秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

断捨離の現実

2011-05-31 | 世情雑感
2週間前の日曜日5/15にTV番組「ソロモン流」に断捨離の著者
やましたひでこさんが出演されていた。

実際に作者の家がすか~んと片付いているのを見てすごいわぁの連発だった。
台所用品を収納する引き出し一番上に、おたまや茶漉しなどの調理器具5個程度だけが並んでいるのが写されたときはたまげた。

どこのお家もたぶん台所の引き出しって物があふれてます。
山下さんちはお箸だって、スプーンだって家族人数分だけ。
余分なものは一切持たない、を徹底されてます。
素敵なカップ&ソーサーは飾って年月が流れるのではなく、普段にじゃんじゃん使うと。

実際この番組をご覧になられて、早速翌日不用品を持ってこられたお客さんがいた。
この番組の話で盛り上がりました。
あそこまで徹底できないのが庶民のうちらですよね~って。

この2週間、気温が定まってきたこともあり、大震災もあり、
例年より洋服や食器のとかの持込がとても多くて裁ききれないぐらい。



昨年流行語大賞にもノミネートされた新片づけ術「断捨離」
提唱者の山下さんは長年ヨガを行っておられます。

大学時代に入門したヨガ道場で「断行.捨行.離行」というヨガの行法哲学に感化されたと話されていた。

私も毎週火曜日はパワーヨガのレッスン日です。
このレッスンの中でポーズをとるとき、過去・未来にひきづられるのではなく
現在ただ今に重心を持ってくるようにしましょう、とよく注意されます。



過去の思い出や縛りから捨てきれない
まだ来ぬ未来の不安から予備で備えたくなる
そしてものがあふれる今を見たくないため逃避して家にいない

この3つが「断捨離」を阻む3大要素らしい。

ものが使えるか否かではなく、
自分が今使うか使わないかを判断基準にふるいにかけるのが「断捨離」ですって。

主役は、ものではなく自分! 時間軸は今!

ダイレクトメールもあっという間にたまるものです。
近所の友人は玄関のポストで郵便物を手に取ったら、部屋に持ち込む前に要不要を判断し処分すると言ってました。

今を快適に生きるために、
自分で管理できないものはバサッと処分する勇気も必要ですが、
また今度ではダメですよ~

キルトの世界

2011-05-30 | 日々是好日
アズキさんが大阪キルトウィーク2011のバッグコンテストで優秀賞をもらわれました。

南港にあるATCホールが会場です。


26(木)から28(土)の最終日の終了間際でしたが、大勢の方がご覧になってました。



アズキさんの作品はちょっと毛色が異なります。
愛犬ボストンテリアが図案、キレイな色彩で洗練されてます。
 
キャッシー中島さんもパッチワークを始められて39年だそうで
それを記念してサンキューキルトという大作を発表しておられました。

作品の撮影は禁止です。

一般の出品者の作品は撮影OK。

アメリカとかヨーロッパでは、古い布や端切れを大事に取っておいたものを繋げてパッチワークに。
それらをベッドカバーなどにして実用していたことでしょう。
そしてそれがいつの間にか作品となり、芸術品となり…

日本人は手先が器用だといわれますが、
こうしたキルトを趣味にされてる方が多いのに驚かされます。

畳1枚より大きいタペストリー。
なかなか家に掛けるスペースはない。
もちろんどなたかに差し上げることはあるかもしれません。

時間と材料費のかかった大作を、そう易々と実用品とするのも忍びないことでしょう。
となると作品は畳んでクローゼットや押入れへ、となる方が多いそうです。




今回会場となったATC(アジア太平洋トレードセンター)はベイエリアにあります。

トレードセンターの駅を挟んで向かいに大阪府咲洲庁舎があります。

作るときはいいけど、後の活用が難しいのかも、ね。

できた!よもぎローション

2011-05-28 | 日々是好日
エチルアルコールは純度の高いもの、一番高値は1480円だった。
わぁ~高! ランク一つ下の1180円のものを購入。
ミネラルウォーターでもいいらしいけど精製水500ml89円と予想より安かったので買ってきた。
グリセリンは以前TMさんに化粧水の作り方を聞いて作ったときのもの
使用期限が今年2011年10月だったので、これを利用することにした。

