天王寺動物園に入場せずに高架道で、新世界から天王寺公園に行けます。
正面に見える建物が大阪市立美術館、左の高層建築があべのハルカス。
若いころから天王寺公園には何度も足を運んでますが、こんな銅像立ってるのに全く気付かなかった。
この銅像の前で堂々と露天商が並んでるんだから、皆さんあまり大事に思ってないかも。
ボランティアガイドさんの説明がなければ立ち止まることもなかった。
銅像のお名前は、像の下ではなく、背面の壁にそっと隠れるようにありました。
池上市長顕彰碑
池上四郞君は安政四年四月十八日会津若松に生れ大志を抱いて才を警史に起し累進して大阪府警察部長の職にあること十四年 大正二年十月与望に応えて第六代大阪市長に就任し寛厚沈着にして清廉果敢大いに市政刷新向上の実を挙げ本市政史上初めて市長三選の栄を得られた。
ことにこの間市財界の宿望であった大阪電燈株式会社の買収を初め財政の整理 都市計画事業の確立 築港の完成 水道の拡張 市庁舎の新築 学区の負担均整 実業中校の増設 社会教育の振興 社会事業の創設 諸病院の拡張など近代都市大阪建設一の緒を開かれた大きな業績は今日その輝かしい成果を見その恩恵を思うにつけ深く感銘にたえないところである。
昭和三年二月には選ばれて朝鮮総督府政務総監の要職につかれまた大いに箔績を挙げられつつあったが翌四年四月四日東京出張中病を得にわかに長逝された
昭和十年四月その遺徳遺業を敬慕する知友相謀り天王寺公園中央部の一角に銅像を建立されたが 同十七年十二月金属回収の戦時国策に従って供出されたので 本年市制施行七十周年に際し彫塑原型によって復元しこの地に再建して長くその功労を後世に伝えるものである
昭和三十四年六月 大阪市長 中居光次
知らんかった~
この池上市長の時代に大大大阪の礎がつくられたのですね。
大正2年に大阪市長となられ、その時の助役が関一さんで、池上市長の後を継いで次の有名な市長さんになられてた。
関一さんのことは知ってても池上さんのお名前は?
たぶん、たいていの大阪人はそうかもしれません。
大阪市の税金でお安く大学卒業させていただいたのに、知らなくて申し訳なかった気持ちでいっぱいです。
池上四郎さんが会津出身だったことや、秋篠宮紀子妃殿下は曾孫に当たることも、いろいろ忖度するのでしょうか。
Wikiページによれば、
1913年、市政浄化のため、池上は嘱望されて、肝付兼行の後任として大阪市長に就任した。財政再建を進める一方、都市計画事業や電気・水道事業、さらには大阪港の建設などの都市基盤を整備し、近代都市への脱皮を図った。
御堂筋を拡張し大阪のメインストリートとする計画は、池上の市長時代に立案され、続く関一市長時代に実現し、大大阪時代の全盛期を迎えることとなった。また、市庁舎の新築、博物館や図書館などの教育施設や病院の整備など、社会福祉の充実にも注力した。池上は1915年に天王寺動物園を開園させ、1919年に全国初の児童相談所・公共託児所を開設した。1923年には大阪電灯株式会社を買収し、電気供給事業を市営化した。また1923年9月に発生した関東大震災では、いち早く大阪港から支援物資を東京に送り、被災者の救済を行った。
住友家が大阪市に寄贈した大阪市立美術館敷地と、住友家茶臼山本邸庭園だった慶沢園。
これらもこの時代のはなしだったのですね。
詳しくは→
こちらのブログで
2013年春に質屋ウォークで天王寺界隈を歩き記録残しています。
立派なお弁当が楽しみな質屋ハイク
天王寺七坂
天神坂の安居天神の菅原道真と少彦名命
実は、あのときもう一つ記事アップしてまして、何年にもわたりこのブログの人気記事の一つでした。
タイトルは
「
朝鮮総連系在日コリア寺院 統国寺のベルリンの壁」
ところが二年ほど前だったかに、そちらの関係者の方から直接メッセージで記事削除依頼が届き、いろいろ思案を重ね受諾しました。
どんな内容だったかというと、
やっぱり公開は躊躇しますね~
よくよく考えて、そのうちこっそり追記するかも。
タイトルで検索したら、キャッシュで残ってました。
さすがデジタルタトゥーやわ。
上のタイトルのところにリンク貼っておきました。
天王寺公園は、橋下市長の時代にいっとき無料から有料になってました。
それがまた「てんしば」となり近鉄が運営するようになってシステム変わってた。
2013年には、せっかく住友さんが寄贈された大阪市立美術館や慶沢園の値打もわからんとと、売りに出すなんてアホやとボランティアガイドさんが憤慨されてたもの。
ちなみに、『慶沢園』という名は、伏見宮貞愛親王(ふしみのみや さだなるしんのう)から賜ったもの。
「照代え恩恵、祖先の余沢」の意ではじめは『恵沢』の名が用いられ、この庭園が完成した大正7(1918)年の5月に『慶沢』の字に改められたそうです。
じゃんじゃん横丁では、あちこちで串かつやの匂いが充満してました。
しかし質屋ウォークは大所帯で30名を超える人数だったので小さなお店には入れません。
それで天王寺駅MIOの串屋物語で串カツの食べ放題ビュッフェ。
この年になるとわずか10本程度、それほど食べれるものでもありません。
各自のテーブル自分で揚げる油の匂いで目がチカチカして早々に退散しました。