秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

防衛事業推進に尽力したことへの褒章

2011-02-28 | 日々是好日
昨日は、大阪駅近くのヒルトンホテルで開催された褒章記念パーティに行ってきました。

自衛隊の空挺・落下傘部隊の現役を退かれた後、
自衛官募集相談員はじめいろんな自衛隊サポーターズとして長年ご尽力されたことへの褒章です。

挺進を、「身を捨てる」挺身と書く場合があります。
危険を顧みず自身の身を捨てて敵陣中に降下する姿を形容した語です。
こうした経験を全うされると、退役後も防衛への取り組む姿勢は一般人とはおのずと違ってきます。

今まで保護司として長年つとめられたかたの叙勲褒章パーティ参列はありましたが、防衛省関係は初めて。

参列されている方々は自衛隊関係者が中心で、
どなたもお辞儀やご挨拶がピシッとされてて気持ちよかったです。

約1時間の式典後、祝宴が始まります。
 






40ほどのテーブルを廻られて、各テーブルごとに受賞者ご夫婦と記念撮影。
空挺出身者も退役後はふっくらされてますが、若い頃はしまった身体だったそうです。

富士山はなぜフジサンか

2011-02-26 | 古代史のミステリー
バス車中よりみて、この神社前の国道を通っただけで、何か感じた神社は
富士吉田市にある北口本宮富士浅間神社でした。
個人旅行なら絶対立ち寄ってたし、次いつかこの辺りに行く機会があれば必ずお参りしたいです。

日本武尊が東征の折に「富士は北側から登るのが良い」
と、富士吉田に自ら鳥居と祠を建てたのが由緒とされるそうです。

神楽舞は一名岩戸神楽とも呼ばれ無形文化財に指定されています。
現在伊勢・熱田に伝わるものを含めて三神楽のひとつって、歴史ありそうですね。
武田信玄が川中島合戦の勝利を祈念して再建したゆかりの神社でもありました。

国道沿いの鳥居、画像検索でもらってきました。


北口本宮社の真裏から富士登山道が始まり、
冨士のお山開きは神社の鳥居に張られた注連縄を切らなければ始まらず、
またお山じまいの火祭りは神社の秋祭りであるというように
富士山と北口本宮冨士浅間神社とは深く強いもので結ばれています。

江戸時代に盛んとなった山岳信仰「富士講」でたいそうにぎわうようになったようです。

一方、静岡県小山町には相模国からの玄関として東口本宮富士浅間神社があります。
富士浅間の総本宮は、静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間神社です。
全国で千以上に及ぶ浅間神社の総本社です。
 

富士浅間神社というのは元々は登山信仰では無く
「浅間大神」=「荒ぶる神」とされ、荒ぶる山の神の怒りを鎮める、
活火山の噴火を鎮める祈願として建てられました。

富士山の神を祀るのが「富士神社」でなく、「浅間神社」となっているのは
浅間神社は浅間大神(あさまのおおかみ)という火山の神を祀る神社だから。

「あさま」とは、アイヌ語で火を噴く燃える岩を意味し、
阿蘇山も「あそやま」で、もとは「あさま」だったという説もあります。

富士山は、1083年から1511年までの400年以上噴火のない休止状態が続きました。
火を噴かない富士のお山は美しく荘厳です。

室町時代には修験者による富士登山が盛んになりました。
江戸時代中期、富士講へと発展していき
各地では浅間神社が祀られ、富士塚などをつくって登るなど独特の信仰も生まれました。

荒ぶる神はなりを潜めて、浅間大神は浅間大菩薩と同じとなり
その菩薩は木花開耶姫(このはなさくやひめ)だと富士信仰の中心が変遷していったらしい。
しかしその背後に富士の根源の神様が存在していることを忘れてはいけないと思います。

神話では、木花咲耶姫は火を放った産屋で3柱の子を産みました。
火の中での出産から火の神として富士山に祀られています。
しかし、富士山本宮浅間大社では「水の神として富士山の噴火を鎮めるために祀られた」とされている。
このあたりの神話伝承由緒などは、検索すればいっぱい出てきますからそちらでお読みください。

   

