秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

ヒップアップ

2009-04-30 | パワーヨガ
2005年4月からこのブログをスタートしました。
カテゴリーの記事数を足してみたら、1152もありました。

ちょうどそのときにパワーヨガもスタートしたのでした。
今年で5年目に入りました。
パワーヨガの記事書くために、久しぶりにデジカメ持っていきました。
なかなか練習中はシャッター押す時間がないし、他の人も写されたくないだろうしね。
(画像はインストラクターの先生です)

いつもレッスン始めのウォーミングアップに、画像のようなポーズを何回か繰り返します。

息を吸うときに右手左足を伸ばし、
吐く時に手足を下ろし四つんばいに戻ります。
次の息を吸うときは左手右足。
と、交互にだいたい5回ぐらい繰り返すでしょうか。

週に1度のレッスン、家ですることはまずない!
それでも、継続することでヒップアップに繋がってるように思います。

年々筋力も落ちて地球の引力には逆らえず、ヒップやあちこちの筋肉が垂れ下がります。
それをたった週に1度でもしないよりしたほうが効果はありますよ。

継続は力なり!

ホテルのホットケーキ

2009-04-29 | 日々是好日
ケーキセットが1380円なのに、ホットケーキとのセットは1550円は高い、けれど家で食べるホットケーキとホテルではどれほど違うものかと頼んでみました。

釜焼きということで、銅製のお玉のような焼き型に流しいれて、オーブンで焼くようです。
その焼き型からお皿に出してもらうと上面だけ焦げて、底はスポンジケーキのようでした。

バター・蜂蜜・メープルシロップなどはセレクト、バニラと抹茶アイスクリームは必ずついてきます。
珈琲はお替わりできました。

家で作るより、しっとりしていて甘みもあり、アイスクリームと一緒に食べると美味しかった。

今日は高校時代のバスケット部同期会、1年ぶりの食事会でした。
彼女達と出会って今年で40年!

残念ながら写真はピンボケだったけど、皆ニコニコです。
 

メイストーム

2009-04-28 | ギズモ&もぐ&メルキー
週末から昨日まで雨風強くて寒かったですね。
ほとんど冬物片付けたので、猫ともども震えてました。

4月後半から5月にかけて、主に温帯低気圧の急速な発達により大風が吹く気象現象をメイストームというそうです。

もぐちゃんはギズモがライオンカットして、たいして差のない体格になったので、前よりはエラそうにしてます。

ETC利権

2009-04-27 | 世情雑感
もうすぐゴールデンウィーク、ETC1000円での混雑対策に終われるニュースが目白押しです。
どこまで行っても1000円は確かに魅力ある金額。
グッドタイミングで定額給付金、チャッチャと届いてすぐに申請しましたから、今日付けで銀行口座に振込まれてた。
ちょっと出かけてみようという気になることでしょう。


1週間ほど前に接骨院へ肩こりのマッサージに行きました。
待合に置かれた週刊誌をぺらぺらめくってたら、ETC利権についての記事がありました。
へぇ~そうだったんだとあらためて驚き、とりあえずその利権図を撮影したのが最初の画像です。

ETCを設置すると、何がしかのお金がキックバック、ETCのカードでも100円弱のお金が動くと書かれてあった。

国交省は、高速道を無料にすることは絶対ないとも書かれてあった。
なぜなら国交省の外郭団体によるセットアップとよばれる手続きと取り付け工事が必要である以上、このシステムが存在する限り甘い汁がすえるからだ。

ここで記事にするに当たり、正確をきそうと「ETC利権」でググっってみると、出てくる出てくる・・・

ETC割引には税金が使われているのは分かっていたけれど、年々増加するその額がスゴイ!

