秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

オペラドメーヌ高麗橋のウェディングパーティ

2013-09-29 | 日々是好日
久々に上質で美味しい料理がいただけました。
会費制の結婚パーティの料理に普通は期待してないけれど、ココは違いました。

スマホ画像の方が自動的に色調整してくれてますね。
以下はデジカメ撮影でなんら設定いじらなかったので…

スープカップ右側は飾りでお食べにならないようと注意されました。


魚料理も美味しかった。

シャーベットがでて、次は肉料理。

牛肉、たぶんすね肉の赤ワイン蒸し煮?
ラップで包まれてリボン掛けられて出てきました。




デザートに珈琲も吟味された味でした。

淀屋橋と北浜の中間あたりにあります。
辰野金吾氏による建築で、明治45年に『旧大阪教育生命保険ビル』として誕生。
100年の時を経てリノベーションされました。




オペラ・ドメーヌ
大阪市中央区高麗橋2-6-4

結婚式以外にも30名程度の会食が可能です。
こじんまりとステキです。
   






結婚生活でしてはいけないことを瓦に書いてもらい、
その瓦10枚を新郎が瓦割り披露、迫力ありました。

ちなみに、スピーチ依頼されてた私。
緊張しながら大役終えて、その後で記入した私からのメッセージは
「相方の親の悪口を言う」

高木神社のお葉付きイチョウ

2013-09-28 | 古代史のミステリー
葛城古道の名柄集落を歩いていて、高木神社でしばし休憩となりました。





奈良まほろばソムリエのガイドさんの話を聞いていると、
突然私の頭に何か落ちて、コツンとあたりました。

それが、コレ↓



葉っぱに黄色い実がついています。
よく見るとこの実がたくさん落ちています。
中には踏み潰されてるのも多々。

葉っぱの形はイチョウだけれど、こうした実は見たことなかった。
確かにイチョウゆえ臭い!
しかし何かメッセージ性を感じ、ビニール袋に入れて持ち帰りました。
家に帰り、あまりの臭さに一度は捨てた。
けれど、調べてみると お葉つきイチョウ
と知ってゴミ箱から拾ってきて撮影したのが最初の画像です。

お葉付きイチョウとは、イチョウの変種で葉の上に実を結ぶ、
または葉上に葯を付けるイチョウのこと。

めずらしいでしょう。


高木神社
御所市井戸字下垣内

創祀由緒など不詳、春日四神を祀ります。
祭神:天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比売大神
しかし、社名からすると元は高木神だった?

高木神=高皇産霊神(たかみむすびの神)です。
高天彦神社に祀られています。

高天彦神社と一言主神社は後ろが山で西向いて拝みます。

この高木神社も道に沿って祠が平行して建てられ、山に向かって拝む向きでした。

以前からどちらの方位に向かって拝むようになっているか、
社殿正面がどちらをむいているかが気になっていました。

一言主神社一の鳥居、後ろの山は葛城山


高天彦神社

杉参道

後ろの山が白峰、もっと後ろが金剛山


しかし、高鴨神社や鴨都波神社では北向きに拝みます。
信仰の中心に北極星があるのでしょうか?

普通家を建てる時、玄関をどの向きにするか考えるでしょう。
道や隣の家屋を気にしなくてよければなおさらのこと。

部族の祖廟となる神社なら、もっと向きは気にしたはずです。
何を崇めるか、ものすごく大事でしょう。

同じ葛城にあっても本殿の向きが異なるということは…
葛城氏と鴨族の賀茂氏で違うってこと?
時代背景までかかわってきそうで、なにか匂う。
日本の古代史のヒミツが隠れてそうな感じ。

臭い匂いのお葉付きイチョウで、何か感じろという啓示かも…。





さて、大和の葛城は古くは葛木と書いたらしい。

「高木一族は全国に展開していく過程で、名前を変えていった。
そのひとつが『高木・高田』ー『桂木』ー『葛木』であったと思われる」
と、天照大神と高木神は実在したというサイトに書かれてありました。

「タカミムスビは、別名、高木神と言う。
神様を『柱』と数えることから、タカミムスビは、
日本の中でも古くから祀られていた神様だったんじゃないかな?」
これは、やまとものがたり 天火明命のひみつに書かれてます。

そもそもタカミムスビは、アマテラスより先に高天原に現れた神であり、
大国主に、地上の国譲りを迫ったのもタカミムスビ。
タカミムスビのほうが初めて日本を統治した大王の祖神としてふさわしい。

