秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

光明子→藤原不比等→中臣鎌足

2010-10-31 | 古代史のミステリー
東大寺の正倉院展が奈良国立博物館で開催中です。

折りしも東大寺の大仏の膝下より明治時代に見つかっていた2本の刀が
聖武天皇の遺物である陰陽剣2刀であったことが判明し、
聖武天皇の后である光明皇后が祈願して埋められたのかもと報じられました。

光明皇后は、藤原不比等の娘である光明子です。

不比等が関わりを持った女帝は、持統・元明・元正・孝謙・称徳と実に多い。
そして天皇の后は皇族出身という決まりを破って、自分の娘を聖武天皇の后にしました。
藤原不比等は、日本史に登場する政治家の中でも一二を争う辣腕家だったとよく聞きます。

 

興福寺・南円堂は日本で最も大きい八角円堂だそうです。
毎年10月17日に特別開扉されるようで多くの人でにぎわっていました。

画像には写っていませんが、この右手に建築養生テントがありました。
再建中の中金堂です。

そのテントに隠れて見えない場所に北円堂があります。
721年藤原不比等の一周忌に際し、元明・元正天皇が長屋王に命じて創建したものです。
  

この不比等によって創建された中金堂は、戦災や火災で何度も焼失しました。
1717年の7度目の焼失以降、仮堂であったのを平城遷都1300年祭を期に再建中です。

興福寺での滞在時間があまりなくて、
再建中の中金堂はテントに覆われてたので見えなかった。
たまたま同じ17日に興福寺を訪れた方のサイトより無断で画像もらってきました。
  

私達が訪れた前日、2010年10月16日に立柱式が行われました。
建物を支える36本の柱の上に付けられた仮の屋根の下で、春日大社の神職も参加し神仏習合の形で施行されたようだ。
長さ約10m、直径約80cmの柱は、なんとカメルーン産のケヤキなんだって。

不思議な縁で、同じ年に刀が確定したり、立柱式があったりで、
藤原不比等は何かを語りたがっているのかもしれない。
あまりよく知らないのでちょっと調べてみると、
芋づる式にどんどん不思議なことを発見し収集がつかなくなってます。



不比等が生まれたのは659年、亡くなったのは「日本書紀」が完成した養老4(720)年。
飛鳥時代から奈良時代初期に生きた人です。

乙巳の変(大化の改新)の中心人物、
中大兄皇子626-672年 第38代天智天皇在位668ー672
中臣鎌足 614-669年(死後藤原姓を賜る)

誕生年から引き算すると、
中大兄皇子に対し、鎌足は一回り12歳年長です。
大化の改新は645年なので、鎌足31歳、中大兄皇子19歳。

大化の改新で唐突に歴史の表舞台に登場した中臣鎌足。
鎌足はどこから来たのか?
死の間際に天智天皇より藤原姓を賜り、その後なぜ藤原氏は比類なき権勢を保持しえたのか?
その鎌足が45歳の時に、次男として生まれた不比等は11歳のときに父を亡くした。
次男不比等はどのように律令制度を固め、日本書紀などを監修していったのか?

斉明天皇陵の八角墳とも繋がりますので、
ネット検索だけでわかったことを、少しづつお知らせしていきます。

一味で5kgも体重が減った

2010-10-30 | 旅・関東&中部&北陸地方
質屋組合の会長さんがそう言われました。
何にでも一味をたっぷりふりかけて食べるんやと。
これなら私達にもできると話していたら、上高地の土産物屋さんで買ってくださったのが善光寺の一味です。

このブログでは、七味について結構記事にしていて、なんと7件もありました。
こちらから

七味の7種の組み合わせは地方や店によって異なるらしいことは知ってました。

七味がそれぞれの秘伝とかあるのは分るけど、
なぜ一味が土産物屋で500円もするのかな、いかなる違いがあるのかなと調べてみました。

今回いただいた善光寺の八幡屋礒五郎の一味唐辛子
ヤワタヤギゴロウノイチミトウガラシ
これがそんなに有名だとは今まで知りませんでした。
サイトの歴史を見ていて知った、新たなウンチクを追加しておきます。

日本に七味(七色)唐辛子の老舗は三軒あります。
東京・浅草「やげん堀・中島商店」
京都・清水の「七味家本舗」
そして長野市・善光寺の「八幡屋礒五郎」

 

