秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

蝶か蛾?イチイガシらしき幼木に居る幼虫

2014-07-31 | ケータイ・スマホから



もしアゲハの幼虫ならつついてみるとツノを出して臭いがすると Nさんが教えてくださった。
試したけど、ツノは出さなかったから、アゲハではない!



さらに蝶も蛾も植物が決まってるそうだ。
アゲハなら柑橘類のミカンとか、橘や山椒に卵を産み付けその葉で育つらしい。

この幼木はイチイガシかと思ってた。
というのは2012年暮れ、奈良の鴨都波神社のイチイガシのドングリ拾ってきて、
プランターに植えた記憶があるからだ。

その時の記録は → 2012-12-28

葉は互生で葉っぱの先半分がギザギザ、葉裏は灰色の毛が生えているらしい。
となると、違うみたい。


.ムラサキシジミとルーミスシジミはイチイガシ の葉を好んで食べる、というか、
イチイガシにつく幼虫は、 ... ムラサキシジミとルーミスシジミと限定されるのかも。

このとしになるまで、蝶と蛾の違いは、胴体の太さと、とまった時の羽の状態だけと思いこんでました。


★追記 8/1
Nさんがお寄せくださったコメントで、この青虫はアオスジアゲハの幼虫だと判明しました。

まずイチイガシだと思い込んでた幼木はクスノキのようです。
どんぐり拾ったときに、イチイガシの木の下だったというだけで
イチイガシのどんぐりに違いないと思い込んでいました。


アオスジアゲハの幼虫はクスノキの葉を食べるが、タブノキの葉をより好む
らしいです。

蝶や蛾の幼虫は、その種類によって決まった草、野菜、木の葉っぱしか食べません。
それを食草、食樹(食餌植物)といい成虫はその葉っぱに卵を産みます。




食樹のクスノキの上で追飛するアオスジアゲハ


クスノキの新芽に産み付けられた卵

上記の画像をいただいたサイトは→こちら


なお、食樹(食餌植物)の一部を紹介しますと
アゲハチョウはミカン科の植物の葉しか食べません。

アオスジアゲハの幼虫はクスノキの葉も食べるが、タブノキの葉をより好む
ミカドアゲハの好む植物はオガタマノキだけ

キャベツを食べるモンシロチョウの幼虫
ヤマビワの葉を食べるチョウは、アオバセセリとスミナガシ
マダケの仙葉を食べるチョウの幼虫には、クロヒカゲ・サトキマダラヒカゲ・ヒカゲチョウ・オオチャバネセセリなど
ヤマトシジミの幼虫が食べる唯一種の植物がカタバミである。

うなぎつなぎ 目くじら 豆しぼり

2014-07-29 | シチの目
7月29日(火)は土用丑の日
どこのお弁当屋さんもうなぎづくしです。

最初の画像は、「うなぎつなぎ」と名づけられた小紋文様です。
鰻の蒲焼きを「串」の字に見立てています。


    「小紋雅話」寛政2(1790)年
江戸時代後期の戯作者、山東京伝によるデザイン本です。

「うなぎつなぎ」を読み下すと、
鰻つなぎ。うらみつらみの地口のようだ。腎腎した人、この裂を褌にして妙なり。

腎虚した人とは、精力減退した人のこと。
当時、精力のもとは腎臓にあると考えられていたから。
精力つけるには今も昔もうなぎ!

なぜ、山東京伝のデザインに興味を持ったかというと、
4月に和歌山県太地のくじら館でみたトイレットペーパー



この「目くじら」は熊野染めで、鯨の目を横にして「目くじらを立てない」




他にもいろいろありますよ → こちら

山東京伝のはだじゃれとかでそれはそれで面白いけれど、
日本手ぬぐいといえば、豆絞り


かつてはこの文様を枝萩と呼んでいたと書かれてあります。
板絞りで●を染めたものが繋がって、まるで萩の枝のようだったかららしい。
祭りの手ぬぐい定番の柄です。



日本手ぬぐいの和柄いろいろあって手ごろなお値段で買いたくなる。
とうことで、ネットショップで昨日注文しました。
届いたらまたご紹介しますね。

盛夏の園芸とか暑気払いとか

2014-07-27 | ケータイ・スマホから
去年ベランダで育てたミニトマトは超まずかった(≧∇≦)
今年は水やりを少し控えて育てたら、去年よりは美味しかった。
それでも甘みは足りず、皮が固すぎる。
畑とプランターと違いもあるのでしょうか。