神武の頃は、タカミムスビを最高神とし、太陽神を格下にしていた

その後、鏡が伝わり、太陽神の権威が高まる

人々が鏡を崇拝するのを見て、太陽神を利用してマツリゴトをしようとした

太陽神アマテラスをマツリゴトに取り入れた


九州古史譚2 高木神氏族と狗人。
というサイトも難しくてほとんど分からなかったけど、興味深い。

高良玉垂命を祀る高良山においても、地主神の高木神がもとは山上に在り、本来の祭神であったとされる。
という話に始まり、高良山は、古名を「高牟礼(鷹群山)」で「鷹」の神祇が九州北半を縦断する、などなど。

よくわからないけど、興味津々。。。


伊勢神宮のお引越は着々と進められ、いよいよ最終段階。
第62回神宮式年遷宮 遷御の儀 は、内宮が10月2日、外宮が5日です。


9月30日追記
もうひとつ気になっているのが海抜です。
縄文海進で今より温かく海の水が多かった時代は、海岸線が内陸部にありました。
この時代の貝塚とかがある場所が海岸線だったのです。
その後だんだん地球が寒冷化に向かった弥生時代は海岸線が後退します。

古墳時代の4世紀には、ゲルマン民族大移動がありました。
世界的に食料もとめて南下したのでしょう。
トコロテンつき状態で多くの民族が移動したと思います。

以前大阪平野が河内の海だった地図を載せたことがあります。
石清水八幡宮のことを書いた記事、キーワードは男山では、
かつて京都に巨椋池があり戦前に農地に干拓されたと書きました。
奈良も奈良湖があったとされています。


この想像図が何世紀のものか分かりませんが、
5世紀よりもずっと後のように思えます。
縄文海進の頃はもっと奈良湖が大きかったはずです。

Flood Maps というサイトでは、
今の海水面より○m高くなると海岸線がどうなるかを見れます。
しかし内陸部の湖や池の状態は見れません。

マピオンの地図は海抜が表記されます。
これによれば、御所市の神社の海抜は
高天彦神社 453m
橋元院   403
高木神社  172
長柄神社  148
一言主神社 156
九品寺   175
高鴨神社  286
御歳神社  168
鴨都波神社  96

そして桜井の大神神社は97mでした。

葛城古道を歩く その3 高天の蜘蛛窟

2013-09-26 | おでかけ・近畿
高天原の史跡で見つけにくさナンバーワンが蜘蛛窟。
前2回の訪問ではわかりませんでした。
高天彦神社の杉参道前に、鶯宿梅があり、あぜ道まっすぐ行ったつきあたりの柵の奥にあるのだろうと思いこんでた。
以前はまず柵の開け方がわからなかったし、藪を歩くのが気持ち悪かったこともある…。




立派な杉の参道前で記念撮影。


高い杉の後ろに隠れて高天彦神社社殿は見えません。

前に鶯宿梅


今回はガイドさんの案内で、実際は左側にあることが分かりました。
よく見ると案内看板があります。



左に折れるあぜ道を行き、イノシイ避けの柵をあけ、とんでもない坂道を上がります。
帰るときの坂道を下る時の写真は↓

おっそろしく滑ります。
一人で行ってたら不安になって引き返すでしょう。



神武天皇が大和にやってきたとき、この地には先住民が暮らしていました。
土蜘蛛と蔑まれた名前で呼ばれています。
日本書記によれば、神武天皇の皇軍は葛のつるで網を作り、反抗する土蜘蛛に覆いかぶせて捕らえた。
殺して埋めたのが、この蜘蛛窟。
この土蜘蛛伝説により、このあたりを葛城と呼ぶようになったと。
葛城一言主神社境内にも土蜘蛛塚があります。

2012-12-24 葛城再訪★一陽来復★かもきみの湯
今回ガイドさんの案内により知ったことは、
殺された土蜘蛛は頭胴足と3つに分けられ、
頭は社殿下、上の記事の蜘蛛塚に胴、最後鳥居左の塚に足が葬られたそうだ。
           



蜘蛛窟を見学後、鶯宿梅正面奥に見えた柵を開けて、高鴨神社へと続く古道を行きます。
柵は持ち上げて横にずらすと簡単に開きます!





この道はよく整備されていましたが、なかなか急な階段坂でした。


以前から気になっていた鳥居でした。
きっとココから歩いて高天彦神社に続いているんだろうとは思ってましたが。

「タニ、やっとわかったよ~」


葛城古道を歩く その2 名柄集落

2013-09-25 | おでかけ・近畿




九品寺の千体石仏群、左右に石燈籠ありその上に載ってるのは、みみずく?
こんなの見たことないから、めったにないでしょう、たぶん。
千体石仏の中央に行基像、聖武天皇の詔勅により行基が開基したから。

