極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

芝桜に胡桃と蒜添え

2014年04月24日 | 開発企画
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【アベノミクス第三の矢 僕ならこうするぞ!】  

 ●里山資本主義異論

昨夜のつづき。今回の事例舞台は、世界中から注目される、脱原発の国、オーストリアはバイオ
マス事業で「極貧から奇跡の復活を果たした町・ギュッシング市」である。因みに、ギュッシン
グ市の税収は1993年比で4・4倍の増収を記録しているという(2009年時点)。その実
績の経緯が事細かに紹介されている。当に「事実は小説より奇なり」である。このことに触発さ
れ、里山アイテムを探せ!として「エネルギーの地産地消事業」に「健康食品販売事業」を加え
たものを考案してみた。先ず、はじめに「第2章 21世紀先進国はオーストリア/ユーロ危機
と無縁だった国の秘密」を、次に、触発された新規事業の企画を掲載する。

 独自技術は多くの雇用も生む

  オーストリアがペレットボイラーの技術革新にこれほど力を入れるのはどのような背景が
 あるのか。ヴィントハーガー社で15年前からボイラーの開発に携わり、今は開発部長を務
 める、ヨーゼフ・ゴイギンガー氏にその哲学を開いた。
  そこには、岡山県真庭市が追求してきた、外部への資源依存を断ち切ることで実現する里
 山資本主義の将来像があった
 「基本的にオーストリアは小国です。しかし、独創的な人材は豊富で、多くの中小企業は、
 どうやったら大量生産型市場から脱却できるか知恵を絞ってきました。
  背景の一つに、既に90年代に石油(ビッグオイル)もガスもいずれ枯渇すると考えられ
 ていたことがあります」
  日本と同じく地下資源に乏しいオーストリア。原油を中東諸国に、天然ガスをロシアから
 のパイプラインによる供給に依存してきた。そのため、国際情勢が不安定化するたびに、エ
 ネルギー危機に見舞われてきた。元栓を外国に握られる恐怖を身にしみて知っているのであ
 る。
 
「石油やガスのことを考えると、これまで供給してきた東欧のパイプラインが今後も大丈夫
 か、中東情勢が今のまま続くか、そもそも原油がいつまで採掘できるのか分からない。好む
 と好まざるとにかかわらず、化石燃料以後の時代を考えて準備しなければなりません。我が
 社は、こうした状況をビッグチャンスと捉えました。将来的にエネルギーはどういう形であ
 れ今より安くなるとは思えません。オーストリア人には、中東の首長国からタンカーで運ん
 でくる原油より、身近な資源の方が信頼できるのです。」
 石油やガスをペレットに置き換えることで、安心・安全を守れると考えたのだ。

                    -中略- 

  ペレットやそれを利用したボイラーの生産技術は、オーストリアが他国の二歩も三歩も先
 を進んでいる。他国にはない産業を育てれば、当然、関連技術も自前で育てることになり、
 労働需要が高まる。
  たとえば、ボイラーのバーナー。オーストリアにはペレットボイラーメーカーが6、7社
 あるが、いずれもかつては石油用やガス用のバーナーを流用していたという。しかし、燃焼

 効率を追求するなかで、専用のバーナーが開発されていった。いまでは、全てのバーナーは
 オーストリア国内で生産されている。結果、多くの人が新たな仕事にありつけた。
  ペレットを製造する機械も同じ。ペレットは一見、簡単に作れるように思えるが、実際は
 非常に複雑なプロセスで作られている。木材を圧縮し、さまざまに手を加え、乾燥させ、さ
 らに圧縮して、厳格な規格に合うよう仕上げなければならない。
  オーストリアには世界中にペレット製造装置を売っている大きな会社がいくつもあり、年
 間10万トンから30万トンのペレット生産を支えている。これによってザルツブルクだけ
 でなく、オーストリア全体で多くの雇用が生まれているのである。
  森林の育成・伐採から、ペレットヘの加工、付随する機械の開発・生産、さらには煙突掃
 除などのアフターケアに至るまで。ペレット産業の裾野が広がれば広がるほど、うなぎ登り
 で労働市場が生み出されていったのである