お正月の寄植えの千両はプランターが浅すぎてすぐにしおれてしまう。
盛夏に植え替えは最悪だと思ったけど、深い桶プランターに移植した。
空いた場所に、コスモスとサルビアのタネを撒きました。


作業してるとき、セミの鳴き声うるさいなぁと思ったら、
すぐ横のカポックの木にとまってた。


この一週間、異常な暑さでした。
中学校の英会話講師として2年間の契約を終えて、帰国する若者と暑気払いしました。




カナダ人のPさんは 広島カープのミコライオに似てるって言われるらしい。

フランシスコザビエルにも似てるよ、というとすぐにスマホ検索して画像確認してました(^O^)

玉置の三柱神社は 狐 それとも狼?

2014-07-24 | 古代史のミステリー
玉置神社に参拝するまでに予習してたら、摂社・三柱神社の祭神は
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)・天御柱神(あめのみはしらのかみ)・国御柱神(くにのみはしらのかみ)の三柱
倉稲魂神は京都の伏見稲荷大社ですが、
天御柱神・国御柱神は奈良県生駒郡の龍田大社で風の神様として祀られています。
今年の春分に龍田大社お参りしましたが、なんかよくわからなかったのでまだ記事にはしていません。
でもずっと気になる神様でありました。

その神々が、この玉置で祀られているとはどういうことなんだろう気になりました。



本殿お参りしてそそくさと向かった先は


三柱神社は三柱稲荷大明神の幡が並んでます。
ここに違いないと先に進むと





三柱神社の後ろ側に出雲大社玉置教会があり、その社内をチラッと眺めたらなんか突然不安になり、
まわりに誰も居ないしで引き返すことにしました。
後できいたら、その先をさらに 山頂に向かう途中に末社・玉石社があるそうです。



大峯修験道では「玉石社」を聖地と崇め、玉置神社本殿に先んじて礼拝するのが習わしだとか。
神武東征以前から熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた聖地です。
玉置神社の名前の由来ともなるともいうのに、今回はお参りできなかった。
またいつか次の機会に。

なんか急に怖くなってきて、人けが恋しくなりました。
少し前を歩く年配のおばさんが目に留まったので一緒に戻りました。



駐車場に戻ったら集合時間の40分も前。
もっと有効に境内散策できたのに、なんでだろう。





玉置神社のウェブサイトによりますと

摂社・三柱神社 吉野郡十津川村玉置川1(玉置神社境内)
玉置神社境内に古くより鎮座されております三柱神社については謎が多く、説明が難しいのですが、よくご質問をいただく点などを中心に簡単にまとめさせていただきました。
まず「摂社」とは本社に付属し、本社に縁の深い神様や特別の由緒がある神様をお祀りした神社を指します。

三柱神社は別名「稲荷社(いなりしゃ)」とも呼ばれますが、稲荷信仰が盛んになる前から地主神(じぬしのかみ)としてお祀りをされており、
厄除けや心願成就さらに精神の病(ノイローゼなど)また海上安全にも特別の霊験があるとされています。
毎年、3月の初午の日(今年は3月12日)に行われる三柱神社の例祭は初午祭とも呼ばれ、
10月24日に行われる本社・玉置神社の例祭に次いで、盛大に行われます。



毎年10月24日に弓神楽(ゆみかぐら)の奉納があります。
「やまとなる玉置の山の弓神楽 弦音すれば悪魔退く」

白い弓矢を手に巫女の衣装を着けた男子の神子が舞楽を奉り、
鬼門に向かって弓を放ち悪魔を祓うという神事です。

悪魔祓いを直接霊験とする神社は珍しく、
摂社・三柱神社の裏部屋では、近年まで「もののけ祓い」のために籠り、もののけ退散や悪魔退散を祈願していたそうです。


古くは三狐神(みけつかみ)と呼ばれ、熊野地方の稲荷信仰の要の神社として信仰を集めたことからキツネ神社。

「玉置山権現縁起」には、三狐神は「天狐・地狐・人狐」で
熊野新宮の飛鳥(現在の阿須賀)を本拠とし、その本地は極秘の口伝です。
玉置山に祀られていたとされる「天狐王」像の姿が書き記されていて、
その姿は、正面は観音、右は天狐面、左は地狐面の三面六臂で、さらに足も六本あり、鳥足であるという異様なものだそうです。


