秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

大坂城残石記念館

2024-12-30 | 旅・中国&四国地方
明日は大晦日。
掃除もほぼ終えたし、年内最終生ゴミも出したし。
黒豆を煮ながらブログ😉

小豆島の石を巡る旅、書き残しあり年明けたらきっと忘却の彼方でしょう。
年内最後のレポートで記録残しておきます。





日本銀行本店本館、明治生命館、日本橋、東京駅丸ノ内本屋、三越日本橋本店、
横浜正金銀行(現神奈川県立歴史博物館)、大阪市中央公会堂、、、


明治末期から昭和初期にかけての近代洋風建築です。
これらの建築物で共通するワード、思いつくでしょうか?

さらに追加しますと、世界に誇る近世城郭の石垣。
代表するものの一つが大坂城!

徳川幕府が西国・北国の大名63藩64家を大動員して、元和6年(1620)から寛永6年(1629)の間に再建
そこには瀬戸内海の島々、とりわけ岡山県と香川県の間に展開する備讃諸島で産まれた花崗岩が使われてきた。
これらの日本を象徴する歴史的建造物は、備讃諸島の石なくして語ることはできない。

抜粋引用は以下サイトより⤵︎

知ってる!?悠久の時が流れる石の島|日本遺産ポータルサイト

日本遺産(Japan Heritage)ポータルサイトの知ってる!?悠久の時が流れる石の島について。日本の近代化が進んだ明治後期から昭和初期にかけて、国家事業と

日本遺産ポータルサイト

 

小豆島東岸の天狗岩丁場をみて感動した記録からすでに10日。
ホンマ光陰矢の如し。


2024-12-20

日本遺産天狗岩丁場@小豆島 - 秋麗(あきうらら)

石工職人の血を引き継ぐ義弟の案内で、大坂城残石丁場跡へ。小豆島行ったことあってもほぼ知られてないと思います。なのでちょっと詳しくご紹介します。13:22小豆島の東北角...

goo blog

 
でっかい岩をノミ入れて割ってゆく。
石目みて石スジとかわかってないとできないでしょう。
上手く切り出せたとして山の急峻な斜面から海岸へどう運んだのか。
滑らせたのか転がしたのか。
さらに筏風の船に載せるのに、クレーンもないのに、、、
妄想は果てしない。

その答えがわかるかもしれないと、小豆島北岸の大坂城残石記念館へ行きました。




大型観光バスも駐車できる大きな駐車場から

案内板もブログでは見にくいので、ネット拝借画像を冒頭に載せました。


入ってすぐに記念館、無料の扉を開ける。
真っ先に目に留まったのが、土偶❣️


板状立脚土偶。
有戸鳥井平遺跡出土 縄文後期3500年前
友好公園として、青森県野辺地町から贈られたと書かれてます。
国指定重要文化財とあるので、レプリカ?


【日本遺産認定】 道の駅「大坂城残石記念公園」|土庄町

【日本遺産認定】 道の駅「大坂城残石記念公園」|土庄町

 大坂城残石記念公園は、約400年前に夏・冬の陣で落城した大坂城を修築する際切り出され、使われることなく放置された石(通称、残念石)を中心に整備されてい...

 
石丁場、残石などに関わる写真や古文書のほかに、
当時の石の運搬に使われた道具類や石工が使う用具類などが展示される




展示いろいろあれど、ざーっと観て、早々に屋外へ。


前は海で北浦港、今は整備された岸壁です。

やっぱりあの超デカい岩をどう運んだかはわからなかった。





蔵王和牛めちゃ旨(๑˃̵ᴗ˂̵)

2024-12-24 | 旅・中国&四国地方
先週は2泊3日で小豆島へ
島で暮らす義弟のお母さん91歳誕生祝宴に、
おまけで枯れ木も山の賑わい参加(*^^*)

初日は車で10分程の海鮮居酒屋さんで


5月に小豆島行った時に案内されたお気に入り店です。
舌平目唐揚げ、タコ天ぷら、名前忘れたけど魚煮付けも極旨😋
たらふく頂き大満足。


2日目は恒例のBBQお外は寒いから屋内で

蔵王和牛ステーキを先に切って焼いてくれました。
なんちゅう旨さ❣️
貯まったANAマイルで選んだそう。
調べたら、15000マイルでステーキ3枚。
自分では買えないわ。