高丘宮跡のまえに九品寺に参詣してました。
まだ数日しかたってないのに、すでに記憶はどんどん薄れてる。。。







田んぼのあぜ道から見えたなんか不思議な石柱は、番水の時計



田んぼに水を分けるにあたり時間を管理するための時計です。
高鴨神社の鐘楼も水を配分するのに時間を知らせる時の鐘でした。
これも去年の記事、2012-6-25神社フリーク・フィールドワークで触れました。


とある農家の壁にもその時間配分表が貼られてありました。
以前NHKのTV番組で中国雲南省の棚田の美しい風景を見たことあります。
天空の棚田に生きる~秘境 雲南~

世界遺産ともなっているその棚田に、森と棚田との関係や水を配分する技術とかすばらしかったデス。

こうした風景と重なってみえます。
日本米ジャポニカが雲南省から伝播したというのはうなずけます。


一言主神社参詣のあと、名柄集落へ。

今回はガイドさんが居られるので、へぇ~という新しい発見がありました。
つくづく 先達はあらまほしき、ですね。
前回も予習していきましたが見落としてました。


下照姫を祀る本殿の屋根天井に立派な龍の絵が描かれてました。


入口の石燈裏には、堺屋太一(池口小太郎)建之


明治時代の旧名柄郵便局のレトロな建物。
左側建物は、堺屋太一さんの生家だとか。
長柄神社からすぐ近くで、幼い頃には長柄神社境内で遊ばれたのでしょう。


あちこちでご活躍のDIVAさんのブログによれば、
この旧名柄郵便局は、郵便博物館として再生するそうです。

葛城古道を歩く その1

2013-09-24 | おでかけ・近畿
歩行距離12.585km 歩数19,068 計測時間5:01 消費カロリー453kcal
想像以上にハードでした。
秋分の日とはいえ夏のように暑かったせいもあるでしょう。

いつか歩いてみたいと思われる方のご参考になればと記録残します。

梅田集合時間午前7:20、7時半バス発車。
ウォークは、御所市六地蔵石仏前を8時半ごろスタートしました。
このたびのコースと逆から歩くのが一般的だそうです。
急峻な坂など3kmほどを最初に歩くには風の森スタートがいいのでしょう。

おそらく最後にかもきみの湯に入浴するためとか、
帰りのバスを駐車待ち場所とかの都合で逆に設定されたのだと思います。



櫛羅の六地蔵でスマホアプリのWalkerを起動させました。

伝承によれば、この巨大な石は室町時代に土石流が発生し現在の場所に流れ着いたそうです。



このあたり、「櫛羅」という不思議な地名について以前記事にしました。
2012-12-30 事代主と下照比売 その1

そのときに紹介した説は、
「クジラ」と読んでいるが、漢字本来の字音からすれば「クシラ」。
これは源順の『和名類聚抄』・郡郷名に記載のある大隅国姶羅郡串占(くしうら=串良)に直につながる地名である。
…山城国風土記が示唆するように南九州の曽の国の串良湊(大隅潟湖=ラグーン)から
鴨(鹿子=航海民)族が船団を組んで紀州に至り、紀ノ川ルートで大和の葛城山麓に定住したから、と解けば何ら不思議ではない。


今回、奈良まほろばソムリエのガイドさんの説明は、
葛城山を急激に下る土砂崩れが度々発生したため「崩れ」が語源だと。

確かに1週間前の台風の爪あとがあちこちに残っていました。



今回のコースは残念ながら鴨山口神社には寄らず、
駒形大重神社鳥居前を通り



綏靖(すいぜい)天皇葛城高丘宮跡



先の記事でDIVAさんがコメントで書いて下さったように、
>この地が故郷である仁徳皇后の磐之媛

つぎねふや 山城川を 宮のぼり わがのぼれば
あおによし 那良を過ぎ をだて 大和を過ぎ
わが見がほし国は 葛城高宮 吾家のあたり

一言主神社までもう少し。




猪よけの柵をあけて竹林道を行くと、一言主神社の階段参道左手にでました。

去年2度、一言主神社参詣した時
駐車して鳥居くぐって いいなぁ~と思った景色は、
逆コースゆえ帰るとき最後に見ることになります。



これでは感動半減…。


去年撮影した画像、なぜか懐かしく感動した風景です。

続く

彼岸花★壱師の花

2013-09-23 | 四季折々・色とりどり
葛城古道、やっと歩く機会がやってきました。
夏のように気温高くて想像以上にきつかったです。


サンケイのウォークツアーで梅田からバスで参加した人数34名。
奈良まほろばソムリエのガイドさんが案内してくださったので、
つくづく 先達はあらまほしき を実感しました。

