっていろからです。

    ここまで就職内定率が高くなったのは、経済環境のおかげです。

    アベノミクスの金融政策を批判する人がいますが、そもそも金融政策というのは、
   用拡大のためにやるものです。アメリカの中央銀行は「雇用の最大化」を政策目標とし
   て明確化しています。「雇用拡大は金融政策で実現すべき」というのは、日本以外の
   ではもはや常識なのです
    そこに目をつぶってアベノミクスの金融政策を批判するのは自由ですが、では、その
   ような論者が考えている政策で雇用拡大はなしえたのでしょうか? 民主党政権前後の
   経済政策を考えれば、およそそのような政策に見込みがないことは明白ではないでしょ
   うか,

    まずは職があること。そのうえで、賃金が上がればさらによしです。学生が卒業して
   職に就けなければ、将来を見通せなくなります。年金保険料も払うことができず、将来
   の年金額は少なくなってしまいます。仮に内定先の給料が低いとしても、それでも、と
   もかくまずは職を持つことが重要です。
    若者の年金を心配するなら、雇用を増やす経済政策をすることです。


      第2章12節 制度設計が正しくても、「経済政策」が悪いと絵に描いた餅になる


      公的年金を「税方式」でやったほうがいいか?

    社会保障には、「保険方式」と「税方式」かおるといわれます。日本の場合は、本書
   でこれまで見てきたとおり、「保険方式」です。
    一方、税方式でやっている国は、ニュージーランドなどいくつかの国しかおりません。
   社会保険料は、英語では「ソーシャル・セキュリティ・タックス」と呼ばれており、税
   金と同じタックスの扱いです。しかし、ほとんどの国では、年金制度自体は「税方式」
   ではなく、「保険方式」で運営されています。

    保険方式の場合は、保険料の支払いに応じて給付が行なわれます。負担と給付の関係
   が明確ですから、管理する際には、誰がどれだけ保険料を納めたかという個人ペースの
   徴収履歴を残しておかなければなりません。ニュージーランドが税方式にしていたのは、
   コンピュータ化が進む前は、個人の徴収履歴を紙で管理するのが大変だったという理由
   もあります,              

    税方式の場合は、一律に給付が行なわれますから、誰がいくら払ったのかという個人
   ベースの記録を残す必要はありません。税金を納めていない人にも、一律に年金は支払
   われます。
    アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなど主要先進国の制度はすべて保険方式です。
   それは、負担と給付の関係を明確にするためです。

    公的年金制度を実現する際には、負担と給付の関係を明確にしなければ不公平感が生
   まれて、国民の納得を得られません。税方式は、たくさん負担した人も、負担しなかっ
   た人も、もらえる額は一律になり、不公平感が生まれます。
    保険方式にして「保険料を多く納めた人には、保険料をあまり納めなかった人よりは、
   給付を多くしてあげます。だけど、本当に貧しい人は、国が代わりに保険料を払っ
てあ
   げて年金をもらえるようにします」というのであれば、国民が納得しやすくなりま
す。

    厚生労働省も次のような論点を挙げて、保険方式のほうがすぐれていると主張してい
   ました。

    ①自助と自律の精神を基本としている

    ②保険料の納付実績が記録され将来の給付の根拠となるため権利として年金を主張で
     ざるという安心感がある
    ③基礎年金の給付費は今後巨額に達する見込みであることから社会保険方式を基本と
     した悦財源との組み合わせが、もっとも安定的な運営方法である
    ④
主要先進国でも公的年金はほぼ例外なく社会保険方式を採用している

    先進国では保険方式を採用したあとで、税方式に変えた国はありません。途中から税
   方式に変えた場合、それまでにたくさんの保険料を納めていた人と、納めていなかった
   人の扱いが同じになってしまいます。保険料をたくさん払った人は納得しないでしょう。
    保険料を納めていた人が全員死亡するまで、30年も40年もかかりますから、税方
   式の移行には、膨大な時間がかかります。さらにいえば、移行期間は保険方式と税方式
   が併存するため、混乱が生じかねません。
    すでに保険料が法的には税とされていることと、長い年月と多額のコストをかけてま
   で移行するメリットはないことから、どの国もずっと保険方式のままです。

    《年金の二つの方法》

    ・保険方式→負担と給付の関係が明確 →個人別記録が必要
    ・税方式 →負担と給付の関係が不明確→個人別記録は不要

    保険方式を維持しながら、「賦課方式」から「積立方式」に変えたほうがいいという
   意見もあります。
    しかし、賦課方式を積立方式に変更するのも、かなり大変です。現役世代が支払った
   保険料はすでに老齢世代に支払われてしまっているのですから、積立方式に変更すると、
   今後、現役世代は「自分の分」と「老齢世代の分」の両方を支払わなければいけなくな
   ります。
    二重の負担は大変ですから、他の国でも、賦課方式から積立方式に変更された年金制
   度はありません。実例がないから、どうやっていいのか、誰もわかりません。
    賦課方式から積立方式への移行は、移行期間を100年くらいにすれば、理論的には
   可能かもしれません(検証したことはありませんが)。ただ、制度が完全に移行するに
   はかなり時間がかかるはずであり、現実的な方法といえるかどうかはわかりません。

    ただし、賦課方式では世代間の不公平はどうしても避けられません。すでに保険料を
   払っていない人が年金をもらっている(第1章や本章で触れたように年金制度発足時に
   高齢者だった方々です)ので、その穴埋めを後世代はするだけであり、先の世代の人ほ
   ど有利ともいえます。
    世代間不公平を本当に解決したいなら、積立方式が望ましいです。この意味で、政治
   的な挑戦はありだと思っています。

               第2章13節 公的年金を「税方式」でやったほうがいいか?

                                    この項つづく
 July 23, 2017

● 南イタリアのカンピ・フレグレイ 噴火目前の臨界状態 ?!

世界でも指折りの危険な火山として知られています。そのカンピ・フレグレイ(イタリア語で「燃え
盛る畑」を意味する平原――火山の大部分は地中海の下に隠れており、海中には24個のクレーター
からなる大火山となる)が、約5百年の休止状態を終えて、ついに噴火目前の臨界状態に近づいて
いる兆候が見られると科学者が警告している(上/下図ダブクリ参照)。この研究チームによると、
1950年代、1970年代、1980年代にそれぞれ2年間の不安定な状態が続いたが、これらの時期は噴火に
必要なエネルギーに達していなかったが、今回はエネルギーが十分衣に蓄積していると指摘。イタリ
ア国立地球物理学研究所(NASA)の研究チーム(2016年12月)のカンピ・フレグレイの噴火を引き起こ
す可能性があるマグマガスの臨界圧力に近づきあるとの研究成果を裏付けるものになる。イタリア政
府は2016年12月時点で噴火の警戒レベルを「要警戒」に高めており、火山活動に注意するよう呼びか
けているが、カンピ・フレグレイがいつ噴火するのかを事前予測――カルデラ中央の表層から地下に
3キロメートル下ったマグマが今後数十年間にどのように振る舞いに依存――できるかは不明であると
している。

尚、20万年前の噴火によって約3.7兆リットルの溶岩が噴出し火山が崩壊するとともに巨大なカル
デラが形成されたが、その大噴火によってネアンデルタール人が絶滅したとする説が、2010年に発表
されている。                                                                        
                                                                                           

  May 15,2017                                                                                              

 

 

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