庭で育ててる冬薔薇をオシャレに活けてありました。
91歳のお誕生日迎えるお母さん、私より元気でボケてないわ。








宝生院のシンパク(真柏)★天然記念物

2024-12-21 | 旅・中国&四国地方
樹齢1600年以上「応神天皇御手植えの木」と伝わるそう。

2日目早昼食べて、小豆島88ヶ所霊場54番札所宝生院へ。

地上1mほどの所で三方に分かれたイブキ。
幹の太さ16.9m、高さ20.9m

幹に隠れる聖獣の立板見てから撮影したのが、


でも撮影画像じっくり見たら、
適当に何気に撮った写真にも写ってた。



居るね〜👀

一段高くなったところに旧八幡宮があり御祭神は応神天皇。

シンパクを見下ろすと



最後に駐車場から見納める。
圧倒されました。
もちろんお参りしたけど本堂とか割愛🙏









日本遺産天狗岩丁場@小豆島

2024-12-20 | 旅・中国&四国地方
石工職人の血を引き継ぐ義弟の案内で、大坂城残石丁場跡へ。


小豆島行ったことあってもほぼ知られてないと思います。
なのでちょっと詳しくご紹介します。


13:22

小豆島の東北角に姫路からのフェリー着く福田港、
そこから東岸沿い10kmぐらい南下したとこ地名は岩谷。

日本遺産に認定されきれいに整備されています。
看板前に数台駐車可能、右手にトイレも設置。

急な階段始まる前に、竹などの杖が置かれてるので借りました。
足不自由な方は無理でしょう。

岩割るためノミを入れた穴が残ってる残石。

一番デッカい岩が大天狗岩で高さ17.3m。
古代の磐座、烏帽子岩みたい。

切り出すの途中でやめたような。


小天狗岩の隙間潜ると、この画像は帰る時のもの。

ちょっと開けたとこに残石ゴロゴロ。


ノミあとが一直線に美しく並ぶ。
さらに上に登れば、降りんとあかんので、
これぐらいにしとこと戻ることに。

杖ついて手すり持って慎重に。


初日、小豆島土庄港着後オリーブ園で、
12:36
オリーブ牛ランチの昼ご飯食べてからの最初の探検観光でした。


この後、寒霞渓ドライブウェイで上がり、
14:31

写真だけ撮って、
帰路猿の集団に出くわして、

初日3,971歩。
お疲れさま〜








あおやかみじろう@青谷上寺地遺跡

2024-12-10 | 旅・中国&四国地方
鳥取旅2日目の12月1日、青谷かみじち史跡公園着いて、

最初の写真が午前10:05。
今年2024年3月24日オープンで、ガイダンス棟も美しい。


お昼ご飯時になって知ったこと。
ちょうどその週末に石破総理が鳥取帰郷されてたんですね。
総裁戦出馬時に参拝された智頭町の和多理神社へお礼参りし、
帰路空港へ向かう途上、先導車に追突事故が10時半頃だったそう。
その時間帯、同じ鳥取県内近くで、
私たち一行は熱心に研修に励んでたのでした。

倉吉での琴櫻初優勝垂れ幕といい、なんかニアミスご縁というか。
まぁどうでもいいことなんだけど。



発掘された頭蓋骨から復元された弥生人2体。

ピンクの方、数年前に名前募集のニュース見ました。
ここの遺跡だったんだぁ〜
「あおや かみじろう」と決まったことまでは知らなかったけど。
今やマスコットキャラクターとして大活躍中。




史跡公園到着寸前にバス車窓から。
高速道の工事調査でこの辺りで出土したと聞いて。

昔々は、波の穏やかな潟湖(ラグーン)が広がってて、
2世紀頃に埋まった溝の中から109体分もの人骨が出土。
泥土層は空気を遮断し保存に最適で、中には頭蓋骨内に脳みそも残ってたり。