土鍋に精製水500mlを入れて沸騰したらヨモギをいれる。
3日間ほど乾燥させたヨモギをどれぐらい入れるのか分からなかった。
とても摘んできた全部を入れるのは無理だったので、約半分程度。
重さは量っていない。

煎じて水の量が半分まで煮出す、らしい。
しかしヨモギで水量が見えないので、適当なところで火を止めた。

茶漉しで広口瓶に移してから、撮影するのを忘れていたことに気づいた。



この煮だし液にどれぐらいエチルアルコールとグリセリンを混ぜるか。
検索したページによってその数値はいろいろだった。
どちらか一方しか入れないのもあったし。

ということは好みで適当でいいんだと勝手に解釈することにした。
だいたいエチルアルコールを100ml程度。
保湿用のグリセリンは粘りがあってポトポトっとしかでないので、
どれぐらいでたか不明だけれど10mlも無いと思う。

精製水がもともと入ってたポリ容器が500ml入りなので、
エチルアルコールとグリンセリンを入れて、おおよそ計測とした。
そこへ荒熱が取れたヨモギの煮出し液を入れ振りまぜる。

アトマイザーや小瓶などに入れ替えて冷蔵庫に保管。


で、使った感想はというと、う~ん、。。。
私的にはエチルアルコールを入れすぎたと思う。
そのためつんとくる匂いがまずイヤ。
そして肌につけたときの感じは、
腕ならなんともないけど顔だとエチルアルコールの刺すような刺激がある。
しかし顔が赤くなることはないので、そんままがまん。
しばらくすると肌になじみ、時間が経過するとすべすべしてます。

まだヨモギが半分残ってるので、もう一度煮だし液つくりエチルアルコール分量を薄めたいと思います。

ちなみに残った乾燥ヨモギにお湯を注いでヨモギ茶を試してみた。
カモミールティーのような匂いと味わいだった。

なにごとのおはしますかはしらねども

2011-05-26 | 古代史のミステリー
眞名井神社、狛犬ならぬ狛龍が睨みをきかせる第2の鳥居
階段左手上のほうに、白い藤の花が咲いていてとても清冽な美しさがありました。

ものすごく心に留まったのに、なぜか撮影しそびれた。
白藤はどこで見るのよりも印象的だったのに…
画像検索したけれど見つかりません。


イメージ画像を探してきました。


真名井神社の秘伝に
「豊受大神の顔は藤の花、みたまは天の真名井の水」とあるそうです。

「真名井」とは「神聖な水の出る井戸」のことをいうようです。
古事記や日本書紀に「天の真名井」(あめのまない)という言葉があって、
それは高天原の神聖な井戸を意味し、清水につけられる最高敬称であると記されています。

最初から豊受大神がいた場所がここだとされています。
雄略天皇22年(478年)に伊勢に遷され、それが現在の伊勢神宮外宮。

祭神の豊受大神のまたの名を、天御中主神・国常立尊・倉稲魂命(稲荷大神)ともいうそうで、重層的な神の歴史があったことを窺わせます。

しかし「豊受大神の顔は藤の花」という秘伝は、なんとなく女神を指し示しているように思えます。



奈良の大神神社のように、拝殿だけで後に神体山があります。
小さな拝殿の後ろに磐座(いわくら)がいくつかあります。


拝殿後ろに鳥居が対等に並んでいます。

右側は「磐座主座(上宮)」で天御中主大神(豊受大神)の磐座


左側の岩石は「磐座西座」天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神の磐座、
別称で「鶺鴒石」「子種石」「日之小宮」ともいい、
天照大神出生の地であるとも伝えられています。


さらに奥には、大綿津見神の磐座


鳥居右上にぼんやり白い光の玉は、玉響(たまゆら)のように見えます。

右手の石碑には大きく鹽土老翁、その下に(大綿津見神)
左右に(亦名豊受大神)(亦名住吉同体)と書かれてます。

これって、名前は違えど同体だということ、ですよね?
え~そうなん?


