秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

討ち入りの日、ボーッと生きてんじゃねーよ!

2018-12-14 | 世情雑感


今年の漢字は「災」で2004年と一緒。
確かにあの年も台風被害で大枝神社の鳥居にヒビが入ったのでした。
世相をあらわす漢字一文字、あまりいい意味のは少ないですね。
一般的に辛い嫌なことの方が印象に残るのでしょうか。

それからすると、流行語は「そだねー」で平和というか。
私感では「ボーッと行きてんじゃねーよ!」がよかったな。


今日12/14は赤穂浪士討ち入りの日
コメントやりとりで「吉良」が出てきたので、この機会に。


今春4月中旬に愛知県で地震あって、震源が吉良でした。


めねふねさんのブログ記事「二刀流

この時に、吉良上野介(きら こうずけのすけ)の国が三河にあったことを知りました。

そして、生駒聖天さんの箸袋「御歯木」が気になって調べてて、吉良さんが登場したのです。

コメントで記載した内容は
将軍綱吉は熱心に歯を磨いたが、ブラッシングに用いる「塩」にこだわりを示した。将軍家御用達の歯磨き粉としての塩は、その当時までは、三河の国の吉良藩が納めていた。あの赤穂浪士に討ち入りされて首を打たれてしまった吉良上野介の吉良藩。
この将軍家御用達の吉良の塩に新しい強敵が現れ、吉良の塩の将軍ご愛用という地位を脅かし始めたのが赤穂の塩だった。
歯磨き用の塩として人気が出て、将軍に自慢のお塩を献上。ハミガキにこだわりを持つ将軍綱吉公は、この塩がたいそうお気に召して「お上御用達」というお墨付きまで出してしまう。
それがあの有名な「松の廊下の刃傷沙汰」に発展して、…
もとは歯磨き粉、歯というのは、こんな大事件をはき起こす火種にさえなる

   信濃の長谷寺住職さんのお話より



前の東京五輪1964(昭和39)年のNHK大河ドラマは「赤穂浪士」でした。
たいていの人は、赤穂浪士四十七士の敵役である吉良上野介は悪いと思ってるでしょう、私も^^


この歯磨きの塩のエピソードから吉良さんに俄然興味持ちました。

吉良の人物像や討ち入りの知られざる真実に迫る5冊の本について紹介されたホンシェルジュ。
最初の部分をざっくり箇条書きにすると

吉良家は足利家の分家を開祖とした三河国の名門
江戸幕府において儀式を掌る高家の筆頭だった
時の将軍・徳川綱吉も家柄と教養の高さを特に買っていた
吉良の妻は米沢藩主・上杉綱勝の妹で上杉家は吉良家の財政を肩代わりしていた
千家流の茶道を学び熱中していて高額な茶器は、吉良家と上杉家の財政悪化の根源だったかも


続きは吉良上野介にまつわる8の逸話!彼は本当に「悪役」なのか?

我々がかつて知っていた忠臣蔵は決して絶対の真実ではないということが明らかになってきています。吉良と浅野の間に何が起こったのか、吉良はどうして葬られなくてはならなかったのか、その真実が明らかにされるまで今日も物語は尽きないと最後にまとめられています。

いろんなものが明るみに出てきてる昨今、吉良さんもしかり。
しっかり目を開いてないとフェイクニュースにも騙され誘導されますからね。


  Kazumoto Iguchi's blog 2 より借用。


「ボーッと行きてんじゃねーよ!」



宝山寺奥の院と福徳大神

2018-12-14 | おでかけ・近畿


生駒聖天さん参拝終えて、中門入ってすぐ左手にある茶所でお土産に買い、30年ぶりに美味しくいただきました。


撮影アングル悪くて茶席の様子がよくわからないでしょうが、腰をおろせる場がありお茶もいただけます。


年季の入った額にも巾着と大根がレリーフされてます。
聖天さんの象徴的アイコンです。

お賽銭箱も木製の立派なのがあり、巾着の入り口あたりピカピカ。
自分の財布で擦ったらお金を呼び込み出て行かんという言われがあるから。
撮影しそびれたのでネットで拝借。



こじんまりした境内で参拝終えて、いよいよ奥の院へ。



観音堂、文殊堂、多宝塔、大師堂、
お参りするとこいっぱいあって忙しく、撮影どころではなかった。
惣門と中門の間にも地蔵堂とかありました。

hideponさんブログ 土曜日は古寺を歩こう に詳しくて、鐘つき堂の画像も見れます。





左右にお地蔵さんがずら〜っと並んでて、小銭をいっぱい持ってきて一つづつ入れていく。
30年前は子供らが喜んでそのお役してました。
今回はそこまでの小銭用意してこなかったのでお賽銭はパス。
たとえ一円玉であったとしても200枚以上は必要ですから。



石段が滑らないよう筋目入れてあるのに目が留まり感心したのは、足元覚束ない年齢になったからでしょう。
昔はどうだったんだろう。


奥の院本堂とさらに上の大黒堂では中に入れていただけて間近で拝めました。

そして奥の院から下るまえに、開山堂背後の山を少し登ります。



ホームページの境内図には記載がありませんが、鳥居があって、前にベンチまで設置されてて、


福徳大神を遥拝する磐を祀られてます。
そこから上は禁足地。

なぜ宝山寺のHPには載せられてないのか、載せたくないのか気になります。
ニギハヤヒかな?

下る時に目に留まった社は

五社明神 いずれも宝山寺中興草創のみぎり、湛海律師を助けた生駒山の地神さま





観音堂の裏にまわると、般若窟に上がる山道が通行止めになってました。


あまりにも多くの神さま仏さま、
どれがどれかも記憶が定かでないぐらい。
消化しきれないまま、お腹も満腹、心もいっぱい充填されたか、な?