秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

特別展 草原の王朝・契丹

2012-04-29 | 日々是好日



大阪市立美術館前から西を見ると
天王寺動物園の右手に通天閣が見えます




契丹は、4世紀から14世紀にかけて、
満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族です。

1000年ほど前、世界に冠たる唐王朝が滅亡し中華世界が混沌とする中、
北宋、高麗、西夏、ウイグルなど周辺諸国との活発な外交によって200年間の長きにわたり栄華を極めました。

12世紀に入り、次第に勢力を強める女真が宋と結び南下し、挟撃され1125年滅亡。
契丹人の多くは女真に取り込まれ、一部は中央アジアに逃れて西遼(カラ・キタイ)を建てました。

契丹が200年の繁栄の間に積んだ「遊牧民と都市・農耕民を同時に統治する技術」が、
後々のモンゴル帝国に生かされていくのだそうです。

元の時代、中国にやってきたマルコポーロは
中国を「Catai(カタイ)」と呼び、
これは現代の英語にも Cathay キャセイとして息づいています。
香港を本拠地とするキャセイパシフィック航空です。

かつて中国はヨーロッパから見て2つ名前があったそうです。
シルクロードの陸ルートでたどり着いた中国が契丹が語源のキタイ、カタイ。
一方海のルートで陶器などをもたらした中国がチャイナ。
別の国だと認識してたのかどうかはわかりませんが…



実物を見たかった純金龍文腕輪
カタログを撮影しましたが↓ 


ピンボケで、細かい彫金が分かりにくいですね。

お猿加持とこんにゃく

2012-04-29 | 古代史のミステリー
今日は暦で「庚申(かのえさる)の日」を確認してでかけたのでした。
四天王寺庚申堂、さぞかし賑わっていることであろうと…








GWは 皆さんそれぞれ出かけるところがあったのか
それとも最近は庚申信仰は衰退したのか
実際、周りでもお参り行ってますねんという人はいない。


四天王寺南大門から南へ「庚申街道」数百メートルで東門

つきあたりに南大門が写ってます。

大阪四天王寺庚申堂は、日本で最初に庚申が現れた地だそうで
京都の八坂庚申堂・東京入谷庚申堂(現存せず)と並び日本三庚申の1つです。




境内には三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)祀るお堂があり、
石造はあちこちに見られました。
庚申の申に通じるとして、庚申尊の神の使いとされたことに由来します。

庚申の縁日には三猿堂前で「お猿御加持所」がもうけられています。
病が去る、病に勝る=サル の言い伝えから、
木彫りの猿像を肩などの体の悪い部分に当ててもらう加持を受けれます。

最近PCのせいで右腕から肩こりがひどく、肩甲骨あたりもこわばってます。
お猿加持は受けれましたが、なんとなく写真撮るのが憚られ遠めで写しました。
ネット検索でもらってきました→



境内には「北向きこんにゃく(北を向いて黙って食べる厄落とし)」の店もでてました。
ものは試し、いただくことにしました。
よく煮込んだこんにゃく、なんと3切れが300円は想定外だった。
北方位をスマホで確認して一切れをいただいて、残り2切れはお持ち帰り。
細かく切って、チヂミの粉で人参とネギ細切りと混ぜて焼いて食べました。



本尊は青面金剛(しょうめんこんごう)童子
秘仏で拝観することはできません。

縁起によると、大宝元年(701)正月七日庚申の日、
豪範僧都が疫病に苦しむ多くの人々を救わんと一心に天に祈った所、
帝釈天のお使いとして童子が出現し除災無病の霊験を示され
以来1300年庚申の日及び前日(宵庚申)に本尊に祈れば必ず一願が叶うと尊崇されています。

青面金剛は、大日如来の命を奉じ、忿怒の相を現し、諸悪魔を降伏する明王の仲間。
身は青く、目は血のように赤いとされる。
手は、2手、4手、6手、8手があるが、次第に6手が標準になっていった。
6手も二通りあり、中央の手が剣と人身(ショケラ)を持つものと合掌しているものとがある。