「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
平安時代末期に、伊勢神宮を参宮した西行法師が詠んだ歌です。

ここ真名井でも
「なにごとのおはしますかはしらねども かたじけなさに」でした。



神社入り口の社名の石板

以前はダビデの星といわれる六芒星の紋だったそうですが
現在は三つ巴の紋に変えられたそうです。



ちょっと関係ないけど、5月25日のアクセス閲覧数:1,111PV
1が4つ並んだぞろ目です。
今年1月にオランダへ旅立つ前にも
たまたま携帯待ち受け画面の時計表示
2011.1.11 11:11 と1が9つも並んだのでした。
何か意味があるのでしょうか。

天の真名井の水と波せき地蔵さん

2011-05-25 | 古代史のミステリー
籠神社へお参りしたら、裏にある奥宮である真名井神社へ行かないと意味ないとネットでかつて読んだことがありました。

籠神社でのおまいりそこそこに、裏ってどこと探しました。
裏鳥居からでると大きな立看板が


ちょっと分かりにくい看板ですが、たぶん裏手を進むということ?
神社の裏には民家が建ち並び細い道がありました。
そこを百メートルは歩いた。


第1鳥居はありましたけど、どこに神社があるの?
もし一人で出かけてたら不安になって引き返したかも。

坂道を登り小さな山に入り少し山道を登ります。
右手に天橋立ユースホステルがありました。
  



左に眞名井神社、右には匏宮大神宮

「匏」なんて読むんだろう…

裏面には瓢箪の模様の中に「匏訓吉佐瓢也」と書いてあります。
「匏」は「吉佐」と訓む 瓢の也

籠神社で100円でわけていただいたしおりには、
「彦火明命が丹後の地に降臨され、眞名井神社原初の神、豊受大神をお祀りされた。天ノヨサヅヲ(ひょうたんのほめ言葉)に天の真名井の御神水を入れてお供えされたので、この宮をヨサの宮「吉佐宮」と云う」

彦火明命って誰?とか、丹波王国の歴史の興味ある方は→彦火火出見尊と彦火明命
ひとつ前のページに若狭国府 遠敷の里コース(福井県小浜市)について書かれてあり、
東大寺二月堂のお水取りにつながりびっくりしました。



数段の階段を上がり、眞名井神社の石柱の後ろにお地蔵様がおられます。
波せき地蔵さんだそうです。


立て札にはこう書かれてあります。
「昔大宝年間(約1300年程以前)に大地震の大津波が押し寄せたのを、
ここで切り返したと伝えられ、以後天災地変から守る霊験と子育て、病気よけの妙徳も聞こえる、
又、日本の原点真名井の神へのお取次もされると云うあらたかなお地蔵さんである。

二千五百年(ふたちいほ)鎮まる神の神はかり
百(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく

平成八年八月八日」

大宝元年(701)大地震の十丈の大津波をここでせき止めたと言い伝えです。
古文書では、丹波大震災の時若狭湾の沖合いにある冠島や沓島が当時は一つの島であったが、この時島が沈んで高い山の二つが残ったという言い伝えが残っているそうで。

最後の部分、
「二千五百年(ふたちいほ)鎮まる神の神はかり
百(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく」
不思議ですね~
どういう意味なんだろう… 

続く

ヨモギローションを作ってみよう

2011-05-25 | 日々是好日
以前アトピーなどアレルギーある人にヨモギローションが効くと聞いたことがあった。
作り方はきっとネットで調べられるだろうと
田植えそっちのけでヨモギ新芽を摘んできた。

あぜや土手にいっぱいありました。
おっちゃん達も手伝ってくれたので、ビニール袋2袋。


家に帰って何度も洗ってざる2つに載せて陰干し。
二日が過ぎて、今朝のヨモギの状態は↓


ネット検索したら、超簡単でした。

準備する物
1 精製水か市販のミネラルウォーター 500cc
2 土鍋(金物では化学変化を起こす恐れ有り)
3 材料: よもぎ シソ ユキノシタを3日ほど陰干しにしたもの
4 エタノールとグリセリン(各90cc)

作り方
1 土鍋の中に精製水を入れて沸騰させる。
2 土鍋の中に材料を入れ、弱火でお湯の量が半分になるまで煎じる。
3 お湯が半分になったら、材料を直ぐに廃棄する。
4 煎じた液を茶こしでこしてから、エタノールとグリセリンを加える

*追記5月30日
実際に作った感想等は5月28日の記事に書きましたが、
以上のレシピの調合するエタノールとグリセリンについて多いように思います。
他のサイトもお調べいただくことをお勧めします。

