秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

薩摩切子

2012-06-30 | シチの目
数年前、江戸切子のグラスセットが入荷したとき薩摩切子との違いを調べたけれど、
薩摩の実物は美術館とかでしか見たことなかった。
なんと実家を片付けてたら見つかりました。






箱裏に「剣而松笠文」と書かれてあったので
これで検索したら、いろんなことがわかったので記録に残しておきます。


グラデーションともいわれるやわらかな“ぼかし”が特徴の剣而松笠文

薩摩切子は江戸切子に比べ色層が厚いので高度なカット技術が必要となります
江戸切子が江戸下町の民間の硝子工場でつくられたのに対し、
薩摩切子は薩摩藩主島津斉彬のもと藩の事業

最高の研究開発の結果出来た美術工芸品で、色層の厚さと磨き工程に決定的な違いがあります
すべて手磨き仕上げをするため、ガラス特有の冷たさはなく温かみを感じさせます

1863年薩英戦争によってガラス工場は焼滅しその伝統を伝えるものはなくなりました



この盃は、昭和に入り当時日本最大の硝子商社カメイガラス(株)による復元商品です。

じゃがいもが

2012-06-30 | ケータイ・スマホから
えらいことなってます。
芽のでた去年のジャガイモを半分に切って地面に植えたものがどんどん成長してます。
伸びた茎を地面に這わせたままにするのでしょうか?
とりあえずベランダ柵を支柱にしようと留めてみた。
ジャガイモってどの部分にできるんでしたっけ?

協力雇用主会総会、無事終了(^-^)/

2012-06-27 | 保護観察
第四回目の総会、なんと、なんと!
52名ものご出席を賜り、準備したものにとっては有り難いことです。

最初30名程度の出席予想で部屋を用意してたのが、
先週金曜日に48名の部屋に変更、
さらにこれでは入りきらなくなり、つい2日前の月曜夜に72名用に再々変更。

配布資料や、懇親会のお弁当や飲み物の手配に追われました。
ご協力いただけた皆様ありがとうございました。


さて、協力雇用主とは
犯罪や非行をした人を雇用し立ち直りを助ける民間の事業所のことです。

無職者と有職者では再犯率が大きく異なり5倍ぐらいの開きがあります。
安全安心な社会を実現するために、いろんな方々のご協力が必要です。


1部の総会では、すでに雇用を実現している企業の体験談を語っていただけた場面が、最初の画像です。

2部で、保護観察所の就労支援を担当されている保護観察官の講話をいただきました。


そして3部が懇親会。
飲んで食べて、参加者52名全員に一言でも発してもらう。
なんとか1時間の予定うまい具合におさまりました。

茨木市でも協力雇用主会を立ち上げられるため、4名のゲスト参加もありました。
帰り際に、「いい会でした、守口いいとこですねぇ~」って。
他市からわざわざ見学いただき、お世辞であってもうれしいもんですね。



神社フリーク・フィールドワーク

2012-06-25 | 古代史のミステリー
何年も前から金剛山や葛城山の奈良側山麓、葛城古道近辺がとても気になっていました。

いつか行ってみたいとネット検索してると、
かなり歩くようで、あまり人でもなさそうで、…
なんとなく一人で歩くのも不安だしで延び延びになってました。

いつもの旅のツレに「実は行きたいとこあるねん」
と話したら同行してくれることになったのでした。


いよいよ念願かない、実現の運びとなり調べているうちに、車で行くのがベターだと思えた。
日曜朝9時に出発。
東大阪のツレ宅を経由して、まず向かった先は美具久留御玉神社。
去年8月に初参りしてから、今回は5回目のお参りというお気に入りです。


