秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

超高齢者と原戸籍

2010-08-31 | 世情雑感
今年10月に国勢調査が実施されます。
先日、平均寿命はこの国勢調査に基づいて計算されることは書きましたが、
次々と判明する超高齢者の生存不明など、次の調査でははたしてどんな結果がでるのでしょう。

10年前の調査の時、国勢調査のアルバイトを体験しました。
100世帯ぐらいが担当で、配布と回収のため、夜討ち朝駆け何度も足を運んだものでした。
特にワンルームマンションでは表札や名札を掲げていない世帯が多かった。
夜、室内に電気がついているのを確認してピンポン鳴らしても出てこられない。

こうした風潮はさらに強まっているに違いない。
国勢調査にどれほどの人がちゃんと協力するのだろう。

家具付マンションなどが当時よりもうんと増えて、敷金礼金なしなど入居の敷居が低くなってますからね。

また住民票を引越しの度にちゃんと移しているかどうかも疑問です。

役所がちゃんと管理していなかった戸籍だけでなく、住民票だって国からの補助金をあてにしない人は規則どおり移すとも思えない。

昨日の毎日新聞記事には、
児童虐待の恐れがあるとして全国の児童相談所が保護者らに改善を指導中、転居して行方が分からなくなったままの児童(18歳未満)が05年度以降、少なくとも97人(3月末現在)

09年度だけでも39人が住民票を残したまま行方不明だそうです。

家の固定電話ではなくて、各個人の携帯に繋がるようになってからというもの、世の中激変です。
こうした世情の変化は日本だけではない。

日曜日の新聞にギリシャでも死者に年金という記事が載ってました。
110歳を超える高齢者で年金受給者500人を調べた所、
321人が死亡しているにもかかわらず年金が支給されていることが判明した。
多くの場合、遺族らが口座から引き出していたそうです。


また日本の話に戻りますが、戸籍は家族集団単位に把握するアジア特有の制度らしい。

例えば日本では、人が亡くなった場合、その遺産相続には全ての遺産相続者の同意が必要です。
戸籍謄本をとって、戸籍上かかわりのある人全部の印鑑証明をもらわないといけません。
これってものすごく面倒な話で、手数料も手間もかかります。

2000年に父が亡くなった時、会計士さんに原戸籍が必要だと言われた。
普通の戸籍謄本よりもずいぶん手数料が高かった記憶がある。

あの時も原戸籍って何よと思いましたが、改めてその原戸籍について調べてみました。


明治時代の初めに全国統一の戸籍が生まれてから現在までに戸籍制度は何回かの大きな改正を行ってきた。
それに伴って全面的に戸籍の書き換えが行われた。
書き換えられた新しい戸籍は「現在戸籍」
書き換えられる前の「古い戸籍」を「改製原戸籍」という。


平成6年に、それまでの紙戸籍を綴って戸籍簿として管理していたものをコンピューターのデータとして管理してよいことになった。
戸籍の電算化(コンピューター導入)が行われた市区町村では、紙の戸籍簿の内容をすべてコンピューターに移し替えた。
国内、すべての市区町村で戸籍の電算化が行われたわけではない。

その前の改製は昭和23年法務省令で、それまで家単位で編成されていた戸籍を夫婦とその子供という単位になった。
戸籍の様式も変更することになり全面的に新様式で戸籍が書き換えられた。
このとき改製されて現在戸籍となった新しい戸籍も、戸籍の電算化が行われた市区町村ではすでに「改製原戸籍(平成改製原戸籍)」になっている。

昭和42年、住民登録法を改正した住民基本台帳法の施行により、戸籍とリンクした住民登録制度が開始された。


本来家族集団単位に把握する制度ゆえ現状にそぐわなくなってきているのでしょう。

初めてのアマゾン

2010-08-29 | 日々是好日
木曜夜、初めてアマゾンで本を注文。
翌金曜日には出荷しましたとメールが届いたので、週末読めるなと楽しみに到着を待ってました。
今まで子供達がアマゾンで本を買ったときは宅配便だったので、日曜午前の便でも届かなかった時がっかりでした。
月曜日には電話かけて確かめようと思ったぐらい。

