秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

上陸できただろうか

2007-08-31 | 私上最大の作戦
今晩やっと公開討論会終了しホッとしました。
これからは体育会系の体力勝負なので気が楽です。

公開討論会はJC(青年会議所)が主催で、後援はリンカーンフォーラム。
一問一答+反論方式だそうで、
自己紹介3分、質問4つは各5分、最後にまとめ5分のスピーチです。
コーディネーターの大学の先生が、時々質問を挟まれます。

規定の時間残り1分、30秒、15秒とタイムキーパーが知らせてくれます。
あとこれだけといわれても、それだけあればどれぐらい話せるのかも体感できてないし、
ちょっと話が寄り道して具体的なことを語りだすとあっという間に時間が過ぎます。
タイムオーバーになるとチンとカネが鳴ります。

時間制限のきっちり決められたスピーチって難しいですね。

我が陣営はみなドキドキものでご覧いただけたことでしょう。
この前の決起集会は声が弱弱しかったといわれたので、
今日は話の中身よりまずマイクで声がちゃんと届いているかに気をつけました。
内容はそれなりに。
抽象的な概論となると、単語がぶっ飛んで時々口ごもってしまいましたけど、
自分の体験談から話せることは、めちゃ大阪弁で述べたような気がします。
たぶんイメージがわいてご納得いただけたかもしれません。

やれやれでした。
今日の出来、70点とれていれば何とか無事上陸はできたことになる。

そうそう、なぜかモリカド合併住民投票のとき、
私がどう判断したか知りたがっている方々がおられるようです。

店のアドレスにまで問い合わせがあったようですが、
家のPCでは店のアドレス登録してなくてお返事できませんので、この場でご報告します。
あの時、投票日はちょうど海外旅行で不在となるため、
不在者投票で事前に熱き郷土愛?として反対票を投じてきました。

時間をもてあますギズモ

2007-08-28 | ギズモ&もぐ&メルキー
残暑厳しくて、今日もギズモのためにクーラーつけて出かけました。
ドンピシャのタイミングで8/22からお隣の家の立替工事始まりました。
家を取り壊すため、廻りが緑のテントで覆われています。
木枠を伝ってギズモが逃げても困るし、
埃もすごいし窓を閉め切っているためやむをえません。

ギズモの唯一のテリトリーである、お隣のベランダへ行くこともできなくなりました。
暑いし、することがなくなったギズモ。
家族も忙しくてあまり相手してしてやれないし、
手持ち無沙汰の日々が続いています。

オカンは日に日に街宣の稽古、ステップアップしています。
昨夕はあるスーパーの前で「こんばんは」の挨拶していました。
その時、ご本人ですかと聞かれましたので、ハイと答えました。

今日、人の紹介である家にご挨拶に伺うと、
昨夕声をかけてくださった奥様でした。
リーフレットの写真を見ていたのでよく似ているなと思い声をかけて下さったらしい。

これからは街中を自転車で疾走するときも、
うかうか変な顔はできません。
いつどこでみられていることか… 

地図の読めない女

2007-08-27 | 私上最大の作戦
だいぶ前になりますが、「地図の読めない女・話を聞かない男」
という本がベストセラーになりましたね。
男女は同等ではあっても同質ではないということを書かれた本です。

狩猟に出る男は、方角をみることに長けていないと帰って来れません。
洞窟に残された女性は、皆で仲良く輪を保たないと暮らしていけません。
こうした人類としての長い歴史の積み重ねによるものも多いことでしょう。
遺伝子や脳の形、ホルモンなど身体からくる違いも大きいし。

ここ10年、女性は元気です。
去年の川柳で、たしか「ランチ時妻はセレブで俺日替わり」
みたいなのがうけましたね、正確ではありません、念のため。

今ほど女性がゆたかに元気に暮らせた時代は人類史上はじめてかも。
どこへいっても若い女性もおばちゃんも元気です。
でも政界はまだまだ男性の世界。

それゆえに女は所詮・・・って感じでとらえられるのかもしれません。
地図の読めない女に航海図がつくれるのか?
市の行くべき方向をさししめせるはずがないと思い込んでおらるのかもしれない。
いったい何ができるねん、
○○についてはどう思うのかと詰問されたりしますもん。
マニフェストや30日の公開討論会、楽しみにしておられることでしょう。