2003年度:ETCモニターに10億円。
2005年度:ETC普及促進等情報システム活用として145億円。
2006年度:ETC普及促進等として163億円。
2007年度:高速料金設定社会実験と名前を変えて360億円。
2008年度:1000億円、第2次補正予算で5000億円。

今年は1000円という設定だから、どんなに使われることやら・・・

土日祝限定、これでは平日お休みの人は対象外とか、
ETC搭載車だけ、そのためただいまETC品薄状態とか、
なんか平等ではない税金の使い方ですよね。

欧米をはじめとする世界のETC事情や、日本の特異性について書かれたサイトは、こちらから→ETC のシステムと運用

あまりに深い闇で、最初の回答にまでたどり着けなかった。

樹齢三百年越える大つつじ

2009-04-26 | 四季折々・色とりどり
つつじの寿命はふつう150年ぐらいらしい。
その倍も生きているのに、まだまだ勢いのある大つつじでした。

守口市大久保町・妙楽寺中庭にある大つつじです。
1683年(天和2)建立から300年過ぎた1983年に大阪府の天然記念物に指定されました。
ヒラドツツジ正式には『オオムラサキ』

部屋から見せていただくと
 
東の中庭にあるので、朝陽をあびると部屋中が赤く染まるそうだ。

最盛期には2本の支柱の高さまで花をつけていたが、数年前の台風で上のほうが折れてしまったそうです。
本堂も被害を受けた箇所があり、年数も経ているので近いうちに建替えが始まるとか。
来年はこうした状態で見れるかどうかわかりません。

 

入り口のソテツも立派でした。
  

つつじのキメラ②

2009-04-24 | 四季折々・色とりどり
今年もつつじの季節になりました。
事務所の中庭に白いつつじが満開で、白は光を反射するのか中庭がいつもより明るくて目を惹きます。

去年もつつじの記事エントリーしたなと思いながらも、撮影したら一番上の高いところに紅赤の花の塊が見えた。

 
同じ木のある一本の枝だけ花びらの色が違ってる!

2008/4/25の記事・つつじのキメラ
去年は一つの花の中で色が変化してたけど、今年は4つの花が塊となって色が変化してます。
キメラがさらに進化した??

シルクロード謎の民・ソグド人

2009-04-23 | 古代史のミステリー
東京国立博物館「法隆寺宝物館」に展示されている白檀・栴檀2点の香木って、どんなだろうと探しに探して見つけた画像です。

この画像ではよくわかりませんが、
白檀表面にはいくつかの墨書があり、そのなかの「字五年」は天平宝字五年(761年)と解釈されるので、この年以前に日本に舶載のあと、他の正倉院宝物と同じ頃法隆寺の所有となったと考えられています。

法隆寺に伝来した宝物300点を超える品々が皇室に献納されたのは1878年のこと。見返りに金1万円が下賜されたが、今の数億円に匹敵する莫大な金額であったそうだ。

献納宝物の中には、聖徳太子ゆかりの品を含む法隆寺にとってかけがえのない品が多数含まれていて、ほとんどは飛鳥・奈良時代のものです。

第二次大戦後、皇室財産であった正倉院御物と法隆寺献納御物は国有化されることとなり、博物館に保管されています。


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ユーラシアの東の端・日本の法隆寺の香木。
一方、西の端ベルギーのノートルダム寺院では不思議な文字の書かれた7世紀の絹が発見されたそうです。
これも検索しましたが、フランダースの犬のネロとパトラッシュが天に召された教会としかわからなかった。

不思議な文字は、研究の結果、ソグド人のものであることがわかりました。

香木いずれも長さ約60cmで20cmほどにわたる刻銘があり、その端近くに焼印。
刻銘、焼印ともに漢字以外の文字であり、長い間その意味は謎とされてきました。

現在では、刻銘の文字はサーサン朝ペルシャ時代に使われた中期ペルシャ語のパフラヴィー文字で、銘の内容は「ボーフトーイ」(bwtwdy)という人名か香木のメーカー名。

焼印の文字はソグド文字の「ニームnym」と「スィールsyr」で、「2分の1シール(重さおよび貨幣の単位)」のことだった。
またその焼印には大きな十字架のマークがあるらしい。
ちなみにパフラビー文字とソグド文字の焼印はともにヘブル語から変化したアラム語です。

輸送の際、木材に荷主を判別するため押印をすることは古今東西広く行われていて、法隆寺の白檀二点の焼印・刻印がソグド語とパフラヴィー語であったことは、その流通・輸送にイラン(ペルシャ)系商人が深く介在したことを示しています。