午後2時ごろポストに投函されてるメール便を発見。
送料340円やねんから、宅配便のはずないわね。

マニアックな本だったけれど、3時間半かけていっきに読み終えました。

24日に旭区民センターへ行った時に、興味深いチラシが目に留まった。
市民開放講座「大阪学」
卑弥呼は前方後円墳に葬られたかー大阪発:邪馬台国九州説の新展開

箸墓が卑弥呼の墓だと決め付けんばかりの報道がなされる昨今、
九州説の私はどうも腑に落ちなかった。
素人ながらどう考えても畿内だと筋が通らないと思っていたからです。

講座14回で受講料7,000円。
場所は梅田の大阪駅前第2ビル。
かつてこのビルで働いていたことあるから迷うことはない。

心惹かれたので、申し込む前にちょっと調べてみたのでした。
すると「卑弥呼は前方後円墳に葬られたか」という題名の本が2009年10月に発刊されていて、アマゾンで売ってたのが一番最初に出てきました。

定価2,940円が、新古本なら2,100円です。
こんなマニアックな本が転売できるとも思えません。
とりあえず講師の文体チェックと、内容をざっと見るだけなら完全新品でなくてもいいわと安い方にしたのでした。

これで正解でした。
とてもキレイで、本屋さんの店頭で平積みされててもこの程度でしょう。

世の中変わりましたね。
以前なら面白そうな書評とかみたら、タイトル・著者名・出版社をメモって本屋さんへ行く。
よっぽど大きな本屋さんでないと置いてないから取り寄せてもらう。
だいたい10日間程度はかかりました。

それが家に居ながらにして数日で手にはいるんですもんね。
中味についてはまた後日。

アンティークオメガの南京虫

2010-08-27 | ネットオークション
戦後から昭和30年代にかけて、お金持ちのご婦人の腕で金色に輝く小型腕時計
なぜか南京虫といいます。

1円スタートオークションに出品中、8/29(日)終了です。
→ こちらから

小さいことから付いた愛称にしろ、なんでそんな虫を選んだんだろうと調べてみました。

「南京虫」の「南京」とは、江戸時代には海外から伝わってきた小さいもの、珍しいものに付けられる名だったのでした。
他の用例として南京錠、南京豆などが挙げられます。

  


検索してたら、気持ち悪いニュースが目にとまりました。
ところで、この暑い夏は日本だけでなく海外でも大変です。
8/5のニュースでは
NYでナンキンムシ大発生、ブランド店も被害 探知犬サービスが人気

アパートやオフィスだけでなく、マンハッタン高級衣料店の商品から続々でてきたそうだ。
暗い店内のアバクロやホリスターなど一時閉店に追い込まれたと報道されています。

南京虫とはシラミの別名ですが、
アメリカでは、保育園ぐらいの子供の頭に頭シラミ(アタマジラミ)も増えているとか。
21世紀に入りトコジラミの大発生も問題となっています。


サンフランシスコの衛生局では、2006年にトコジラミの感染について、2年前の倍以上の回数の報告を受けたそうです。

約50年前にDDTの使用によりほぼ根絶やしにされたトコジラミ。
新たに殺虫剤への薬剤耐性を身につけたこと、
害虫の防除に使われる殺虫剤が毒性の弱いものへと移行したことが再来の原因ではないかと報道されています。

ということは、日本でも大発生ありえますね。

しょうがラー油

2010-08-26 | スピードクッキング
この画像はNHK「ためしてガッテン」からもらってきました。
昨夜放送をみて、絶対つくろうと思ったので備忘録として記事エントリーしておくことにしました。

しょうがラー油のレシピ、サイトよりコピペ。
材料
* オリーブ油 150ml
* 塩 大さじ1/2
* 砂糖 大さじ1/2
* 乾燥しょうが(粗みじん) 25g
* 干しエビ(みじん切り)  25g
* 粉とうがらし 大さじ1
* にんにく(みじん切り) 1片

作り方
1. フライパンに半分のオリーブオイルを入れ弱火で加熱
2. 塩、砂糖を入れ、半分以上とけたら、他の材料をすべて入れる
3. 残りのオリーブオイルを入れ、全体から泡が出てきたらできあがり

材料の乾燥しょうがは、薄切りして天日で干すとか電子レンジで簡単にできるそうです。
乾燥させることで、しょうがの成分は大激変します。

「実は乾燥しょうがは冷えを改善するため、古くから漢方薬に使われています。
中国の薬学書にも乾燥しょうがは「寒冷腹痛を止める」「中を温める」という薬能が記述されています。
一方、生のしょうがには「解熱作用がある」と記述されています。
同じしょうがでも生と乾燥ではまったくの別物だったのです。」