ところが、南方熊楠が著した「狼を魔除とすること」という小文では、「玉置山」は狼神社だと書いてあるそうです。
南方熊楠全集・第二巻「小児と魔除」 平凡社1971 P118-119

大和吉野郡十津川の玉置山は海抜三千二百尺という。
予も昨秋詣りしが、紀州桐畑より上るはすこぶる険にして水なく、はなはだしき難所なり。
頂上近く大いなる社あり。
その神狼を使い者とし、以前は狐に付かれしもの、いかに難症なりとも、この神に祈り蟇目を行うに退治せずということなく、
また狐人を魅し、猪鹿田圃を損ずるとき、この社について神使を借るに、あるいは封のまま、あるいは正体のまま渡してくれる。
正体のままの場合には、使いの者の帰路、これに先だち神使狼の足跡を印し続くのを見、その人家に達する前、家領の諸獣のことごとく逃げおわるという。
また伝うるは、夜行する者、自宅出づるに臨み、「熊野なる玉置の山の弓神楽」と歌の上半を唱うれば、途上恐ろしき物一切近づかず。
さて志す方へ着したる時、「弦音きけば悪魔退く」とやらすなり、と。前述、送り狼の譚は、これを言えるか。
社畔に犬吠の杉あり。その皮を削り来て、田畑に挿み悪獣を避けしという。



そこで、気になったのが、狼信仰です。
これで検索するとヒットしたのが→狼神話

序文は以下のように書かれてあります。
現在ではあまり知られていませんが、狼はかつて信仰の対象でした。
多くの場合、山の神のお使いとして田畑を荒らす害獣を駆逐する役回りです。
また、狼自身が大口真神として神格を持つ場合もあり、害獣を退けることから、悪しきものを噛み砕く神、魔伏せの神として崇められ、
山の神が火伏せや多産、豊穣の神であることから狼もまた火防や安産、五穀の神として信仰をあつめることがありました。

江戸時代に狂犬病が蔓延し、狼信仰は廃れてしまいましたが、狼信仰を伝える古社や古刹は全国に数多く残っています。

とても興味深く、狼神話読みふけってしまいました^^


狼は、おおかみ、大神、神様のお使いです。
農業開拓にとって狼信仰と妙見信仰はワンセットだったのです。



福島県飯舘村虎捕山山津見神社の拝殿に残る天井絵 
白黒ぶちの狼の姿も2013年4月1日未明の火災で焼失しました。


昨日のサンケイ朝刊には、「オオカミ再導入」生態系の守護に出番到来か
を読んで、玉置神社の三柱神社は、なんとなくオオカミかもと思えたのだった。



大暑にネコもぐったり

2014-07-23 | 24節気72候
暑中お見舞い申し上げます。



うちの猫たちもうだる暑さにヘロヘロです。
みなさま、くれぐれもご自愛ください。





先日いただいたヒマワリとカサブランカは今を盛りと咲き誇ってます。





NHKの「祇園祭 千年の謎」面白かったです。
ベルギーはブリュッセルで作られた5枚連作の絨毯が日本に渡り、その行方を追った話。
洋画に描かれた星の形が織り込まれた絨毯が唯一、この祇園祭で見つかった話。
モンゴル帝国の時代の梅が中央に描かれた珍しいチベットあたりの絨毯もありました。
祇園祭って動く美術館なんですね~

やまとなる 玉置の山の 弓神楽  弦音すれば 悪魔退く

2014-07-22 | おでかけ・近畿
1000mぐらいの玉置山駐車場から見晴るかした紀伊山地の山並みです。

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」大峯奥駈道には、
大峯75靡(なびき)と呼ばれる神仏が宿るとされた拝所・行場が遺跡として残っています。
熊野本宮大社の本宮証誠殿が1番で、
霊峰玉置山に鎮座する玉置神社は10番靡、大峯奥駈道の極めて重要な聖地です。