万葉集で壱師の花として歌われたものわずか1首。

道の辺の壱師の花のいちしろく
人皆知りぬわが恋妻は 
   柿本人麻呂 巻十一 2480 

壱師論争を巻き起こしてきたが、どうやら彼岸花、曼珠沙華のことらしい。



あちこちの土手で見られた曼珠沙華。

地表近くに球根が密集するため、土砂流出を防ぐ役割も果たしているという。
日本全国で見られるし、縄文遺跡からも発見されている。
古墳の盛り土で見られることも偶然ではなく、意図的に利用されたものなのかもしれない。
と、万葉の花とみどりに書かれてありました。


秋分。秋バテに効くのは、

2013-09-22 | 24節気72候


金曜夜、いつものキラク行ったら
新物のぎんなんでてました。
柔らかくて青みが強くて美味しい。

あんなに暑かった夏も終わり
いつの間にか昼が短く、夜が長くなってます。
明日は秋分の日。
お彼岸の中日で何かとお忙しい日々をお過ごしのことでしょう。




すだち酎という徳島特産のリキュールいただきました(*^^*)

基本的に柑橘類大好きなので、酸味とほろ苦さがいい。
瓶ラベルしか写ってませんが、透明のお酒でアルコール20度。

最初は炭酸割りしてましたが、
サントリーのサイトでミルク割もいけると知りました。
早速試したところ、牛乳と混ざると苦みが強くなる感じ。
しかし寝酒みたいになって、爆睡できました^ ^

夏の疲れがドッとでてくるころ、甘酒も効くような気がします。

木曽路で、限定に惹かれて購入した 七笑蔵の甘酒



甘酒は、俳句では夏の季語。
甘酒売りがやってくると夏がきたと感じる風物詩でした。
今は冷蔵庫で冷やして、ショットグラスでぐいっと!
夏バテに効くらしいですよ~

ちなみに雷は夏の季語で、稲妻は秋の季語らしい。

赤沢自然休養林で森林浴

2013-09-20 | 旅・関東&中部&北陸地方
木曽路と伊那路の旅が快適だったのは、お天気に恵まれたこともありますが
ツアーコンダクターが特上だったことも大きい要因です。
とてもよく気のつかれるカワイイ方でした。
今までであったツアコンの中で5本の指に入ります。

さて、赤沢自然休養林は、天然のヒノキが育つ国内でも数少ない美林地帯の国有林です。
戦前は皇室の御料林、その前の江戸期は尾張藩の御用林でした。
伊勢神宮の遷宮や大きな寺社の造営のため400年近くにわたり保護されてきたそうです。



かつて木材運搬に使われていた森林鉄道が、観光用トロッコ列車として復活しています。
走行距離往復で2.2km、渓流沿いを爽快に走ります。






丸山渡停車場が終点で、機関車が付け替えられて折り返し運転します。
往復乗ってもいいし、帰路は線路沿いに整備された遊歩道「ふれあいの道」を歩くこともできます。
たぶん、逆に往路歩いて帰り乗車もできるでしょう。

赤沢森林鉄道 往復大人(中学生以上) 800円
9:00~15;30までの、30分毎に1便運行
行って来いの単線ですから、片道10分程度、歩けば20分はかかります。






遊歩道の渓流美もすばらしいですが、
あちこちに看板立っていてその説明読むだけでもナルホド~





赤沢地域は昭和44年に日本で最初に『自然休養林』に指定され、
昭和57年に第1回全国森林浴大会が開催され、『森林浴発祥の地』として知られます。





御嶽山に連なる南麓の長野県から岐阜県にかけては
木曽の五木(ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキ)などの針葉樹が生えています。
江戸時代は「ヒノキ一本、首ひとつ」といって伐採が禁止され木々が守られたそうです。
今も、広大な国有林は入山が厳しく制限され、
伊勢神宮の御神体を納める器である御船代となる御神木が切り出されているのでした。

森のフィトンチッドを浴びて、なお一層神秘的な森の力を感じられるパワースポットでした。



御神木のウンチク
儀式では2本の御神木が交叉するように倒さなければなりません。
間隔が20メートル以内でないと重なりません。
山中からそんな状況で生えている樹齢300年のヒノキを探し出します。
冬は気温が零下20度まで下がることは植物の生育には厳しいが、それだけ剛性の高い樹木が育つのだそうだ。



マタタビちゃうよ

2013-09-20 | ケータイ・スマホから


昨夜、赤沢自然休養林のレポートを書こうとしてたら、
電話で呼び出されました。
先日の石清水八幡宮の石清水祭に奉納演武したときのお下がり受け取りに来てって。

開封してたら さっそくギズモ匂いにひかれてやってきた。
秋田杉でできた、菓子皿「河骨」だそうです。
杉の匂いをマタタビと勘違いしたのでしょう。



「供花神饌とは、国家の平安と隆昌を祈念して平安時代より斎行されております勅祭石清水祭において、御神前に供される特殊な神饌のことで、別名『御花神饌』とも呼ばれております。
本来神饌とは五穀や御酒をはじめ、海の幸や山の幸をお供えするのが一般的であり、供花神饌のようにご覧戴く為の神饌は大変珍しく、1月から12月までの12台で我が国の麗しい花鳥風月が表現されています。」