刃物で傷ついた骨もあり戦争の痕跡かと推測されるそうです。
魏志倭人伝には「倭国乱れ、相攻伐すること歴年」と記録される、まさにその時代。


青谷上寺地遺跡は、紀元前5世紀から紀元4世紀にかけて、海上交通の拠点として栄えた港湾集落跡です。



日本海を往来していた準構造船。
あの渦巻き模様は隼人のと一緒やね。

朱色に塗られた木製の楯も出土、その復元品見てたら


ツアーに同行案内人の県職員さん?が撮ってくださった。


貫頭衣が数着置かれ、着て撮影できるコーナーがありました。
ブルー、ピンク、イエローのパステルカラーが美しい。
写真撮れば良かったな。

学校で習った貫頭衣は白一色だったのに。
今は色が多様だったとわかったのかしら?
衣類の色や染色についての説明記述は見つけられなかった。

藤ノ木古墳でもベニバナ花粉とか見つかってますもんね。
と、現地で話したら、藤ノ木古墳には反応なくて…残念。
時代はちょっとズレてるとはいえ。

きっと染色技術が入る前から、きっと縄文人だって知ってたと私は思う。




ガイダンス棟出て、中央通路から史跡公園は眺めただけ。


山陰自動車道が横切ってます。
この地に高速道が建設されなかったら遺跡は発見されてなかったのね。






重要文化財棟は美術館みたいでした。

安藤忠雄や隈研吾建築などに惑わされず良かったね。
気を衒った建物外観より中身展示で勝負💕

撮影OKもうれしい。





琴の箱横板の彫模様を見る。
現代と違ってコンパクトサイズだったんですね。
神功皇后の時代に、天皇が琴を弾き、武内宿禰が審神者となり云々といった伝承がリアルに想像できた。



学芸員等関係者多数おられ疑問あればすぐ聞けて最高🤭


見事なデザインの工芸品や道具類の数々、
展示も工夫された今どきのセンス、素晴らしかった。
利用料金200円で重要文化財じっくり見れます。 
1,353点もの出土品あり時々入れ替えあるそうで、近かったらなぁ〜

ちなみに
JR山陰線青谷駅から徒歩15分
鳥取砂丘コナン空港からレンタカーでR9号線30分
山陰道青谷ICから5分



約1時間の展示見学終えて、最後は研究員さんの講演。
1時間もじっと聴けるだろうか…

長くなるので後半に分けます。

つづく








琴櫻と里見八犬伝、ともに倉吉と千葉の繋がり

2024-12-07 | 旅・中国&四国地方
鳥取旅2日目朝8時ホテル出発し、打吹山公園前の駐車場へ。


駐車場柵の道路側の横断幕に

琴櫻関初優勝おめでとうございます

九州場所の千秋楽は11/24。
わずか1週間後で新品ほやほやの幕見たんですね。

倉吉出身だったっけ??
画像左上に青でマークした銅像は53代横綱の先代琴櫻。
この地出身の名士になるので琴櫻記念館も建てられてます。
今秋初優勝決めた琴櫻は孫で、千葉県生まれでした。


8:15〜9:30までの散策時間、前半は打吹山公園へ。
後半は白壁土蔵群をぶらつく。

外人団体観光客の姿も。


倉吉の白壁土蔵エリア、朝早くて店はまだ開店前で。
一番手前の酒店はすでに開業してたので、
表側に周り、


写真撮って後、お連れとハグれてしまった。

バス出発時間までに、
私は11月に出来立ての「元帥」の吟醸と酒粕を購入。
友人は「八賢士」買ったら犬のコースター貰ったって。

里見八犬伝ゆかりの酒だと聞いたと。
何それ??

「倉吉歴史探訪」のパンフによれば、
戦国時代に安房国(千葉県南部)と房総半島で君臨してた里見家。
紆余曲折を経て、江戸初期1614年安房国没収、伯耆国倉吉に国替となる。
8年後の1622年に里見忠義は29歳で死去。
嗣子無しとまたも改易となり、8人の家臣が殉死し「八賢士」と称えられた史実。
里見ゆかりの地。

そんな昔から千葉繋がりあったのでした。

江戸後期の滝沢馬琴は着想を得て、長編小説を書く。
南総里見ハ犬伝』は安房国や関東が舞台ですけど。



倉吉は鳥取県中央にあり伯耆国の中心地でした。
万葉歌人の山上憶良も国司として赴任してた時期もあったそう。

中国山地は良質な砂鉄と豊かな森林資源でたたら製鉄が盛んだった。
倉吉も鍛治職人がいて鋳物師がいた。
稲扱千歯は全国8割のシェアを誇ったらしい。



観光案内所の恵比寿さんも、元帥酒造さんの福禄寿も仏師山本作と銘ありました。

は倉吉の郷土玩具はこた人形

私の若い頃のお茶の先生は倉吉出身だった。
実家には茶室があってと話されてて、倉吉すごいなぁと思ってたのでした。








西伯耆を代表する向山古墳群

2024-12-05 | 旅・中国&四国地方
妻木晩田遺跡を14:10頃出て、次の研修地はすぐ近く。
もはや観光ではありません(^_-)

