
推定樹齢500年のシイノキ。
幹下方のねじれもすごい。
前来た時にスタジイと聞きました。
印象的な巨木で記録残してます。

ここまで下がると全景入りました。
右下の建物がお水取りの水汲む閼伽井です。

真ん中の木がスタジイです。
本堂から見ると前は広々として

右側に閼伽井と椎木があります。
本堂に上げてもらっても内陣暗く良く見えない。
前は地車隊の団体だったから内陣に入れた。
寒く凍えそうな1月大寒のころ和尚さんの説明伺えた。

2019年12月改訂のおばまっぷでは、若狭彦若狭姫神社紹介のみ。
流行りの一般受けするパワースポットというのがメイン。
この地図案内からお水送りや遠敷明神に導かれる人は少ないでしょうね。
2014年7月のは

若狭仏や神宮寺案内載ってます。
観光案内もコンセプトどこにスポット当てるか難しいね。
2019年改訂版表紙はドギモ抜くけど内容が伴ってないな。
今回はいただいた神宮寺しおりから
若狭神宮寺の由来をご紹介しておきます。
この地方を拓き国造りした祖先が、遠敷明神(若狭彦)で、その発祥地が根来の白石で、都への近道の起点に良地を選び、
遠敷明神の直孫和朝臣赤麿公が8世紀初め山岳信仰で、
紀元前銅鐸をもった先住のナガ族の王を金鈴に表し地主の長尾明神として山上に祀り、その下に神願寺を創建され、翌年勅願寺となった。
その秋には、紀元1世紀頃唐服を着て白馬に乗り影向し、すでに根来白石に祀られていた遠敷明神を神願寺に迎え神仏両道の道場にされた。
これが若狭神願寺の起源で鎌倉時代初め若狭彦神社の別当寺となって神宮寺と改称したのである。
2015年1月にもらったのと同じしおりをまたもらいました。
で、今回やっとちゃんと読みました。
金ワニ鈴にこんな意味あったとは…
又、神願寺の開山赤麿(和氏)公は白石の長者の神童(幼児)を大和に伴い当時の名僧、義淵僧正(大樹)に託され、後東大寺開山良弁和尚となられ、
神願寺へ渡来した印度僧実忠和尚が良弁僧正を助けて東大寺を完成し、さらに二月堂を建て、お水取り行法を始められた。
その若狭井の水源が白石の鵜瀬であるから、白石神社で行ったのを伝え根来八幡宮では毎年3月2日、山八神事を行い同日夜、神宮寺から神人と寺僧で鵜瀬へお水送り神事がある。