以前にも書いたことありますが、
私は子供の頃から地図を見るのが大好きです。
毎年海外へ一緒に出かける親友も地図を読むのが得意です。
女性でも変り種はいます。
まず鳥瞰図的なおおきい縮図を見てから、細かいところへ下がっていかないと、
身につかない考え方のパターンをしています。

重箱の隅をほじくったような勉強の仕方となる日本史よりは
ダイナミックにあちこちの民族に影響を与えながら変化していく世界史が得意でした。

男性には及ばないかもしれませんが、そんなタイプの女性もいるということです。

そして私は質業で、世の移り変わりを眺めてきました。
ブランド物の真偽鑑定をしているだけではありません。
今流行の新品だけを仕入れているわけではありません。

多岐にわたったものの中にはすでに廃番となり製造中止のものもあります。
さまざまなブランドを選り好みしているわけにもいきません。
世の中にはいろんな人がいますから。
どういったコンセプトで作られ、世の人々に受け入れられたかどうか、
その人気はどれほどのものか、今後も継続するかどうかを
常に見極めていかないと質屋はやっていけません。

たまたま仕入れたものがヒットしたという運には左右されにくい。
直感として最後に判断するまでに数々の積み重ねがあるということです。

高いところからご意見いただくのが続くとちょっとムカついて、
この場でこっそり反論してみました。
なぜならこうした男性方は「話を聞かない男」ですから、
なかなか聞く耳をもってもらえません。
でもパソコン扱わない人達はブログも見てもらえないからなぁ~

数珠つなぎ

2007-08-25 | 私上最大の作戦

おんかかかびさんまえいそわか
これはお地蔵さんの真言です。
四国お遍路は数年前に88ヶ所を制覇しましたが、
そのときに光明真言と各寺の本尊の真言も知りました。
本尊によって異なった真言を3回唱え、呼びかけるのだといわれました。

密教において真言はとても大切な言葉で、言葉を超えた不思議な力があり、
「呪文の言葉」または「秘密の言葉」といわれています。

私は怖いとき、困ったときに光明真言を唱えます。
詳しく知りたい方は以下の記事をご覧下さい。
  呪文のような光明真言2006/12/3

最初の画像の地蔵盆は、去年このお地蔵さんの右手で交通事故があり、
お地蔵さんも破損したため、この夏新しく建立され今宵が開眼供養でした。

釈迦の入滅後、弥勒菩薩がこの世にあらわれるまで、
人々を救おうとこの世にあらわれた菩薩がお地蔵さん。
今日はたまたま知り合いの住職さんが経文を唱えられていて、
お参りさせてもらうことができました。

 
どちらも立派なお屋敷で手入れもよく行き届いていました。
コックピットのような我が家とはえらい違いです。

南北朝時代に京都で疫病を鎮めるために始まった「数珠くり」。
厄除の正月行事として大正時代ぐらいまでは、町内各地で行われていたそうです。
子供が小さかった頃、隣の町会のお地蔵さんで数珠まわしをしたことがあります。

今日は数珠つなぎ、各地の知り合いを数珠つなぎでまわりました。
午後2時はAさんの案内で知り合いをまわり、4時にBさん宅へ送ってもらい、
1時間少し案内されたあとは、5時過ぎにCさんへ、続いて7時半にDさんへと。
大勢の支援者のおかげで知らない町会をまわることができました。

夕方が一番疲れのピークでした。
夜になって盆踊りの会場でビールをよばれたらいっぺんに元気になりました。

「街づくり」には歴史が必要です。
伝統行事を核にして、参加者の輪をひろげ交流を深めることが、
行動の第一歩だと思います。
 
伝統行事の「起源や意味」を理解していなければできないことを改めて感じます。


ガイセンのお稽古

2007-08-24 | 私上最大の作戦
夕方から人通りの多いところへ立ってご挨拶。
ただ単に「こんばんは」「おかえりなさい」
まだ選挙始まってませんから、他の言葉はかけれません。
道行く人は、怪訝そうです。
誰やねん、変なヤツおるなぁ~、って感じがほとんどでした。