バス降りて真っ先に案内されたのが向山古墳群でした。
古墳時代中〜後期5世紀後半以降の首長たちの墳墓らしい。
今まで聞いたこともなかったし、行程表にも載ってなかったよ。



14:17
階段いっぱいあるよ〜大丈夫?
膝心配してくれても、ここまで来たら行くしかない!
帰りはゆっくり降りようねと。


向山4号墳だったかな。
一番でかいらしく、土塁のように高い墳丘で、坂になって足元悪い。
学芸員ガイドさんの説明聞くのに立ってるだけで膝にくる。

もはやハイキング状態で次々と案内続く。



岩屋古墳は前方後円墳で、狭い四角の入口から石棺式石室に入れます。
九州の墳丘が、出雲、西伯耆へ伝わったと考えられるそうです。
中に入るの嫌だったけど、
皆さんがすごいわと言われるのでやむを得ず。
コウモリぶら下がってるの見てすぐ外に出た😖

古墳を案内いただき、階段下戻ったのが14:41
わずか30分も経ってないのにどっと疲れた😮‍💨


しかしこれで終わりどころか、ココからまた坂上りまして、
本州で唯一この地で出土した石馬を見学に。
古墳に並べられる埴輪が石製で、石馬谷古墳から出土した。
今は天神垣神社の鳥居左側祠内に安置されています。





上の本殿で祀られてる神様どなたかガイドさんに尋ねた。
さぁ〜?お参りしたことないって。

少彦名神でした。



本殿にご挨拶もされず、他の建物裏の崩れた古墳へ。
説明めっちゃうれしそうに語る語る。

一般的に学芸員さんって神社興味ないのかもね。

民族違えば葬送の仕方は異なるでしょう。
でも生きてる民を統治するというか、国邑を一つにするにあたり、
きっと心のよすが、信仰の対象も同じだったに違いないと。
それが神社歴史に残されてるかも、
墳墓など発掘ばかりに特化してるのどうかと…
全くど素人の私は思うのよね。
2日目研修では最新の遺伝子解析出てきてワクワクしました。


この後さらに坂上り、次の研修へと続く。
項を改めます。





よみがえる弥生の国邑・妻木晩田遺跡

2024-12-04 | 旅・中国&四国地方
特急やくも車中で駅弁食べて、米子に着いたのが11:25。
そこからバスで妻木晩田(むきばんだ)遺跡へ。



パンフレット中央の山が大山です。
遺跡は大山山麓北西側の、美保湾が見える広大な丘の上にありました。
東西約2kmX南北1.7km、170haは東京ドーム30個ぐらいだそう。
めっちゃ広い。
日本最大級の弥生遺跡です。

煎餅に焼き形あるのは、
妻木晩田遺跡の公式キャラクター「むきばんだ」

周りの四角は、39基発見された墳墓のうち四隅突出型墳丘基の形。
パンダのような三角の顔は竪穴住居の柱跡穴。
土屋根と草屋根の2種の竪穴住居とか970棟の建築跡が発見されています。
紀元前1世紀から紀元3世紀の弥生時代に、
大山山麓に存在したであろうクニの中心的な大集落であったようです。


現地見学するだけでなく、土器炊飯体験試食も組み込まれてました。
弥生の館でガイダンス受けてから、屋外テントで火入れ準備を見る。

12:14
玄米、うるち米、タイ米の3種を試食させてもらえます。
米に水たっぷり入れて炊く湯切り法だそう。
火にのせたら見学開始。

12:20

まずは復元エリアから


12:33
高床倉庫も2種あって、これは壁面に板壁のあるタイプ。


12:36
土屋根竪穴住居の中も入ると想像より広い。


12:56
2世紀後半弥生のムラ復元を、少し高いとこから見下ろす。
茅を新たに足した住居の屋根も散見するが、
下向き縦に並べられた茅は定期的に補修しないと雨漏りするんだって。