詳しくは→こちらでどうぞ





庚申信仰とは
中国の民間信仰である道教に発するといわれている。
道教では、人間本来の寿命(一説では125歳)を全うできないのは、
人間の体内に住んでいる“三尸”(さんし)という虫のためであるとする。
庚申の夜、三尸は人が寝ている間に体内を抜け出し、
天に昇り天帝にその人の罪過を報告する。
天帝はその罪過を判断し、その人の寿命を短くする。

少しでも長生きするためには、この三尸を天に昇らせなければよい。
そこで、庚申の夜は眠らずに過ごそうというのが、「守庚申」「庚申待」という行事である。

この行事は、平安時代に宮中で行われだして室町時代には民間でも行われるようになった。
室町時代には、将軍家を中心に和歌などを作りながら庚申待をしていた様子が資料等から読み取れる。

これは戦国時代になっても続いていたようだ。
信長が庚申待をしたことを示す記録(義残後覚巻一)
光秀は、酒の席で信長から諸将の前で激しい侮辱を受けたために、光秀の心に謀反の渦が巻き始めたと言われている。
酒の席というのはこの庚申待の席だったようだ。

寝ずに起きていなくてはならない庚申待ちはしたくないが、その効果だけはほしい。
こう考える人々が、元禄時代(1690年頃)には結構な数にのぼったようだ。
需要があれば、当然それを供給する人が現れる。
庚申待の代行業、当時は“庚申の代待(たいまち)”と言われていた。
庚申の日になると、大声で「庚申の代待」と叫んで町を歩いた。
声がかかると、家人から米や銭をもらって代待をした。


室町時代から次第に仏教的色彩が強いものになった。
江戸時代には、主尊として青面金剛が誕生し石塔も多く造られた。
この信仰に神道も加わり、猿田彦が主尊として現れた。
明治時代もこの信仰は大きく衰えることはなかった。

昭和とくに戦後は、衰退したが、現在も庚申信仰は細々だが続いている。


庚申の日

2012-04-29 | 四季折々・色とりどり
昨日、園芸用の土を買ってきたので、植木鉢の手入れをしてました。
門松にしていた鉢中の土か、あるいは購入した園芸土の中に幼虫が1匹生きてました。

触るのは苦手ですが、珍しいこともあるもんだととりあえず撮影。
作業している間、その辺に置いてたら、いつの間にかどっか行ってしまった。


ベランダのルッコラも引っこ抜いて、土を入れ替えてコスモスの種を撒きました。


ベゴニアは先週、すでに花がついているのを数株買って移植。
無事根付いたようでうれしい。

銀行でもらった、コスモス、カスミソウ、そしてサルビアの種を、
お正月の門松の鉢が空いているのに撒きました。
芽がでてくれるかな…


暦を見ると今日は庚申の日。
どうりで虫、出てきたはずやね。

四天王寺さんには庚申堂がありますがお参り行ったことない。
契丹展の大阪市立美術館ともども天王寺にあるので、
これから行ってきます。

蛇や龍の純金腕輪

2012-04-26 | 旅・ルーマニア
とても洗練されたデザインだと思います。

なんと紀元前200年から紀元100年頃のものらしいです。
金塊から螺旋状に削り出すという贅沢な技法が用いられています。

発見された場所は、ルーマニアはトランシルバニア地方のダキア人遺跡。
サルミゼゲトゥサ・レジア遺跡では、
24個のブレスレットが盗掘されその後国外へ違法に持ち出された。
ドイツ人コレクターから買い戻すのに
ルーマニア政府は30万2000ユーロ(約3500万円)を支払ったという。

古代トランシルバニアには、ダキア人が住んでいて黄金の財宝が溢れかえっていたそうです。

来月行く予定のルーマニアを予習していて見つけました。

他にも古代の金のブレスで蛇があるかなと探してたら、
ありました!