山部赤人の有名な富士山の歌
「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」
万葉集では富士山は「不尽」と表わされています。
一説に煙が尽きないことを意味しているという。

古今集にある富士山を詠んだ歌のすべてはいずれも、
この山を、煙を上げている活火山と認識して歌っていることが知られています。

実際残っている記録によれば、
800~1083年までの間には12回の噴火記録があります。

延暦の噴火(800~802年)
坂上田村麻呂が活躍し、最澄が比叡山に延暦寺を建てて活動した時期
足柄路が降り積もった堆積物で塞がれて、箱根路へと東海道の道筋が変わってしまった。
忍野八海ができたきっかけはこの噴火だと書かれてありました。

貞観の噴火(864~865年)
青木が原樹海をつくった噴火です。
貞観の大噴火は激しい揺れと轟音を伴い、人々を恐怖のどん底に陥れました。
当時の朝廷は「これは祭礼の怠慢のため神明がたたりを発したのだ」と警告を発し、
すぐさま神の怒りを鎮めるための神社をたてるように命じたのが、浅間神社なのでした。

相次いで創建された浅間神社は富士山を取り囲むように放射状に配置され、
富士山の霊力を封じ込めるためと言われています。
その後1083年から1511年までは400年以上も噴火の記録がありません。

江戸時代では宝永大噴火(1707年)が有名です。
この噴火は日本最大級の地震である宝永地震の49日後に始まり、
江戸市中まで大量の火山灰を降下させ、川崎では5cm積もりました。
現在進行形の新燃岳で心配されている土石流ですが、宝永大噴火では大きな土砂災害があったようです。

これ以降約300年間噴火しておらず平穏な状態が続いています。
300年の眠りから覚めて、いつ噴火が起きてもおかしくない富士山。


フジサンは古くは、不尽・不自・不二・布士などとも書かれていました。
これは漢字到来以前から、この山が「ふじ」と呼ばれていたことを物語るそうです。
常陸国風土記では、富士山は「福慈岳」と表わされています。

國學院大學・デジタルミュージアムより
常陸国風土記「筑波郡」の条には、「駿河国福慈岳(ふじのやま)」(富士山)と「常陸国筑波岳(つくはのやま)」(筑波山)をめぐっての有名な伝承が記し留められている。
神祖(みおや)の尊が日暮れに福慈の岳を訪れて一夜の宿りを請うた時、福慈の岳は新粟(わせ)の「初嘗(にひなへ)」中であることを理由に、宿泊を断り、一方、筑波の岳は「新粟嘗(にひなへ)」中であるにも関わらず、神祖の尊を歓待した、その結果、筑波の岳は今にいたるまで大いに栄えているという話しである。

そして、その後こう続くようです。
「福慈岳はこの先ずっと冬も夏も雪や霜が降って、寒さが厳しく、人は登らず、食物も献じないであろう」と呪いの言葉を述べられた。


元明天皇のとき、
武蔵野国秩父郡から和銅(精錬を要しない自然銅)が献上されたことを瑞祥として和銅元年(708年)と改元
和銅五年(712)太安万侶が『古事記』を撰上
その翌年、行政地名の表記の改正と地誌である『風土記」の撰進を命じた。

「畿内と七道との諸国の郡・郷の名には好い字を付けよ、
郡内に産する鉱物資源・植物・動物類の種類を記録し、土地の肥沃の程度、地名の由来、古老の伝える古伝承を記載して言上せよ」

この官命にもとづいて諸国の風土記が編纂されたはずであるが、
現在残っているのは、出雲が完本で、あと常陸・播磨・豊後・肥前の4つだけ。

『常陸国風土記』は次の元正天皇のときに成立したと考えられています。

鎮めを祈る浅間神社

2011-02-25 | 旅・関東&中部&北陸地方
忍野八海から天気がよければ富士山が望めるそうです。
どんな風に見えるんだろうと検索していて画像もらってきました。

   

富士五湖の山中湖と河口湖の間にある湧水池地帯が忍野八海です。
かつては宇津湖だったのが延暦噴火の溶岩流で山中湖と忍野湖に分かれ、
その後忍野湖は枯れて、現在は伏流水の湧く池が点在しています。