13:01
竪穴住居跡3棟の遺構展示館

13:03
日本海が見えてええとこ。



13:11
湯切り炊飯法で、炊き上がれば土器の余分な湯を捨てる。
蒸らす間に館内展示等見ながら説明受ける。

さらに向かったのは、
13:40
洞ノ原地区の四隅突出型墳墓
1世紀から2世紀前半の約100年間に大小25基が造られてるそうだ。




海が見えて風が吹いて気持ちいい。
魏志倭人伝には「山島に依りて国邑をなす」という一文があるらしい。
国の首長クラスの墓なんでしょうね。


13:53
玄米ご飯が一番旨味あり美味しかった。
弥生人ええのん食べてるやん❣️


約2時間の研修終えて、次のタスクへ、



倉吉で松葉蟹に大満足(๑˃̵ᴗ˂̵)

2024-12-02 | 旅・中国&四国地方
週末鳥取へ、2週続けての週末旅行(^_^)☆

昨夕帰りの特急スーパーはくと12号からブログ投稿しました。
UFO降臨かもの画像は11/30(土)15:54撮影。
あの後倉吉シティホテルふじ蔵で18時から夕食。

感動ものの松葉蟹フルコース、全部画像貼り付けます(o^^o)

一番好きな焼き蟹から
炭火で自分で焼いて食べたの初めてでした。
蟹民宿さんでは焼けたの運んでくださるので、
立ち上がる香ばしい匂いにワクワクして待ってた。
自分で焼くのは加減が難しい😓


お酒も美味しかった〜


最初の前菜は

造りはどれも極旨❣️


茹で松葉蟹


蟹茶碗蒸し


蟹足天ぷら

蟹すき鍋

蟹ご飯と汁物

年内蟹はもういいわというぐらい食し大満足。

水菓子は別腹で全部平らげました。

肉と違って蟹はこれだけ食べてももたれることなかった😋

給仕してくれる若い女性にいくらのコースなのと尋ねたら、
¥35000🤪

やっぱりね〜
美味しかったもの。

鳥取県とクラブツーリズム共催
『松葉蟹会席の夕食
鳥取県内2つの弥生遺跡を訪ねる2日間』49800円❣️

アンケート4枚書かないといけないけど。

つづく







弥山リベンジに向けて

2024-11-30 | 旅・中国&四国地方
厳島神社の境内出て次どこ行くって、
そりゃあ決まってる!

「紅葉の大聖院こちら」の看板目の端に留めて、反対側へ向う。


次の機会に向けて、紅葉谷公園奥にあるはずのロープウェイ駅確かめようと。


紅葉はまだまだね。
ここも人いっぱい。
少し先に、ロープウェイ→看板あるも、先は勾配急が目に入る。
戻りは急坂を下るわけで、ウォーキングステッキ不具合だったし。
絵地図じゃなようわからんと毒づきながらも、
怖気つき引き返すことに😢




同じような宮島案内絵図を添乗員さんから貰ってました。

その地図では、紅葉谷公園入口から乗場まで15分と記載されてます。
無料バスが20分ごとに運行されるも、小型で乗れるかどうかわからんし。


すでにお昼過ぎて集合まであと1時間。
土産物屋さん無料券で焼きたてもみじ饅頭1個頂いて、
気は心でアイスもみじ饅頭1ひとつ400円(高っ)買って海岸べりでパクつく。



どこもかしこも飲食店行列できてて、若い子らは串物など食べ歩きしてる。

うちらは持参したおかきやパウンドケーキとかでお腹満たしてた。

そしたらやってくるんです。


前から後ろからも🦌🦌🦌



潮が満ち始め大鳥居にはもう近づけません。



13:39フェリーから
バイバイ弥山、また来るね👋




海に浮かぶ寝殿造の神殿@厳島神社

2024-11-29 | 旅・中国&四国地方
神社って拝観無料がほとんどですけど、琵琶湖西岸の日吉大社で¥300、
厳島神社も必要でした。
海の中に建てられた神殿ですもん、維持費かかりますわね。
説明受けながら巡ると感動もので記録残しておきます。



修理中の高舞台の向こうが本殿です。


御祭神は
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)