白檀の原産地である東南アジアから積み出され、中国の広州や揚州などの市場を経て、最終的に法隆寺に納められたと考えられます。

7・8世紀中国の文献史料からは、「波斯人」イラン(ペルシャ)系商人が「波斯船」に乗って中東からインド、東南アジアそして中国にかけての広範囲で交易活動を展開していたことが伺い知れます。

楼蘭の遺跡で313年に洛陽から出された手紙が見つかった。
約100万人いた洛陽の人口が異民族侵入で激減、
「ソグド人の商業ルートが破壊されたので対策を考えなければならない」ということが書かれていた。

法顕(337-422)はインドからセイロンを経て山東半島へ海のルートで帰ってきたが、そのルートでもソグド人に関係のあるものが出土している。

シルクロードの交易を1000年にわたって担いながら、その後忽然と姿を消した謎の民・ソグド人の存在が近年明らかになってきました

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古代日本の姓・氏系譜書である「新撰姓氏録」815年には、
「以前から日本に住んでいた人々」、「新しく日本に来た人々」という区分がされていただけで、自由に移民を受け入れていたのが当時の認識でした。

初期の景教徒たちは、もともとアッシリアから東方世界に広まり、西アジア、中央アジアの多くの国々は早くからキリスト教国となっていました。
景教徒たちが西には行かず東へ東へと来たのは、
ヨーロッパでは、宗教的弾圧と迫害が厳しかったからです。
遠く中央アジアから来た人々は、朝鮮半島の出身ではなく、百済は通過地、経由地に過ぎませんでした。

自由と安住の地として、日本へ行くことを夢見ていたのです。
「日本にさえたどり着けば、もう誰も追いかけてはこない」
そのようにして多くの人々が世界の東の果て日本にやってきました。
「和をもって尊しと為す」はそのような意味からも理解できます。

弥勒菩薩と如意輪観音

2009-04-22 | 古代史のミステリー

これは月うさぎの土鈴、中宮寺の天寿国月兎鈴です。
聖徳太子の死を悲しみ、妃の橘大郎女が采女らに刺繍させたと言われる「天寿国曼荼羅繍帳」わが国最古の刺繍、その左上の図案の一つです。

 

拝観のしおりには、中宮寺新金堂と月うさぎ像の写真が載っています。
半跏思惟像は国宝だし、教科書にも載ってるぐらいで超有名、なのに写真はない。

三つ折りを開くと、中宮寺の沿革、新本堂、本尊如意輪観世音菩薩半跏像というタイトルで説明文があるだけ。

なぜ半跏思惟像の写真を載せないのでしょうね。
造られた時は弥勒菩薩として造られたし、ほとんどの人は中宮寺弥勒菩薩として記憶に残っていると思われます。

中宮寺の寺伝には、
「聖徳太子さまが御母のお姿をこのお像にうつされたもの。
このお像は来生の救い主みろく菩薩でなく、現世の苦悩を救済される、如意輪観音菩薩像でございます。」

平安時代になると寺運衰退し、宝物の大半は法隆寺に移され、僅かに草堂一宇と本尊を残すまでになった、と記されています。
世間に如意輪観音信仰が広まった平安時代には、寺が衰退していた。
この像が作られた飛鳥時代は弥勒信仰の時代だった。

 
左・中宮寺の如意輪観音と、右・広隆寺の弥勒菩薩像。
どうみても同じタイプで、違いがわからない。

弥勒菩薩半跏思惟像は、6世紀から7世紀に大陸より弥勒信仰と共に伝えられ、飛鳥、奈良時代の作品が多く残されています。

大阪府羽曳野市にある野中寺(やちゅうじ)で、毎月18日に公開される秘仏「弥勒菩薩半跏像(重文)
     
本像台座の框(かまち)部分の銘から「弥勒菩薩像」であること、「丙寅年(666年)」に作られたことが判明している貴重なものです。
半跏の姿勢は同じですけど、表情がだいぶ異なりますね。

野中寺は聖徳太子が建立した48寺院の一つとされ、開基は蘇我馬子と伝えられています。


弥勒菩薩は、未来の救済仏です。
56億7千万後の未来に下界に降って仏となり衆生を救ってくださるそうです。
釈迦入滅後567,000千万後、これは科学的に見ると太陽系の余命とほぼ一致するんだって!
 