昔から友人と選挙の電話と街頭の声掛け、
あんなのでゼッタイ投票しようとは思わへんねと話していたのに。

無名の場合は、この街宣も大事な戦法なんだそうです。
今夕初めて街宣のお稽古でした。

今年1月にスペイン回った時の紀行記にも書きましたが、
やけにじろじろ見られているような気がすると言ったら、
知らない人でも挨拶するタイミングを計っていると聞きました。
朝ホテルのエレベータでは出会ったすべての人同士がオハヨウの挨拶を交わしていました。

もともとラテン系?気質なので、
見ず知らずの人であってもわりとへっちゃらに挨拶できます。

一般的に、日本人はシャイですからね。
知り合い以外は知らん振りするのが常識ってもんです。

1時間半ほどの間に、知り合い以外できっちり挨拶返してくれたのは、
外人のおじさんだけでした。

一緒に立ってくれた人が語るに、
日本人は農耕民族なので、狩猟民族と違ってよそ者に対する態度が、
こうした挨拶一つの仕方にも出るのであろうと。

こっちが勝手に投げかけた挨拶ではあるにしても、
全く無視するか、見て見ぬ振りするか、少しもじもじするか、
胡散臭げに睨み返すか…
どれをとってもコスモポリタンには程遠いなぁとちょっとがっかり。

でもうれしいこともありました。
一昨夜の大会で見た顔だとすぐにわかりましたよ、
がんばってくださいと激励されたことです。

今度私が行き過ぎる人で、こんな街宣にであったとして、
挨拶されたら、せめて変なヤツと思っても挨拶は返してあげようと思いました。

24節季・処暑

2007-08-23 | 24節気72候

昨夜夜半より大阪は雷とスコール。
昔の夕立ではありません、雨足が南国のようです。
おかげで少し涼しくなりました。

今日はカンカン照りではなく曇っていました。
画像は左に京阪守口駅前の京阪百貨店と右端に守口市体育館。
真ん中に見える文化ホールが昨夜の500人が定員の会場です。

今日8/23は24節季の処暑
暑さも徐々に収まるの暦どおりとなりました。
昨夜の決起大会、無事終了して数時間してからの雨で超ラッキーでした。

今晩は地蔵祭りもあちこちで見られました。

子供たちの地蔵祭りのちょうちんを作ってもらった店、
20年以上たって今度は私のちょうちん作ってもらうことになりました。
そのうち出来上がったちょうちんをご紹介します。

このちょうちんやさんは文禄堤にあります。
豊臣秀吉が1594年(文禄3年)伏見城を築いた2年後に
京都・大阪を結ぶ最短経路として整備された京街道です。

淀川の改修で堤の多くは姿を消し、ここ守口のみに姿をとどめています。

ギズモはここ半月の家の空気が違うことを敏感に感じ取っています。
昨夜はカラの雷がなってまだ雨が降り出す前に家に帰りました。
夜遅くなっても誰も家人が帰らないし、最大苦手の雷はなるしで、
ギズモはパニくっていたのでしょう。
玄関の扉を開けると同時に、猛ダッシュで逃げ出し、
捕まえるのに四苦八苦しました。

スコールのような雨が降り出す前に捕まえることができて一安心。
今日は娘の小学校1年以来の学習机の椅子の元でふて寝していました。


やっぱりビールはおいしい

2007-08-22 | 私上最大の作戦
無事、作戦第一が完了しました。
まだノルマンディーに上陸はできていませんが、無事船出できたって所です。
皆様のおかげで満員御礼です。

今日の午前中はご近所を何十軒と回りました。
知ってた人も知らなかった人も気持ちよく挨拶に応じてくださって、
聞いた日の夜の集会にもかかわらず大勢の方が来て下さいました。

で、本人の女優ぶりはどうだったかというと、
たぶん落第ではないと思いますが、まぁまぁの60点でしょうか。
少し上品さを装いすぎて迫力にかけていたと近親者に言われました。