2012年秋に京都岡崎にある真如堂で引いた御神籤に、
「物ごとすべておそく成就する
理あれば心ながく退屈すべからず
観音神明をたふとみ弁財天をしんじてよし」

なんか珍しい内容で心に残りまして、
あれ以来、弁財天の市杵島姫命に心よせてます❤️




海に浮かぶ寝殿造の説明を先達さんから受けて感動しました。
日本人すごすぎる。

うろ覚えで書くとまずいので、ネットで情報確認。
詳細は以下で

厳島神社|人と水の歴史を旅しよう|荏原製作所

厳島神社は広島県の厳島(通称:宮島)に位置し、日本三景のひとつに数えられる。中央の本殿から左右に伸びる回廊の長さは実に270m。この、平安貴族の住宅様式である寝殿造り...

人と水の歴史を旅しよう|荏原製作所

 
一部引用>
満潮時には海面が床板のギリギリまでくるように設計されており、
瀬戸内海の潮の満ち引きによってその姿は刻々と変わる。

社殿群を繋ぐ舞台や回廊の床の板と板の間は、わざと隙間をあけるように敷かれている。
これも重要なポイントで、高波などの際はこの板の間を水が通ることで水圧が弱まり、社殿に浮力がかかるのを防いでいる。

本殿の前にある平舞台。ここだけは石の柱が支えているのだが、床板は柱の上に置かれているだけ。
水面が上がると床板が筏(いかだ)のように浮き、高波の衝撃をたくみに受け流しているなど、
本殿に荒波が押し寄せない工夫が施されている。

厳島神社へはもともと、船を使って鳥居を通って参詣していた。
なので、船底を砂にこすらないように、参道は周囲よりも掘り下げられている。
この船の参道は、干潟時に見ることができる。







厳島神社の創建は推古元年(593年)
安芸守(あきのかみ)に任ぜられた平清盛によって
仁安3年(1168年) 寝殿造り様式(平安時代貴族の邸宅建築様式)を取り入れ現存の規模に造営された。
その後、2度にわたる火災で建物は全て焼失。
現在の社殿は仁治年間(1240年-1243年)以降に再建されたもの。


厳島神社の略年表
コピペして貼り付けると冗長になるので、以下サイトでご確認ください。





北西の丘の上に見えるのが「五重塔」と、
左の大きな屋根建物が「豊国神社」
秀吉が建てた大経堂(千畳閣)が明治の神仏分離令による変更。



江戸時代1680年毛利によって造立された能舞台。

他に画像はないけど反橋とかも、一方通行で神殿を通り抜けます。

御守り賜りたくてもう一度入口に戻るのかと、先達さんに尋ねると、
逆行してそれだけ買いに戻ればいいと言ってくださった。



授与所では御朱印賜る長ーい行列できてました。
1時間以上並ぶそうですよ。





杭にのせただけの厳島神社大鳥居が干潮時にわかる

2024-11-28 | 旅・中国&四国地方
宮島桟橋出てすぐに設置されてた大理石オブジェ


丸い穴から弥山が見えました。
行く時は人集ってたから、帰りに写しました。
万感の思いで。
急いでたしでピントが合ってないけど。

先の記事で、弥山登山レポートどんなんかなぁ〜
期待いただけた方おられるかも、ね。
少なくともコメント頂戴したお二人さん😊


実は行けなかったんです😢
弥山は登山道も3コースあるらしいが、膝悪い私はロープウェイ一択。



土日は乗車予約が必要なんですわ。
ツレが旅行社に電話掛けて、
宮島着時間を確認し11:15を予約してくれた。
ツアー出発前日に添乗員さんから電話いただいた時に、
うちらは弥山行きたいと伝えました。

ただし、滞在時間は3時間程度。
ロープウェイ紅葉谷駅までの歩きに往復1時間、さらに乗車時間。

ロープウェイ獅子岩駅着いても、頂上、弥山本堂まで行く余裕はない。
「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」
伊藤博文初代総理大臣が称賛したそうだけど、残念😢

獅子岩展望台から瀬戸内海見はるかし、デンついてすぐ引き返すつもりだった。
しかし、
下りに待ち時間発生したらアウト‼︎
ロープウェイ会社が開くのを待って電話して、12時台の下りにすぐ乗れるかを確認。
うーんギリギリやなぁ〜🫤