あの奉納演武を見学した帰り、
石清水八幡宮一の鳥居前、門前名物「走井餅」店で月見団子もとめました。

19日のお月見には早かったけど、有名なお餅やさんなので先に頂戴したのだった。



そして昨夜は、見事な満月が雲ひとつなく見ることができましたね。
夕方のTvニュースによれば、次回、中秋の名月となるのは2021年。


木曽のヒノキを使った御船代(みふなしろ)

2013-09-18 | 旅・関東&中部&北陸地方
今日の夕刊に、伊勢神宮の御船代奉納式が17日内宮で行われたと載っていました。
産経新聞のタイトルは「神様お引っ越し控え 御船代奉納式」

伊勢神宮社殿を20年ごとに造り替える式年遷宮もいよいよ大詰めです。
御神体の鎮まる 御船代 ( みふなしろ ) は、
長野県上松町の木曽山中で切り出される御神木でできていたとは露知らず、でした。

20年前の遷宮時も知らなかったけれど、
今年も先週、木曽へ行ってなかったら見過ごしてたでしょう。



木曽駒高原ホテルに宿泊した時、ホテルロビーに飾ってありました。
貝桶
昭和60年6月に行なわれた伊勢神宮式年遷宮の御杣始祭にご参列のため
神宮祭主鷹司和子様が当ホテルにご宿泊されましたが その時の記念に伊勢神宮から頂戴したものです。



御神木運搬車(正式名称ではありません、私が勝手に名づけました)
平成17年の御杣始祭には池田厚子様が…、と書かれてあったように思います。
うろ覚えだったので、確認のため言葉かえて検索しましたが見つけられなかった。

平成25年の式年遷宮はすでに8年前に始まっていたことは事実です。



御杣始祭(みそまはじめさい)とは御神木を切る儀式です。
御樋代とは御神体を納める器のことで、
その材となる御樋代木(みひしろぎ)は御神木とも称される。

伊勢神宮のご社殿はヒノキで建てられていますが、
その御用材となる桧を伐り出す山のことを「御杣山(みそまやま)」と呼びます。
現在は木曽(長野県上松町)、裏木曽(岐阜県中津川市)を御杣山としています。

平成17年6月伊勢神宮式年遷宮 御杣始祭(みそまはじめさい)は
森林浴発祥の地で日本三大美林の一つ赤沢美林で行なわれました。

その赤沢休養林、このたびのツアーで初めて知ったのですが、
とてもすばらしい所でした。

同行のAさんは、今回一番よかったと言われてましたし。
カップルはもちろん、小さいお子さん連れでも楽しめますよ~







私たちが訪れたのは9月9日、いいお天気に恵まれました。
前日は雨だったので、トロッコ電車は横からふきなぐりの雨でさんざんだったらしい。

そしてこの15,16連休も台風18号が近くを通過してます。
1週間遅れでもエライ目に遭ったと思います。
神様のご加護に感謝です。

写真整理して赤沢休養林について次回詳しくご紹介します。

キーワードは、男山

2013-09-16 | 古代史のミステリー


関西は午後から晴れましたが、このたびの台風18号予想以上にすさまじかった。
各地に大きな被害を残しました。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

昨日、石清水八幡宮行きましたがずっと雨でした。
夕方さらに雨足が強くなり、
頓宮から山上へ神様がお戻りになる行列もさぞかし大変だったことでしょう。


さて画像は、「レストラン男山」の宮崎牛ハンバーグランチです。
石清水八幡宮での奉納演武が13時からだったので、近場でランチするのに事前調査。
創業45年のレストランで見かけは昭和レトロな建物でパッとしないけど、
昼も夜も駐車場満杯で、実際行ってみたら美味しかったという口コミたくさん見ました。

男山に行って奉納武道見るんだから、この際食事もレストラン男山で決めました。
国道1号線沿いで石清水八幡宮から車で10分と離れていません。

口コミにたがわず美味しかったので、またいつかこのあたり通過することあれば行きたいです。



先の記事で悠々美術館さんがコメント残してくださり、男山中学のことに触れられてました。
今回のキーワード、男山!!
シンクロしましたね~

以前から男山という地名に引っかかりを感じてたので、この際あらたに記事にしておきます。

男山で検索するとまずヒットするのが、日本酒「男山」でした。
「寛文年間(1661年~1672年)に摂津国伊丹で創業した、かつての有名日本酒蔵元。
京都府八幡市の男山が名の由来。明治の初めに廃業したが、
江戸期の模倣や廃業の際のブランドの切り売りなどで数多くの「男山」ブランドが日本全国に存在する。
その中で旭川の北海男山が本家とされる。」