確かに子供の頃、おばあちゃんから「しょうがは熱さまし」聞いてたわ。

ハープいろいろ 続き後半

2010-08-25 | 日々是好日
弓で弾く小さなハープ、ボウド・サルテリー
  

ネット検索してたらヨーロッパの古楽器をもとにして作られた擦弦楽器と書かれてありました。

弦を指で押さえることなく弓で弾けば音が出るので多くの人が試奏されてました。
私はスチール弦をこする金属音で背筋が身震いするというか、身体の側線がキュッとなる感じで本能的に苦手な音だった。

そして最後にアイリッシュハープ
  

  

とても癒されるいい音色でした。
実際触ってみて、一番しっくりきました。
ちゃんと音もなったし、ちょっと練習したらいけるんじゃあないのと思えたぐらいです。

  
アイルランドの国章はハープの絵。
アイルランドの象徴として親しまれている楽器です。

ケルト/アイリッシュ音楽に興味をお持ちの方や、
アイリッシュハープの音を聞いてみたい方は→こちら


オーケストラで見かけるグランドハープって、足ペダルの動きがハンパないそうです。
その足下のペダル操作をいかにして隠すかということから、ハーピストのロングスカートが始まったとか。

そんな難しいクラシックハープと違って、
ケルトの吟遊詩人が持ち歩いていたというアイリッシュハープにとても心惹かれました。

  

ハープの起源は、狩りで使う弓を射るときに音が出ることに気付き、それを楽器として弾いたのが始まりとされています。
古くは紀元前4千年のメソポタミアから始まり、
古代エジプトの壁画にもハープは多数描かれています。

西洋最古の記録としては、イギリスで発見されたアレキサンダー大王時代の壷にハープの絵。
紀元前1100年頃に南スペインに侵入したフェニキア人が数々の楽器とともにハープをもたらしたと考えられているそうです。

中世のスコットランドとアイルランドでは、大きな木をくり抜いたボディを持つ金属弦のハープが演奏されていて、
900年頃からアイルランドやウェールズの吟遊詩人達がハープをヨーロッパ各地に広めたそうです。
1200年頃からスコットランドに広まっていったものがアイリッシュハープ(ペダルのないハープ)の原形といわれています。

ちなみに日本では、東大寺正倉院にある「クゴ」が23弦のハープの形をしていることから、奈良時代には既にハープの原形が使われていたことがわかるそうです。

色々なハープを楽しめたワークショップ

2010-08-24 | 日々是好日
ハープといえば、オーケストラで立って演奏するロングドレス姿の女性がセットで思い浮かびます。
あるいは西洋絵画に出てくる女神や天使が奏でてるとか。
まさかそんな優雅なハーブに興味を持つようになるとは思いもよらなかった。

数年前に、アイリッシュハープと中南米のアルパというハープの演奏を聴かせていただく機会がありました。
その演者YOSHIEさんから、いろんなハープの生音聞けて実際に触れますよ
と紹介いただいたワークショップに行ってきました。

INTERNATIONAL WORKSHOP FESTIVAL 250DOORS
「色々なハープを楽しもう」

この体験教室は500円ぽっきりでチャレンジできるのです。
古典芸能からポップカルチャー、最新アートなど一度やってみたかったと思うような250種類のワークショップが展開されてました。

私が参加したハープの講習会場は大阪市立芸術創造館で、大阪市旭区民センターに併設されてます。
今日初めて行きましたが、予想以上に近くて自転車15分。
こんな選りすぐりのいろんな体験できるのに、直前まで知らなくて残念でした。

たまたま今日の講習で出会った和泉市から来られた女性は、マジックにも参加したがよかったのでまた来たと話されてました。
泉州からなら遠いのにね。
もう一方も、平野区から各駅停車の地下鉄で50分要したそうだ。
しかしお値打ちあるワークショップで、皆満足して帰途につきました。


ハープってものすごくたくさんの種類があるのでした。
以前はグランドハープぐらいしか知らなくて、高嶺の花というか別世界の楽器だった。

最初に持参されたハープの説明があり演奏を聴かせてもらった。

 