イタリアはポンペイで発掘された金のブレスレット。


中国の唐が滅んだ後、北アジアを統一した契丹では「龍文腕輪」


ちょうど今、大阪市立美術館では「契丹」美術展が開かれてます。
GWに 見てこようと思います。

しかしなんで世界各地、民族をこえて
蛇とか龍とかが文様、紋章として描かれてることが多いのでしょう。


ちなみに契丹がらみで調べると、
明治38年(1905)に奉天郊外のチベット仏教寺院で発見された古文書『契丹古伝』
太古の日本に蛇を崇拝対象とする「龍族」なる部族が繁栄していたと書かれているようです。

この古文書も偽書とされているようではありますが、
日本において蛇神信仰が盛んであったのは間違いのないようで。
日本各地の神社には太古の蛇神信仰の痕跡が色濃く残されていて
神社のしめ縄などもその名残といえるそうです。

縄文初期の土器にも蛇のモチーフが多く見られます。

2歳児の成長って早い

2012-04-24 | エソラ&ゆうり
毎週金曜日夕方5時半から1時間、キッズ少林寺があります。

4月13日、雨の中エソラとゆうりを娘と私が抱っこして連れて行きました。

去年暮れに体験、見学した時は、
まわる廻るといって、10メートルぐらいの○をぐるぐる走り廻り、
それも時場所をかまわずにです。
他の人に当たらないか心配で、ドキドキものでした。
まだ団体行動は無理やわぁと思ってました。

あれから数ヶ月たって、だいぶ物分りがよくなってます。

まだまだちゃんと並べず寝そべってる時間帯もありましたし、
ちょっかい出しにくるときもある。


それでも時々は皆と同じ動きを真似して、突き蹴りしてたり、
何よりも走るのがまっすぐ直線となり安心しました。


隅でおとなしく待ってるゆうり。


そして1週間後の先週20日 
ゆうりを抱っこしながらの撮影でどれもテブレしてますが





ミットを蹴るシーンは残念ながら画像ありませんが、
拍手したほど上手に蹴ることができて、みごとでした。

そして体力づくりのかけっこは、
よ~いどんの掛け声がかかってからスタートできました。
ただし6年生、5年生と各学年ごとに走るのには、全部走ってましたけど。

今週27日は、どこまで進化するでしょうか。

ユニバーサル映画100周年記念「バトルシップ」

2012-04-22 | 世情雑感
『ジョーズ』『E.T.』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『ジュラシック・パーク』
『スティング』『アメリカン・グラフィティ』『愛と哀しみの果て』『グラディエーター』…
どれも楽しませてもらいました。

歴史に残るヒット作を数々うみだしてきたユニバーサル映画。

ハリウッドのメジャー会社の中で2番目に古い歴史を持ち、
今年創設100周年を迎えた記念作が『バトルシップ』です。

ジャンルでいえば侵略SFで、特撮がスゴイらしい。
浅野忠信さんが日本の自衛艦の艦長ナガタという準主役級の役で出演されてることでも話題よんでます。



ということで、先週水曜日レディースデーに見てきました。

舞台はハワイ沖。
アメリカをはじめとする世界各国の自衛艦が集結して大規模な軍事演習が行われるなか、
沖合に正体不明の巨大な物体が出現する。
それは、地球からの友好的な呼びかけに応じて飛来したエイリアンの母船だった…

特撮はすばらしく大型スクリーンで見ると迫力ありますが、
あまり手に汗握るドキドキシーンとならないのはシナリオ悪い?

う~ん、ハッキリ言って 
 B級映画かも。

冒頭シーンはダルすぎて、スピーディにもっとチャッチャと飛ばしてほしい。
なんて 先行き不安になる展開。

途中もあちこちで脚本家のご都合主義が目に付いて、
え~それはないやろ ツッコミどころ満載ですわ。
それをたのしみに鑑賞されるのもいいかも。







なんで100周年の記念作品に、これが、というのが実感でした。

日本企業の協賛金がずいぶん入っているようなシーンもあり~ので
アメリカが 今 こういうことなのか。。。?