昭和60年に全国名水百選に選ばれ、新富岳百選選定地でもあるそうです。
しかし富士山が見えないときは、レトロな観光地で、
まぁ水は透明度が高く飲み水としていただくこともできましたけど。

少し足を伸ばすと忍草浅間(しぼくさせんげん)神社がありました。

神社前でもないのになぜ看板が立ってるのかよくわからないけど、
お参りする時間がなかったのでカメラにおさめておきました。

場所は山梨県南都留郡忍野村忍草458-1
大同2年(807)創建。
本殿に祀られる3神像(木花開耶姫・鷹飼・犬飼座像)は県内最古といわれ、金剛力士像(1192作)などもある。
また、境内には社殿や仁王門を取り囲むようにイチイが群生し、そのほとんどが県天然記念物となっている。

どの旅も神社仏閣墓参りが常なのに、今回の団体旅行はそれが全くなくてちょっとがっかり。
私としてはレトロな観光地よりは富士浅間神社に行きたかったのです。

忍野八海を観光後、国道138号をとおり川口湖畔の宿へ向かいました。
その途中、国道沿い左側にものすごくオーラが立った神社前を通過。
バス車中からの一瞬で画像には残ってません。

しかし今でもその神社鳥居の姿が目に浮かびます。
あまりに気になって何という神社だったのか調べてみました。

北口本宮富士浅間神社でした。
ハンパないパワーありそうな神社かも。
前をバスで通っただけでも感じたのですから。

天然の冷蔵庫・富岳風穴

2011-02-24 | 旅・関東&中部&北陸地方
普通ならちょっと怖そうな青木が原樹海、ちゃんと自然歩道があるのですね。

TV番組などの影響で一人なら足を踏み入れたくないけど、
怖いもの見たさもあるので、団体なら歩いてみたかったです。


樹海は16km四方に広がる溶岩帯で、その上に何百年に渡り樹木の葉や苔などが数センチ蓄積している。
そこに根をはる木々は互いに重なり、樹齢数百年でも太くならずに密生しているのが青木が原の特徴だと書かれてあります。

鳴沢氷穴から富岳風穴まで30分ぐらいらしい。
私達一行の平均年齢は60歳代を超えてると思うし、体育会系集団でもないのでバス移動で残念でした。


富岳風穴は横穴洞窟なので天井までの高さもあり歩きやすかった。
一方、鳴沢氷穴は1mにも満たない高さの部分では中腰移動したり、
段差や氷穴で足元取られないよう下ばかり見てると頭をぶつけたり、
アドベンチャーワールドでした。

 

風穴にも氷の柱はできています。


たぶんこうした氷の柱は切り出して飲食にも使われたことでしょう。
以前TV番組のタイムスクープハンターで、江戸時代の将軍様に氷を献上するためかごにかついで運ぶ人たちにスポットを当てていました。
冷凍車がない時代は、溶けないよう必死で走ってました。

昭和30年ごろまで実際に使われていた天然の冷蔵保存庫


繭玉が成長しないように、樹木の種子が芽吹かないよう冷蔵保存していました。
長野・埼玉・群馬などから運ばれたとかかれています。

鳴沢氷穴と江ノ島伝説

2011-02-23 | 旅・関東&中部&北陸地方
氷で足を滑らすと危ないので、
足腰に自信のない人は、お控えくださいと言われました。





青木ヶ原樹海にある溶岩洞窟は、864~865年の貞観の噴火でできたそうです。
富士山の北西斜面で噴火が起き、青木ヶ原一帯が溶岩流でおおわれました。
この溶岩により、富士山の北麓にあったセノウミという名の湖が精進湖と西湖の2つの湖に分断されました。

  

灼熱に焼けた溶岩流が流れ下ってできた洞窟が点在し地質学上貴重な存在です。
鳴沢氷穴は地下21mのたて穴洞窟で、春から秋にかけて氷の池氷柱ができます。


入り口すぐのところに小さな祠がありました。


不思議なことが書いてあります。
検索してみると、◇江ノ島伝説

「氷穴内部には、地獄穴があり(地獄といっても天国地獄の地獄ではなく、水が吸い込まれる穴のことです)
どこまで続いているのかわからない為、伝説によると相模湾にある江ノ島の洞窟に抜けられると伝えられています。
また、江ノ島にある洞窟では富士の麓の洞窟に続いていると云われています。
いつの日か江ノ島のサーファーが流れ着くことで、この伝説が実証されることを楽しみにしています」