七夕の日、天河弁才天に続き、初めて参拝できました。
霊峰玉置山(1,076m)への道は、道幅狭く対向車が来たらどこまで下がるのだろうと不安になります。
自分の運転で行くのはかなり躊躇する所です。
ちょっとハンパない場所にあり観光気分で行ける場所ではありません。




駐車場から玉置神社まで片道15分程度と聞いていました。
約1時間半の自由参拝です。



山道にロープが張られ結界を示すかのように白い紙の垂(しで)がたなびいています。















まるで森林浴ハイキングのような参道でした。




やっと到達した最後の鳥居。

本社御祭神

 国常立尊(くにとこたちのみこと)
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)

ちょうど茅の輪くぐりも設置されてて、半年の穢れを払うこともできました。




やまとなる 玉置の山の 弓神楽 弦(つる)音すれば 悪魔退く

茅の輪をあとで撮影しようと思ってたのに、
すっかり忘れてしまって、向かった先は    続く

藍綬褒章受賞記念祝賀会

2014-07-21 | 保護観察
保護観察官は2度目の守口担当です。
以前に比べてずいぶんふくよかになられました。
ともにひとまわり大きくなった記念に撮影。

スナップ撮影を頼まれてたので80枚ほど撮りました。
そのなかから50枚ほど使って、フォトブック作成しました。
お昼食べてから先ほどまでかかりました。
家のパソコンは古いので、画像処理にウンザリするほど時間かかりました。

フォトブックの表紙に使った画像は

クリックで大きくなります



3-6ページ/12p マイギャラリーのPDF画面をコピーしました。

粋なお土産 、エジプトのパピルス

2014-07-20 | ケータイ・スマホから
結婚式ではないので、引き出物というのかどうかわかりませんが
藍綬褒章受賞記念祝賀会のお土産でいただきました。

娘さんがエジプトの方と結婚されたことで、こんな珍しいパピルス、
皆さん同じものはふたつとないそうです。

私は受付のお手伝いしたのでしおりサイズも頂戴しました。




醍醐寺の五大明王が奈良国立博物館で明日から

2014-07-18 | ケータイ・スマホから





夕方のニュース画面を写しました。

上醍醐から五大明王を降ろすのに密着取材、見入りました。

明日7/19から9/15まで奈良国立博物館で開かれる特別展
「国宝 醍醐寺のすべて―密教のほとけと聖教(しょうぎょう)」
五大明王像(重要文化財)すべてが山上の五大堂から下り初めて寺外で一挙に公開されます。

不動明王、金剛夜叉明王、降三世(ごうざんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳(だいいとく)明王。阿弥陀如来坐像の出展はないそうです。