日本善行会

2012-04-21 | ケータイ・スマホから
日本善行会褒章おめでとうございます!

一日一善には違いないけれど、
競艇とかの公益財団法人日本財団とは違って
日本善行会は内閣府所管の昭和12年に設立された社団法人です。
主にボランティア活動等の支援や推進、表彰事業を実施しています。

金賞だと皇太子同妃両殿下から御接見の栄誉を賜るそうです。


かいのき

2012-04-20 | 世情雑感
TMさんのブログ訪問して、1ヶ月前なんでかなと思っていた不思議の一つが解明しました。

先月18日、道明寺天満宮の梅園入口で目に留まりました。


「2500年前孔子廟前に子貢が植えた故郷の木の種を今に伝える珍木」

なんでそんな珍木がこの道明寺にあるの?
で、そのままになってました。

TMさんの「湯島聖堂」散策レポートでやっと分かったのです。

湯島聖堂のウェブサイト 「楷樹の由来」

楷 かい 学名 とねりばはぜのき うるし科
PISTACIA CHINENSIS,BUNGE(Pistacia Chinensis Regel)

楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で、
初め子貢が(孔子の墓所に)植えたと伝えられ、今日まで植えつがれてきている。
枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれている。

わが国に渡来したのは、大正四年、林学博士白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り、
東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である。
これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられた。

その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが、
性来雌雄異株であるうえ、花が咲くまでに三十年位もかかるため、
わが国で種子を得ることはできなかったが、
幸いにして数年前から二三個所で結実を見るに至ったので、
今後は次第に孫苗がふえてゆくと思われる。

中国では殆んど全土に生育し、
黄連木・黄連茶その他(黄棟樹、黄連、蓮連木など)の別名も多く、
秋の黄葉が美しいという。
台湾では爛心木と呼ばれている。牧野富太郎博士は、これに孔子木と命名された。

孔子と楷とは離すことができないものとなっているが、
特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える。

昭和四十四年秋日
矢野一郎 文並書

  

こうして得られた苗木は、孔子にゆかりのある場所にそれぞれ寄贈されました。
東京の湯島聖堂、岡山県の閑谷学校、栃木県の足利学校には、
今なお林試の森公園に由来する「かいのき」が生育しています。



閑谷学校のかいのき、秋には紅葉がみごとらしいです。


きっと道明寺も、どういうルートかは不明ですが
苗を分けていただいて植えられたのでしょう。

菅原道真ゆかりの道明寺天満宮、学問の神様なんだから
もう少し詳しい看板立ててくれてもいいと思うけど。

2012-04-18 07:31:15

2012-04-18 | ケータイ・スマホから
1本だけのチューリップ満開

ココからPCより追加画像
2日前のチューリップは



おまけ


吉野金峯山寺で特別拝観1,000円を払うと、
パンフレットの他に、ぶら下げる御札と堂内に上がる時に脱いだ靴を入れるバッグ付いてた。

こんな靴袋もらったの初めてで、内側の汚れを洗いました。
エコバッグとして使ってもご利益ありそう。


さらに追加で
堺市美原区にある丹比神社で日曜夕方にスマホ撮影画像 


      光の入り方が不思議↓
  クリックで拡大します


★4月19日画像追加(すべてスマホで撮影したもの)

丹比神社鳥居


奥に本殿がみえますが、参道右手桜がきれいでした


参道左側に池がありそのほとりに赤い実がたわわな大木、木の名前わかりません

本殿右手に反正天皇の産湯井戸がありました。


民俗学者の折口信夫氏に拠れば、
古代天皇の后となるには二つの家系出身の女性に限られていたそうです。
一つは天皇家出身の女性で、天皇と神とを仲立ちする高位の巫女。
もう一つは丹比氏(たじひ)出身の女性で、水の神の資格で天皇の禊ぎに奉仕する聖女であったようです。


