テーブルに/ハーブサラダを/摘み飾る/にわか花瓶に光射し込む
レンタルDVDで4話のみ観賞したので感想出来る段階ではないので、おさらにお
温習いすることに。このテレビドラマは、『三国志演義』『西遊記』とともに“中
国三大名著”に数えられる『水滸伝』。時は北宋{ほくそう}末期、天命に導かれ、
湖畔の要害“梁山泊”へ集いし百八人の好漢たち。武勇と智略に秀でた彼らは忠義
の精神に則り、“替天行道”(天に替わり道を果たす)の旗の下、私欲の限りを尽
くす悪辣な奸臣との戦いを繰り広げる。激動の時代を生き抜く知恵と勇気が凝縮さ
れた、このアウトローたちのストーリーは明の時代に創作され、何世紀もの間、中
国、日本、そして世界で愛され続けた傑作活劇の金字塔である。これまでも小説や
ドラマ、漫画、映画、舞台、ゲームへ取り入れられ、熱狂的なファンを生み出した、
その深遠にして壮大なる一大サーガを、全86話のボリュームで完全実写化! 歴史
スペクタクル・ドラマ『水滸伝』は、北京如意吉祥影視策劃有限公司と中国山東電
視台が、10年もの構想期間を経て、『三国志 Three Kingdoms』(2010)の25億円
を大きく上回る、55億円もの巨額を投じて共同製作。中国山東省に梁山泊を含めた
大規模な専用のロケ地(現在は『水滸伝』のテーマパークとして人気の観光スポッ
トに)を築き、撮影用に15隻もの宋代の軍用船が建造されるなど、大ヒット映画
『レッドクリフ』('08)の規模をも超えたと話題を集めている。まさしくアジアド
ラマ史上、規格外のスケールで実現した“21世紀最高のエンターテイメント大作”
というふれこみだ。
『水滸伝』は大きく分けると、前半と後半の二部構成になっている。大集結以前の
前半部分は、いうなれば豪傑たちの義士銘々伝で、これらの豪傑たちの個人的な活
躍が取り上げられている。あくまでも個人的な活躍で、『水滸伝』全体の物語とは
あまり関係のないものが多い。後半になってがらりと変わる。後半部分は戦記物語
で、梁山泊集団が宋という国の軍隊となって、敵対勢力との戦争を繰り広げる。
百八の魔星、再び世に放たれる
北宋は第四代皇帝仁宗の時代、国の全土に疫病が蔓延し、打てる手を尽くした朝廷
は最後の手段として、竜虎山に住む仙人張天師に祈祷を依頼するため、太尉の洪信
を使者として派遣する。竜虎山に着いた洪信は様々な霊威に遭うが、童子に化身し
た張天師と会い、図らずも都へと向かわせることが出来た。翌日、道観内を見学す
る洪信は「伏魔殿」と額のかかった、厳重に封印された扉を目にする。聞けば、唐
の時代に、天界を追放された百八の魔星を代々封印している場所で、絶対に開けて
はならないという。しかし、これに興味を持った洪信は道士らの制止も聞かず、権
力を振りかざして無理矢理扉を開けさせる。中には「遇洪而開(こうにあいてひら
く)」という四文字を記した石碑があり、これを退けると、突如目も眩まんばかり
の閃光が走り、、三十六の天罡星(てんこうせい)と七十二の地煞星(ちさつせい)
が天空へと飛び去った。恐れをなした洪信は、皆にこの事を固く口止めして山を降
り、都へ戻った。水滸伝はドラマが展開する。
『水滸伝』は、北宋末期徽宗皇帝(在位1100年 - 1125年)の治世、山東の大沼沢
「梁山泊」に集った、宋江ら宿星を背負う108人の盗賊の流転を描いた通俗小説。
物語は、史実で同時期に山東に横行した盗賊「宋江三十六人」の故事に由来するも
のの、その筋立ての多くは南宋代の都市で語られた講談で培われ、元の雑劇である
元曲などの要素を吸収しつつ、明代中期(16世紀半ば)に、小説としての形が確立
したと解釈されている。現存最古の完成された小説テキスト(文献本)は、万暦38
年(1610年)に杭州の容与堂という書店が発売した『李卓吾先生批評忠義水滸伝』
で、小説として完成した年代はさかのぼった嘉靖年間(1522年~1566年)の頃が有
力と推定されている。なお、「滸」は「ほとり」の意味であり、『水滸伝』とは、
「水のほとりの物語」という意であるという。
水滸伝の物語は実話ではない。しかし14世紀の元代に編纂された歴史書『宋史』に
は、徽宗期の12世紀初めに宋江を首領とする三十六人が実在の梁山泊の近辺で反乱
を起こしたことが記録されている。講談師たちは12世紀中頃に始まる南宋の頃には
早くも宋江反乱の史実をもとに物語を膨らませていったと推定され、13世紀頃に書
かれた説話集『大宋宣和遺事』には、宋江以下三十六人の名前と彼らを主人公とす
る物語が掲載されている。
15世紀頃にまとめられた水滸伝では、三十六人の豪傑は3倍の百八人に増やされた。
また、荒唐無稽で暴力的な描写や登場人物の人物像を改め、梁山泊は朝廷への忠誠
心にあふれる宋江を首領とし、反乱軍でありながらも宋の朝廷に帰順し忠義をつく
すことを理想とする集団と設定され、儒教道徳を兼ね備え知識人の読書にも耐えう
る文学作品となった。とは言え、反乱軍を主人公とする水滸伝は儒教道徳を重んじ
る知識人にはあまり高く評価されず、もっぱら民衆の読む通俗小説として扱われた。
その風潮の中で、明末の陽明学者で儒者の偽善を批判した李卓吾が水滸伝のような
通俗小説を高く評価したことはよく知られている。同じ時期に農民反乱を扇動する
作品であるとして禁止令が出されており、また清代には京劇の題材にとられ、108人
が皇帝に従うという展開が西太后などに好まれた。
中国共産党では、「投降主義」的であると見なされ、降伏経験のある幹部や原則主
義的な立場から見て妥協的であるとされる幹部への間接的な批判として水滸伝批判
が行われた。1975年の毛沢東の名による水滸伝批判では、宋江が前首領の晁蓋を棚
上げして実権を握り、自ら首領となった挙句に朝廷に帰順したことが革命への裏切
りであるとして非難され、批判的に読むための連環画形式のものも出版された。こ
れは「四人組による周恩来批判であった」と後に解釈された。
高俅の栄達の2話(第3巻)とその後、百八星集結し、梁山泊、高俅を迎え撃つの
前半と後半の「招安」の触りの2話(第39巻)、計4話を観賞したが、頭の中でイ
メージを整理整頓している段階で、トレッキングの疲れもあり散漫さはゆがめない
が、観賞の感想を記載していくことにする。
今日はスポーツニュースが盛りだくさん!上原浩治、石川遼、浅田真央と日本のア
スリートの活躍が報じられ、そして、国内では楽天イーグルが創設9年目で初の日
本シリーズ進出を決めた。なかでも田沢・上原の勇士に熱く燃える。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます