いつもお参りする大神神社から
山の辺の道を北上すると石上神宮(いそのかみじんぐう)があります。
もちろんハイキングで歩かれる方も大勢おられます。
でも今日は車で10分ほどで到着。
ここの神様、「石上大神」は剣とか道具の総称であることを知り、
不思議なんでいつか行きたいと思っていました。
日本書紀に記された日本古代の二つの神宮は、伊勢神宮とここらしい。
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と書かれた鳥居の扁額をくぐると、境内には鶏が放し飼いになっています。
手水舎近くの木の上にもきれいな鶏がとまっていました。
鳴き声も堂々と、神鶏の威厳があります。
人が近づいても逃げないので同行の友人は鶏の写真ばっかり撮ってました。
授与所で、鶏の形のおみくじまで買ってた。
鶏は、元を質せば近所の人が境内に鶏を捨てていったことが始まりで、その後知らない間に増えて今に至ってるそうです。
また丑も誰かが奉納したもので、何の縁もない単なる牛のオブジェだった。
布留山の北西麓に鎮座しているためか、うっそうと茂った木々の下で、苔むしているところが多かった。
空気はすがすがしい。
友人は、どこか伊勢神宮に似ているねと言ってました。
私の感想は、清濁併せ呑むって感じ?
懐が深いというか、あまねくものすべてを受け入れているような。
桜門を入ると、奥に拝殿があります。
平安時代後期1081年、白河天皇が宮中の神嘉殿を寄進されたのが拝殿で国宝となっています。
本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、そこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていました。
1874年の発掘を期に出土した剣(布都御魂剣)や曲玉などの神宝を奉斎するため、大正時代に本殿が建造されました。
石上神宮の祭神は、
●布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
神武東征の時、熊野で土着民の抵抗にあって苦戦した際に天津神から高倉下を通して天皇の手に渡っった平国之剣とその霊威
●布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
鎮魂の主体である天璽瑞宝十種(あまつしるしのみづのかんたから)の起死回生の霊力
●布都斯御魂大神(ふつしのみたまおおかみ)
スサノオが八岐大蛇を退治された天十握劍(あまのとつかのつるぎ)の威霊
布都魂という名の神が使っておられた剣で、記紀体制上、神名が剣になったのでしょうか。
大阪・豊能郡能勢町の野間神社には、ご祭神は饒速日命(布留大明神)と書かれているそうです。
となると布留魂はニギハヤヒ?
石上神宮は古代、大和で軍事と鎮魂を司った物部氏の総氏神です。
平安時代、「もの」の怨霊と解せられた「もののけ」
ものを取り扱うのに著しい呪術を伝えたのが物部氏で、
中でも十種神宝をもって天皇の霊を扱ったという。
大嘗祭(天皇が即位後、最初に行う新嘗祭)の時、
物部氏が宮門の威儀に立ち、鳴弦の呪術を行い悪霊を追放する役目を務めた。
この呪術にたけ部門の棟梁であった物部氏が、のちの「もののふ=武士」の原型でもあるといわれています。
石上神宮の天神庫(あめのほくら)には、各氏族や朝廷の莫大な武器や神宝が保管されていたそうです。
戦国時代、織田信長に石上神宮も焼き討ちにあい、この時十種神宝が持ち去られたそうで、ここにはないのです。
物部氏の祖ニギハヤヒが天降る際に携えてきた「十種神宝」
羸都鏡(おきつかがみ) 邊都鏡(へつかがみ)
八握劔(やつかのつるぎ)生玉(いくたま)
死反玉(まかるがえしのたま)足玉(たるたま)
道反玉(みちがえしのたま)蛇比禮(おろちのひれ)
蜂比禮(はちのひれ)品物比禮(くさぐさのもののひれ)
これらを授けるときの教えが「布瑠之言」
『もし痛むところあらば、この十宝(とくさのたから)をして、一二三四五六七八九十(ひふみよいつむななやこおと)と言いて、布留部由良由良止布留部(ふるべゆらゆらとふるべ)。
かくなさば死人(まかれるひと)も生き返えらん』
スゴイお宝でしょう。
大阪市平野区にある楯原神社内の神寶十種之宮に、十種神宝が祀られているらしい。
偶然町の古道具屋で発見されある篤志家がこの神社に献上。
石上神宮から返還要請があったが返されなかった。
次は楯原神社を見に行ってこよう。