レモングラス

2012-04-17 | 日々是好日
吉野で買ってきたレモングラス
一見枯れ草で、なかなか飲んでみる気が起こらなかった。
しかし、ブログ記事にするために、やっと行動しました。

マグカップに直接枯葉を少々そのまま入れてお湯を注ぐ。
あっという間にやさしいレモングリーン色に変わり、ほのかに匂いが立ち上がる。

トワイニングのレモン&ジンジャーというハーブティーに似た味でした。
おそらく葉っぱは細かくハサミで切ればもっと香りとかよくなりそう。

吉野といえば葛。
くず湯・くず菓子・くず切り、草もち・桜もち…
陀羅尼助(だらにすけ)という胃薬もあるけど、どれも買わなかった。

上千本あたりを歩いていると、とある家の軒先に並べられていたのだった。
サラダ用ミズナとこのレモングラスを買いました。
ミズナはやわらかくてクセがなくて美味しかった。


ほとんど雨の中の行軍だったし、
桜はまだまだだったし
       でも吉野はよかった。


   画像検索でもらってきた吉野の桜

 よき人の 良しとよく見て よしと言ひし
 吉野よく見よ 良き人よく見つ
(『万葉集』巻一27)

   天武天皇の吉野の宮に幸せる時によみませる御製歌

何か不思議な吉野水分神社

2012-04-15 | おでかけ・近畿
奥千本口より坂を下ること10分程度ぐらいで高城山(標高702m)
吉野山随一の展望台で金剛山脈や高見山などが見渡せるので上ってみました。
  
クリックで画像拡大します

さらに10分ほど下ります。



やっと吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)到着!
ここから上が桜の上千本ですが、桜はまだでした。






楼門内に豊臣秀頼寄進の湯釜が飾られてて(埃まみれで撮影しなかった)
その前に柾目をいかした木彫りのフクロウが。。。



社殿も豊臣秀頼が再建したもの。
一間社春日造りの左右に三間社流造りが並ぶ桃山時代の特徴を持つ美しい本殿です。





西の楼門から入り、南に本殿、北に懸造の拝殿、東に幣殿。
本殿と拝殿は向かい合って建ち、中庭のしだれ桜が満開ならさぞかし美しいことでしょう。

廻廊の中心が中庭のような形式で、日本の神社としては珍しい。
境内さほど広くなくて、コンパクトにすべてがきれいに納まっています。
時代の流れが止まったような不思議な空間でした。

吉野山の最奥部、奥千本あたりの山頂青根ヶ峰(標高858m)はいくつもの川を生み出す分水嶺です。
古くから水分(みくまり)の山と称され、
水を司る神の依りつく山として崇められ水分神社が祀られていました。
大同元年(806年)ごろに現在地へ遷座したのが吉野水分神社です。

水の分配を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)が主祭神

右殿  天萬栲幡千幡姫命 玉依姫命 瓊々杵命
正殿  天之水分大神
左殿  高皇産霊神  少名彦神  御子神


平安時代中期ごろから、「みくまり」が「御子守(みこもり)」となまって、
俗に子守さんと呼ばれ子宝の神ともなりました。

豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれ、
そのお礼として秀頼が社殿などを再建されて今に残ります。

本居宣長の両親も、子守明神への祈願により宣長が授けられたといわれ、本人も何度かお参りされてます。

 吉野山花は見ぬとも水分の 神のみまへをおうがむがよさ


国宝:木造玉依姫命(たまよりひめのみこと)坐像
ご神体のため非公開ですが、日本第一の美女神像といわれています。

重要文化財:木造天万栲幡千幡姫命(あめよろずたくはたちはたひめのみこと)坐像

見てみたいですねぇ~

また行ってもう一度じっくりみたいと思った神社はそれほど多くない
けど、この吉野水分神社は、その一つです。


黄金鉱脈伝説がある金峯

2012-04-15 | おでかけ・近畿
竹林院を出てすぐのところで道が二股に分かれてます。
バス停があり、ここから奥千本口行きのバスが出ていました。



雨が降ってるし、もともといい天気でも奥千本は無理だろうと思ってた。
ところが
竹林院群芳園の庭園観光300円を節約したコインが手元に残っている。
バス案所の方が言われるのは、
バスで15分かかるが、のぼりを歩けば1時間以上、下りは40分ぐらいだとのこと。