男山という名前の山は日本に何箇所かありました…岩手、新潟、長野、、京都、兵庫、岡山。
兵庫県姫路市の姫路城の近くにある男山は標高57.5m。
山頂は男山配水池公園になっており中腹に男山八幡宮が鎮座。
そして、京都府八幡市にある鳩ヶ峰の別名。標高143m。山上に石清水八幡宮がある。


男山は大阪府枚方市と京都府八幡市の境にあります。
京都府八幡市市立中学校の名称には全て「男山」が付くことも記載されていました。


地図下、男山団地の右側に男山第3中学校があります。

男山という地名の由来は何かなと調べましたが分かりませんでした。





石清水八幡宮は859年の遷座以前は、男山山中から湧き出る清泉を神としてまつっていました。
二の鳥居横から裏参道を上がっていくと山腹に石清水社があります。


社殿前の泉屋の中に井戸があるなど元は水神信仰であったことがうかがい知れます。

現在の祭神は天之御中主神(アメノミナカヌシ)になってるのはなぜか不明だそうです。




一の鳥居をくぐり、麓の頓宮北門から入り
南門を出て右手に高良神社(こうらじんじゃ)があります。
先の記事の、徒然草仁和寺の法師が八幡神と勘違いした高良社です。





もとは河原社と称し、馬場先本道を挟んでその前方を流れる放生川の側にあった。
八幡地区の氏神だったが、極楽寺や頓宮の造営に際して川幅が広げられたため現在地に遷った。
その後、カワラがコウラと訛り、筑紫の高良大社(久留米市)を遷座せしめて『高良社』と呼ばれるようになった。


高良玉垂命(コウラタマダレ)ってどなた?
また疑問が増えました…

高良社は、慶応4年の鳥羽伏見の戦いで焼失し再建されたが、元の豪壮な面影はない。



    引用: 京阪奈ぶらり歴史散歩

男山団地の左側に交野天神社があり、樟葉宮伝承地と書かれてあります。
樟葉宮(くすばのみや)は、現在の大阪府枚方市楠葉丘。

日本書紀に拠ると
506年武烈天皇が後嗣定めずして崩御したため、…、越前から「応神天皇5世の孫」である継体大王が迎えられ、
507年河内国樟葉宮において即位し、武烈天皇の姉にあたる手白香皇女を皇后とした。

第26代継体天皇の 諱はヲホド。
『日本書紀』では男大迹王(をほどのおおきみ)
『古事記』では袁本杼命(をほどのみこと)

男大迹王には男という字を使われていますが、男山と何か関係ある?


今年8月に今城塚古墳と博物館を見学して記録残しました。
いましろ大王の杜

日本の兵馬俑は、ちょっと言いすぎや、けど

近畿中央部における大型古墳の分布図を載せましたが、
あの地図の京都南部に大きな湖があります。
それが巨椋池で、昭和8-16年ごろに干拓して農地となりました。

巨椋(おぐら)池という地名は残れども、現在地図からは想像もつきません。



豊臣秀吉は伏見桃山城を築造し、京街道を整備しました。
そのときに巨椋池のまわりに堤を築き整備したようです。

詳しく説明された巨椋池というサイトより古地図もらってきました。



「その昔、全ての川は巨椋池に直結しており、また大型船が航行出来るほど水量も豊富であった」
と書かれてありました。 

ちょうど交通の要所としてバッチリな所に、石清水八幡宮ありますね。
それにしても仁和寺の法師、歩いてきたら遠かったことでしょう。
船も使ったのかしら…





男山近辺の過去の日記もよかったら…ご高覧賜れば幸いです。

2006-07-20 松花堂弁当 風雅な癒しの空間 ♪千の風になって


2010-05-06 柏餅と石清水灯燎華



石清水祭の演武奉納

2013-09-15 | おでかけ・近畿


空手の剛柔流の師範が、石清水八幡宮で奉納演武されると伺い、見物行ってきました。

台風18号の接近で大阪は夜中から雨降ってました。
石清水祭は雨天決行です。





京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰標高143m)山上に鎮座されます神様は、
石清水祭で山麓の頓宮まで山を下りてこられます。
9月15日の午前2時に始まるようです。

祭神である応神天皇、神功皇后、ヒメ大神の鳳輦3基は、
3時過ぎに本殿を出発、500余人もの神人と呼ばれるお供の列を従え、
松明と提灯の明かりを頼りに山を下り、4時15分頓宮に入御。