天橋立三社参り

2011-05-24 | おでかけ・近畿
陸奥の松島、安芸の宮島と並び日本三景の一つ天橋立は、
長さ3.3キロメートルの砂嘴(さし)です。

天橋立観光協会のサイトに、天橋立三社参り というページがあります。

今はやりのパワースポットは、
「神の代に 神の通ひし跡なれや 雲居に続く天の橋立」
と歌に残される古よりの聖地でした。



丹後半島の伊根町新井にある棚田応援団の会員で、田植えや稲刈り行事にお招きいただいてます。
多数乗りあわせの車で出かけるので、いつも籠神社鳥居前を通っても
ちょっと寄ってもらえませんかとは言えなかったのでした。

今回、やっとチャンスがめぐってきました。
かご神社行きたいんですけど…
籠神社の「籠」を「この」とよむことを、訪れて初めて知りました。
今までネットなどで神社名を見ることはあっても
口に出してどなたかに言うことはなかったから。
実際に訪れるということは、見ると聞くでは大違いをここでも再確認した。


5月22日はたまたま安倍信三晋三衆議院議員が
宮津青年会議所の京都ブロック会員大会に出席されるとか。
(2023/5/28 16:05
安倍晋三さんのお名前間違えてアップしてたのに気づき訂正、 だから検索ヒットしなかったんですね)


夕方5時から籠神社で風土祭(フードフェスタ)という懇親会の準備に大わらわだった。



天橋立三社参りによると、
パワースポット1 天橋立神社
天橋立の砂嘴一番広い場所に、文殊堂の鎮守社として建てられたと伝えられています。
数年前に大枝神社奉賛会・蟹食べツアーの帰路お参りしたような。
2004年10月の台風23号で大きな被害が出た後がまだの残ってたのが記憶に残ってます。
200本ばかりの松が倒れ、5000トンの砂が流出し、幅が3分の2まで減少したそうだ。

パワースポット2 元伊勢籠神社
天橋立北端に鎮座し、天橋立はもともと籠神社の参道として発祥したもの
古来より天と地、神と人とを結ぶ架け橋として信じられていた。

天に住んでいた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が地上に降りるために造ったはしごが倒れてできたのが天橋立で、
「天浮橋(あめのうきはし)」
天に帰れなくなった両神が祀られています。



元伊勢とは伊勢神宮のルーツ
崇神天皇の時代に、天照大神は奈良県桜井市にある倭(やまと)の国笠縫邑(かさぬいのむら)を出られて、ほぼ4年に一回とどまる場所を変えながら、50年後天武時代に現在の伊勢神宮にお鎮まりになりました。
それまでの巡幸された地を元伊勢といいます。

現在の宮司さんは82代目、宮司家の系図 「海部氏本系図」、「海部氏勘注系図」は国宝。
平安時代には山陰道一の宮と呼ばれ、高い社格と由緒を誇っています。

パワースポット3 眞名井神社
知る人ぞ知る日本最古のパワースポットだそうです。
じっくり見てきましたので、次回に詳しく。

「何時よりか天浮橋中絶えて神と人とは遠ざかりけむ」

宮津与謝道路

2011-05-23 | おでかけ・近畿
今年3月12日に開通したばかりで、古いカーナビに道は表示されない。
まっ白な画面の中を→だけがまっすぐに動く。
知らない道でこういう状況ってとても不安です。

ましてトンネルの中、対向車線から車も来ない。
まるで冥界への道を進んでいるようで、ちょっと不気味でした。


舞鶴若狭自動車道を綾部JCTで宮津方面へ、
京都縦貫自動車は、かつての終点宮津天橋立ICから与謝天橋立へ6.4kmが延伸開通してました。
ちょうどあの東北の大震災の翌日3/12です。
折りしも九州新幹線が全線開通したその日にこの線も繋がってました。

ところが宮津天橋立ICでゲートを通過してからの分岐表示が分かりにくい。
与謝天橋立へ向かうつもりが出口へ行ってしまったか?