 林業は「持続可能な豊かさ」を守る術

  一方で、当然浮かんでくる疑問がある。それだけ山の木を切っているなら、オーストリア
 はさぞかし森林破壊が進んでいるのではないか?
  特に日本では、1970~80年代、急激な経済成長に伴って大量の木材を必要とし、東
 南アジアや南アメリカから大量の木材を輸入。現地の森林を次々破壊したことが社会問題化
 した。だから今でも、山の木を切ることは、森林破壊につながると連想する人も多い。
  ところが、日本人に負けず劣らず、きまじめなオーストリアの人々。きっちり対策を考え
 てきた。それが、森林マイスターと呼ばれる制度だ。
  いかにもあらゆる分野に徒弟制度が発達したオーストリアらしい「森林マイスター」とい
 う言葉。どのようなものなのか。
  そもそも、オーストリアでは、一口に「林業従事者」と誼っても、業務や役割に応じて、
 さまざまな資格が用意されている。
  まず、山の中で、伐採・造材・集材などの仕事を行う「林業労働者」、ようするに雇われ
 の労働者。林業高校を卒業することでその資格を得ることができる。
  これに対し、森林を管理する人々が存在する。「森林官」や「森林マイスター」というか
 っこいい肩書きを持つ人々だ。
  このうち、「森林官」は五百ヘクタール以上の山林の管理を行う。とは言っても、それ
 ど大規模な山林を所有しているのはほとんどが修道院なのだが、その場合、「森林官」を

 置して管理にあたらなければならないと法律で決まっている。「森林官」はなるのも難し
く、
 とても高い地位と見なされている。

  これに対して、森林所有者の70%を占めている、五百ヘクタール以下の森林を持って
 る場合、ようするに家族や会社などが山を持っている場合は、「森林マイスター」が管理

 ることと決められているのである。

  では、具体的には何をする人々か。一般的には、山林全体の資源量の管理、一年間に伐採
 することができる木材の量の決定、伐採区域の決定、そして販売先の確保と多岐にわたり、
 学歴や経験年数、その後の試験による資格状況により担当面積に制限が設けられている。
  つまり「森林マイスター」とは、山の木を切りすぎず、持続可能な林業を実現するために
 必須の職業なのである。
  実際のところ、親から子へ山を受け継いだときに、その子どもたちが「森林マイスター」
 の資格を取得する。自分で山の木を切りながら、同時に管理を行うのである。
 「オシアッハー森林研修所」は、そんな「森林マイスター」を育てている、オーストリアに
 三つしかない国立の森林研修所の一つ。オーストリア南部、イタリアやスロベニアの国境と
 隣接するケルンテン州。山があり湖があり、湖のほとりに伝統的な家屋が並ぶ、なかなか風
 光明媚な田舎町・オシアッハーにある。
  ここでは、チェーンソーの扱い方という基本に始まり、他の本を傷つけずに木を切り倒す
 方法や、山に架線を張って切った木を運び出すタワーヤーダーと呼ばれる大型機械の扱い方
 まで、林業に関するあらゆる技能を学ぶ。
 と同時に、森林経営のためのあらゆる知識がたたき込まれるのである。

                            -中略- 

  山に若者が殺到した

  それにしても、日本では林業従事者というと、危険、きつい、汚いといった、いわゆる3
 Kのイメージがあるが、オーストリアではどうなのだろうか。
  実はオーストリアでも、20~30年前くらいまでは、林業はきついのにお金にならない
 と認識されていたらしい。しかし今は、この認識は大きく改善されたという。その理由とし
 て、森林研修所の所長、ヨハン・ツェツシヤーさんは次の3点を上げた。
  第1に、なにより林業従事者の作業環境が安全になった。林業に従事する者はみんな教育
 を受けることが義務づけられたため、学ぶ機会が増え、安全に対する意識が飛躍的に高まっ
 た。
  2点目は、山を所有する森林農家が、森林および林業というものが、ちゃんとお金になる
 産業であると認識するようになった。そして、それは、きちんとした林業教育を受ければ受
 けるほど、経済的に成功できるということも。
  そうした状況を後押ししているのがバイオマス利用の爆発的な発展だ。これによって、森
 林に新たな経済的な付加価値ができたのだ。逆に言えば、森林所有者が森林に関わる動機付
 けが、大きくなった。
  そして、この傾向は今後も続くと考えられている。現在、オーストリアのエネルギー生産
 量の約28・5
%は再生可能千早ルギーによってまかなわれている。EUは、2030年ま
 でにバイオエネルギーの割合を34%にする目標を掲げており、オーストリアもこれを目標
 としている.つまり、国を挙げて、この分野をさらに椎し進めていかねばならないのだ。林
 業にとってさらなる追い風になるのは当然である。
  3点目として、「これはとても重要なことだが」と前置きして所長が強調したのは、林業
 という仕事の中身が大きく変わったことだという。ヱ尚度で専門的な知識が求められるかっ
 こいい仕事になった。
                    -中略- 