スピーチ内容はもれることなく全部言えたけど、
時々すっかり忘れて手元の紙を見たし、
同じ文章を2回言ってしまったところもあったような…
主婦でただの庶民なんだからしょうがないよね。

帰りに妹と娘と3人でイタリアンを食べに行きました。
すでににぎやかなグループがいるなと思っていたら、
今日来場していただけていた方々だったらしい。
初対面でしたが、を一緒に乾杯!
一緒に飲んだビールはいつも以上に美味しかった。

いろいろ準備してくださった裏方のスタッフの皆様、
受付をお手伝いいただいた婦人連合会の皆様、
出し物出演だけでなく受付や動員でお世話になった少林寺拳法の皆様、
疲れて日焼けした顔をきれいにメークしてくれたYさん、
素晴らしい演武を披露してくださった○○大学の拳士の皆様、
遠いところから駆けつけてくれた高校同窓生や仕事関係者の皆様、
ほんとうにありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。

最後に全国各地から心のエールを送ってくださった皆様、
冥界から今日が祥月命日のお父ちゃん、どうもありがとう。

マニフェストをつくるオカン

2007-08-21 | 私上最大の作戦
この前いただいたコメントに、
ご飯は作らんけど、マニフェストを作るオカン、カッコいいですねと
書いてくれた若者がいました。

昨夕支援者に案内されて街をまわっているとき、
信号待ちするスクーターに乗った20代前半とみた青年に声をかけました。

全く見ず知らずの人に声をかけれるのは
大阪のおばちゃんならではのフレンドリーさ、
いや、なれなれしさかな。

選挙権あるの?と聞くと
ありますよ~っていうので、
後援会入会のリーフレットを差し出しました。

え~っ、この写真の人なん?
うなづくと、カッコいいですねと言われちゃいました。

若者って不思議ですね。
あほちゃうかというよりもカッコいいと言ってくれるんだから。
娘の同級生たちもそう言ってくれます。

娘が言うに、心は動いて共感できても、
当日すっかり忘れてたということは多分にありえると。

無党派とか政治に無関心な浮動票とか言われるけど、
ほんとは真剣に考えたい素地は充分あるんだなと思いました。

でも家のご近所を回って挨拶に伺ったとき、
あと20日もないというのに、選挙のあることも知らない人がたくさんいました。
一般的には無関心な人が多いのかもしれない。
どうしたら皆熱くなってくれるかなぁ~

タフでなければ生きていけない・・・

2007-08-18 | 私上最大の作戦
あの有名な探偵フィリプ・マーロウのセリフ
「タフでなければ生きていけない、やさしくなければ生きている資格がない」

このごろとみに強く思います。

今日の午後は婦人5団体の代表が集い、応援を決めてくださいました。
私の親ぐらいの世代、ということは二まわりぐらい年上で平均年齢は○十歳。

どなたも皆若くて元気です。
タフです。
そしてやさしい。
おばちゃんは元気です。

大好きな守口がよりよい街、住みつづけたい街であるために
おばちゃんパワー炸裂です。


夕方、梅田へ向かう地下鉄で娘の同級生の青年二人に会いました。

おばちゃん、今度出るんでしょう、カッコいいですね。
がんばってくださいと激励されました。
若者に励まされるとおばちゃんはデレデレとなります。

その後高校同窓生の激励会でも充分励まされ、
おいしい中華料理をご馳走になってたっぷり充電できました。
明日からまたがんばります。

お盆が過ぎて

2007-08-18 | 私上最大の作戦
お盆休みに入るまでにしないといけないことが続き、
挨拶がなおざりになっている所だらけ。
お盆も過ぎてやっと地元や身近な人への挨拶回りが始めれました。

すでにうわさや新聞でほとんどの人はよくご存知でした。
昭和の終わりから平成にかけての年代にPTA活動でご一緒した人達、
あの時言ってたことホンマになってんなぁ~
どなたにとっても驚きでしかありません。
1時間ぐらいあっという間に過ぎてしまいます。
まだまだ回らんとあかんのに時間が足りん。