ブリキ缶は、大正13年六代目栄助が考案したもの
赤地に斜めに大きく描かれた唐辛子、その上部のヘタの部分に振り出し口を重ねると開くように作られています。

唐辛子のみの「一味」は辛さだけでなく、
素材の甘みや香りも大切に焙煎し口の中に広がる痛快な辛さが食欲をそそるそうです。

オークション詐欺

2010-10-30 | ネットオークション
普通は落札して購入される方がかかるのがオークション詐欺ですが、
逆に出品者側がひっかかる詐欺があります。

実際に被害に遭ったわけではないですが、
ひょっとしたら先日のトラブルはこれだったかもと思い至りました。

オークション詐欺の変則的なパターンのひとつ、返品詐欺。

楽天オークションの「匿名可能」「返品自由」という性質を利用した『返品詐欺』の被害報告が増加しているそうだ。

落札して郵送された商品にクレームをつけ、
全く別の商品を送り返したり、
同じ商品でも使い古した程度の低い商品を送り返すという手口。
返品が認められると落札に要した代金は返金されるし、返品送料だって出品者もちだったりします。
落札された商品は詐欺者の手元に残ります。



最近は、ペニーオークションといって、
ギャンブル性の高いオークションのサイトが増えています。
入札する際に手数料を支払って入札しますが(この入札手数料は戻ってこない)
入札すると商品の価格が上がっていき、残り時間が数秒延長されます。

他にもオークション用語がいろいろ解説されてますのでご参考にどうぞ。
こちらから

奥飛騨温泉旅行

2010-10-28 | 旅・関東&中部&北陸地方
急に気温が下がりいっぺんに冬になりました。
でも台風14号も近づいているんですね。

昨日ケータイ画像を送った場所は、
新穂高ロープウェーで登った、標高2156m西穂高口からでした。

その前夜からの初冠雪で木々に雪が積もってとても荘厳でした。
第2ロープウェーの上り口しらかば平あたりは紅葉もきれいでした。
 

 

質屋組合の親睦旅行で、奥飛騨温泉へ1泊2日の旅でした。
案の定2kg体重が増えてしまった。
明日からセーブして暮らさないと。

秋の味覚 栗の渋皮煮

2010-10-24 | 日々是好日
新米の美味しい季節になりました。
今年は夏が暑すぎてコシヒカリなど1等米が少ないそうですね。

春に丹後半島の伊根町新井棚田応援団の田植えに行きました。
そこの稲刈りがすでに9月に終わり、天日干しされた伊根の新米が届けられました。

棚田応援団は、ここの新米5kgの他に、伊根地酒、伊根鮮魚、伊根農産物のどれかがいただけます。
今年も古代赤米の赤いお酒「伊根満開」を選びました。
どちらも過去に記事にしてますので、今年はおまけでいただいた栗の渋皮煮をご紹介。

梶のコシヒカリさんの奥さんが作ってくださったんだろうと思います。
お砂糖の甘みが控えめで、栗本来の美味しさがよくわかります。
作ったことないですが、とてもめんどうなんでしょう。
ありがとうございました。
新米ともども美味しく頂戴しています。

秋風や 囲いもなしに 興福寺☆子規

2010-10-21 | 西国33箇所
阿修羅像を見学に行った興福寺。
バス車中でお弁当を食べていたので、外をよく見ていなかったけど、すっとバス駐車場に到着した。
そこがなんと、国宝館と東金堂の間で、どうやら南門とか塀などなかったようだ。

大阪で生まれ育つと小中学校の遠足はたいてい奈良や京都の神社仏閣へ行く。
あるいは友人達と連れ立って見学に行くこともあるが、
当時はあまり興味がなかったのでどこへ行ったかも記憶がさだかでない。

奈良公園近辺の東大寺や春日大社は行った記憶が残っています。
興福寺に着いた時、かすかな記憶の片鱗もなかったから、たぶん初めてだったのでしょう。


興福寺を訪れていろいろ感じるところがあったのでちょっと調べてみた。

興福寺の築地塀は往来の妨げになるからと、明治初期の廃仏毀釈で取り除けさせられました。
廃仏毀釈時の境内敷地は約7,000坪だったそうで、現在の奈良公園がかつての境内だったと聞くと驚く。

五重塔すらも廃仏毀釈時代には売りに出され、中金堂は明治の廃仏毀釈で県庁舎となったそうだ。
建物も壊されるだけでなく、多くの仏具や仏像が消えました。
海外の博物館や美術館などにあるのかもしれません。

