今日は、絵空の宮参りでした。
大阪では昔から男の子には大、女のこは小の字を額に書きます。
なぜか調べたら、「日本の通過儀礼」八木透 編によると
「宮参りの子供の額に『犬』の字や、男児なら『大』、女児なら『小』の字を書くという例は全国で聞かれる。
これは本来は『アヤツコ』とよばれ、もとは二つの線が斜めに交わる形状を指し、かまどの墨や、鍋墨で『×』のしるしをつけるものであった。
それがいつしか『犬』や『大』の文字に変わり、また鍋墨では汚いので紅が用いられるようになった。
ゆえに『大』や『小』の文字には特別な意味はないのである。
アヤツコは異なった世界が交差することを意味する印で、それが転じて魔よけと見なされるようになったものと考えられる」
だそうです。
磯良疣水神社でお祈祷予約は朝10時だったにもかかわらず、駐車場が満員で少し離れたコンビニに駐車して歩いていきました。
朝早くからやけに参拝客が多いなと思ったら、「玉の井」(疣水)の霊水を賜る方々だったのでした。
御祭神・磯良大神は海の神です。
それでか、○に巻貝が描かれています。
珍しいなぁと婿がまず気づきました。
古代の海人族である九州安曇氏の祖神です。
博多湾で金印の出土した志賀島が拠点だったそうです。
神功皇后三韓への御征途に際し、住吉三神とともに水先案内をされて航海の安全に功があったと伝えられます。
『太平記』には
「神功皇后は三韓出兵の際に諸神を招いたが、海底に住む阿度部の磯良だけは、顔に牡蠣や鮑がついていて醜いのでそれを恥じて現れなかった。
そこで住吉神は海中に舞台を構えて磯良が好む舞を奏して誘い出すと、それに応じて磯良が現れた。
磯良は龍宮から潮を操る霊力を持つ潮盈珠・潮乾珠を借り受けて皇后に献上し、そのおかげで皇后は三韓出兵に成功した」
この海流の中から亀に乗って出現したという場面を描いたものが、福岡県福津市の宮地嶽神社の安曇磯良出現之図。
婿は頭を垂れてくぐらなければいけないほどの、普通より低い鳥居。
その左手に覆屋で囲われた井戸があります。
これが「玉の井」
ここから2台のポンプで拝受所へ送水し、2つの神水口から常に流れだしています。
一人10リットルまでで容器に詰めて持ち帰えることが出来ます。
しかし水はそれほど勢いよく出ないし、どなたも限度いっぱいいただくので行列ができてます。
もちろん私も並んでペットボトル2本賜ってきました。
かつては新屋坐天照御魂神社(西河原)の境内社だった疣水神社。
1669年に天照御魂神社が現在の地に遷座されてより独立、今やこちらのほうがにぎわっているのはこの玉の井のおかげ?
対馬の民間伝承によれば、海童「磯良」イソラが海神の娘豊玉姫命の子どもとして登場します。
イソラは亀に乗って海中を往来し、あるときは童子の姿、またあるときには老翁の姿で人々の前に姿を現した。
イソラはふだんは海底に住んでいるため、顔にはカキがへばりつき醜い顔をしていたとされます。
イソラのイメージが老翁や童子の姿になるのは、
ユングの深層心理学の立場からすると老賢者(Old Wise Man)の元型に関連づけてみることができるそうだ。
われわれに知恵を与え、その人の進むべき道を示唆する指導者的な役割を果たす元型です。
絵空は磯良大神にあやかり健やかに賢く育ちますように。