不可解なまま少し行くとすぐにトンネルに入る。


地蔵トンネルという名前で3660mと京都で最長トンネルですって。
そして最初の画像です。
車中のもの、みな不安でした。

無事に与謝天橋立ICで降りれて、
この新区間は無料だったことを知り、二重にホッ。

帰りもこの与謝天橋立ICから入るつもりだったのに、
どこで間違えたのか入口がわからず、宮津天橋立ICまで行ってしまった。

なんか奇妙な道路です。

田植え@丹後半島

2011-05-22 | おでかけ・近畿
丹後半島与謝野郡伊根町へ田植えに行ってきました。
舞鶴若狭自動車道の西紀SAを過ぎてトンネルでたら、
前がちゃんと見えないほど土砂降りだった。


午前10時、新井(にい)の棚田に着くと雨は上がってた。
今日は中止になるかというほど、こちらも早朝は大雨だったそうだ。
晴れるとお日様が水田に反射して日焼けするから、曇りで田植え日和だった。


中学生らしい女の子達もきゃぁきゃぁ大騒ぎ。
裸足で田んぼに入るとメッチャ気持ち悪いからね。

BBQの食事後、彼女達は衣装なおし。
なんとKホップでヒップダンスを披露してくれた。


まさか田植えに来て、こんなに色っぽいガールズを見れるとは思いもしなかった。

東大寺修二会の青衣女人

2011-05-21 | 古代史のミステリー
お水取りは法会の中の一つの行にすぎず、意外とその全貌は知られていない。
もちろん私は全く知らなかった(これまで興味もなかった)。

ちなみに東大寺は華厳宗の総本山です。
華厳宗がどういったものかもよく存じませんが、
お水取りは今回調べてびっくりするほどすごい法会でした。

大仏開眼の開眼師、菩提僊那はインド僧で、
実忠もペルシャ人またはインド人ではないかと言われています。
「お水取り」の行は、類似の行事が中国や朝鮮にはないそうです。
若狭から奈良まで水を送るという発想は、イラン地方のカナートというインフラが起源という説もあります。

二月堂の修二会について、検索すればいろんなサイトで詳しく述べられていますが、
せっかく調べたので、かいつまんで記録しておきます。


修二会(しゅにえ)の正しい名称は、十一面悔過(けか)の法会といいます。
元々は旧暦の2月1日から行われたので「二月に修する法会」が「修二会」に。
752年から一度も絶えることなく毎年続けられ、今年2011年でたぶん1260回。

十一面悔過の、悔過とは懺悔。
雨乞いや病気平癒のための呪的な法会であった悔過会は
正月には、旧年の罪障を仏に懺悔し、新年の除災招福・豊穣安穏を祈願する法会となる。

この天下泰平・五穀豊穣・万民快楽を願って懺悔を勤める行は、
他に南都の名刹である薬師寺・興福寺・法隆寺はじめ全国あちこちで執り行われます。
ただこの東大寺が最も著名にして最も厳密な悔過会であり続けています。


修二会が創始されたはずの大仏開眼の年には、現二月堂が建つ所に建物はなく井戸一つだけがあったそうです。
聖武天皇は749年に譲位され太上帝となり、
光明皇后は皇太后になられ、その紫微中台に「十一面観音悔過所」があった。
そこで最初期の「十一面観音悔過行」が行なわれたようで、
悔過には光明皇太后の公私に渡る情念が深く塗り込められていたのです。


修二会の行では、本行に先立ち「大中臣祓」が行われ、
連行衆は各人が御幣を持ちそのつど自らを祓い清める、神仏習合です。

悔過作法は「五体投地」と聞くと驚く。
これってチベットとかの映像でみたことある。
平衆が交代で勤める時導師を中心に、旧年の罪障を悔過懺悔するが、        
「一称一礼」という声明ごとに「五体投地」で体を投げ出す礼拝を行なうそうだ。

呪禁作法は、「咒師」が内陣に何重にも結界をはり悪魔悪霊の侵入を防ぐ。
それを担うのは、注連縄(〆め縄)なんだそうだ。
 
   準備された注連縄


二月堂周辺にはられた結界の注連縄

大導師が新年の安穏豊楽を祈り、「神名帳」や「過去帳」の読誦を行なう。
二月堂鎮守の三社(興成社、飯道社、遠敷社)の守護神ばかりではなく、
日本全国から一万四千余所の神々が勧請されて「神名帳」読誦は毎夜行われます。