ということは明け方の雨足の強い中行なわれていたのですね。
同日18時時30分頃、鳳輦は再び山上へと還幸されます。

では日中、山を降りた神様は何をされてるかというと、
8時頃放生川の安居橋下流側で魚鳥を放つ放生行事が行われます。
そのあと安居橋の上で「胡蝶の舞」が奉納されます。

そして頓宮の境内で13時に演武奉納。










石清水八幡宮は平安時代前期、貞観元年(859年)に八幡宮総本社の宇佐神宮から勧請されました。
京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護の神、王権・水運の神として篤く崇敬され、
天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余。
中世以降は勧請元の宇佐神宮に代わって、伊勢神宮と並び二所宗廟の一つでした。

石清水祭は 賀茂祭(葵祭)春日祭と共に 三大勅祭の一つで
国民と国家の平和と繁栄を祈る重要な儀式です。 
また、賀茂祭=北祭に対し、南祭とも呼ばれます。

そんな大事な儀式に奉納演武できる剛柔流ってすごくない。


中高校時代の古文の時間に、兼好法師の「徒然草」仁和寺の法師の話、習いましたよね。

そのお話で出てくる山麓の下院がこの頓宮と高良社です。
「あまりに立派な建物だったので、そこで拝んで山上には上がらなかった。
多くの人が山の上に上がっていたけど、何があったのでしょうね…」

石清水八幡宮の本殿は男山の山頂にある、という大事なことを知らなかったというお話です。




仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩より詣でけり。

極楽寺・高良(こうら)などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。

DESIGNEAST デザインイースト

2013-09-14 | 世情雑感
大阪に、国際水準のデザインが生まれる状況をデザインするDESIGNEAST
世界を見つめながら大阪を拠点に活動する若手デザイナーが発起人となって生まれたプロジェクトです。

世界のEAST(東)に位置する大阪、
DESIGNEASTはこの街を”国際水準のデザイン/思考の発信する場”とすることで
「大阪」という都市の新たな可能性を見いだす試みです。


2009年「DESIGNEAST00」に始まり、
今年の「DESIGNEAST04」は、本日9月14(土)、15(日)、16日(月・祝)の3日間
“場への愛”をテーマに、場所も例年と同じく名村造船所跡地で開催されます。

ウェブサイトは→こちら



うちの娘のブランド宣伝させてもらいますと
AOMからラインを分けたNEVEまで2ブランドの出品をします。
(なお平時は大阪梅田の伊勢丹でも扱ってもらってます)

ウェブサイトは→こちら




木曽の御嶽山はぁ なんじゃらほい♪

2013-09-13 | 旅・関東&中部&北陸地方
花畑後ろの木々越しに御嶽山頂上が見えます。
御岳ロープウェー鹿ノ瀬・山麓駅にはお花畑が広がっています。

ここで赤い蕎麦の花「高嶺ルビー」を見ました。
他にもコスモスはじめいろんな花々がきれいでした。







ロープウェーで2150mの飯森高原・山頂駅まで約15分の空中散歩。
往復で2,400円、ゴンドラは6人乗りで数十秒ごとに発車します。





この日は残念ながら前日の雨で霧が立ち上り展望は開けなかった。
7合目の山頂駅では雲の中にいたのでしょう。
もう少し高い所に上がれば雲海が見えたのかもしれない。
御嶽山は標高3067m、日本では14番目の高山です。

山は富士、岳は御嶽 といわれるように、日本で二つある独立峰の一つです。



ロープウェー山頂駅降りてすぐ目の前

大黒さんと、えべっさんらしき石像がお出迎えしてくれます。
大黒さんは大巳貴命、えべっさんは少彦名命なんですね。

774年信濃守石川望足が、大巳貴命・少彦名命の二神をまつり疫病の蔓延を防ぐことを祈願。
それ以来修験者の道場として栄え、さらに優れた行者らの活躍によって集団登山「御嶽登拝」が全国に広まりました。



旅立つ前夜9/7(土)夜9-10時、BS-TBS「日本の名峰・絶景探訪」みました。
ゲスト俳優の宍戸開さんが地元の案内人の倉本さんと一緒に御嶽山を登山されてました。
王滝口からの登山開始にあたり、まず御嶽神社里宮で祈願からスタート。
そして山頂の御嶽神社奥宮をTV画面撮影しました。



3年前木曽路の奈良井宿訪れた時、木曽の酒なかのりさんの看板見て
木曽節が頭の中でグルグルなった話書きました。
2010-9-26 中山道の木曽路 

♪ 木曽のな~ なかのりさん 
木曽のおんたけさんはぁ なんじゃらほい
夏でも寒~い よいよいよい ♪

誰に教えてもらったかも定かでないのに、この木曽節歌えるんですよね~
正調木曽節では、「なんじゃらほい」は「なむちゃらほい」となってて、
御嶽山に上る信者さんたちがこの言葉を唱えながら登山するのだそう。