弥勒菩薩のご真言の「おん まいたれいや そわか」
『まいたれいや』はサンスクリット語の「マイトレーヤMaitreya」
でも「弥勒ミクロ」はインドのクシャン朝の貨幣に現れる「ミイロMiiro」が語源だと考えられているそうだ。
 
西アジア・イランの太陽神で崇められた「ミスラMithra」がクシャン朝ではバクトリア語形の「ミイロ」
それが仏教に取り入れられ、菩薩として信仰され、その救世主的性格はここに由来します。

西暦400年ごろ法顕はパミール山中で巨大な木造の弥勒像を目撃したことを旅行記に記していますし、敦煌や朝鮮でみられる弥勒の交脚像、思惟像はすでにガンダーラに祖型があります。 
     
ウズベキスタン旅行記でクシャン朝の三尊仏でも書きましたが、インド洋から海路でもたらされたものがたくさんあるようです。

次は法隆寺に伝来した白檀香木について書きます。


世界三大微笑のひとつ中宮寺・半跏思惟像

2009-04-20 | 日々是好日
中宮寺は、法隆寺や四天王寺などとともに聖徳太子によって建立された七つのお寺の一つで尼寺だそうです。
境内全体に女性的なイメージが漂っています。
山吹の花が咲きみだれ、おりしも山吹茶会が開かれていて着物姿の女性にたくさん出会いました。

 

621年聖徳太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の発願によると伝えられています。
太子がいた斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置にあります。

本堂は高松宮妃の発願で1968年(昭和43年)に建立した和風の現代建築、前には池が広がります。
 

あの有名な半跏思惟像は、くすのきの寄木技法による作例としては最古で飛鳥美術の最高傑作です。

エジプトのスフィンクス レオナルドダヴィンチのモナリザと並んで世界三大微笑像のひとつに数えられるそうで、古典的微笑(アルカイックスマイル)には見入ってしまいます。

     

中宮寺では如意輪観音ということになっていますが、
最初は弥勒菩薩像として作られたようで、ネット検索でも「中宮寺 弥勒菩薩」でヒットします。
学術上、弥勒の明示を避け「菩薩半跏像」と呼ぶそうです。

アパレルブランド偽造品

2009-04-20 | ネットオークション
先日楽天から、「ブランド品を扱う店舗様へ重要なお知らせ」が届きました。

「楽天オークションとしては弊社指定のブランド品を取扱われる際には、『海外有名ブランド品販売に関する誓約書』の提出をお願いしています。

当然なことながら、事業者様の商品は すべて真正品として理解しておりますが、一部の店舗様の取扱われる商品において権利者様(メーカー)から「偽造品」の指摘が増えております。
特にここ数ヶ月では、いわゆるスーパーブランドに加えて、アパレル系ブランドでの指摘が増えております。

商品の真贋について、確証のない商品等につきましては出品を控えていただきますようお願いいたします」


確かに10万円以内で購入できるようなセカンドブランドアパレルの模造品はよく見かけます。
ディオール、フェンディ、グッチ、バーバリー、ドルチェ&ガッパーナ、 などなど

しかしお値段も超一流のエルメスやシャネルの衣料品ではまだコピー品にであっていません。
あるとしたらネクタイやスカーフぐらいでしょうか。

ここんところシャネル・アパレルがよく売れています。
出品してもすぐ売れる勢いです。

楽オクの1円スタートではシャネルワンピースを出品中。
4/29落札には、画像のシャネル・半袖カットソーTシャツ、今年流行のマリン系。
他にパンツも出品予定です。

これらは間違いなく正規店購入の本物ですからご安心下さい。

楽オク1円スタートオークションは  こちらから

確かめるために法隆寺へ

2009-04-19 | 日々是好日
今日は午後から時間があったので、早速法隆寺へ行ってきました。
ほぼ20年ぶりです。
自分で車運転していくのは初めてだったけど、西名阪の法隆寺で高速を降りたらまっすぐですぐ分かりました。