華厳宗の総本山・二月堂修二会の行は、仏教法会でありながら奇妙な作法がいっぱい。
最も有名なものが「若水汲み」は日本の正月行事「お水取り」です。

   
達陀」妙法というのは、読み方も「だったん」なんて韃靼人みたいです。
「咒師」の鈴と叫びを合図に、火天役が達陀松明を所狭しと振り回し、内陣を火の海とする。
実際、火事となり二月堂を焼失したこともあるそうです
これに応えて、水天役が香水を振りまく
この達陀妙法は十四日の結願まで続けられ、「火と水の祭り」と言われる所以です。



  

1日6回の行を14日間くり返し、上七日(前半7日間)の本尊は十一面観音
下七日(後半7日間)での本尊も十一面観音だが「小観音」と通称される別本尊で、どちらも秘仏です。
小観音は、補陀落山から難波津に流れ着いた仏といわれ、
常世から寄り来る神(マレビト)としての仏。

以上の上下各七日の中に、
「過去帳」の読誦、「走り」行堂と「香水」まき、「若水汲み」(お水取り)、「達陀」(だったん)妙法などがあります。


過去帳」とは、東大寺の有縁者が聖武天皇や源頼朝から無名の下々まで、
現在の今上天皇や現首相まで含まれる方々のお名前を読み上げられます。

ここで怖いエピソードが残されています。

鎌倉時代の修二会の最中、集慶という僧侶が過去帳を読み上げていると、
眼の前に青い衣の女性が音も無く現れて、
「私の名を読み落とした」

困った集慶はとっさに「青衣(しょうえ)の女人」と読み上げると、満足げに消えていった。

女人結界の内陣に女人が現れるわけがないのです。
しかしそれ以降、過去帳には「青衣の女人」の名が記され、
現在でも声を落として低く読み上げられるのだそうです。

  

東大寺修二会のお水取りって、小浜から

2011-05-20 | 古代史のミステリー
2日前に、じゅんじゅんさんからお尋ねがありました。

「今では東大寺自身が、修二会におけるゾロアスター教の影響を認めているという。」
これは何らかの根拠がある話でしょうか?
何時そのように東大寺が認めたのですか?

元の記事は→仏教と思いこんでたけれど 2009-4-16

2年前に使っていたPCは去年秋に壊れてしまった。
そのため検索したサイトをお気に入りにしてたり、
テキストフリーソフトのメモ帳に、コピペで貼り付けたデータなどが残っていない。

どこかのキリスト教会の司教さんのWebサイトだったような気もした。
そこで大文字五山送り火のことも書いてあったような…

あるいは空海は東大寺の別当であった時期もあるので、
その縁から東寺の関係者が語ったと書いてあったのを見たような…

かすかな記憶で「東大寺 修二会 ゾロアスター教」で検索したけれど見つけられなかった。

以下は昨夜の検索で見つけたページです。

お水取り行事とゾロアスター教 2009-3-9
私が記事にしたのが2009年4月でそれより約1ヶ月前のもののようですが、
今回ヒットしてよんだもので以前は知りませんでした。
伊藤 義教 著 「ペルシア文化渡来考」についても触れられてます。
京都大学名誉教授だったイラン学者さんです。

日本画家ユネスコ親善大使平山郁夫氏

火と水のさきわう国

司馬遼太郎 街道をゆく24 近江散歩・奈良散歩
最後の方に修二会(しゅにえ)について詳しく書かれてあります。
他の検索では知りえないことがたくさんあり興味深かったです。
 
  

関西では暑さ寒さも彼岸まで、お水取りすむまでは云々と言われます。
東大寺二月堂の修二会の映像は毎年テレビニュースで見ます。
お水取りと言ってるのに、水を触っているシーンは見たことなくて、
お松明(たいまつ)が赤々と燃えるシーンばかりが写されます。

これって火の祭り?
お水取りとはこれいかに、今更ながら気がつきました。

この法会は本来女人禁止だそうですが、最近は観光的に外から眺める人が急増しているが女性が多いらしい。
これすらも見たことがないのです。
エライ人ごみで暗くなるまえから場所取りして、待機してる間はトイレ行くのも大変と聞いているからです。