外環状線170号線を南下し、約1時間ほどで到着。
美具久留御玉神社 大阪府富田林市宮町3-2053

ここで白雲宮を彼女にも確認してもらいました。
近鉄喜志駅の線路を渡るところで、一の鳥居を見てびっくり、
こんなに長い参道があることを初めて知りました。

太子町の近つ飛鳥博物館まで5.5kmと書かれた道路標識を
今まで何度も目にしていたので、二上山めがけて知らない道も安心して走りました。

二上山を越す竹内峠まで、聖徳太子ゆかりの神社仏閣古墳だらけです。
これらはまたの訪れる機会がめぐってきたときに。

飛鳥の都と難波を結ぶ古代街道である竹内街道。
シニアグループが元気に歩いて峠を越すのを見かけました。
うちらは車ですから快適に通り過ぎました。

奈良県に入り、最初に向かったところは
長尾神社 奈良県葛城市長尾471

竹内街道と、吉野や壺坂から王子を経て堺に至る長尾街道と交差する長尾の森に鎮座します。
この神社も立派な神社だったようで、 
一の鳥居と2の鳥居が300mの参道で現在は舗装した一般道になってました。


この神社の祭神は水光姫命(みひかひめのみこと)と白雲別命(しらくもわけのみこと)

4月に吉野へ行った時、井光山の寺もフィールド調査したぐらい水光姫命は気になってます。

神社の奥様が案内して教えてくださったのは、
奥様が手を置いた岩に囲まれた中央の岩で封印されてると。
この岩を覆うようにして咲き誇っていた藤の木は数年前に枯れたそうだ。


三輪の大神神社に頭にしてとぐろを巻いた蛇の尾がこの神社まで届いたと。
それで長尾神社なんだそうだ。
神社の神主さんもうちらと同じ巳年生まれだと聞きました。


続いて一言主神社までに、「アグリマート新庄」で大和の野菜と
ゆで上がったばかりの地玉子も買いました。

葛城一言主神社 奈良県御所市大字森脇字角田432


ココで車を止めてのどかな参道を歩きます。

見たかったイチョウの木は今年3月から治療中でした。
イチョウの木のすぐ脇にベンチがあったので、ここでゆで卵をいただく。


そして忘れずにたった一言だけのお願いをしてきました。
2月に金剛山山頂の一言主神社では、ご挨拶だけでうっかりお願いするの忘れたのだった。


県道30号線は山麓線とも呼ばれ、309号線と交わってすぐのところに
長柄神社 御所市大字名柄字宮271


♪村の鎮守の神様の♪って感じで、
この社殿右手には滑り台やブランコなど遊具が設置されてました。
かつての村の子供達はこの境内で遊んだにちがいないけれど、
昨日の日曜昼前には子供も大人も誰一人いなかった。

