潮岬灯台は、入場料200円で塔の上からまわりの海を見はるかせます。
68段ぐらい上ったと思いますが、それほどしんどくない螺旋階段でした。
右のほうに、神社の社が見えます。
潮岬灯台敷地の右手に神社石柱があるも、社殿姿まったく見えない。
団体旅行の限りある時間ゆえ参道長さが窺い知れず足を踏み入れるのを躊躇した。
あのお社は、
潮御岬神社で、なんと
少名彦命を祀っていること帰ってから知りました。
先に予習してわかってたら、灯台に登らず参拝したのに残念。
大国主神と力を合せて国作りの業を終えられた少彦名命は、
熊野の岬に行きそこから常世の国にわたられたそうですが、
その熊野ってここなんでしょうか?
しかし大国主命はこの神社には祀られてないのです。
潮岬のあるクジラ尾びれ風地形の右側を出雲崎といいます。
その出雲地区に鎮座する
朝貴(あさぎ)神社の祭神が、大己貴命!
1458年(長禄2年)出雲の国より勧請し創建と社伝ではなってます。
が、明治の廃仏毀釈以降の話でそうなったようで以前はスサノオだとか。
また、紀伊続風土記は「伊勢大神宮の摂社礒辺の神を祀るという」考えらしいです。
さらに違った伝承も。
出雲崎で漂流していた神体を漁師が拾い祀ったが、その漂着神は、女の神様らしいのです。
出雲神族系の神さまとは違うのかもしれないという説です。
この画像の沖に船が写っています。
潮岬に来る前に、紀伊大島の樫野崎から海を写した時と同じ船かもと思い撮影しました。
トルコの
エルトゥールル号遭難もあの辺なのかなぁ~って。
そして翌日曜夜、家に帰ってから以下のニュースを知りました。
読売オンライン 2014年04月19日 22時07分
19日午後5時30分頃、和歌山県・潮岬しおのみさきの南南東約740キロの太平洋上で、
韓国船籍の自動車運搬船「ASIAN EMPIRE」から「火災が発生し救命ボートで脱出する」と海上保安庁に通報があった。
その後、乗組員24人全員が脱出したとの連絡があったが、第4管区海上保安本部(名古屋市) の巡視船と航空機などが現場へ救助に向かっている。
同保安本部によると、乗組員は韓国人11人、フィリピン人13人。
以上のニュースはその後、韓国籍からパナマ籍に改められたらしいです。
しかしネットで、
ASIAN EMPIRE を検索するとKOREAとなってるんですけどね。
乗組員が救助されて、その後炎上中の運搬船はどうなったんでしょう。
コリアといえば、珍島沖で沈没した
セウォル号、この船は元日本の船で、
なみのうえ という名前だったそうです。
同じマルエーフェリーの
ありあけ号は、2009年11月この熊野灘で転覆座礁するも全員助かりました。
御浜海岸にその船体が長いこと見られたそうです。
さらに、この熊野灘で、去年暮れの12月に座礁事故ありました。
またもや、コリアです。
和歌山県串本町動鳴気漁港沖で、荒天により台船とタグボート(両船とも韓国船籍)が座礁し重油が流出。
この熊野灘って、古代からいろんな船が遭難しています。
まず、徐福伝説。
秦の始皇帝の命により、不老長寿の仙薬を求めて東海に旅立った徐福。
漂着したとする伝承がある熊野川河口。
続いて神武天皇東征。
神武軍は生駒越えの戦いで深手を負い兄の五瀬命は亡くなり敗退。
紀伊半島に沿って海上を迂回する作戦に。
その船団は熊野灘で嵐に遭い、兄の稲飯命と三毛入野命は上陸直前に遭難した。
熊野灘沖で遭難した天皇一行を地元の漁師が助けた伝承は楯ヶ崎に残ります。
神武天皇漂着の地詳しくは→
こちら
時代は下り、遣唐使の時代。
遣唐副使の吉備真備が唐からの帰路、遭難してたどり着いたのが太地(たいじ)湾。
鯨漁の本場、くじら博物館見学したレポートに続きます。