ヘブライ語で、「ナ」→「祈り」を意味する
語尾に子音の(メム)を付加した言葉が(ナアム)→「予言する」「預言者として語る」という意味
「チャラ」→「前に進む」「栄える」を意味する
「ホイ」→「ああ」という嘆きの意味を持つ

「ナンチャラホイ」とは、御岳山に登る行者が修行の道中で、
「ああ、この世が良くなりますように!」と願いを込めて唱える祈りの言葉だった…という説もあります。


何年か前にネットサーフィンしてる時に、以下のような図見て保存してました。

その意味は忘れてしまったけど、なんか御嶽山、気になってました。
次チャンスあれば山頂まで登ってみたい。



1894年上高地の開山で有名なW・ウェストンも登頂し、これを期に一般の登山者が増え始めます。
今日では家族連れや初心者で毎年賑わいを見せる山となっています。
私たちのような観光バスで出かける登山ど素人は、お花畑コースを楽しめます。

ロープウェー降りてから山頂まで往復して6時間程度らしい。
日帰りで登山できることもあり、お手軽に山頂五湖めぐりやなど夏山登山が可能なんだそうです。
しかしちゃんと装備はいりますよ~


3年前の木曽路の旅の記録を今読み返してみると、
それなりに調べて書いてたのに、すっかり忘れてる部分がほとんどだった…。

2010-9-27
御嶽山百草丸のハ-ブクリ-ム
江戸時代にタイムスリップ 奈良井宿

2010-9-25

星野リゾート☆仁科松延

暴れ天竜 川下り

2013-09-11 | 旅・関東&中部&北陸地方
古くから「暴れ川」「暴れ天竜」として知られる天竜川。
海抜759mの 諏訪湖から太平洋の遠州灘に注ぐ全長213kmの川で、支流の数は大小300本以上。
伊那盆地から天竜峡付近で東側から流れ込む3本の支流は、
ひとたび豪雨に見舞われると竜がのたうつ様相から「暴れ天竜」とも呼ばれるのだそうです。



天竜川水系の水害記録の始めは701年、上伊那郡史に残されています。
今はダム建設のおかげで水害からまぬがれるだけでなく、水力発電にも役立っています。


2年前、天竜川の川下り船で5人の死者を出した事故は記憶に新しい。
それって今度の旅で行く天竜川下り?と気になり旅立つ前に調べました。
転覆事故は、浜松市天竜区の天竜浜名湖鉄道が経営してたものでした。
行程は南信州の飯田市で、静岡ではなかった。

長野県飯田市には、観光船は「天竜舟下り」「天竜ライン下り」の2社あり、
今回、私たちが乗船予定は、飯田市の天竜川舟下り
サイトで急流のなかを水しぶきを上げながら進む川下りの豪快な動画がご覧になれます。

ご利用前に調べらる方もおられるでしょうから、何らかの参考になればとレポートしておきます。



天竜川弁天港から時又港まで35分の船旅で、乗船料大人(中学生以上)2,300円
車で来た場合は弁天港の天竜舟下り会社駐車場へ、駐車料金400円
時又港から駐車場へ無料シャトルバスが運行されています。



川下った舟はクレーンで釣り上げられて陸路で弁天港へ戻されます。

雨と増水による運行中止が心配でした。
しかし雨天用シートがあるので、雨でも雪でも大丈夫。

午後2時過ぎると雨が上がり、ちょうどいい塩梅に増水して川下りに最適な水量でした。

同じ時間に2艘の舟がでたのですが、うちらの舟は天井の雨天シートを外してくださった。


しかしもう一艘はお気の毒にシートに覆われたままでした。


事前調査で、
「舟に乗る際には靴を脱ぎ、受付で渡されたビニール袋へ入れます。
うっかり穴のあいた靴下など履かないよう気をつけましょう。」



急峻な流れのところではサイドの水除けシートを皆で持ち上げます。
その練習をして、今か今かと待ち構えます。




日本各地あちこちで川下りありますが、天竜川下り迫力ありました。


洪水の時には、水神様を祀ったところまで水位あがったそうです。


川下りの運行を判断する基準は、おしり石が隠れるかどうかで決まるらしい。


川下り途中で、カメラマンが観光写真を撮影するスポット。



こんなふうに撮影して、下船後写真を購入されるシステムながら、
この日は朝から雨だったからか、カメラマン不在でした。

昔と違って、こうした観光写真を購入される方も減ってるでしょうから、
商売成り立たなくなってるかもしれません。