福井県小浜市に「鵜の瀬」というところがあります。
東大寺建立に尽力した僧侶の良弁さんがこちらの出身だとか。
この良弁さん、どこかで聞いたことがあると思ったら、
石山寺でした
2010-11-28 石山寺の如意輪観音と比良明神

東大寺二月堂の「若狭井」という井戸まで秘密の地下水脈を通って、流れ着くとのいわれがあるのだそうです。 
その若返りの霊泉と呼ばれる「鵜の瀬」の霊水を、
二月堂の本尊「十一面観音」に備える霊水としてお水取りがなされています。

遠敷川(おにゅうかわ)の鵜の瀬ほとりに鵜のお堂があるそうだ。
若狭彦、若狭姫の神が祀られていて、
この二神を、白石明神、または遠敷明神(おにゅうみょうじん)と呼ぶ。

良弁さんは東大寺創建にあたり、弟子の実忠を用いた。
実忠が十一面悔過法要中に、全国の神の名前を唱えて勧請した時に、遠敷明神の神だけが遠敷川で釣りしていて遅れてしまった。
そのお詫びに、毎年「お水取り」の際に必ず遠敷川からお水を送るという約束をしたといういわれがあるのだそうです。

『石山寺縁起』でも、比良明神は石の上で釣りをしていた…


白石明神、遠敷明神、比良明神、
新羅と関係の深い、新羅由来の神であるらしい。
新羅は中央アジアとはシルクロードの道の経由でもあり、
特別ペルシャと関係が深かったようで、ローマギリシャ時代の出土品もでているそうだ。

この部分は、レイラインの秘密より

お水取り(修二会)の正しい名称は、十一面悔過(けか)の法会
一般人がしるメインイベントお水取りやお松明の他にもいろいろあります。
知れば知るほどすごいなぁと思いました。

修二会の最中に過去帳を延々と読み上げる、というのがあるそうです。
長くなるので、次回に続きます。   

お気に入りのナッツ

2011-05-19 | 日々是好日
数年前から買い置きを切らすことがないミックスナッツです。
小分けにされてるからあっという間に3袋ぐらい食べてしまいます。

ポリポリと歯ごたえよく食べれます。
食べきりサイズなので湿気ることもない。
カシューナッツ、アーモンド、くるみ、ピーナッツなどの組み合わせもちょうどよい。
ナッツ好きならきっとどなたも気に入ると思います。

先日エンドウ豆を煮てくれたご近所さんとこのミックスナッツを物々交換した。
めっちゃ気に入ってその後3袋も買ってしまったと言ってました。

近くでは、スーパー西友で258円。
なぜか他のスーパーには置いてない。
明日は西友5%引きの日なので買いだめ行ってきます。

大犯土って何?

2011-05-17 | ギズモ&もぐ&メルキー
ギズモの毛はふさふさです。
これからの暑い季節を乗り切るために、近いうちに羊のように毛刈りする予定です。

毛が長いと、自分でぺろぺろ舐めて毛づくろいして、舐め取った長い毛は胃に毛玉としてたまります。
それを吐くために、猫草で草はみをさせます。

ここしばらく猫草を切らしていて、スーパーどこにでも売ってないし。
観葉植物のスパティフィラムの葉をかじって代用してました。


昨日やっと買い物途中で思い出して、ペットショップで種を買ってきました。
そして早速ベランダのプランターに植えました。



5月15日の暦を見てると、「大犯土」って書いてありました。
「おおつち」とよむらしいが、
どうやらこの期間に土を触るのはやばいらしい。
何でも知らぬが仏です。

犯土とは、陰陽道で、土公人(どくじん)の居る方角の土木工事や畑仕事を忌むこと、またはその期間をいう、そうだ。

十二支十干を組み合わせて60通りの組み合わせができて、
年に割りふった年が一廻りすればいわゆる還暦です。
これが日にもあります。
庚午(かのえうま)から甲申(きのえさる)までの15日間で、
はじめの7日間を大犯土、間日があり、後半を小犯土といいます。

今年5月は、15~21が大犯土、23~29が小犯土にあたります。
60日周期だからほぼ2ヶ月に一度めぐってくるということです。

林業関係者などには「つち表」というのがあり、木の伐採などはこの暦に従っているとか。
もともとは宮大工さんの間で伝えられていたそうで、
マレーシアの方が見学に来られた時に話したら「こちらでもそういったことが伝えられている」と書かれてありました。

