上賀茂神社はまた一段と変わった神社のように思えました。
一の鳥居から二の鳥居までかなり距離があります。
芝生が植わっていて、家族連れがくつろぐ姿があちこちに見られました。
ここの草場が5/5賀茂競馬(かもくらべうま)の馬場となるんですね。
右手にかすかに写っている建物の裏手にならの小川があります。
子供達が清流ではしゃいでいました。
二の鳥居手前左手に神馬舎があり、生きたお馬さんがいました。
鳥居をくぐってすぐ「細殿」、その前に立砂と呼ばれる三角錐の砂山が二つ。
神社の北2kmほどのところにある神山(こうやま)を模したもので、てっぺんに松葉が立ててあります。
神が降臨するための目印なんだそうだ。
向かって左側の上に立つ松葉は、境内にあるたいへん珍しい3葉の松葉。
右側にはごく普通の2葉の松葉。
左側が陽、右が陰と区別されてるそうだ。
この立砂の中には芯はなく、雨が降れば崩れるので、月に2回程度1つ2時間、2つで4時間かけて作り直しているそうです。
毎年9/9に行われる烏相撲は、立砂の前に土俵を造り児童などが相撲を奉納します。
現在でも鬼門や裏鬼門に砂をまき清めるのはこの「立砂」が起源とされています。
手水舎・神山湧水(こうやまゆうすい)
説明書きには
ご祭神「賀茂別雷大神」がご降臨された神山のくぐり水を汲み上げて使用しています
歴史上特に由緒深い境内の井戸水と同じ水脈の名水であり、飲料用水質基準にも適合しています」
玉橋の横に玉依比売命を奉る摂社の片山御子神社(片岡社)
上賀茂神社では、第一摂社の片山御子神社に参ってから本殿へ参るのが参拝の順序としている。
と今日検索していて分かったけど、このときは知らずに後でお参りしてしまった。
上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」の母君である「玉依比売命」を祀ったお社だから、先にお参りするのかな。
「縁結びの神様」としても古来から有名で、紫式部が何度もお参りしたことでも知られています。
6/13の新聞によると、オスのアライグマが片岡社付近にすみついている可能性が高いことが判明したそうだ。
片岡社屋根にアライグマによるものとみられる穴が開いていて、
建造物にアライグマがひっかいたとみられる無数のつめ跡が残されていた。
たまたま6/6に撮影した画像にその痕跡がみられます。
屋根下の白壁の右隅の汚れはアライグマがつけたようです。
左右に回廊をめぐらした朱塗りの楼門が立派です。
ここから中は撮影禁止。
神紋は「双葉葵」
毎年5/15に行われる「葵祭り」は京都三大祭りの一つです。
かつて京でまつりといえば賀茂祭だったのが、
江戸時代以降、神前に葵を献じ、祭儀に関わる人や牛車や氏子の家々などで「双葉葵」を飾ったことから「葵祭」とも言われるようになったようです。
京都の南にある石清水八幡宮の石清水祭に対して、「北祭」とも呼ばれるそうです。
そして「みあれ」という呼称もあります。
上賀茂神社公式サイトには次のように書かれています。
「御阿礼神事(みあれじんじ)とは賀茂祭に先立つ5/12夜に斎行される、当神社祭儀中最も古く且つ重儀の神事であります。
秘儀として一般の奉拝は許されていません。」
阿礼と称する榊の枝に神移しの神事を行う神事のことです。
葵祭り直前の深夜、社裏の神山(こうやま)から神を迎える。
神を山頂の磐座からたいまつで導き、ふもとの御阿礼(みあれ)所で「ひもろぎ」(神籬)に移し、そのひもろぎを祭場である神社に運んでいる。
御阿礼とは「み生れ」で、神が生まれること、つまり神が姿を現すことである。
みあれで調べると「みあれ祭」がヒットする。
10/1に福岡県宗像市の宗像大社秋季大祭で海上安全や大漁など願って行われる祭礼だそうだ。
阿礼で検索すると稗田阿礼がいっぱいでてくるし。
う~ん、不思議