何年も前から金剛山や葛城山の奈良側山麓、葛城古道近辺がとても気になっていました。
いつか行ってみたいとネット検索してると、
かなり歩くようで、あまり人でもなさそうで、…
なんとなく一人で歩くのも不安だしで延び延びになってました。
いつもの旅のツレに「実は行きたいとこあるねん」
と話したら同行してくれることになったのでした。
いよいよ念願かない、実現の運びとなり調べているうちに、車で行くのがベターだと思えた。
日曜朝9時に出発。
東大阪のツレ宅を経由して、まず向かった先は美具久留御玉神社。
去年8月に初参りしてから、今回は5回目のお参りというお気に入りです。
外環状線170号線を南下し、約1時間ほどで到着。
美具久留御玉神社 大阪府富田林市宮町3-2053
ここで白雲宮を彼女にも確認してもらいました。
近鉄喜志駅の線路を渡るところで、一の鳥居を見てびっくり、
こんなに長い参道があることを初めて知りました。
太子町の近つ飛鳥博物館まで5.5kmと書かれた道路標識を
今まで何度も目にしていたので、二上山めがけて知らない道も安心して走りました。
二上山を越す竹内峠まで、聖徳太子ゆかりの神社仏閣古墳だらけです。
これらはまたの訪れる機会がめぐってきたときに。
飛鳥の都と難波を結ぶ古代街道である竹内街道。
シニアグループが元気に歩いて峠を越すのを見かけました。
うちらは車ですから快適に通り過ぎました。
奈良県に入り、最初に向かったところは
長尾神社 奈良県葛城市長尾471
竹内街道と、吉野や壺坂から王子を経て堺に至る長尾街道と交差する長尾の森に鎮座します。
この神社も立派な神社だったようで、
一の鳥居と2の鳥居が300mの参道で現在は舗装した一般道になってました。
この神社の祭神は水光姫命(みひかひめのみこと)と白雲別命(しらくもわけのみこと)
4月に吉野へ行った時、井光山の寺もフィールド調査したぐらい水光姫命は気になってます。
神社の奥様が案内して教えてくださったのは、
奥様が手を置いた岩に囲まれた中央の岩で封印されてると。
この岩を覆うようにして咲き誇っていた藤の木は数年前に枯れたそうだ。
三輪の大神神社に頭にしてとぐろを巻いた蛇の尾がこの神社まで届いたと。
それで長尾神社なんだそうだ。
神社の神主さんもうちらと同じ巳年生まれだと聞きました。
続いて一言主神社までに、「アグリマート新庄」で大和の野菜と
ゆで上がったばかりの地玉子も買いました。
葛城一言主神社 奈良県御所市大字森脇字角田432
ココで車を止めてのどかな参道を歩きます。
見たかったイチョウの木は今年3月から治療中でした。
イチョウの木のすぐ脇にベンチがあったので、ここでゆで卵をいただく。
そして忘れずにたった一言だけのお願いをしてきました。
2月に金剛山山頂の一言主神社では、ご挨拶だけでうっかりお願いするの忘れたのだった。
県道30号線は山麓線とも呼ばれ、309号線と交わってすぐのところに
長柄神社 御所市大字名柄字宮271
♪村の鎮守の神様の♪って感じで、
この社殿右手には滑り台やブランコなど遊具が設置されてました。
かつての村の子供達はこの境内で遊んだにちがいないけれど、
昨日の日曜昼前には子供も大人も誰一人いなかった。
この長柄神社から数分のところに大和屋敷という名のちまきやさんがありました。
国道24号線にでて、さらに南下。
船宿寺手前の、自然の里レストランで昼食にオムライスを食べました。
船宿寺はサツキやツツジで有名な花の寺ですが、
今はシーズン過ぎてたので、駐車場までいくもお参りはパス。
続いて葛城の道歴史博物館へ
ここのガイドさんはとても話好きで、話の切れ目を探すのが大変でした。
この歴史博物館で資料いっぱいもらって、お隣の
高鴨神社 御所市大字鳴神字捨篠1110
鳥居東側の鐘楼は今なお時を知らせる「時の鐘」
農業用水の配分に利用されているそうです。
葛城の鴨神奈備、鬱蒼とした木々が生い茂った別世界でした。
鴨族と言われた人々は、政争にはかかわりたがらず農の民として神を祀り
高鴨神社の祭神を最高と崇めた人々だったそうです。
しかし、京都の下鴨、上賀茂神社の総本社です。
いつの時代にか藤原氏と縁を結ぶことで変節していったのでしょうか。
このあたりで海抜290mぐらい、
さらに坂をのぼり高度441mの高天原へ。
高天彦神社 御所市大字高天158
後ろに見える三角のお山「白雲峰」644mをご神体としています。
手前の高い杉林が参道になっていて、
高皇産霊神(高天彦)をお祀りしています。
天孫降臨の舞台になったところではないかと言い伝えられています。