 林業の哲学は「利子で生活する」ということ

  いよいよ肝心の質問を、ヨハン・ツェッシヤーさんに投げかけてみる。
 「森林が一年間に生長する量の百%を利用することを目指しているのですよね? しかし、
 百%を超えてしまったら。つまり、伐採しすぎてしまったら、どうするのですか?」
 答えは明快だった。
 「そのような事態が起きてはならない。これを防ぐ最善の方法が、教育なのです。
 扱ってもよい資源量がわかっていれば、資源を維持しようと努力しますから。私たちは、
 の森林の全体量が減ってしまうような伐採は行いません。どうするかというと、森が生
長し
 た分だけを切るのです」

  オーストリアでは徹底した森林調査を行っているという。どのくらいの木が切り倒され、
 どのくらいの木を植え、そして、森林全体で木がどのくらい増えたのか、といった状態を定
 期的に調査している。これにより、森林資源の収支を見る。この収支を見ながら、毎年どの
 くらいの木を切るのかを決めるのだ。むしろ、オーストリアでは管理を徹底した結果、森林
 面積は今でもどんどん増加しているという。ようするにオーストリアの林業は、元本に手を
 付けることなく、利子だけで生活しているのだ。これこそが彼らの根本哲学なのだ。
  さらに最近では、短期間で、しかもどこでも収穫できる新たな森林資源の研究も始まって
 いる、他の樹木より早く数年で生長する、ポプラという木がある。エネルギー用の木材とし
 て、このポプラをあちこちで育てている。オーストリアは雨が多く、数年のうちに生長して
 大屋に収穫することができる。
  所長のヨハン・ツェッシヤーさんはこう言い切る。
 「森の木をみんな切ってしまうのではないかという見方は正しくありません。私たちのやり
 方だと、身近な資源をお客様の家にずっと届けることができて、しかもそのそばから資源は
 生えてくるのですから。オーストリアの森林は百年後も、今と変わらず、健康なままでしょ
 う」(中略)「もっとも重要なのは、森林が持続的に良好な状態であるようにすることです。
  森林の持続可能性が唱えられるようになって以来、この『持続可能性』は私たちの信条と
 なっています。ずっと後の世代もおいしい果実を食べられるよう、十分な森林資源を維持し
 ていかねばなりません。現在、森林は我が国において二番目の外貨の稼ぎ手になりました。
 木材関連産業だけで、年間30億ないし40億ユーロの貿易黒字が計上されています。森林
 が一年間に生長する量の70%しか利用していないにもかかわらず、です。今後は、森林生
 長量の百%ぎりぎりまで利用できないかと考えています。それによって、土地所有者、森林
 所有者はもとより、製材業、製紙業など、林業に関わるすべての産業に恩恵がもたらされる
 でしょう。そして、オーストリア全体の豊かさに貢献する。これが私たちの目標です」(中
 略)オーストリアにはもう一つ、忘れてはならない重要な理念がある。オーストリアは、世
 界でも珍しい脱原発」を憲法に明記している国家である。1999年に制定された新憲法
 律「原子力から自由なオーストリア」では、第二項で原発を新たに建設することと、既に建
 設された原発を稼働させることを禁止している。ちなみに第一項では核兵器の製造、保有、
 移送、実験、使用を禁止している。つまり、オーストリアは、軍事利用であれ、平和利用で
 あれ、原子力の利用そのものを憲法で否定している数少ない国の1つなのだ。
  しかし、もともと反原発だったわけではない。実は、1969年、当時のオーストリア国
 民党政権は、オーストリア北東部、現在のチェコやスロバキアの国境ぎりぎりに位置する街、
 ニーダーエスターライヒ州ツヴェンテンドルフに原発の建設を決定。72年には建設が開始
 されその後完成している。しかし、それは今日に至るまで、一度も稼働されることはなかっ
 た。完成してまもなく、反原発運動がオーストリア全土で吹き荒れたのだ。
  きっかけは1977年、著名な地震学者が原発の建設他の直下で地震が発生する危険性が
 あることを指摘したことだった。「それでも原発のリスクを受け入れられるのか」。197
  年11月、稼働の是非を問う国民投票が実施された。その結果は極めてわずかの差で反対
 