「新月時」に伐採された木材と、「満月時」に伐採されたものとでは、細胞の中の水分・デンプンの含有量に違いがあるとか。
木に水分とかが多いと腐りやすいとか科学的根拠もあるのかも。

おりしも今日は満月で大潮の日。
東北地方で地面が沈んだ地方はまた大変な時期です。

5・15 ってこんな日

2011-05-15 | 世情雑感
今日は日曜だというのに、ちょっとやぶ用があって朝6時半に起床。
いいお天気で行楽日和です。
とりあえず洗濯中で、ベランダに居た5月15日の猫達を撮影しました。

515って言えば大阪では蓬莱のブタマンです。
*ホントは551、マンデーさんのコメントで気づきました。
朝から515で連想したのでいつの間にか551が515にすり替わってました。



歴史的に5・15といえば、
1932年5月15日 犬養毅総理大臣が襲撃、殺害されました。

他に有名な5月15日といえば京都の葵祭り

賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭で5月15日に行われ、京都三大祭のひとつです。
約1400年前の欽明天皇の567年、国内は風雨がはげしく五穀が実らなかった。
これは賀茂の神々の祟りであるというので4月の吉日に祭礼を行うことになったのが始まりだそうです。
819年には、朝廷の律令制度として最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行う、国家的行事になりました。
応仁の乱の後江戸時代まで、明治維新後や第2次世界大戦後もしばらく中止のときはありましたが、それでも綿々と受け継がれています。



他に有名な5月15日は
1940年 マクドナルドの最初の店カリフォルニア州でオープン
1957年 イギリスが初めて水爆実験を実施
1972年 アメリカから沖縄が返還される
1988年 ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻:8年間に渡る戦闘の末、ソ連軍が撤退を開始
1993年 Jリーグがヴェルディ川崎対横浜マリノス戦で開幕

水爆と原爆は違っても、まぁ同じ範疇に入るでしょう。
日本は今まさにその危機の真っ只中にいます。
すでに2ヶ月経過して、何一つ解決するどころが事態は深刻です。
福井県の日本原電敦賀原発2号機も放射能漏れ起してたそうで。
トラブル続きの「もんじゅ」は611に作業すると言う噂もあってこれも心配。

沖縄返還って1972年5月15日だったのですね。
40年にもなるのに、何一つ片付いていなかった…

アメリカのアフガニスタン紛争、ソ連のアフガン侵攻、その前のイギリスのアングロ・アフガン戦争。
なんでアフガニスタンを舞台に次々と戦争が起こるのでしょう。


 

クシャン朝時代の三尊仏像が出土したファヤズ・テパ遺跡より
少し南の北アフガニスタンにティリヤ・テペはあります。
1世紀のクシャン朝初期か大月氏の墓と見られています。

このティリヤ・テペ6号墓出土の歩揺冠↓


これって、藤ノ木古墳・金銅製冠↓とてもよく似ています。



去年アフガニスタンで紀元前の仏教遺跡が見つかり、仏像や祭具が出土したそうだ。
地下には大型の寺院や塔の遺構があるらしい。

アフガンといえばタリバンに爆破されたバーミヤン大仏が有名です。
バーミヤンはカブールの西方、新発見の遺跡は南方のアイナク銅山にあります。

アイナク銅山の埋蔵量は世界第2位だといわれ、かつてソ連が開発していたがアフガン戦争後に撤退。
廃虚はアルカイダが訓練基地にしていた。

これに中国が目をつけ、2年前に中冶集団(中国冶金科工集団)がカルザイ政権から採掘権を手に入れた。
中冶集団が重機を運び込み掘削を始めたら、いきなり仏様が出現。
アイナクはかつて銅像の制作が盛んだったという伝承があったそうだ。

中国の新疆とアフガンとは「ワハン回廊」で結ばれています。
狭く長く険しい渓谷でパミール高原で屈指の戦略要地です。
アイナクの銅を中国新疆ウイグル自治区に運ぶ鉄道の建設プロジェクトが着々と進んでいるそうだ。
そこに鉄道が通れば、アフガン経済に明るい展望が生まれる。
そしてアフガンは中国にがっちりと組み込まれる。。。