画像の唯称寺は普段お世話になっているお寺です。
ここの本堂は農民に密着した村道場の古い形態を残しています。
市文化財ガイドマップによれば、
18世紀後半のもので当時は藁葺き屋根で、
外観が民家と変わらない集会所的な建物と紹介されています。

他にもあと3つお寺へ挨拶に行きました。
今年4月8日の花まつりでご紹介した勧正寺。
下の画像の円照寺は、古い民家をリフォームして集会所を造営中でした。



いろんな会合に使ったり、それこそカラオケ大会もいいでしょうと
和尚さんは話されていました。

灼熱の真昼間に訪れたのに、工事中の盆休みで戸は閉めきったままなのに、
家の中はひんやりしていました。
昔の家は夏を旨とすべしのとおり、風通りがよさそう。

江戸時代初めの檀家制度で、仏教の各寺は宗派が固定し、
寺は戸籍係のようになり、それまでのような集会所的役割を終えたと習いました。

この平成の時代に、宗教教育がなされない現在の日本で、
こうした人が集える場所があちこちで誕生していることは素晴らしいことです。

せっかくできた建物を維持管理し、皆が集いたい場所にするために、
これから大変でしょうががんばって欲しいと思いました。

どっちに転んでも完成お披露目に呼んでくださいねと頼んで帰りました。

住みつづけたい街

2007-08-16 | 私上最大の作戦
選挙が始まるまでの後援会申し込みのリーフレット、
挨拶文になんと書くかゆっくり推敲している時間がありませんでした。
印刷に回すのに締め切りがある以上待ったなしです。

8/5の晩、やっとひねり出した文章です。

 ………・・・・・・・・・・・………

もう始まっています。

一人ひとりの思いがこの街の行方を変える力を持っています
その力が、これからも住みつづけたい●●を創ります

急速に変化する世の中に対応するために
●●をもっとよりよい街にするために必要なことは、
新しいものを作り出すことだけではありません

すでにあるものを活かし、工夫を重ねネットワークを強めることで
生き返るものも私たちの周りにはたくさんあります

お金で買えない価値を大切にしたい
市民の皆様がこの街の行方を考えることが始まりとなり
財政難の市政を救うことにつながると考えます

今、私に与えられた使命は
市民の声を活かし、希望の持てる未来を指し示すことだと強く思っています

私たちの愛する●●市の未来は
もう始まっています

天の時・地の利・人の輪

2007-08-16 | 私上最大の作戦
今日もものすごく暑かった。
1日中あちこち出かける用事があってだいぶ紫外線浴びてしまいました。

画像は駅前近くのベンチで昼寝するホームレス?
最近大荷物を持ってベンチを占有する時間が増えたようでとても気になります。
こそっと撮影しました。

ホームレスに至ったまでの道のりはそれぞれおありでしょうが、
滞在場所が一番のネックでしょう。
今後もいろんな角度から検討していかないといけない課題でしょうね。


夕方応援してくれている市会議員の先生にバッタリ出会いました。
出来上がってまもないリーフレットを持って歩いて下さっていて汗たらたら。
「お盆で休業していたり、留守だったりでなかなかつかまらん」
唇は暑さと水分不足でからからに乾いていました。
通りかかった知り合いに私を紹介してくださいました。
先生のご縁繋がりです。
頭が下がります。

陰で支えてくださる方、最前線で動いてくださる方。
選挙はとても一人でできるものではありません。
何にも知らないからスタートできたんでしょうね。

人の繋がりの不思議さを感じるとともに、
思いも人それぞれ、思う深さも異なるのを目の当たりにします。
でもみんなひっくるめて市民です。
市会議員と異なり一部の人に支援されるだけでは勝てません。
とんがった意見はこっそり心の奥底に押し込まないと。

地方自治体の選挙はどろどろしたものが一気に噴出するような感じ。
この街に住んで27年、なんともお気楽に暮らしてきたことか。
しがらみがないということは楽なところもたぶんにあります。
だから現在はどんどん地縁が希薄になってきているのでしょうね。

どっちがいいかよく考えよう。

どぶ板選挙って

2007-08-13 | 私上最大の作戦
今までどなたかの政治家の後援会に入ったこともないし、立会演説会すら経験なし。
もちろん私の支援団体なんてありません。
それで選挙出るっていったら、皆驚くのは当然です。

しかし始まってしまったらもう後戻りはできない。
前進あるのみです。
「勝利の女神は明るいのがお好き」と信じてひたすら明るく!?