創建1300年の大きな節目を迎えた興福寺は、法相宗の総本山です。
幾度もの焼失や、明治の廃仏毀釈の荒廃を乗り越えて、立派に再建されています。

2時間ほどの滞在時間で、国宝館に入るのに40分ほど並び、
さらに五重塔や東金堂でも15分ぐらいづつ並んだため時間がなくなってしまった。

現在解体再建中の「中金堂」は、藤原不比等によって一番最初に建立されました。
7回も火災焼失し、1717年以降仮堂のままとなっていたのを、
10年前から念願の再建に取り組み、今年10月にいよいよ立柱式を行うそうです。

その養生テントに覆われて見えない位置に「北円堂」があります。
興福寺では現存最古の堂で、藤原不比等の追善を営むために建立されました。
珍しい八角円堂で、屋根に乗っている燃え上がるような火炎宝珠露盤が印象的だそうです。
堂内には、運慶の最晩年の集大成と言うべき 「彌勒菩薩像」、「無著・世親像」が安置されているそうだ。
また機会があれば行ってみたいと思います。


国宝指定の彫刻は、法隆寺と並び17件。
そのうち11件が、鎌倉時代に制作された国宝彫刻24件のうちの約半分を占めます。
どうりで国宝館は博物館みたいだと感じたのでしょう。

中世の興福寺は、大和の多くの寺院を私院化(末寺)するだけでなく、
商工業の同業組合である「座」を統制管理して莫大な利益をあげました。
「墨座」「そうめん座」「油座」「酒座」など。
独占的市場を自由化して「楽市楽座」を開いた織田信長の狙いは、
強い僧兵をもつ興福寺の解体へ向けての第一弾だったのでしょうね。


★追記 2014/6/2
西国33番札所になっているのは南円堂ですが、このときは時間がなくて朱印賜れなかった。
後日再訪し、無事朱印頂戴しました。
そのときの画像は見つかったら貼り付けておきます。

天平びとの声をきく 特別展

2010-10-19 | おでかけ・近畿
平城遷都1300年祭のメーン会場になっている平城京跡の資料館では、
11月7日まで発掘調査50周年記念の特別展として木簡が展示されています。

この50年間の調査で多くの事実が明らかになったそうだ。
文字が書かれた木簡によって、無言の遺跡や遺物が言葉を持って語り始めたのです。

木簡は弱い繊細な遺物であるため撮影禁止です。
常設展示の様々な出土品の展示も目を惹きました。

ベルト、上の方に写っているのが木簡
 
この時代って皆腰布を巻いていたのかと思ってたら、
こんな立派なベルトを身につけていたんだと驚いた。
ベルトバックルの留め金具などとても精巧なつくりだった。

木をくりぬいた不思議な形の、瓶や甕の栓?
 


ガラス玉とその鋳型
 

須恵器や土器の産地が異なるのは土によってわかるそうだ
 

ちょっとちゃっちいけど、琴
 

食事風景の復元
 
ペルシャ絨毯は、部分的に遺されたものから復元したそうだ。
左奥に見えるガラス器は、原産地ペルシャなどでは土に埋まって発見されるのでガラスがにごっている。
しかし日本の正倉院で保存されてきたガラス器は透明で美しいそうだ。

瓦もたくさん発掘されていて、その形によって名前がある
 


唐の長安をモデルに設計された平城京、南北約5kmらしいから
ただっぴろいだけにしか見えない。
発掘されていないときは、秋草が茂ってました。
  

スケバスツアー

2010-10-17 | おでかけ・近畿
遠隔地で暮らしていて、今回のバスケ同窓会バスツアーに参加できなかった仲間から、道中メール着信。
スケバスツアー楽しんでますかって。
なんとも想定外の楽しい略し方に皆大笑い。

午前9時前に平城京跡に到着したので、朱雀門はまだ開門してなかった。
 

まず平城京跡資料館へ向かうがとてつもなく広い。
 

あっという間に観光客で埋まり、大極殿や東院庭園などでは数珠つながりの人であふれていた。
 

3時間近くウロウロしてこの会場で5000歩は歩いた。
午前11時からのNHKの生中継を友が携帯TVで確認したら、なんと場所は興福寺からだった。
バスツアーは平城京跡を11時20分に出て興福寺に向かった。
で、せんと君作者の薮内君には会えなかった。