YOSHIEさんは優雅に奏でられてますが、実際触らせてもらうと指腹が痛い。
根をつめた練習では水ぶくれができたりもするそうだ。
 
  
  

旋律弦と伴奏弦を持つ和音付きのフランスのシター
パイプオルガンのない教会でよく使われるとか。
日本ではまだあまりよく知られていない楽器で、インドの楽器シタールやドイツやオーストリアのチターとも間違えられたりするそうです。

映画「第3の男」で登場するチターは、日本語に訳すと「琴」です。
そのチター系ハープの一つカンテレ
  

  

フィンランドの楽器で、小型の5弦だと「レミファソラ」の5音のみ。
皆で輪になって、順番にメローディーを弾き、まわりは伴奏したりして楽しむそうだ。
冬が長い国はいろいろ楽しみを持ってるんですね~


バックパッカーダルシマー
 

いとも簡単そうに演奏されてますが、実際試してみると手首のスナップが必要で、結構強く打たないと音が小さすぎるのです。
そして右手と違い左手がいかにゆうこときかないかを実感。

ダルシマー系は、シルクロードを通って世界中に渡った楽器で、
弦を手指ではじくのではなくハンマーなどで叩いて演奏します。
中国ではヤンキン(揚琴)という名前です。
中国伝統楽器の演奏家「女子十二楽坊」にもいましたね。

後半はまた明日書きます。

江野川筋遊歩道

2010-08-24 | 日々是好日
今日は午後1時からの催し参加で、お隣の大阪市旭区に行かないといけなかった。
この暑さの中、国道1号線を自転車で疾走するのはやばいなと、
地図を見たら阪神高速守口線高架下で行けることが判明。

かつて江野川が流れてたそうです。
昭和46年に埋立てられ道路となり、その上に阪神高速道路が建設されました。

初めてこの遊歩道を走りました。
木製のベンチが設置されてたり
  

おりしも地蔵盆で準備されてたり
  

もう少し涼しければ散歩してたりする人も多いのだろうと思われました。

15分もたたないうちに旭区区民センターに無事到着。
  

予想以上に早く着いて、まだ会場に入れなかったので郷土資料館を見学。
かつての淀川の大改修工事
  

古代の大阪湾が河内湖だった頃の地図
  

  

そして1時からいよいよ始まったワークショップの話は、
正確さをきすために、ちと調べてからアップします。 

暑気払いになっただろうか

2010-08-22 | 日々是好日
とある団体の毎年恒例の暑気払いBBQに参加させてもらうことになりました。
会場は鶴見緑地だったので、11時半のBBQが始まるまでパークゴルフ。
9時スタートだったので朝早く家を出ました。

 

この暑さでせみの屍骸が芝の上にたくさん落ちてました。
ミミズも土中が熱すぎるのか外に出てきて干上がっていました。

こんなに暑いのに、それでも日曜午前中は大盛況
 

 

18ホールだけ廻って、BBQ会場まで自転車移動します。
 


会長さんがご挨拶される左後ろのテーブルには
ひときわ目にとまるファッションの人がいます。
 

一緒に写真撮影してもらいました。
 

あまりに暑くて、熱中症の症状がでた人がいて救急車要請された。
鶴見区の救急車はすべて出払っていて、東淀川から来たそうです。
 

家に戻りシャワー浴びて、冷房効いた部屋で横になったら夕方まで寝てしまった。
暑い地域はシェスタが必須なのを実感した1日でした。

蜘蛛の無残な姿

2010-08-22 | ギズモ&もぐ&メルキー
今朝は早くから出かけないといけないのに、階段下に猫が吐いたあと5箇所。
踏まないように掃除していく先に、何か固まって落ちてる。
ティッシュでつまんでよく見ると、どうやら蜘蛛の足?

ずいぶん探したけれど胴体は見つからなかった。
こんなに吐いた跡があるのは、ギズモの口におさまった?