河口湖冬花火

2011-02-22 | 旅・関東&中部&北陸地方
明日2月23日は富士山の日。
1月15日より、週末土日に開催されてきた第14回冬花火の最終日です。

『湖上の舞』立派なタイトルついてます。
冬の空はきりっとして夏よりも花火もきれいだそうだ。
川口湖畔に面したホテルの部屋からばっちし見れます。

夜8時から20分程度で、ちょうど宴たけなわのころ。
こっそり宴会場を抜け出し部屋に戻り撮影しました。

↓クリックすれば大きくなりますがおすすめできません
 

見れなかった人がブログで見せてもらうわと言われましたが、
あまりに”ショボっ”で申し訳ない。
目の前の街灯消して欲しいよね。
他の場所に移動している間に花火終了してはいけないので我慢してみた。

S先輩より翌朝、レストランで撮影された高級一眼デジカメの画像を拝見。
いろんなフォトコンテストで入賞されてるウデの持ち主です。
さすがこの冬花火も超華やかに一瞬を切り取られていました。

冬花火がしょぼいのではなく、撮影技術の相違でした。

富士山へ行ってきました

2011-02-21 | 旅・関東&中部&北陸地方
現地からライブカメラで画像送信するつもりが、
絶景チャンスに恵まれずでした。

守口地区保護司会の親睦旅行で富士山へ行ってきました。
昨日朝8時に守口をバスで出発し、浜松で昼食、
そのうち午後からどんどん曇ってきました。

やっと富士山が見えるサービスエリアから、最初の富士山


肉眼ではもう少しハッキリと、白雪の冠をいだいた富士山頂がポッカリ浮かんで見えました。

それからは薄雲が完全曇りになった。
山中湖と河口湖の間にある忍野八海でのヴューポイントでは全く見えなかった。

宿泊地である河口湖畔の「若草の宿 丸栄」に午後5時半到着。
露天風呂から富士がみえる五つ星の宿というのがウリなので、
朝6時半露天風呂行ったけど、全く富士山見えず。

朝8時半出発、西湖近くの青木が原樹海へ。
鳴沢氷穴と富岳風穴を見学後、本栖湖あたりを過ぎた頃から、見えた!

国道139号線を走る車窓より




神々しい富士山の姿に、車中の皆は感激し拍手喝采しました。
しかし動くバスからでは撮影が難しい。
道の駅朝霧高原で素晴らしい絶景ポイントがあるらしく、駐車撮影を楽しみにしてました。
ところが運悪く雲が富士山を覆ってしまい駐車は中止。

続いて白糸の滝見学。
この駐車場より


中学3年の修学旅行で訪れて以来です。
あれから40年以上が過ぎて、
昔からの観光地は、相変わらずレトロなままで、
電信柱や電線越しの富士山の姿を見ることができました。

滝まで歩く途中の工事現場からも見えました。


電線地中化工事とかすれば、もっと絶景ポイントになるのに。
電線の合間よりズームして撮影したのが↓でした。

フリット革命

2011-02-18 | 旅・オランダとベルギー
チュニジアから始まった政権異変、次々と飛び火していて、
中東諸国の現状を伝えるニュースが毎日見られます。

なんとベルギーでもデモってました。

チュニジアの「ジャスミン革命」に対抗して
ベルギーの一連の抗議行動を名物のフライドポテト「フリット」にちなんで「フリット革命」と名付けてるそうだ。

1/23首都ブリュッセルで「新政権、早くつくって」と3.4万人がデモ行進。
SHAME(不名誉)と書かれた横断幕を掲げデモ行進
   

2/17内閣不在249日、ベルギーが世界最長記録を達成。
イラクの248日を超えて最長記録達成、これからも更新し続けて行くのですね。

名物のフライドポテト「フリット」をシンボルとしたデモが行われ、
大勢の若者たちがフリットを食べたり下着姿になって政治家らに抗議した。
AFP通信のサイトで下着姿でデモに参加する若者たちの画像がみれます。
残念ながらgooブログではこのニュース画像を利用できない。
こちら