興福寺までの車中でお弁当昼食と、超ハード行程。
到着後真っ先に団体で阿修羅像の展示されている国宝館へ。
混んでいて入場まで40分待ち。
 

さすが藤原氏の氏寺でもあり、僧兵などもたくさん抱えていた興福寺は資金潤沢だったようで国宝が驚くほどたくさんあった。
まるで博物館のように、ライティングも工夫されてて素晴らしかったけれど、とてもお寺とは思えない雰囲気だった。
 

 
高さ50.1mの軒の出が深い五重塔の前で記念撮影。




ツアーはまだまだ続きます。
個人で出かけてたら、もうこの辺で帰ってたと思う。

午後2時過ぎ、薬師寺着。
西塔は昭和56年に復興されたけれど、東塔は修復のため10月で見納めとなります。
 

頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり、その中には24体の飛天が透かし彫りされています。
 

午後4時前、この五重塔の前でNHKの生中継が行われていた。
 

 
*里中真智子さんだったと先程知らされました。

最後にコスモス咲く斑鳩の里へ。
法起寺の日本最古の三重塔をバックにコスモスが今満開です。
 

全部で13000歩以上歩いて、かなり疲れた大和路だったのに、
6人の内の一人は、この後東大寺境内で催されるスキマスイッチのコンサートへ行きました。
さすがクラブキャプテンTさんははタフやわぁ。

明日は遠足です

2010-10-16 | 日々是好日
高校時代のバスケットクラブの仲間6人で、あした
大和路4つの世界遺産と平城遷都1300年祭のバスツアーに参加します。

まるで学生時代の遠足気分でワクワク。

梅田発のバスは四ツ橋を経由し、
平城宮跡(今年11月で終了する平城遷都1300年祭のメイン会場を見学)
興福寺(創建1300年記念、国宝の五重塔初の特別公開に国宝の東金堂後堂特別公開/開館50周年を迎えた国宝館で阿修羅像を見学)
薬師寺(10月で見納めの国宝東塔特別開扉/「玄奘三蔵院伽藍」・平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」特別公開)
法起寺(世界文化遺産 日本最古の三重塔をバックに咲くコスモスは圧巻)

なかなかいいコースでしょう。
めっちゃ楽しみです。

おやつやお茶も詰めたし、
天気も今日と変わらんらしいから、洋服も決めんとあかん。

お金持ちのおばちゃん風で行くか、
上品なマダムがいいか、
結局、若づくりをした大阪のおばちゃんの服になった。

平城遷都1300年祭も終盤に近づき、たまたま明日、NHKのテレビ中継が行われる。
そしてそこに「せんと君」の作者である薮内君がやってくるらしい。
薮内君は高校の同級生。
ひょっとしたらTV中継地の平城宮跡で会えるかもしれないし、テレビにだって映るかもしれん。

同級生が有名人だからといって自慢してもしょうがないんだけれど、
ついでにもう一人。

今日の夕刊に、九州新幹線の愛称に異論続出という記事が載っていた。
JR九州の唐池恒二社長は「まだ調整中で決定していない」と話しているとあった。
この唐池君がまた同級生なんですよねぇ~

友が皆、我より偉く見ゆる日は、...

見えるだけではなくて、実際うんと偉いねんから
さっさと寝て、明朝寝過ごさないようにしよう。

癒したり癒されたり

2010-10-15 | ケータイ・スマホから
まだちゃんと正式にハープが弾けるわけではないけれど、適当に奏でてたら猫達が寄ってくる。
このハープの音色はイヤじゃあないみたい。
聞きほれているかのごとく見えたので、
ハープを横に置いて携帯カメラでギズモを撮影。

 

もぐちゃんも聞きにやってくる。
このもぐちゃんには先日助けてもらった。
20年ぶりぐらいで金縛りに遭い、苦しい寝言を発してたら耳元にやってきて起こしてくれた。
もぐちゃんのおかげで金縛りから開放されて、とても感謝してます。

わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと

2010-10-13 | 世情雑感
大阪市東警察の前にあるビルの壁には、波頭をたてて船を漕ぐオブジェ。
七福神が大海原へ漕ぎだそうとしているように見えました。

 

18階建てのビルは大阪産業創造館です。
中小・ベンチャー企業支援拠点として、大阪市経済局が2001年1月に開業しました。

面白いビルだったので、ちょっと調べてみたら建築費240億円かかったようです。
東畑建築事務所のサイトに
未来に漕ぎ出す大阪の企業家をイメージしたアートモニュメントを設置と書かれてました。