秘仏国宝救世観音像特別開扉は、修学旅行中の学生さんなどたくさんの人出でした。
 

いいお天気すぎて、暗い夢殿の中の、さらに厨子に納められた救世観音像はだいたいしか見えませんでした。

「ひたすらに瞳を凝らす みほとけのおん微笑の謎を解くべし」
    吉井勇


ペルシャ王族の印があるという冠や光背の柄も定かではない。
それで夢殿のある東院伽藍入口の受付の人に聞きました。
外が明るすぎない曇りのほうがよく見えるのだそうです。

冠ねぇ、さぁ~どうだろう、とご存知ではなくて、
有名な写真家入江泰吉氏や土門拳氏の写真集を見せてくださいました。

それを撮影したのがこれ↓
 

 

冠一番上に、三日月を横に寝かせその上に●、これがそうなのか??


法隆寺は、金堂・五重塔・中門・回廊のある西院が、日本で最初に世界遺産とし登録されました。
小学校の遠足に始まり、数回行きましたが、夢殿は東院にあったので今回訪れたのが初めてのような気がする。

たぶん今回修学旅行中の生徒さんたちもたいして覚えてないんだろうなぁ~

 

夢殿のすぐ後ろに中宮寺がありました。
あの有名な半跏思惟像も見てきましたので、これは次記事で。 

大阪人の脳

2009-04-18 | 世情雑感
関西ローカル番組「ビーパップ!ハイヒール」4/16は脳学者の茂木さんが「かしこ」ゲストでした。

脳の働きからみた大阪の特性だったので、俄然身を乗り出してみました。

以前からニューヨークに似てるだの、世界に通用するコスモポリタンだのはよく言われています。

茂木さんの解説によると
①ズバズバ脳→脱抑制
歯に衣着せずはっきりものを言う、遠慮しない言動は脳の活動を抑制しないので活発に働く

②ええんちゃう脳→ドーパミン
「まぁええんちゃうの」最終的には肯定する楽観主義は、脳をドーパミンであふれさす

③新しもん好き脳→セレンディビテイ
おまけつきグリコのキャラメル、日清チキンラーメン、最近では人工衛星まいど、などなど、思いもよらないところからも予期しない発見や幸運をつかむ能力が高い

④浪花節脳→ミラーニューロン
他者の行動をみて鏡のように活動すること、相手の気持ちを想像するという脳の活動は、前頭葉のミラーニューロンの働きによるもの


こんなに特性高いのに、なぜに大阪は地盤沈下しているのでしょう。
橋元府知事は結構傾向高いですね。
自分にまでつっ込みを入れながら、「お笑い脳」をもっと活性化して、元気のある大阪に!

少量化

2009-04-16 | 世情雑感
NHKの料理番組「きょうの料理」で基本材料の目安が2人分になり、この変更はなんと44年ぶりだそうです。
かつてはだいたいどんな料理本でも4人分が目安でした。

確かに最近お惣菜売場のパックも1人から2人分程度の小パックが増えているし、駅前のスーパーは人参、ジャガイモ、玉葱、キュウリ、トマトなど野菜はばら売りもしてて便利です。
割高になってもたくさん買って腐らすよりはずっといい。

家族の形態や孤食が急激に進んでいるのですね。

一人分となると作るのも面倒になる。
ということは、鍋やかんをはじめとする調理器も売上げ落ちて、そうした製造業者は生き延びる工夫が必要となる。

TMさんのブログで中小企業のアイデア商品として、一人用ハムエッグやスクランブルエッグ用のトースタープレートや小型フライパンのことが書かれていました。

「技術は一朝一夕では身につかないから、アイディアさえ思いつけば、他にはマネできないモノが生まれると思う。
日本には優秀な中小企業がたくさんあるのだから、その能力をムダにしないよう、知恵を出しあって欲しいものだわ」