1月中旬ベルギー観光で、現地ガイドの藁谷さんから聞きました。
去年6月の総選挙から8か月以上たっても新しい政権が発足していないと。

たいがい日本も訳のわからん状態が続いていますが、
ベルギーがそんな状態にあるとはつゆ知らず、で驚きでした。

それまではまったく興味がなかったのに、
たまたま観光に行ったというだけで、人間の関心度って不思議なものです。

昨年12月以後、ベルギーの国債がポルトガルやスペイン、イタリアなどの南欧諸国とともに売り込まれていて、
累積の財政赤字はユーロ圏諸国17カ国で、ギリシャ、イタリアに次いで3番目に悪いそうだ。
政情不安の影響が経済にも及んでいます。


日本もこの先どうなるのやら…

一向一揆とか、幕末のええじゃないか運動とか、
一般民衆が決起するってことはないのかな。

ゴッホのイエロー

2011-02-18 | 旅・オランダとベルギー
アートなてんこもりツアー、オランダ・ベルギーの旅の記録を書いていて、
レンブラントのレッド
フェルメールのブルー
どちらも現地の美術館で説明受けたときに聞きました。

なるほどと思って見ていて、
そしたらゴッホの印象的な色はイエローかなと思われました。
でも私独自の感じ方かもしれないので、そのタイトルにしないで
クレラーミュラー美術館で記事エントリーしました。

この美術館はフラッシュたかなければ撮影可能です。





先日AFP通信のサイトで、ゴッホのイエローを見つけました。
今後もっと年数が経過すると、イエローが金茶色に変化するかもしれません。

「ゴッホの絵画の特徴である鮮やかな黄色が茶色く変色してしまう
原因を欧州の研究チームが化学的に解明した研究結果が
14日、米化学専門誌「Analytical Chemistry」に掲載された。

ベルギーのアントワープ大学などが参加する研究チームが、
超高感度のX線顕微鏡でゴッホの絵画を分析したところ、
絵の具とニスが混ざり合った部分が日光にさらされると化学変化が引き起こされることが分かった。

フランスのグルノーブルの欧州シンクロトロン放射線研究施設で行ったX線分析でも、
バリウムと硫黄の化合物が存在すると、黄色い絵の具に含まれるクロムの劣化が顕著であることが確認された。

こうした結果から、研究チームは白と黄色の絵の具を混ぜて使用したゴッホの技法が、
黄色を変色させる要因となったと考察。
貴重なゴッホの作品を変色させないために、作品を紫外線や日光から守るよう勧めている。」

奇想天外

2011-02-16 | 世情雑感
植物学的に最も驚異的発見で、グロテスクな怪物的植物
イギリス王立園芸協会により「世界で最も醜い植物」の第4位に選定されてます。
葉は2枚だけで、ベルトコンベアーのようにどこまでも伸び続けます。
咲くやこの花館のキソウテンガイは40年は生きてるそうです。
1960年頃に種子から育てられたものです。

  

自生地のアフリカのナミビアからアンゴラにまたがるナミブ砂漠には、
なんと5000年を超える株があるという。
年輪もないのに、なんで5千年も生きてるってわかるんですかと尋ねると、
放射性炭素年代測定によるとのことでした。


キソウテンガイ(奇想天外)は和名サバクオモト(砂漠万年青)ともいわれ、
ウェルウィチア科1属1種の雌雄異株の裸子植物です。

ウェルウィチアは1859年にこの植物の発見した、
オーストリア人医師F.ウェルウィッチにちなんでいます。



ナミブ砂漠って約8000万年前に生まれた世界で最も古い砂漠らしい。
4500万年前の琥珀の中に閉じ込められた化石として知られていた昆虫「グラディエーター」(Gladiator)が、この地で現存するのが近年発見された。