残された足からするとかなり大きな蜘蛛だったようです。
今まで虫退治してくれていたであろうに、ご愁傷さまでした。

加藤現象

2010-08-19 | 世情雑感
今、中国メディアで人気の日本人若者・加藤嘉一さん
昨夜のニュース番組WBSにゲスト出演されてました。
1週間ほど前も別の番組で特集くまれてました。

彼は1984年静岡で日本人の両親から生まれたそうで、うちの子たちよりも若い。

ご存知ない方もおられるでしょうから、簡単に紹介します。
高校を卒業後、中国に渡り独学で中国語を身につけ、1年半後北京大学入学。
今年北京大学大学院を修了したそうです。

2005年の反日デモなどが激しかった頃、
香港のTV局が外国人でコメント述べる人を探しているのに紹介され出演。
このときのコメントがよかったということで、
中国メディアで取り上げられるようになったそうだ。

この反日運動は、日本と中国、どちらが悪いのかと尋ねられた。
彼は日本人として卑屈にへりくだるわけでもなく、
中国人のプライドをも傷つけないよう言葉を選んで意見を述べたそうだ。
もちろん流暢な中国語で。
今から5年前といえば彼が21歳の時のことだというのに、えらいなぁ~

現在、日本人の目から見た中国をストレートに辛口のコメントを中国のTV各局で述べたり、月20本のコラムも書いている。

そういえば何十年か前、○○人が見たNIPPONとか流行りましたね。
中国も、海外からの見た目が気になるまでに豊かになったということでしょうか。

知り合いの息子さんはこの加藤さんより6歳ほど年長ですが、
彼同様、高校卒業後中国語を学んで、中国に渡りました。
北京大学ではなくて北京の語学学校に2年ほど通い、その後中国で職についたのでした。

あの2005年の反日デモのときは上海にいて、騒動を目の当たりにした経験をじかに聞いたことがありました。
現在は日本の企業に転職し中国在駐で働いています。
知り合いの息子さんも日中間でしっかり地に足つけて暮らしています。

でも加藤現象みたいなスポットは現在のところ当たっていないように思う。
この違いって何なんでしょうね。
北京大学大学院を終了できるという根性・気迫もあるのかな…

夏バテしないために

2010-08-17 | 日々是好日
今日も暑かったですねぇ~
だんだん夏の疲れたまってくる頃です。
水分しっかりとって、栄養あるものも食べましょう!

妹が今まで食べた鶏肉の中で一番美味しかったというので、そのレストランへ案内してもらいました。

 

 

チキンランチという名前ではリーズナブルで庶民的なものを想像してしまうけど、
その割には高いような…

最初に野菜スープ、少し薄味で食塩探したけど見当たらなかったのでそのままいただいた。
続いてサラダとパン。
それから待つこと何分か計らなかったけれど、かなり待たされた。

  
インテリアとして飾られてあるオブジェが素敵で、撮影などして時間つぶし。

やっとメインディッシュの登場で、ちょっとした不満はすっ飛んだ。

 

大ぶりの野菜もよかったけど、鳥の皮がパリパリで中のモモ肉がとてもジューシー。
 

鶏肉も野菜も吟味されてて、調理方法もちょうどよかった。
たまねぎと赤ワインのソースとよくあってました。

場所はかなりローカルですが、もしお近くにお住まいの方なら是非おすすめです。
洋食のラグー RAGOUT
大阪狭山市西山台6-1-19

聖徳太子はいなかったのでしょうか

2010-08-16 | 古代史のミステリー
天王寺駅から北へ15分ほど行くと、四天王寺があります。
10年ぶりぐらいで行ってきましたが、以前はそれほど神社仏閣に関心なかったので過去に気づかなかった点が何箇所かありました。

通常、寺の南門が正式な門で、四天王寺の正門も本来「南大門」です。
しかし多くの人は天王寺駅や地下鉄谷町線四天王寺夕陽丘駅から歩いてくると自然と「西門」の大鳥居から境内へ入ることになります。
で、なんとなくこの門が四天王寺の表門だと思ってしまいます。

「石の鳥居」から奥に「極楽門(西門)」が見えます。
  

かつて上町台地の西側は海で、海に沈む夕日が美しく、この西門を出るとすぐ西方浄土に連なっていると信じられていました。
今でも古代人が夕陽を眺めたこのあたりを「夕陽ケ丘」と呼びます。

春秋の彼岸の中日のみ、境内西側に立つ「石の鳥居」の中に夕日が落ちます。

「日想観(じっそうかん)法要」が執り行われ、参詣者らが境内の真西に沈む夕日に向かい静かに手を合わせるのだそうです。
かつて境内西側は海で、太陽が真西に沈みゆく光景に極楽浄土を思い、信仰したことに由来する修行が日想観です。
ほとんどの人は西側の石の鳥居から入る、
ということは「浄土」から参拝していることになってしまうけど、いいのかな?