上まわった。なんと、賛成49・5%、反対50・5%だったが、これで流れが決まった
 翌月には、「オーストリアにおけるエネルギー供給のための核分裂の使用禁止」なる法律を
 制定。将来の原子力発電所の建設を禁止するとともに、完成したばかりのツヴェンテンドル
 フ原発の稼働禁止も盛り込まれたのである。
  そして、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故。放射性物質がヨーロッパ中にまき
 散らされると、反原発の機運はさらに上昇。原子力利用そのものを憲法で禁止するに至った
 のである。
  しかし、オーストリアの人々はこれで満足はしなかった。オーストリアでは電力の一部を
 他の国から輸入していたが、その元をたどってみると、6%は他の国にある原子力発電所で
 作られた電力だ、ということが分かったのである。
  原発由来の電力は1ワットたりとも使いたくない。そんな原発アレルギーは、日本での東
 京電力福島第一原発の事故の後さらに強まり、2011年7月に「エコ電力法」という法律
 を改正。風力や太陽光、それに本のエネルギー利用であるバイオマス発電を増やすことを目
 的に、その発電技術利用拡大のための補助金を、それまでの年間2100万ユーロから、5
 OOO万ユーロに増額。毎年百万ユーロずつ減額されるものの、2012年以降も4000
 万ユーロを下限に助成され続けることになった。
  オーストリアでは、これによって、近いうちに電力の輸入を全て停止し、原発由来の電力
 を完全に排除することができると計算している(この項ここまで『反咳から脱原発ヘ ドイ
 ツとヨーロッパ諸国の選択』若尾祐司・本田宏編 昭和堂 2012年、参考)。


                    -中略- 

 極貧から奇跡の復活を果たした町

  バイオマスの分野で世界をリードするオーストリアでも、とりわけ注目され、世界中から
 年間3万人もの視察が殺到している、とんでもない町がある。ハンガリーとの国境の町・ギ
 ュッシング市だ。市とは言っても、人口は4千に満たない。小高い丘の上に12世紀に建て
 られた古城があり、それを取り囲むように集落が密集。それをさらに取り囲むように小麦畑
 や森が広がっている。ギュッシングはそんな田舎町である。
  なぜ、そんな小さな町がそれほど注目されているのか。それは、20世紀を通して、極め
 て貧しく、西側諸国のなかで最後尾を走っていた町が、気がついてみたら、世界の最先端を
 走っていたからである。
  ギュッシング城と並んで、町を訪れる者の目を引くのが巨大な発電施設。敷地内には、山
 のように木材や、それを砕いたチップが積まれている。ギュッシングには、こうしたバイオ
 マス発電が3基あるほか、30近いバイオマス関連施設があり、町全体の電力や熱をまかな
 っている。
特に熱利用では、ペレットとは異なる仕組みを導入して、バイオマスが占める割
 合を飛躍的に高めている。それが、「地域暖房」という仕組みだ。地域暖房は、発電の際に
 出る排熱を暖房や給湯に利用しようという、コジェネレーションシステムだ。(中略)この
 仕組みによって、ギュッシングでは、なんと、エネルギーの自給率72%を達した。
  もちろん、人口4千という小さな町だから達成しやすかった数字ではあるが、オースト
 リアがいくら先進的とは言っても、国全体でみると木質バイオマスエネルギーの割合はまだ
 10%(日本はわずか0・3%)、世界の他を探してもこれほどの町はほとんど見当たらな
 いからいかに驚異的な数字か分かるだろう。
  この地域暖房の仕組みは、ヨーロッパの他の地域にも、少しずつ広がっている。実は近年、
 日本でもオーストリアにならって、この地域暖房を導入しようという動きが、山形県の最上
 町など、東北地方の、冬寒くて集落が比較的密集している地域で起きている。しかし、それ
 はあくまで役場などの公共施設や旅館などの宿泊施設にとどまり、一般家庭にまではなかな
 か届いていない。
  では、ギュッシングでは、どうして一般家庭も巻き込み、町全体でシステムを組むことが
 できたのか。鍵を握るのが、住民一人一人の決断である。

                    -中略-

 