雨量が年間20mm程度極めて少ない。
しかも40~70℃とものすごく熱い。
卓越した能力のある生物だけが生き残れる世界、そこに奇想天外の故郷があるのです。

咲くや花物語というパンフレットによると
「長生きしている植物の多くは、一見条件が悪そうに見える場所で生き延びています。
短時間に多くの収穫をする畑の植物の世界とは、全く正反対です。

余談ですが、オーストラリアのユーカリは、乾燥地で200年余りかけて優れた材質の木となります。
堅い木材のため、家具から枕木までオールマイティでs。
この話を知った日本人は、ユーカリを日本で植林しましたが、雨の多い日本では成長が早く、質の悪いパルプ程度の材にしかならず失敗に終わりました」

年中ヒマラヤケシの青い花が見れるのは、

2011-02-15 | 世情雑感
咲くやこの花館で青いケシの花が見れることは有名です。
ヒマラヤ・雲南・四川の3000~5000mの高山帯に自生する青ケシ、
正式名称メコノプシスは温度管理によって年中花を見ることができます。

冬の間雪や氷に閉ざされる高い山に咲く高山植物は、
春になって気温が上がってくると花が咲き始めます。
この環境を人工的に作っているのだそうです。

100種類以上の眠っている高山の植物を-3から-5℃の冷凍庫で保存。
15日ごとにいくつか取り出し、3℃、7℃、15℃と順に3段階移動。
こうした温度調節が雪解けと同じような環境になります。

青いヒマラヤのケシは2ヶ月で開花させる、世界でも珍しい試みだそうです。


台湾のクマガイソウもこれから満開を迎えます。

開花調節した花ではなくて、ちょうど見ごろだったカリアンドラ・ハエマトケファラ

赤と白あるそうで、隣に白花を咲かせる木も植わっていました。

どの植物も手入れが行き届き、見ごろの花を楽しんでもらえるよう努力されているのがよくわかりました。

友チョコ

2011-02-14 | 世情雑感
ご近所の友人はもう20年近く前から毎年『友チョコ」をくれます。
いつも珍しいチョコレートを探してきてくれます。
今年は京都のお茶屋さんの抹茶チョコレートでした。

先週、店に来店されたおなじみさん、
退職される女性の友人へちょっとしたプレゼントを探しているという。

予算5,000円までで何かいいのないかなと相談うけて、
もちろん店頭の新品未使用の商品も選んでみた。
けど、やっぱり消えてなくなる食べ物がいいんじゃないの…
今ならデパ地下でたくさんのチョコレートとか並べてるし。
友チョコがいいねと話はまとまりました。



これはベルギーのノイハウスで買ってきたカレオリジンアソートメント。
カカオ本来の美味しさが際立つひと口サイズのプレートチョコレートで
4種類の原産地別のカカオの特徴を味わうことができます。

普段お世話になっている会計士の先生に、
40枚入で12ユーロやったけど、ノイハウスのサイトで見たら税込4,000です
って、恩に着せて渡そうとしたら、いらんと言われました。

日本で買ったら、1枚100円の小さなプレートチョコ、
店のみんなで少しづつ味見して、ほとんど私が食べました。


難波津に 咲くやこの花

2011-02-13 | 日々是好日
先日の歴史博物館に、ゴスペルのコンサートのチラシが置いてあった。
咲くやこの花館の特別企画「ハートウォーミングコンサート」
植物に囲まれながら聞くのもいいなと、行ってきました。

鶴見緑地は自転車なら10分程度の距離で、年に何度か行きます。
しかし咲くやこの花館に入場したのは今まで1回しかない。
いつかそのうち、って感じで月日は流れ、
あの1990年の花博からすでに20年が過ぎてました。



500円の入場料を払った以上、じっくり植物も観察しようと、
無料のフラワーツアーにも参加してきました。
11時、13時、15時の1日3回、約1時間無料で、ガイドスタッフが一緒に館内を周り説明してくれます。