話を聞いているうちにいつの間にかその気になり、このバス代400円になってしまった。


地図を見ると、歩く道は別でバスは町道88号線を走り奥千本口に着きました。

目の前に金峯神社の鳥居があり、ものすごく急な坂が!!


ちょうどハイヤーが列をなして坂を登っていきました。

数年前は→ 画像検索でもらってきました
桜の木が切られたのでしょうか?

わずか数百メートルでしょうが、息を切らしふうふういいながら坂を登りました。

  
金峯神社の右手に本格的な奥駈道が始まっています。
15分ほど歩けば西行庵に行けて、そこまでの谷間が奥千本らしい。

ハイヤーの運転者さんに聞くと、
「あんたらのような靴で行ったら滑ってあぶないし、
桜はまだ咲いてないし
西行庵は小さな祠みたいなもんでたいしたことない」


奥駈道の登山ポストはいかにも修験道って感じです。
すれ違う人達はほとんど山装備トレッキングウェアなのも納得。

引き返すことにしました。

大峯奥駈道の看板



午後2時5分、これより下ります。  
  … 続く



金峯神社(きんぷじんじゃ)
吉野山(858m)の頂上・青根ヶ峯から500mほど下ったところにあります。
金峯神社境内は、国の史跡「大峯奥駈道」の一部で、当社から上を奥千本と呼ぶ。
吉野山の地主神・金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祭る

「金峯」は吉野から天川村へかけての峯々の総称。
地下に黄金の鉱脈があるという伝説があります。
古来地下に黄金の鉱脈があると信ぜられて、宇治拾遺物語その他にも、この山に登って黄金を得たという話があります。
これは仏教説話として、金峯山は黄金浄土であるという観念から生まれたものです。


琵琶湖ほとりの石山寺へお参りしたときの記事
石山寺の如意輪観音と比良明神

東大寺の大仏さんを造るにあたり、聖武天皇から頼まれた良弁僧正はこの吉野で金メッキに使う金をおあたえくださいと祈られた。
すると良弁僧正の見た吉野の金剛蔵王の夢告によれば、
「金峯山の黄金は、弥勒菩薩がこの世に出現する56億7千万年の後、
この地を黄金で覆うために用いるためにあるから今は使えない。
近江国志賀郡湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地があるから、そこへ行って祈るがよい。

金峯山寺蔵王堂内でお坊さんにこのことをお尋ねすると、
「近くで水晶も産出しますし、水銀もでますし、金はこれらと同じ鉱脈で出ることが多いのでひょっとすると…」



世界遺産★奥駈道吉野

2012-04-13 | おでかけ・近畿
13日の金曜日午前8時7分、うす雲がかかった晴れ。
どうやら午前7:39 北朝鮮が銀河3号を発射したようですね。

春に3日の晴れなし…
昨日は花見日和の上天気で、その前日は朝から雨でした。
仕事を持つものが平日休んで出かける予定を立てたら、雨天決行するしかないもんね。



大阪天王寺にある近鉄阿倍野駅で8時40分待ち合わせ。
拝観券つきの割引切符を購入して、8:50発の吉野行き急行に乗りました。
特急は指定席なので500円余計にかかります。
吉野までの所要時間が1時間20分と急行より10分ほど短くなる。