パンフレットやポスターの写真撮りと平行してマニフェスト作りも進行し、
やっと昨日リーフレットは出来上がってきました。
やっぱり気に入らない写真の仕上がりでしたが、仕方がない。
修正を施しすぎて別人になっても困るし。
できるだけ多くの人に出会い、写真写り悪いですねといってもらうしかない。

無名人が選挙に出るということは大変厳しいものです。
選挙なんて関心のない人がたくさん存在するし、
選挙は行くけど、どこの馬の骨がわからない泡沫候補は遠慮したいのも当然。

名前を顔を売るために、やはり古典的手法ながらどぶ板選挙ははずせません。

どぶ板選挙って検索してみると、
昔はそのものズバリ「個別訪問」のことだったそうです。
候補者自身が有権者の家の前にあるどぶ板を踏んで各戸訪問することから生まれた日本ならではの言葉です。
しかし現在は「個別訪問」は公職選挙法で禁止されています。

おりしも今は各地の盆踊りのシーズン。
すでに3箇所まわって、各地の有力者に「こんばんは」と挨拶してきました。

下の画像は子供二人が卒業した地元小学校の盆踊り。
まだ7時前のこれから始まるところだったので、昔のようなにぎやかさはまだありませんでした。
最初の画像はまた別の地域の盆踊り大会で、この日は2箇所訪問しました。

ちなみに私の住んでいる町には町会も婦人会もお地蔵さんもありません。
市の広報誌は、近所の10戸程度が毎年交代で配っています。
大地震とかあったらどこに避難したらいいのか不安はよく聞かれます。


普段保護司会の地域代表として、校区の夏休み対策とかに出席していますが、
この地域はすでに対立候補がおさえているといわれています。
地元への挨拶が遅れたこともあり、熱烈歓迎とはいきません。
支援団体でアピールするのと違って、一般はこんなものなんでしょうね。

今年2月にベルリン映画祭で話題になったドキュメンタリー映画「選挙」
まだ見ていないけど、詳しく紹介されています。
面白い、なんていってられないんだけれど…

市井の人の市政

2007-08-12 | 私上最大の作戦
まず最初に、草津の百姓さんのご質問にお答えします。
1.18日は何があるのでしょうか。
 答・高校の同級生が励ます会を企画してくれました
2.公示日は9月9日の1週間前ですか
 答・そのとおりです。この日から選挙が始まります
3.明日からブログは オフですか
 答・公示されると選挙活動が始まるのでブログはお休みさせてもらいます
  公示日までは政治活動は許可されています
  普段の暮らしの中ではなかなか考え方や行動様式が伝わりません
  あの欧米人を失笑させた日本式選挙で、考えを表明できる場は少ない
  無名の庶民ですので、このブログでぎりぎりまで発信していく予定です
4.準備事務所はどこですか。
 答・国道1号線八島交差点を竜田通に曲がってすぐのところです
  

ここからなぜのろしを上げたかについて書きます。

市井(しせい)とは、人や家の集まっているところ。
昔、中国で、井戸のある周辺に人家が集まったことから、
あるいは市街では道が井の字の形をしているからともいわれています。

水のある周りで、ともにその場で暮らしていくためにルールを話し合ったのでしょう。
紀元前の地中海沿岸地方や、戦国時代の自由都市堺のように、
市民の合議が民主主義の原点のように思います。


市会議員から経験をつみ、市長はその延長線上にあるとも言われました。
政治家や行政マンに市政を託すのが一番いいと思う人は多いことでしょう。

市政経験のない人が志すのは間違ったことでしょうか。
一市民が市政を真剣に考え意志を表明することは
考え方が飛躍しているのでしょうか?