フェリー乗ってる10分間に、ウォーキングステッキを準備した。
ところが2段階スライドの下ストッパー効かない。
ゴム劣化?
これでは使えない、どうしよう〜
下り不安😨


10:15過ぎに宮島に着いたら、案内してくれる先達さん待ってらした。
帰りは13:20集合と通告された。
遅れたら自腹で帰らんとあかん。


すでに人、人、観光客いっぱい。
前日の土曜日は5万人だったそう。
今日も混むでしょうとのこと。

下調べでは、宮島桟橋からロープウェイ乗り場まで30分もあれば行けるはず。
予約まで1時間あるから途中でフェードアウトするつもりだった。

ツアー集団33名は2列並んで、人混みかき分けて進むの時間かかる。


10:27 
大鳥居までまだ距離あるね。

ちょうど引き潮で鳥居下まで行けます。
前来た時は満潮だった。
おまけに早春2月、灰色の海に神殿が浮かんでみえた。

干潮体験、そうそうチャンスはない。
先達さん共々砂浜に降りる。



鳥居高さ16m
主柱根周り10m
楠木まるまる使われてます。
確か右が宮崎産、左が香川産と聞いたような。
上の屋根空洞で中に砂利詰めて総重量60トン。
この重さのおかげで波や嵐に耐えて流されない。
海底に松の杭を打ち込み固めたとこにのってるだけだそう。
すごいな〜

先達さんの説明が実に興味深い。
話途切れたところで、団体離脱許可を得るのに話しかける。
弥山行きたくて、ロープウェイ予約が11:15なんです。

「今日は超満員で帰りも混むから無理、やめなさい」と諭された。
「写真撮ってあげよう」って、

10:44

ロープウェイ駅辿りつけても、帰りが間に合わんかったら…

諦めました😢

断念の心決まってやっと写真撮る気になる。

外人も多い。
不思議そうに波の引きをじっと眺めてるイタリアーノ?

扁額の神社名、伊都岐島神社、海からは厳島神社となってるそう。




先達さんの説明続き楽しみ😊
切り替え、早っ❣️

つづく







弥山めざしてのコスパ旅

2024-11-27 | 旅・中国&四国地方
昨夜は寝入りばなに地震で起こされました。
石川県西方沖M6.6 震度5弱、
こちらもそれなりに揺れました。

旅立つ前は気になる天気、
今は地震大丈夫かな〜
日本の何処にいてもいつ何時、不安は消えませんね。


さて、旅の続きです。
半世紀にわたる友人も、巨木巨石マニアで歴史的トレッキングも大好き。
数年前から宮島の弥山行こうと話してました。
日程とか折り合わず月日はあっという間に流れゆく。
パパママ書店経営の彼女は土日しか休めないんですよ。

かといって、他の同世代友人は温泉ならともかく、
一緒に行ってくれそうなお連れ見当たらん。
ひとりで歩く勇気もないし。

膝もだいぶ回復したけど、老いゆくお年頃ゆえ先延ばしもできない。
そんな折、めっちゃお得なツアー見つけたんです。

広島まで新幹線じゃなくバスツアーでした。
ビジネスホテル宿泊で、朝食のみで、他は付いてない。
その代わりに、25,900円と安い❣️

倉敷も尾道千光寺も彼女と22年前に行ってるけど、
まぁええやん、コスパ優先 🤑


土曜夜広島パシフィックホテル到着前に、

17:23
原爆ドーム写真撮影タイムまで組み込まれてました。

ホテル到着後荷物置いて、広島焼きでも食べようと外へ出ました。
でも土曜夜だし行列できてて、、、外で立って待つの嫌。

で、中国人経営っぽい中華料理店に入る。
餃子600円、春巻1100円、高っ!


点心半分こで🍺
中華ワンプレート頼んで、


スンゴイてんこ盛り笑
八宝菜は美味しかったよ。

1人2250円ならこんなもんかな😞


翌朝バイキング朝食後、ホテル近隣散歩に出ました。



広島城目指すも私は冷気にやられギブアップ。
連れは1人で歩いてお城の写真撮って送ってくれました。



8:50ホテル出発し、10時過ぎのフェリーに乗って、




いよいよ宮島へ
つづく