橿原神宮駅過ぎると単線となるらしく、特急といえども前が詰まれば抜かすことができない。
だから混んでなければ急行で500円節約できます。

吉野駅到着は午前10時20分過ぎていた。
駅前売店で柿の葉寿司を購入、数分歩いて吉野ケーブル千本口駅へ。


ケーブルと称しても運営しているのはロープウェイ、なんと手動式!
1929年(昭和4年)3月12日開業の現存する日本最古のロープウェイだそうです。

山上の吉野山駅まで約3分。
片道350円、往復で切符買えば700円が600円になります。
このときは帰路歩くつもりで片道券を購入。


ロープウェーを降りて5分も歩かないうちに黒門。


説明板に高麗門と書かれてあったような。
金峯山寺の総門で、昔は公家・大名でも、この門からは馬やかごから降りて
槍を伏せて歩いたと伝わっています。

ここから吉野の歴史のロマンを感じるトリップが始まります。


日本三鳥居のひとつ「銅の鳥居」


聖武天皇が奈良の大仏の余銅で作られたという伝説があります。
本来の名称は「発心門」といい金峯山寺の四門の第一門。
高さ7.5mということは、7.3mほどの蔵王権現とほぼ同じ高さです。


金峯山寺仁王門に着いたのは10:50頃


金峯山寺でのあれこれは昨日エントリーした記事でご覧下さい。
 ラピスラズリの青黒色が迫力の蔵王権現
 吉野の金峯山寺★百聞は一見にしかず

正午過ぎて、まだまだ金峯山寺の神事は続いていたけれど出発することにしました。


仁王門は吉野駅から来た人に正面をみせて、
こちらの蔵王堂の石碑が建っている階段は、熊野から奥駈道を来た人に正面となります。
仁王門と蔵王堂は背中合わせに建っているのです。

馬の背のような吉野山には、役行者を開祖とする修験道のお寺や南朝ゆかりの遺跡が建ち並びます。


吉水神社

後醍醐天皇の行宮であったことから『南朝皇居』
境内の右手に「一目千本」見わたしのいとよき所があり、中千本上千本一帯が展望できます。



ここからスマホで撮影した画像をブログに送信しました。
  

太閤秀吉がこの場で花見をして、
「絶景じゃ!絶景じゃ!」まるで子どものようにはしやがれた場所 だそうです。

雨降ってても、ツアー客もキャンセルとならず大勢おこしでした。
土産物屋なども軒を並べ賑わっていましたが、そこはスルー





井光山善福寺


たいがいの観光マップには書かれてありませんが、井光山が気になったので立寄りました。



「本堂北側の谷間に井光井戸といわれる小さな井戸跡があります。
これは記紀に見える神武天皇御東征の際、天皇をお迎えした吉野首(おびと)の祖井光(井氷鹿)いひかりが出現した跡と伝えられています。

猪が土を掘り起こし井戸跡はもう分からなくなっていて、現在は立ち入れないと言われました。

大峯山護持院のひとつ「竹林院」

大和三庭園に数えられる群芳園は千利休が作庭し細川幽斎が改修したもの
入場料が300円ぐらいしたので、これを節約し、宿となっている建物で無料でトイレを借りた。

この節約したコインがあだとなり、想定外の奥駈へと進んでしまったのだった。

 … 続く

ラピスラズリの青黒色が迫力の蔵王権現

2012-04-11 | おでかけ・近畿
金峯山寺の山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています。
蔵王堂は過去6回の焼失記録があり、現在の建物は天正20年(1592年)頃再建されました。
高さ34メートル、四方36メートルという巨大な木造の建物で檜皮葺の建物としては世界一です。

お祀りされる御本尊・金剛蔵王大権現は像高728cmの巨大秘仏で、
二度とないことが起きたときしか一般公開されません。
しかし仁王門大修理勧進のため今年3月31日から6月7日まで開扉されています。
平成24年から向こう10年間毎年一定期間に開帳されるようです。




パンフの写真

左から弥勒菩薩(未来世)、釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)の権化

権現とは権(仮り)に現われるという意味で、
過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されました。
私たちを守ってくださる守護仏でもあります。