アズキさんがミシンキルトにはまって、作品展に出品してると案内もらった場所がこの大阪産業創造館3Fにあるマーケットプラザでした。
ポーランドの至宝展は大阪港で、こちらは堺筋本町とどちらも地下鉄中央線だったので帰路立寄りました。

 

お客さんはだいたい50~60歳台の女性がほとんど。
普段見かける普通のおばちゃん達と違って、どなたも一味違うこだわりファッションです。
ブランドとかは関係なく、一工夫凝らされた洋服をお召しになってた。

趣味や価値観、生き方、いろいろあることを目の当たりに見た思いでした。

  

  

先生の作品だけでなく、生徒さんたちの作品も立派でした。
どれもこれも工夫の凝らされた大作ぞろい。
クリエイティブ・チャレンジアートとしてのアイデアはもとより、根気もすごい。
どれぐらい手間隙かけて仕上げられたことでしょう。

いつも最後はお金の話になって恐縮ですが、材料費もだいぶかかってそうです。
中高年はお金持ってる人多いなぁ~

ポーランドの至宝展

2010-10-11 | 日々是好日
9月最後の日曜日にご近所さんが招待券を下さった。
「ポーランドの至宝-レンブラントと珠玉の王室コレクション」
どっちかといえば陰気臭いのはあまり好きではない。
しかしレンブラントのモナリザ日本初公開と書かれてあったので、まぁそのうち行こうとは思っていた。

ところがチケットを下さって以降毎日のように、家のポストに新聞関連記事切り抜きとメモが入っていました。
その新聞は主催者である毎日新聞ではなく聖教新聞です。
それまで知らなかったけど、下さった方は学会さんだったんだね。

10月31日までの会期がうっかり過ぎてしまったらやばいような気がして、
質屋の市に、先代訃報挨拶に行ったあと、サントリーミュージアム天保山まで送ってもらった。

  

連休中とはいえ、超満員で入場までに半時間程度並んだ。
そんなに人気のある展覧会だったのか・・・

チケットやチラシにも印刷されている
《額縁の中の少女》1641年 ワルシャワ王宮蔵
額縁に掛けた手がこちらまで出てきているようでした。
光の加減とか写実的でありながら表情なども素晴らしかったです。

展示されている絵画は肖像画が多かった。
写真のなかった昔は、こぞってこうした肖像画を描いてもらったんだろうなと思われました。

17世紀当時、諸外国に比べ、オランダでは多くの肖像画の注文があり巨大な市場を形成していました。
この時期にオランダで描かれた肖像画は75万枚から110万枚に達すると見られています。
レンブラントも、アムステルダムの肖像画家として、この時期に経済的に大成功していたが、他の画家同様に中産階級市民の依頼に応じて肖像画を制作することに嫌気がさすようになっていったそうです。

ワルシャワ王宮に伝わる絵画、工芸、彫刻など作品約140点。
そしてコペルニクス、ショパン、キュリー夫人に関連する資料なども展示されていて、こちらも興味深かった。

ポーランドってあまりよく知らない国だけれど、
今回調べてみて印象に残ったことは、歴史的に非常に多くの民族が集って住む多民族国家であったことだ。

14世紀には、西欧のペスト大流行で、ペストを流行させた犯人はユダヤ人だというデマにより、特にドイツで迫害されたユダヤ人が多数移住してきた。
ポーランド王国は宗教的・民族的に寛容であったからだ。
以後、ポーランド王国は世界で最もユダヤ系住民の多い国家となった。

現在、ポーランドの特徴はその非常に高い教育水準にある。
若者の50%が大学を卒業し学位を取得する(日本は39%)
この数字は経済協力開発機構(OECD)加盟国では4位(日本は12位)

私がわずかに知ってるポーランド出身の偉人は
地動説を唱えたコペルニクス(1473-1543年)
2010年生誕200年を迎えたピアノの詩人ショパン(1810-1849)
女性としては最初のノーベル賞受賞者であり、
物理学賞と化学賞を受けた唯一の人物 キュリー夫人(1867–1934)
ポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(1920-2005)

今回のコレクションを見て少しはポーランドの偉大さが実感できました。

 
ミュージアムのショップでは、ふつうこんなものは見ない。
グリコの市販チョコレートに、
特別に「ポーランドの至宝展」と印刷されてるだけで210円。
帰路立寄ったスーパーで同じものが128円で特価してた。