植物にまつわるエピソードや由来などとても興味深く聞けました。
バナナは一度実をつけると枯れてしまうなんて知らんかったし。


去年TMさんのブログで記事にされていたラフレシア、
あの花博の時に展示されてて今は樹脂加工されて保存されてました。


カカオノキって幹に直接花が咲いて実がなるなんて知らんかった。
チョコレートがどのようにできるのか説明があって、
2粒チョコレートのプレゼントももらえました。


植物園ではフォトコンテスト出品に向けてか撮影する人も多く、写生する人も数人見かけました。


午後1時開演の30分前には座席確保してしばし休憩。
約40分ほどのステージは、出演者は皆とても楽しそうに歌っておられたのが印象的でした。


難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

この歌は『古今和歌集』の序文の中で紹介されている古い歌です。
手習いの最初の手本としてこの歌が用いられたと紹介されています。
実際、万葉仮名で「難波津に咲くやこの花」の歌を書いた木簡も出土しています。

咲くやこの花館、いい命名ですよね~

難波宮を歩いてみよう

2011-02-12 | 古代史のミステリー
大阪歴史博物館では、無料の遺跡探訪があります。
学芸員やボランティアの方々が、地下に残る遺構展示などを案内してくれます。
11時~16時までのジャストタイム出発で、20分程度。
15時のみ40分かけて南側の史跡公園へも案内してもらえるようです。

出発時間の30分前から先着40名まで、博物館1階で申し込みます。


博物館とNHKの敷地には5世紀の大型倉庫群や、
大化の改新後、孝徳天皇が造営した難波長柄豊崎宮などの遺跡が発掘されています。


説明を受けなかったら見逃してしまいそうになる柱のあと。
タイル張りの床は柱のあとを色を変えて表示されています。


地下に案内されると、光を灯した白い行灯が柱の変わりに立てられています。

古墳時代中期の倉庫群は16棟以上あり、1棟の床面積90㎡以上。
整然と並び、すぐれた技術と設計技法で建てられていて、巨大古墳を築いた河内王朝によって造られたものとみられるそうです。



  

12時から20分間の案内の後、特別展「発掘された日本列島2010」を見学。
日本国内20遺跡の近年の出土品が全国を巡回公開され、大阪が最後だったようです。

去年ある事柄を検索している時に、この特別展を知り、大阪にきたら見に行こうと楽しみにしていました。
運よく招待券もらえて、ルンルン気分で閲覧させてもらいました。

そしてこの特別展の半券があると、記念講演会も聴講できたのでした。


2時開演で『古墳出現前後の河内と大和』で二題講演
①纒向遺跡-発掘調査の歩みと最新の成果
  講師: 橋本輝彦氏(桜井市教育委員会)
②加美・久宝寺遺跡の最新成果と邪馬台国問題
  講師: 田中清美氏(大阪市博物館協会大阪文化財研究所)

雪で空いてるかと思ったら大間違い。
ものすごい人でした。
定員250名を大幅に超えて、プロジェクター視聴する別室を用意されたぐらいでした。
衣食足りてこその講演会視聴、
まだまだ日本は豊かなんだとつくづく実感した建国記念日でした。

大阪歴史博物館10周年

2011-02-11 | 世情雑感
建国記念日やし建国に思いをはせるのもいいかなと、
初めて大阪歴史博物館へ行ってきました。

地下鉄谷町線谷町4丁目で降りて9番出口から地上に出ると
11時40分、まだ雪が降っていました。


目の前に大阪歴史博物館とNHKの建物がド~ンと見えます。


反対側の大阪城側から見ると


左端の建物が大阪歴史博物館です。
大阪市立体育館を壊してNHKのビルを建てるまでの間に堀りおこして
古代の難波宮や古墳時代の大型倉庫群跡を確認出来たそうです。

角のガラス窓から大阪城が眺められます。
しかし直角のガラスが互いに反射して眺望はイマイチ。

設計者はここまで想像つかなかったんだろうな。

帰りに大阪府庁や大手前高校の前を通り天満橋まで歩きました。
すでに雪はやんで大阪城天守閣がきれいに見えました。


今日とてもラッキーだったことは、
出かける前に場所確認のためネット検索してました。
するとちょうど大阪歴史博物館が10周年で、
インターネット限定アンケートを2月9日より実施しているのを発見。

アンケートをダウンロードして郵送するか持参すると、
先着200名様に、特別展「発掘された日本列島2010」(2月28日まで開催中)のご招待券(2枚)をプレゼント。