3尊の全身はことごとく悪魔を払う忿怒の形相を現されています。



怒髪天をつく頭髪、口の両端から刃のように突き出す牙。
左足で地下の悪魔を押さえ、右足は大地を高く蹴り上げ天地間の悪魔を払うお姿。
右手にある三鈷は天魔を砕く相で、左手の刀印は一切の情欲や煩悩を断ち切る剣。

さらに、背後の火炎は偉大なる智慧をあらわし、智慧の焔で煩悩の薪を焼きつくすということ。

御身の青黒色は深い慈悲を現しています。
この青黒(しょうこく)色は、ラピスラズリだそうです。
これだけの巨像を塗りつくすのに、どれだけのラピスラズリが要ったことでしょう。

目に入った最初はその色と巨大さに驚きます。
表情とその肢体の奇天烈さに度肝を抜かれます。
しかし
じっと拝見していると、怒ってそうだけど怖くないのです。

役行者が汚濁に満ちた世の中に救済を求める苦行の中で強い祈念によって祈り出された権現様。
心静に拝めば、すべてを認め一切をゆるす「恕(じょ)の心」を感じ取ることができるといわれています。

見るからに恐ろしい姿は、ただ怒りに燃えているというのではなく、
その根底には「恕」(じょ)のこころがあります。
一切を恕(ゆる)し育み、人々を導こうという慈悲の心です。


まさに、大自然の霊威そのものの発現とも思われる金剛蔵王権現は
神であり、仏として、神仏混淆を旨とする修験道のご本尊です。

ちょっといままでにお目にかかったことのないお姿です。
向こう10年間チャンスがあれば、是非実物のお姿を拝まれると感じるものが多々あると思います。

吉野の金峯山寺★百聞は一見にしかず

2012-04-11 | おでかけ・近畿
吉野の桜は全国的に有名で、いつかチャンスがあれば見たいと思いつつ、
実際に見たことある人は身近でもあまりいない。

同じ花見に行くのなら、金峯山寺(きんぷせんじ)の花供懺法会(はなくせんぽうえ)も見てみたいと。

毎年吉野山の桜が満開となる4月10~12日に行われる行事です。
雨の降る中、吉野へ行ってきました。



「吉野山・蔵王堂特別拝観券付き割引きっぷ」を利用しました。
近鉄阿倍野から吉野までの片道950円の往復乗車券と
特別拝観券1,000円で合計2,900円が2,570円とお得なセットです。


吉野山が桜の名所となったのは、
金峯山寺を開いた役行者(えんのぎょうじゃ)が
蔵王権現のお像を桜の木で刻んだことから、桜が保護・献木されたからです。

蔵王権現のご神木・山桜の満開を御本尊に報告する行事は、
4月10日  花供千本搗き・女人護摩
4月11日  大名行列・花供懺法会
4月12日    〃 採灯大護摩供厳修

千年の歴史を持つ金峯山寺の伝統法会です。
奴行列を先頭に金峯山の鬼、お稚児さん、山伏、僧侶、
そして行列の最後は管長猊下が乗られた大名籠と続く十万石の格式を持った行列が行われます。

残念ながら今日は朝から雨で、大名行列は中止。
山伏さんが仁王門から入場行進されて蔵王堂まで進まれました。






蔵王堂の中ではお坊さんの読経されるまわりを、
たいまつを掲げて廻られるお坊さんがいたり、
鬼役がウロチョロしてたりしているのがチラッと見えました。

特別拝観のチケットのおかげで間近で見ることができました。


そのあと護摩壇で矢を射たりする清めのようなことをされてました。

午後1時ごろから『御供撒き』といって
10日の千本搗きで搗かれた餅を撒くが、今年は雨のため手渡しで渡すと聞いてました。
しかし、その時間まで待っていると、
中千本、上千本、奥千本の桜を見に行けないので12時過ぎには金峯山寺を離れました。

ちょうど今、金峯山寺では秘仏である御本尊・金剛蔵王大権現が開扉されていて、これも今回の大きな目的でした。
 
  続く