 エネルギー買い取り地域から自給地域へ転換する

  1990年、ギュッシング議会は、全会一致で、エネルギーを化石燃料から木材に置き換
 えていくことを決定したのである。
 決議のポイントは、単にエネルギー問題として捉えるのではなく、地域経済の再生の切り札
 として捉えていた点である。当時の町のリーダーたちは、地域の外に支払っていたエネルギ
 ー代を試算した。すると、毎年、600万ユーロものお金が流出していた。このお金の流れ
 を変え、地域内で循環させれば、町はもっと潤うのではないか。里山資本主義、誕生の瞬間
 だった。
  一方その頃日本はというと、バブル崩壊前後。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として、
 世界との経済戦争に打ち勝つことができると考えていた時代。グローバル経済を突き進んだ
 先に豊かな未来があると誰もが信じていた。そんな折、どれはどの人があえてグローバル経
 済と一線を画すことを考えていただろうか。
  ギュッシングでは地域発展計画を策定し、1992年には最初の地区で木質バイオマスに
 よる地域暖房を開始。96年には半官半民による「ギュッシンガー地域暖戻社」が設立され、
 より広域に地域暖房網が整備されていった。地下に張り巡らされた熱配管の総延長は35キ
 ロメートルにも及び、市街地と産業施設を網羅した。そして2001年には、コジェネレー
 ションによる発電を開始。国の買い取り制度を利用して売電するようになった。こうした取
 り組みと並行して、太陽光発電や菜種油などの廃油のエネルギー利用などを進め、脱化石燃
 料宣言から10年余りで町は、70%以上の子芋ルギー自給を達成したのである。1990
 年に600万ユーロもの金額を地域外に流出させていたギュッシングでは、2005年の時
 点で、お金の流れは完全に逆転し、地域全体で1800万ユーロもの売り上げを得られるよ
 うになっていた(『百%再生可能へ! 欧州のエネルギー自立地域』滝川薫編著 学芸出版
 社 2012年、参考)。

                    -中略- 



 雇用と税収を増加させ、経済を住民の手に取り戻す

  オーストリアでは、国として脱原子力を決めたときもそうだが、たとえ数百人単位の集落
 であっても、大事なことを決めるときには必ず住民投票を行う。シュトレームでも、住民投
 票で地域暖房の導入を決めた。自分たちで決めたことだから責任も伴う。地域暖房のメンテ
 ナンスは、ガルガーさんを含め4人の住民が交代で行っている。
  燃料となる木材も自分たちで出し合う。ガルガーさんも、それまで放置していた森に入り、
 木を切り出すようになった。木材の買い取り価格は一立方メートルあたり約ヱハユーロ。お
 金は地域暖房の利用料から支払われる。これが安定収入につながった。自分たちの森を通じ
 て、地区に貢献できていることが目に見えるのもうれしいのだという。
  そして、エネルギーの利用料金も自分たちで決めることができる。ガルガーさん一家が、
 2010年の一年間に支払った光熱費は、1242ユーロ。その一方で、燃料となる木材を
 提供したことによる収入は1327ユーロもあった。85ユーロの黒字。わずかではあるが
 これがけっこう誇らしい。
  エネルギーを利用する自分たちがエネルギーの値段を決める。国際的な原油価格が値上が
 りを続けるのを尻目に、シュトレーム地区では、2012年、銀行融資の返済が終了し、利
 用料の値下げを決定した。
 「ギュッシングではエネルギーの値段は自分たちでコントロールしています。だから、世界
 市場の需給に依存しなくてすみます。価格が相場に左右されることもありません」
  こうした仕組みができあがった結果、農業以外、めぼしい産業がなかったギュッシングに、
 安価で安定した熱や電気を求めてヨーロッパ中から企業がやってきた。

                            藻谷浩介 著『里山資本主義』

 




●芝桜に胡桃と蒜添え                                                                                             

大津市におの浜のなぎさ公園の芝桜が咲き誇り、さながらピンクの絨毯という。ランチは水ケ浜
に向かう。戻ってきて「たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学」を録画再生。
テーマは、動脈硬化を予防・改善し血管を若返らせ「くるみ」と血液サラサラ、高血圧予防、疲
労回復、あるいは胃ガン予防効果の「玉葱と蒜」の成分の効能について。企画食品というのは、
クルミとニンニクの粗挽きとオリーブオイル和えペースト」(詳細は紙面都合で割愛)のこと。
オニグルミ(木材用)とカシクルミ(食品用)をこの滋賀に栽培、クルミ廃材及木材をバイオマ
ス燃料とし百パーセントリサイクルさせるという新規な事業企画(これも詳細は割愛)である。
今夜は、この辺までとして、この項のつづきはまた掲載する。

 

 

 

 

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