Onde a terra se acaba e o mar começa(ここに陸尽き海始まる)
ポルトガルの16世紀の国民詩人ルイス・ドゥ・カモインスの書いた詩の一節です。
ポルトガルといえばロカ岬とファド。
これを見なくして、というぐらい有名でしょう。
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今回のツアーは8日間で159,800円。
これに関空施設使用料2,650円、ポルトガル空港サービス・保安料2,300円、
ドイツが7,200円、そして燃料特別付加運賃23,350円が別途かかりました。
ほとんどの食事と観光がセットになっていましたが、
最初に書いたロカ岬とファドだけがオプショナルツアーで別途料金です。
私たち1行4人はどちらも申し込みませんでした。
自分たちで電車とバス乗り継いでロカ岬に行こうと思っていました。
連れのタニは出発前に頭の中でシュミレーションして、何度ロカ岬へ行ったことか。
たぶんこうした鉄道に40分ほど乗って、シントラでバスに乗りかえれば行けるはず?
ところが私の体調が思わしくなかったこともあり、
連れは何度も空想の中でロカ岬へ行って堪能したこともあり、
たぶん想像するに、潮岬や稚内や長崎鼻とそうたいした違いないやろ?
きっとここがロカ岬って石碑が建ってるからそうかぁと思うだけやで
と、急に話が変わってリスボン市内観光に切り替わってしまいました。
F邸のあるじさんに冬のロカ岬はこんなに素敵でしたって報告する予定だったのに・・・
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ユーラシア大陸の最西端と言われるロカ岬は、
140メートルの断崖で、270度に開ける大西洋が見渡せて、
頂上に十字架を掲げた石造りの碑がただただ建っているらしい。
この石碑に、ポルトガル語でOnde a terra se acaba e o mar começaと書かれているらしい。
これはバスコ・ダ・ガマの偉業を讃えポルトガルの大航海時代を含む歴史を詳しく謳いこんだ、カモインスの9000行からなる大叙事詩の一部だそうです。
彼の棺はジェロニモス修道院の入って右側に安置されていました。
左側はバスコ・ダ・ガマです
今回のオプショナルに7000円で参加した人に聞くと、黄色い花が咲き乱れきれいだったそうです。
そして私たち一行は11、12世紀のイスラム時代を色濃く残すアラファマ地区を歩き回りました。
ガイドさんにこの地区を観光するというと、特にめぼしいものはありませんよといわれました。
でも韓国人のツアーや欧米人らしき学生の旅行者にたくさん会いました。
日本人は見るところが違うのかもしれません。
憧れの市電にも2回乗りました。
ファド記念館も見学し、坂道のリスボン市内を夜までぐるぐる。
それほど大きくない街でしたが、
広場が多くて、その広場から道が放射線状に伸びていることもあり、道を確定するのに神経使いました。
そのため写真にエネルギーを注げなかったので、画像はどれもこれもイマイチ。
丘から見たサン・ジョルジェ城を望むリスボン市・バイシャ地区
エレベーターで丘の上に上がり、山の手の落ち着いた街中を少し歩くと、サン・ロケ教会があります。
1583年日本の天正遣欧少年使節が1ヶ月滞在したイエズス会教会です。
やっとたどり着いたときは午後5時を過ぎていたので中に入れなかった。
マンショ・マルティーノ・ジュノア・ミゲルの4人の少年たちは10年後日本に無事帰国しましたが、1597年にバテレン追放令が出されていて、彼らの居場所はありませんでした。
悲惨な末期を迎えざるを得なかった彼らのポルトガルでの足跡を見たかったのに残念でした。
教会横のケーブルカーは今は廃線となっていたようで、歩いて降りました。
夕方もう歩くのが嫌になって、かといって私一人ホテルに戻るのも不安で、リベルダーデ大通りのベンチで休憩中に撮影しました。
ヨーロッパの街は、クリスマスを彩るツリーやサンタクロースの飾り付けは、クリスマスが過ぎてもすぐには片付けず、1月6日の公現祭(こうげんさい)まで飾られます。
さすが1月も後半に入って、まだ撤去されていない飾りに電気はついていなかったけど。
この飾りつけ期間にいくと、それはそれはきれいです。
日本のクリスマスイルミネーションほど華々しくはありませんが、赤い電灯の灯が、各街ごとにデザインが異なり素晴らしい。
キリスト教徒の長い歴史の積み重ね、
クリスマスだけのえせ教徒とは根本的に違いますモンね。