この長柄神社から数分のところに大和屋敷という名のちまきやさんがありました。

国道24号線にでて、さらに南下。
船宿寺手前の、自然の里レストランで昼食にオムライスを食べました。

船宿寺はサツキやツツジで有名な花の寺ですが、
今はシーズン過ぎてたので、駐車場までいくもお参りはパス。

続いて葛城の道歴史博物館へ
ここのガイドさんはとても話好きで、話の切れ目を探すのが大変でした。


この歴史博物館で資料いっぱいもらって、お隣の
高鴨神社 御所市大字鳴神字捨篠1110


鳥居東側の鐘楼は今なお時を知らせる「時の鐘」
農業用水の配分に利用されているそうです。



葛城の鴨神奈備、鬱蒼とした木々が生い茂った別世界でした。

鴨族と言われた人々は、政争にはかかわりたがらず農の民として神を祀り
高鴨神社の祭神を最高と崇めた人々だったそうです。

しかし、京都の下鴨、上賀茂神社の総本社です。
いつの時代にか藤原氏と縁を結ぶことで変節していったのでしょうか。

このあたりで海抜290mぐらい、
さらに坂をのぼり高度441mの高天原へ。

高天彦神社 御所市大字高天158


後ろに見える三角のお山「白雲峰」644mをご神体としています。
手前の高い杉林が参道になっていて、




高皇産霊神(高天彦)をお祀りしています。

天孫降臨の舞台になったところではないかと言い伝えられています。

和のちまき★大和屋敷

2012-06-24 | おでかけ・近畿
御所、葛城のレストランで調べていて、大和屋敷の海鮮ちまきのことを知りました。

これまで全く知らなかったけれど、マスコミ、雑誌等にも度々紹介されてる隠れた名品らしい。
多くの芸能人もお取り寄せしてるとか。

こう聞くと、ミ~チャンハ~チャンジャリ好みゆえ、
どんなんかなぁ~と味見したくなる。

県道30号線と国道309号線の交差点から南東に長柄神社がありました。
そこから村道のような狭い道を走り、西寺田公民館過ぎてすぐに


この路地は車入れないから路駐して少し歩きます。

突き当たりの古民家が店でした
 

海鮮ちまき 1個580円。
けっこういいお値段です。
しかし、中華ちまきのような独特の臭さがないし、北海道産のホタテからいいダシでてて美味しかった。
竹の皮、捨てるのもったいないけど、
洗って保存したところで収納庫のコヤシになるだけ、で捨てました。

大阪城ライトアップ

2012-06-23 | ケータイ・スマホから
ツイン21から見えた大阪城です。
昨夜は三郷拳士会最後の飲み会が大阪ビジネスパークでありました。


7時スタートの時点では、大阪城右後に見えるビルが邪魔
たぶん大阪府警本部ビル?




Wポールさんたちはビールが大好き。
日が落ちて大阪城がきれいに見えたのでお二人越しに撮影しました。


どんな会も終わるとき、解散するときってあっけないもんですね。

今日は夏至

2012-06-21 | 24節気72候
今日は夏至、朝から雨降ってます。
サルビアは急激に成長してます。

6月21日は、1年で昼の長さがもっとも長い夏至

東京では、日の出:午前4時25分頃、日の入り:午後7時0分頃
昼間の時間が最も長くなる日で約14時間35分くらいです。
正午の太陽の高さも1年でもっとも高くなりますが、今日は見えませんね。

  


「冷蔵庫の日」
1985年日本電機工業会冷蔵庫専門委員会が制定。
梅雨どきは食中毒が多いので冷蔵庫の整理を呼び掛ける日だそうです。
節電も含めて、冷蔵庫は収納庫とするのはやめましょう。


でんきを消して、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイトを呼びかける日でもあります。


今日の月(1.9日)

星の運行から読み解くと
「2012年の夏至以降1ヶ月あまりは 
世間でも何やら大きな出来事が起きやすいかもしれない」
らしいです。

酢漬けの付け合せ

2012-06-20 | ケータイ・スマホから
焼き鳥の付け合せは、自分で漬けた野菜3種。
左から、ミョウガ、セロリ、新ショウガ。
ミョウガもショウガも酢の色がピンク色になります。

ジャムの空き瓶に野菜いろいろ漬けて冷蔵保存。
キュウリ、大根はもちろん、香りのきついもの苦味あるもの、これがけっこうはまります。
ゴーヤの酢漬けも評判いいです。
薄くスライスして市販ラッキョウ酢に漬けるだけの超簡単。
これはクッキングとはいいませんね。

以前にも記事にしたことありますが、おたふくソースから発売されてるラッキョウ酢を使います。
いろんな酢で試しましたが、この調合酢が一番私は美味しいと思います。

ちょうど今ラッキョウを漬けるシーズンなのでスーパーで並んでます。
この時期を逃すと年中いつも売ってるわけではないので、すでに2本買いおきしました。

  

不思議の国・ルーマニア

2012-06-19 | 縄文 JOMON
ルーマニアのお札には200レイという紙幣があります。
その裏面中央に、オークの木と古い水車小屋、
背後には「虹」と紀元前5世紀頃の新石器時代後期に考案された「車輪」

左側にロダンの考える人みたいなブロンズ像。
これが気になって調べてみたら、
thinker_hamangia / ハマンジアの考える人
というルーマニアの新石器時代中期の作品でした。
1956年にチェルナボダ(コンスタンツァ県)から出土した男女の像でした。



なんと紀元前5000年ぐらい新石器時代のブロンズ像ですって!