バームクーヘンやお饅頭もありました。
  

箱の裏を見ると東京富士美術館と書かれてあった。
この展覧会は東京富士美術館のあと大阪に来てるからかと納得。

東京富士美術館は、1983年池田大作(創価学会インタナショナル)会長により設立されました。
創価学会の信者さんのご希望でこういったお土産用意されてるのでしょうか。

家族葬

2010-10-09 | 日々是好日
ひいおじいちゃんの出棺後、パパと一緒に家に戻るエソラです。

当店の先代・小笹清二が10月6日(水)午後7時35分に永眠しました。
すでに家族葬として親族のみにみおくられ旅立ちました。
このブログ記事が最初の死亡お知らせとなります。
享年88歳、生前お世話になった皆様方にこの場を借りて御礼申し上げます。
ありがとうございました。

8月23日に心臓近くの大動脈瘤の手術をしました。
高齢とはいえ普段から達者なほうでしたので、大手術にも耐えうるだろうという判断でした。
しかし予後の快復が悪く、元気に家に帰ることができませんでした。

すでに17回忌を済ませた先代の妻の葬儀は、店近くの大きなお寺をお借りして執り行いました。
しかしあれから年月も経過し、いろんな家庭の事情もあり、
今回は、普段からお世話になる檀家寺で毎月おまいりいただいている唯称寺にお願いすることになりました。

  

真宗大谷派の末寺・唯称寺は、1615年創立の歴史あるお寺です。
外観は民家と変わらない集会所的な建物で
今なお道場の面影をとどめている市内唯一の寺院です。

このような道場形式による寺は、支配者階級あるいは有力者の創立になる寺と異なり、
宗派をとわず惣百姓持ちで会所を兼ねて立てられたものといわれています。

田舎のお家の縁側みたいな感じです。
濡れ縁の戸を開けると、道場形式の本堂です。


  

本尊阿弥陀如来立像は室町末期あるいは江戸初期の彫像とみられています。
葬儀会館の立派な祭壇とは異なり、歴史ある阿弥陀如来に見守っていただけました。

  

10月7日がお通夜
アイフォン・アプリで気を紛らわせながらも、まだ1歳3ヶ月のエソラはじっとしてません。
  

翌日の出棺の時は、さすがにエソラも微妙な空気を読み取ったのでしょう。
周りをまねて神妙に手を合わせていました。
昨日と違って今日は賢いなぁとおばちゃんたちにほめられました。

年配の親戚のおっちゃん達は、こんな葬式は親しみがあっていいなぁと言われてました。

2億円のガレ

2010-10-06 | 旅・関東&中部&北陸地方
エミール・ガレの「フランスの薔薇」
信州ツアーの二日目午後、諏訪湖畔にある北澤美術館新館で見ました。
フラッシュ無しなら写真撮影が許されています。

やさしいピンクに紅、黄、白を練り合わせたアプリカッシオンの薔薇の蕾と葉が熔着されています。
薔薇の蕾の生々しい表情を見事に写したガレの代表作だそうです。

前後で、薔薇の蕾と開花と咲いている状態が異なります。
 

普仏戦争でドイツに敗れ、アルザス・ロレーヌ地方はドイツに割譲されました。
ガレはフランス東部のナンシーで生まれたので、その地もドイツ領となったのでした。
ロレーヌのサン・カンタン山でしか流血を象徴するような赤い花を咲かせないと、この「フランスの薔薇」という作品を作ったそうです。
1902年~1904年の作品 高さ32.8cm

1985年 ドイツのグンザーコレクションよりエミール・ガレの大作「フランスの薔薇文大杯」を購入したときは結構安かったらしい。
ところが今や値段は上がり2億円は下らないそうだ。


北澤美術館新館の館員の方は、とてもお話が上手で聞き入ってしまった。
いろんな作品の説明をわかりやすくしてくださり、知らない世界がとても興味あるものになりました。
1時間ほどの見学時間があっという間でした。

 

アールヌーヴォーのガラスコレクションでも有名な北澤美術館。
ルネ ラリックの生誕150年記念コレクション展も見ることができた。
どれもこれも、今なお通用するモダンな惚れ惚れするような作品ばかりだった。

  

これらを収集した北澤さんのセンスの良さは驚きでした。