一昨日
ヘアメイクぽみえさんとこへカットと毛染め行きました。
ぽみえさんは去年夏に竹生島いったよと話がはずみました。
彼女はスピリチュアリストなので琵琶湖の湖中に青い龍を感じたと言ってました。
気脈が通じると湖の色がかわったそうです。
トップ画像はパナソニックの古いデジカメ撮影で、
アイフォンで撮影したものは
クリックで拡大します
同じときに撮影してもレンズによって色が変わるから、
人間の目もフィルター次第で異なって当然ですね。
島の南側の龍神拝所を船からみると
現在修理工事中のため白い養生布で覆われていて、
四角い窓から「かわらけ(素焼きの小皿)投げ」でお願いごとができます。
2枚のかわらけに、1枚目に名前、2枚目に願いことを書きます。
鳥居向かって投げて、うまく鳥居の間を通過すれば聞き届けられるそうだ。
風が強かったにもかかわらず、1枚目無事通過。
しかし2枚目は風に流されてあさっての方向へ。
龍神さんは、名前はちゃんと聞いたけど、何の御用かわからんかったことでしょう。
かわらけ授与所の右側に、招福弁才天
(日本本五弁天/安芸の厳島・大和の天川・近江の竹生島・相模の江ノ島・陸前の黄金山のひとつ)
弁才天のお使いである白蛇を祀った白巳大神社がありました。
狛犬ならぬみ~さんの狛巳阿吽像はちょっと不気味です。
さらに進むと、黒龍を祀る神社
右側の太い木をつたい湖から龍神さんが昇ってこられたという言い伝えがあるそうです。
先の宝厳寺の記事でコメントしてくださった吉田一気さんは、
この黒龍さんに鳥居脇の瑞祥水を所望され、
もう少しで帰路の船に乗り遅れるところだったとのこと。
私も帰りの船を待つ間に、200ccほどためるのにずいぶん時間がかかりました。
DIVAさんからいただいたコメントには
都久夫須麻神社で奉納演奏をさせて頂いたことがあり、お陽さまのまわりに虹の輪ができて「日輪」になりました。
大自然に連動して、共演の方々のより良き思いや、奉納を観賞するお客様の心が合わさると、こんな現象が現れるのかなと、いまだにあの時の景色が鮮やかによみがえります。
都久夫須麻神社の社殿は写真撮影禁止と書かれてあったので1枚も画像残ってません。
竹生島の一連の記事、3回目にしてやっと気づいたことあります。
これまで、ちくぶじまと入力すると「築無事間」と表記されるので
竹島と書いてあいだに生きるを挿入するか、竹生島をコピペしてました。
いやさかの木さんへのコメント返しにも書きました。
最後の記事書くときにになって、やっと「ちくぶしま」と認識。
するとちゃんと竹生島と変換できるのでした。
竹生島は「ちくぶしま」で、島は「しま」と濁らない。
去年のNHK大河ドラマはお江は浅井家の三姉妹、
その浅井氏は、あさいではなくてあざいとよむそうだ。
地名としての浅井(あざい)は、この浅井家に由来するのかと思いがちだけれど、逆だった。
浅井という地域名は律令制の時代からあり、以前は浅井郡と言われた。
東西に分かれ東浅井郡と西浅井郡となり、西浅井郡は伊香郡に編入され西浅井町になりました。
この旧浅井郡の地域は竹生島信仰を支えた地域であるそうだ。
弁財天を新規に作造し、竹生島に奉納する行事
「竹生島の頭(とう)がさす」をつとめる頭人と言われる役は旧浅井郡から選ばれる
竹生島の都久夫須麻神社の祭神は
・市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)(弁財天)
・宇賀福神(うがふくじん)
・浅井比売命(あざいひめのみこと)
・龍神(ちくぶしまりゅうじん)
浅井姫命は、戦国時代の浅井家よりも古くて、こちらが先です。
社伝では、雄略天皇3年(420年)に浅井姫命を祀る小祠が作られたのに始まると
古代から神域とされ5世紀頃にはすでに神社があったのです。
『近江国風土記』には、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が
姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、
負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、
湖に落ちた首が竹生島になったという記述があるそうです。
民話でたどる滋賀の風景 /
竹生島の話
浅井姫命って誰って気になるところです。
雄略天皇時代に何があったんだろう?
西浅井町岩熊に、式内矢合神社があります。
昔、浅井姫命と気吹雄命が争った時、
気吹雄命が浅井岡を襲い、浅井姫命は当地まで退き、防矢を射たという。
むかしむかし、浅井地域とその東南の伊吹地域で争いがあった。
伊吹山は、息を吹く=ふいご=金属精錬=製鉄の関連を指摘されていて、
金糞は精錬クズという意味もあり
この地域に古代の製鉄跡やそれに因んだ地名もあるそうで、鉄を巡る争い?
浅井地域が負けて、その長またはその一族の姫君や女性も皆殺し。
征服者側が浅井地域を治めるため先の支配者を竹生島に祀った?
その後、水に縁の深い弁才天が祀られ、人々の篤い信仰を集めるようになっていきます。
この風光明媚な竹生島は、信仰心なくとも感じるものがあります。
能では、そんな竹生島と琵琶湖の醸すゆったりと穏やかな春の景色のなかで清々しい神の物語が展開されます。
「延喜帝(醍醐天皇)の臣下が、竹生島の弁才天の社に詣でようと、琵琶湖にやって来る。
臣下は湖畔で出会った老いた漁師と若い女の釣り舟に便乗し湖に浮かぶ竹生島を目指す。
湖春のうららかな景色を眺めるうちに竹生島へ着き、老人は臣下を社に案内。
連れの女も一緒に来たので、臣下は老人に、竹生島は女人禁制ではないのか、と問いかける。
するとふたりは、竹生島は女体の弁才天を祀り、女性をお隔てにならないと返し、島の由来を臣下に語り聞かせる。
その後女は自分は人間ではないと明かして社の御殿に入り、
老人は湖の主であると告げ、波間へ消えていった。
臣下が社人に宝物を見せてもらい時を過ごしていると、御殿が鳴動し光輝く弁才天が現れる。
壮麗な天女の姿で弁才天が夜の舞楽を奏するうちに、
やがて月が湖上に澄み輝く頃を迎え湖中より龍神が現れる。
龍神は金銀珠玉を臣下に捧げ祝福の姿をあらわす。
そしてある時は天女となって衆生の願いをかなえ、ある時は下界の龍神となって国土を鎮めるのだ、
と衆生済度の誓いを現した後、天女は社殿に入り、龍神は湖水の波を蹴立て龍宮のなかへ飛び入る。」
月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積む心地して
巌金山(がんこんさん)宝厳寺(ほうごんじ)