ピンチはチャンス、よく言われることだけれど、
窮地に立たないと、なかなか新しいことにチャレンジしたり工夫することはないから。

仏教と思いこんでたけれど

2009-04-16 | 古代史のミステリー
奈良の東大寺、春の訪れの伝統行事「お水取り」
まだ行ったことないので画像もらってきました。
聖なる炎の祭は一度は見てみたいし、あの火の粉で煩悩を祓ってもらいたいとも思っています。

中国のお寺であまり見られない「火祭り」が、日本の寺院では珍しくありません。
これって、もともとの仏教行事ではなくて、ゾロアスター教の影響を色濃く伝えたものだと言われています。

 
イラン中部のヤズドにあるゾロアスター教の寺院では、彼らが神聖視する炎が燃え続けていて、その火はゾロアスター教の草創期である紀元前1200年以来絶えたことのない炎と言われているそうです。
現在なおイランでは、春になると各家庭で炎を飛び越え一年の穢れを落とす行事を続けているとか。

松本清張は朝日新聞に連載した「火の路」という作品で、ゾロアスター教がシルクロードを通って飛鳥・奈良まで伝わったという話を書きました。
東大寺二月堂のお水取りの行事や火祭りも、ゾロアスター教が日本に渡来した証拠だと。

今では東大寺自身が、修二会におけるゾロアスター教の影響を認めているという。

 
京都・大文字五山送り火の「大文字火」
お盆8/16「大」の字などをかたどって送り火をたく大文字焼きは、空海が景教(キリスト教・ネストリュウス派)から取り入れて始められたそうです。

お盆の迎え火・送り火も仏教にはない行事で、中国でゾグド人や景教徒の影響を受けて始まり、空海が日本に持ち帰って広めたといわれています。


空海が遣唐使で渡った中国、当時の唐王朝はトルコ系鮮卑族といわれています。
当時の都・長安は異民族が集まった国際都市だったのです。
高校の世界史の時間にそう聞いたときへぇ~と驚いた。
けれどもお盆行事などが景教からきているとはつい最近まで知らなかった。


日本に初めて仏教の授戒の法を伝えた鑑真(688-763)とともに来日した安如宝は、鑑真の死後、唐招提寺金堂建立に中心的な役割を果たしたとされています。

如宝のルーツはソグド系です。
中国では胡人は出身地の地名に応じて漢字の姓を名乗ったとされ、安=ブハラ、康=サマルカンド、石=タシケント、史=キッシュ
すると安如宝はブハラ出身となりますね。


中国では、845年大規模な宗教弾圧が起こりました。
唐の皇帝・武宗は、仏教界の横暴と堕落を見て、
「これては宗教が国を食い潰してしまう」といい、国内の全ての宗教を弾圧しました。
この時景教も巻き添えを受けて弾圧され、中国から沢山の景教徒たちが日本に亡命してきたようです。
 
現代人の想像をこえる文化・物・人の往来が頻繁だったのですね。
ダルビッシュ有選手のような男前がいっぱいいたんだぁ。

ハーブ18種類が入った薬用酒・45度です。

2009-04-14 | 旅・ウズベキスタン
栓を開けるのに、ペンチが必要でした。
私のほかにもうお一人、このお酒を買われた御仁は、どのようにして開けられたのかしら。

サマルカンドでワインテイスティングしたところ 
 

だいたいどこの国へ行っても、その地のお酒をテイスティングさせてくれるところはあります。
しかし、こんなにたくさん10種類もさせてくれたところはなかった。
なんと太っ腹、うれし~い!! と2本買いました。

今回は珍しいハーブ薬用酒、上等の紹興酒のような味わいでしょうか。
名前は聞いたけど忘れました。
少しミントの香りと味がすっきり、しかし養命酒のように甘めです。

中央アジアのワインの歴史は数千年
 

寒暖差の大きい内陸部ゆえ、植物は小ぶりで味が濃い。
葡萄も甘みが強いので、ワインも甘口となるそうです。

フランスやイタリアに葡萄の種子が持ち込まれる以前から、中央アジアでは果実酒が作られていました。
しかしイスラムとなってから長い間、ワインは未開の地となったようです。

中国ではすでに唐の時代に、ガラスグラスにワインを注いで味わっていたらしいです。
ソグド人によって胡酒として持ち込まれたようです。