こんなに難儀して運ばれたのを見ると、特別展行きたくなりました。


天河弁財天の七夕祭りで願ったことは

2014-07-17 | おでかけ・近畿


七夕の日、奈良県天川村の天河弁才天にお参りできました。
神倉神社での顛末より旅行2日目の熊野を先に書いてたらあっという間に10日が過ぎてしまった。

20年以上前の天河伝説殺人事件というミステリー小説は、映画にもなったしTVドラマにもなりました。
きっと異次元のような空間なんだろうと想像してました。

蛇頭弁才天はじめ
五十鈴も有名で鈴の音大好きなのでお守りに賜わろうかと思ったけれど、
私のお守り購入許容範囲を超えてたのでやめました。














ちょうど七夕まつりで、笹に短冊につるしてお願いを記せます。
100円とお手ごろだったから すこやかで幸多かれとお願いしました。


ところがこの旅から帰った二日後、東京地方裁判所から特別送達が届き…
てんやわんやです。


なんか天河弁財天は想像と違ったので、検索してたら以下ブログ見つけました。

天河大弁財天社ってどうなの?
以前統国寺の記事でご紹介させてもらったブログでした。
2013-4-17 朝鮮総連系在日コリア寺院 統国寺のベルリンの壁


天川村役場のサイトで歴史がよくわかります。
天河大辨財天社と南朝を支えた天川の人々

今流行のココナッツウォーターを飲んでみた

2014-07-17 | ケータイ・スマホから
キャッチコピーに惹かれてつい買ってしまった。

昔どこぞやのイベントで飲んだ生のヤシのみジュースは美味しかった。

確かダイビングしてて流された女性たちは、漂流してるヤシのみのココナッツウォーターで助かったとも聞いたし。

このウォーターは私の好みの味ではなくて全部飲みきれなかった。

聖地熊野の神さんま

2014-07-16 | おでかけ・近畿
花の窟で買いました、
熊野灘のサンマを鰹節風にいぶした新商品のようです。



サンマは太平洋を南下するにつれ脂が抜けて細身になるので
熊野ではサンマずしや丸干しに使われています。

漁期の後半となる春先は魚体がさらに小さくなり商品価値が落ちます。

そこで逆転の発想、いぶすことで塩味と魚のうまみを凝縮させて
「聖地熊野の神さんま」と銘打って土産物に!

ネーミングと日持ちする真空パックなのでとりあえずひとつ買ってみたのでした。
白ご飯に、ほぐした身をのせて食べましたが、秋刀魚というより鰹節で鯖節みたいな感じでした。

酒の肴はもちろん、パスタに混ぜても美味しいって書いてありました。

この春、熊野商工会議所の土産物コンクールで最優秀とったらしい。
常温で保存できて、封をあければすぐ食べれるし、もっと買えばよかったな。


熊野本宮の八咫(やた)ポスト

2014-07-15 | おでかけ・近畿


旅の二日目、朝洋服に着替えるときに、黒のTシャツを選びました。
一応着替えとして白の持ってきてました。
でも熊野はやっぱり黒やろうと思ったのですが、同室の方2名もそう思うと言われました。

八咫ポストの色が黒いのはすべての色を合わせた尊い色だから。
神の遣いの八咫烏(やたがらす)の色であり、本宮の大地を象徴する色だそうです。


このたびの参拝では、神様に超詳しいあいりすさんにくっついて行ったので
本宮社務所裏あたりでみることができました。

熊野本宮大社は明治期に中州の元社が流されて、少し高台に移転されてます。






裏の鳥居をでると熊野古道であることを知りました。



少し行くと最後の祓殿王子がありました。


熊野本宮大社に入る前に、ここで心身を祓い清め熊野本宮大社に詣でたのですね。


宿のロビーには、熊野本宮参詣曼荼羅の複製品が貼られてありました。

あいりすさんのおかげで、以前の観光旅行気分での参拝では目に留まらないものを見ることができました。

熊野本宮大社 旧社地 大斎原(おおゆのはら)

2014-07-14 | おでかけ・近畿
先週7/8川湯温泉の宿を出て、真っ先に向かったのは熊野本宮大社でした。
1時間半ほどの自由参拝だったので、先達者に導かれるまま、大斎原から。
マニアックな参拝ツアーならではです。

熊野は3回目ですが、以前は車中より、大きな鳥居を眺めただけでした。
ツアー観光客は現在の本宮大社にお参りするだけが普通です。

元は熊野川・音無川の合流点にある大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
明治22年(1889年)の8月に起こった大水害で本宮大社の社殿多くが流出。
水害を免れた4社が現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。

現在の熊野本宮大社から500mほど離れています。




大鳥居(高さ約34m、幅約42m)







かつては約1万1千坪の境内に、5棟12社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台などがありました。



石の祠は南向いてますよ、と磁石を見せてくれる先達者の一人。









江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、
参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりだったそうです。
川の水で最後の水垢離を行って身を清め神域に訪れたのです。


↑ 川の中州にあるのがよくわかる画像をネットで拾ってきました
普段水の量が少ないのは、熊野川上流にダムができたからだそうです。


社伝によれば、第10代崇神天皇の御代に、大斎原に
熊野三所権現(熊野速玉大神、熊野夫須美大神、家津美御子大神)が降臨。
その様子を、「大きな櫟(いちい)の木に三体の月が降りてきた」と伝えています。
社殿の造営は、降りてきた真ん中の月からの
「我は證誠大権現(家都美御子大神)であり、社殿を創って齋き祀れ」との神勅によるものと伝えられています。