日本にも縄文時代の土偶有名なのいっぱいありますが

↑これは日本の青森県八戸で出土した合掌土偶
縄文時代後期後半(約3,500年前頃)のものらしいです。

これよりもさらに1500年も前に、考える人のブロンズ像って
造形的にもなんかオーパーツみたいにも思えてきます。
画像は不鮮明ですが、哀愁漂う哲学的思索的表情をしているように見えます。

ハマンジア文化とは
ドナウ・デルタを含むドナウ川下流域から黒海にかけての一帯
ドブロジャ(ルーマニア語)もしくはドブルジャ(ブルガリア語)地域に、
後期新石器時代のBC5250~4500頃に栄えていたハマンジア文化。
後にルーマニア南中央部に興ったボイアン文化に吸収された。
銅、農耕、家畜飼育がおこなわれ始め、北のトランシルベニア地方、北西のモルダビアに拡がった。



古代ローマ時代、ドナウ川を越えてまで北側への拡張を狙った理由は、
ルーマニアで産出される金であったそうです。

ローマ皇帝トラヤヌス(在位98―117)は106年、ダキア王国をダキア属州として併合。
ローマ化が進み、ローマのような、という意味を込めた国名となった。
普通は征服前の先住民族に帰属心を求めるのに対し、
現代のルーマニアも、トラヤヌスに率いられた兵士や植民者の末裔に帰属心を持つのが主流となっているのは珍しい。

その後、中央アジアの様々な民族から、モンゴル、トルコ、ロシアと続き制圧されます。

コマネチと故チャウシェスク大統領、
そしてドラキュラしか知らなかったルーマニアは
東欧の片田舎の貧国のイメージしかなかったのでした。

そのドラキュラ伝説も、古代ルーマニアから続いているものだそうです。
古来からの宗教や文化が、キリスト教やスラヴ民族と混ざりあう過程で
異なる宗教と文化における矛盾をかかえていたのでしょう。
そして外からの人々の流入により、新たな疫病が持ち込まれ不可思議な死が増加したことに対する答えとして吸血鬼伝承が生まれたと考えられています。

さらにユダヤ人迫害の思想とかぶる部分があるそうです。
詳しくは吸血鬼考で→こちら

その後、ルーマニアはナチ以外で絶滅収容所を作った唯一の国です。
恐ろしい次のような事件も起こっています。

1941年1月22日ルーマニアの「大天使ミハイル軍団」は
ブカレスト南部にある市営の屠殺場で200人のユダヤ人を自動化された流れ作業の機械にかけて頭、腕、脚を切断した。





20世紀初頭は「バルカンの小パリ」と言われる程、美しい町並みを誇っていたそうです。

現在では旧市街のごく一部と、凱旋門に続く通りに沿って面影を残しています。
古い教会や歴史的な建造物は、独裁を続けた共産党の手によって破壊されてしまいました。




故チャウシェスク大統領の野望を形にしたような、旧共産党本部、国民の館など巨大な建造物が建てられました。
馬鹿でかい国民の館は初日に観光、館内観光にはカメラ代10ユーロが必要でした。
せっかくなので次回にレポートし記録に残しておきます。

1989年12月、一般市民の虐殺と大統領の処刑という流血革命から20年以上が過ぎました。
2007年から欧州連合に加入しています。


猫より犬だらけのルーマニア

2012-06-18 | 旅・ルーマニア
家で猫飼ってますから、どこかへ出かけても猫は目に付きます。
ルーマニアではたった一回だけ猫見たのは、シナイア僧院の古いほうの教会で。
まわりが修道士寮のようになっていて、たぶん扉を開けている修道士の飼い猫でしょうか。

なぜかお隣のブルガリアは犬より猫が多いらしい。

ルーマニアでは犬は放し飼いであちこちで遭遇、ちょっと怖かったです。


この犬は耳に鑑札が留められてあったから飼い犬なんでしょう。


この黒犬はしばらく跡をついてきたのでドキドキしました。
ときに犬にかまれて狂犬病発症もあるようです。


ブラン城へ向かう坂道にもいました。


世界遺産シギショアラの広場にもいました。


車窓から見えた馬や牛も放し飼い




煙突や電信柱上のコウノトリの巣も保護されてるし


きっと動物が自由にくらせるお国柄なのでしょう。



ポリマー紙幣と、十字架いろいろ

2012-06-14 | 旅・ルーマニア
ルーマニアのお札は透かし模様がとてもきれいでした。
紙ではなくてプラスチック製でポリマー紙幣というようです。
ルーマニアの他には、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールなど。
偽造防止に効果があり、コスト高であっても長持ちするため結果的に安上がりになる利点があります。