強いリーダーシップをもって行くべき方向を指し示す、
こうした専制てきな国づくり、街づくりもあります。

しかし今求められているのは、
ケネディのあの有名な演説の一説です。

「祖国があなたのために何ができるかを問うより、
あなたが祖国のために何を行うことができるか問うてほしい。」

And so,my fellow Americans: ask not what your country can do for you - ask what you can do for your country

市が何をしてくれるか、ではなく私たち一人ひとりがこの街のために何ができるか

財政困窮した市に何をしてくれるんだと問う前に、
市民一人ひとりが、この街で住み続けるために何ができるかを問うてほしい。

苦情をいって何でも市政のせいにする前に
自分たちの街は自分たちで創っていくんだという主体性に気づくことがスタートです。

もう他人事ではすまされないのです。
お尻に火がついています。
火の粉が小さいうちに消し去り、燃え広がり守口市が滅ぶことはさけなければなりません。

We do What we do
有名なエコバッグに書かれている言葉です。
自分でできることは自分でしよう。

たった一人がごみを拾い、ごみを分別しても街はきれいになりません。
一人ひとりの思いが、周りの人へ広がり、
市民の大勢の方が関心を持ち行動に移すことで街は浄化されていきます。

荒削りではありますが以上が私の基本スタンスです。
ご意見ご感想お待ちしています。

最後のオフ

2007-08-10 | 日々是好日

明日から1ヶ月不休の日々が続くので、忙中閑ありとお休みをもらえました。
めちゃラッキーと喜ぶほどのものかどうか人によりけりでしょうが、
今日、ブラマヨのお二人と握手できました。
お笑いミーハーの私には一番の思い出となりました。

先だって書いたように、ドラリオンの上席をゲットできてワクワク出かけました。
南港コスモスクエア特設テント会場に入ると、
私たちの前の通路に面した列は空席がありました。

いよいよ場内が暗くなり、道化師たちの前座が始まってすぐ、
4、5人の一行がコソコソっと入ってきました。
その中になんとブラックマヨネーズの小杉さんの顔が目に留まりました。

私の前の席より左へ2つ目、座る寸前に右手をそっと伸ばし握手。
それを見た隣の吉田さんも続いて握手してくれました。
でもさらにその横のゆうこりんまでは手が届かなかった。

主催の一つに関西テレビ放送と書かれていたから、
正面入ってすぐの席を確保してあったんでしょうね。
休憩に入り場内が明るくなる寸前に出て行きましたから気づいた人は少ない。

席がもう少し近ければ、
守口市出身の中川家や池野めだかさんとか話題はいっぱいあったのに残念。
握手できたとたん、ブラマヨのブ○○ツとかハ×から
吉田さん小杉さんに呼称変更し、身近なものに大笑いされました。

 
ドラリオンは東洋の龍Dragon・西洋の獅子Lionが合体。
東洋の伝統芸術と超絶パフォーマンスが融合した傑作といわれ、
1999年以降世界30以上の都市で総公演回数2000回以上らしい。

全体的にオリエンタルなものでシバの女王ってこんな感じなんだろうなと思った。

子供の頃に岬公園でみた木下サーカスとは雲泥の差がありました。
例えば空中ブランコ、トランポリンだって、フープダイビングだって
バックダンサー達その周りで背景を多彩なものにします。
昔のようなシンプルなものではありません。
舞台芸術として格段の差があり、充分堪能できました。
熱狂的なファンが回を重ねるごとに増えているというのもうなづけます。

道化師のパフォーマンスの中で、のこぎりを持って出て椅子に腰かけた時、
場内はほとんどの人が期待して笑う体制も整えて、
おまえはあほかぁ~
のメロディが出てくるのを待ちました。

でもあの微妙な音階を出すのは難しかったのかどうか、
ただ単にきゅ~んという音だけでおわり拍子抜け。
大阪でのパフォーマンスにこれは落として欲しくなかったと、
帰りの道中真っ先に友人たちと話題に上がりました。

おもろいかどうか、如何に笑えるか
これは大阪人の価値決定の大きな指標の一つなんです。