鳥居といえば神社の結界を示すと思っていました。
寺なのにどうして鳥居があるの?
真ん中に掲げられた扁額には何と書かれてあるのだろう?
こう思う人は多いようで、四天王寺のサイトには以下のように説明されています。

「扁額の文字は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあり、
これは『 おシャカさんが説法を説く所であり、 ここが極楽の東門の中心である』の意です。
この額は箕の形をしており<チリトリ>のように全ての願いをすくいとって漏らさない阿彌陀如来の本願を現しています。
もとは木造でありましたが1294年に現在の石造となりました。
寺に鳥居は奇異に感じますが、 元来鳥居は聖地結界の四門として古来インドより建てられたもので神社に限ったものではありません」


そしてこの鳥居は日本最古の石造りの大鳥居の一つとされており、重要文化財に指定されています。
1294年(永仁2年)に再建され、日本三鳥居の一つです。
(吉野・銅の鳥居/安芸の宮島・木の鳥居/大阪四天王寺・石の鳥居)

  

西大門の四柱にコマ状の小さな車輪が付いています。
転法輪といわれ、参詣者はこの門をくぐる時に車輪をまわして通ります。

法輪は、お釈迦様の教えが他に転じて伝わるのを輪にたとえたもので、仏教の象徴です。
合掌し、「自浄其意(じじょうごい)(心が清浄となりますように)」と唱えて軽く右にお回し下さい。

チベットのマニ車みたいと、四天王寺のサイトで確認しました。
「元来、西の大門と呼ばれていましたが、戦後再建されてからは極楽に通ずる門の意味から極楽門と呼ばれるようになりました。
この門にはあまり他所ではみられない「転法輪」という手で回すコマ様のものが4基ついていますが、
これはブッダが教えを説かれることを表す法輪(チャクラ)を小さくしたもので、
手で回すことにより「仏の法(のり)を教えて下さい」と挨拶代わりにしたのが起源です」


 

四天王寺を創建した聖徳太子は、私達世代にとっては以前の一万円札です。
高額紙幣の代名詞としての「聖徳太子」
あれほどのスーパースターと習ってきたのに、
今や歴史の教科書では「厩戸王(聖徳太子)」に変更されたり
『聖徳太子はいなかった』という本なども出版されたり諸説噴飯です。


聖徳太子の父・橘豊日皇子が即位して用明天皇となられた頃、
仏教の受容を巡って崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋とが激しく対立していた。
たった2年で用明天皇は逝去され、皇位を巡って争いになります。
蘇我×物部の対立は激化、父も母も蘇我氏と繋がる厩戸皇子は当然蘇我軍に加わり参戦します。

厩戸皇子は、白膠の木を切って四天王の像をつくり、戦勝を祈願して勝利すれば仏塔をつくり仏法の弘通に努める、と誓った。
この戦いで物部氏は破れ没落。
戦後蘇我馬子は崇峻天皇を擁立するも、いうことを聞かないので暗殺します。
593年天皇家史上初の女帝である推古天皇を新たにたてました。
このときわずか19歳で厩戸皇子は摂政に。
見事勝利したので、摂津国難波に日本最古の官寺として四天王寺を建立しました。

墓所は大阪府南河内郡太子町の叡福寺にある「叡福寺北古墳」が宮内庁により比定されています。
直径約55メートルの円墳。
墳丘の周囲は「結界石」と呼ばれる石の列によって二重に囲まれているそうだ。
よっぽど怨念が怖くて、でてきて欲しくない人たちがいたってことですよね。

四天王寺は当初、四つの院を持っていました。
孤児や高齢者など身寄りのない人を救済したり(悲田院)
病いを持つ人に医療を施したり(施薬院,療病院)
学問や精神的な救済を目的としたり(敬田院)
人々の日々の生活に密着した救済・文化センターのような所でもあったそうです。

今でも大阪の民衆の心に深く根付いてるのは、
こうした記憶がめんめんと受け継がれてきたのかもしれません。

創られた太子信仰だけで、関西人の心深くこんなに永い時代を超えて浸透するのかな??