ルーマニアのお金の単位レウは複数になるとレイとなります。
1レウ紙幣には、十字架をくわえた鷲の絵
ワラキア公国の盾形紋章がデザインされています。
        


ルーマニアでみた十字架いろいろ

聖ニコラエ教会


シナイア僧院


シナイア地方の山の上に十字架が白く光って見えるもバス車窓より撮影失敗。
ブチェジ山頂2284mにある高さ50mの十字架
画像検索でもらってきました。


シナイア僧院で買い求めたクロスペンダントをサギ写で



ルーマニア正教★シナイア僧院

2012-06-13 | 旅・ルーマニア
ルーマニアの旅では、聖ニコラエ教会のほかに、シナイア僧院がルーマニア正教会でした。

ブカレストから車で2時間ほどの距離にあるシナイア地方は、日本で言えば軽井沢。
高級山岳リゾート地で夏は避暑、冬はスキーなどでにぎわうそうです。

1695年に建立されたシナイア僧院があるから町の名がシナイアになりました。

中世のルーマニア貴族カンタクジノは17世紀末イスラエルへ巡礼の旅に出かけた時シナイ山へ行きました。
帰国後にこのシナイア僧院を建てました。
カンタクジノ家の紋章、双頭の鷲の紋章があちこちで目に付きました。






門をくぐると右手に新しい教会。
カロル1世が1846年に建てた新教会は、地元では大教会(ビセリカ・マーレ)と呼ばれています。


堂内の赤を基調にしたフレスコ画と、すでに古色を帯びはじめた祭壇がすばらしい。
教会内の撮影は禁止されてます。



左側の白塀に囲まれた中庭に古い教会(Biserica Veche)






17世紀末にカンタクジノの跡を継いだブルンコヴェアヌ公がポーチを増築した以外、当時のまま保存されています。
教会の入口に描かれたフレスコ画は素晴らしい。


外壁はもちろん、教会内もびっしりと描かれています。
ここも撮影禁止でした。
文字が読めない人たちのために、絵でキリストの教えを広めるのに非常に役立つものだったそうです。




カトリックならば正面に祭壇が見えるのですが、
正教の教会では、イコノスタシスと呼ばれるイコン(キリスト、聖母子、聖人などの肖像画)が並べて懸けられた壁でさえぎられています。
イコノスタシスより奥へは、聖職者以外は入ることはできません。


 ↑ ネット検索によりイコノスタシスの画像もらってきました


ルーマニア正教は、キリスト教とは十字の切り方が異なり
タテに降りた手は右から左へとヨコにクロスします。

そして椅子がない立ったままの礼拝が行われます。
足の不自由な人だけのためにわずかな椅子が用意されてるだけです。

カトリックやプロテスタントの教会と違って、礼拝中に聖歌を歌うときはア・カペラ
よってオルガンがありません。



鐘楼下は、イコンなど教会関連グッズが販売されてました。
小さなクロスのペンダントを買い求め気に入ってずっと身に付けてます。
次回クロス特集でレポートしますね。


正教会とは
「正教」は、異端や分離の動きが盛んであった中世に、
ハリストス(キリスト)がもたらした本物の福音という意味で本家のキリスト教の代名詞になりました。

正教会は、聖地エルサレムをはじめとして、
シナイ山、中近東各地、ギリシャ、ルーマニア、ブルガリア、ロシア、アルメニア、グルジアなどの地域にキリスト教初代から分布しています。
1200年まえから徐々にバルカンの国々、そしてロシアに広がりました。
教会のかたちは国や民族を単位としていて、それぞれの国の首府に本山があります。