若い感性

2010-08-16 | 日々是好日
親戚のおばさんが、心斎橋大丸南館で絵画展してると案内いただいたので見てきました。

「花とコンテナ、対照的な質の二つ
両方共に何と美しい存在なのでしょう
何度も繰り返し永く描き 私の心を託して居ります」

案内文に書かれているように、昔からコンテナ表面の文字や記号の無機的な美しさに惹かれ、国内はもとよりニューヨーク等で発表を続けて来られました。

寅年なので今年は年女、なんと6周りめですから72歳というのが驚きでしょう。
1978年に初入選されたときも確かコンテナの絵でした。
2000年には大阪ビジョン21展で銅賞とられ大阪府に買い上げられました。

現代の一面を切り取った無機的な美しさを抽出できる若さはどこから生まれるのでしょう。

薔薇や牡丹の花の美しさを凝集した絵も素晴らしいです。
親戚の誉れです。

 

 

うら盆会万灯ローソク

2010-08-14 | 日々是好日
四天王寺の盂蘭盆会万灯供養法要に行ってきました。
8/9~8/16までお盆の先祖供養のとして、日没から戒名が記された約1万本の蝋燭に灯りが点される。

大阪のど真ん中上町台地にあるので境内外にはビルが林立しているので
暗くなるまでは幻想的とはいいがたいかも。
  

しかし先祖代々とか故人の戒名とかを書いた蝋燭に灯がともされると、
皆手を合わされます。
  

そして途中でロウソクが消えないかと燃え尽きるまで気になって何度も確かめに行きます。
  

7時10分の万灯供養法要にも参加してきました。
南無阿弥陀仏
南無観世音 観世音菩薩

と、唱える僧侶が先達ちし、一般参拝者も後をついて伽藍内を練り歩きます。

  

  

観世音に帰依します。
般若心経の冒頭にも登場する菩薩です。
四天王寺のご本尊は救世観世音菩薩で、金堂に祀られ四方を四天王が守護しています。

創建当時は、四天王寺の名前のとおり、四天王(仏教の世界の東西南北を守護する仏)がご本尊でしたが、平安時代から救世観音をご本尊となりました。

中心伽藍の建物(仁王門・五重塔・金堂・講堂)が南北一直線上に配置されて、その回りに廻廊を巡らせた四天王寺様式です。


講堂内陣は中央を境に、東を冬堂、西を夏堂と呼びます。
冬堂には現世の人々の悩みや、苦しみを救う十一面観世音菩薩、
夏堂には来世極楽に人々を導く丈六阿彌陀如来をお祀りしています。

その阿弥陀如来がガラスに写り、まるで中空に浮いて見えます。
迷える衆生を救いに降りてきてくださったかのよう。
  

お盆には迎え火を焚いて先祖の霊を迎えます。
たまたま撮影したショットの中にものすごく多数のオーブが写りこんでいました。
  

贅沢なペペロンチーノ

2010-08-14 | 日々是好日
2日前食したペペロンチーノは『絶望のパスタ』から見事格上げしてました。
本来のニンニクと唐辛子がまじったオリーブオイルにカニ肉が混じってます。

本場イタリアでは、ペペロンチーノは外食として食べることはまずない、
おもに家庭などで作られる料理です。
貧しい状況下などで材料がない時の究極のパスタということから『絶望のパスタ』などとも呼ばれるそうだ。

日本では、エクスポ70が終わった頃ぐらいから、
喫茶店などでスパゲッティといえば「ミートソース」や「ナポリタン」
その後「ペペロンチーノ」が登場しましたが、
当初は、肉や野菜と共に炒められるなど本来とは異なる形で供されることが多かった。
1990年頃に起きたイタ飯(イタリアンレストラン)ブームを経て、本来のレシピが一般に知られるようになりました。

日清食品がイタ飯ブームに乗じ、インスタントカップ麺シリーズ「スパ王」を新発売。
その初代にペペロンチーノもラインナップされ、家庭料理としても日本で一般化していったという説がウィキペディアで紹介されてました。

ほんとはシンプルゆえに、素材の質と料理人の技量が味に直結するごまかしのきかない料理でもあります。

  

この日の夕食は、エソラを連れての外食でした。
春に蕎麦屋さんで外食した頃に比べると、格段の進歩です。
暴れたり泣いたりすることはなくなり、フォカッチャなどのパンやスープは喜んで食べます。

スープ・前菜3種・パスタ・デザートの簡単コースでしたが、事前予約し、大急ぎ30分あまりで完食。
ゆっくり味わえるようになるには、もう少しエソラの成長を待たないと。