第2回 「Tokyo Candoll」 準決勝 フランス・パリJapan Expo公式コラボレーション大会
2016年4月21日(木)渋谷club asia
出演:アイドル諜報機関LEVEL7/アンドクレイジー/強がりセンセーション/デスラビッツ/NECRONOMIDOL/BANZAI JAPAN/ピンク・ベイビーズ/病ンドル/LUVYA(五十音順)
フランスのJapan Expo 2016への出演権をかけた勝抜戦Tokyo Candollの準決勝。準々決勝でも感じたが、現代日本にこれほど多くのアイドルが存在し、それぞれに支持者(ファン)が付いている事実は、よく言われる「アイドルブーム」ではなく、アイドル文化が定着したことを示しているのではないだろうか。特に地元の活性化を目指すローカルアイドルと、震災復興支援を掲げるアイドルグループの存在は、単なる一過性の現象とは思えない。しかし、その一方で"暗黒系アイドル"としてオカルトや邪教神話の世界を表現するネクロ魔のように、<地元>とも<復興>とも関係のないグループは亜流なのだろうか?
NECRONOMIDOL / 暗黒少女戦隊 LIVE IN NEW-CALEDONIA ! 25.03.2016
答えは否。むしろ彼らこそ真の<芸術文化>の担い手に他ならないのである。歴史を紐解いてみればわかるが、<文化>は<生活>の必要性から切り離されたとき初めて<芸術>になる。ギリシャ時代の神殿芸術、中世の宗教芸術、ルネッサンスの宮廷芸術など、庶民の生活とは別の世界で<芸術>が育まれたことを考えてみればよい。
さらに時代が進むと、『芸術の原理』(1938)で<本来の芸術とは魔術や娯楽から分離されたもので、表現的で想像上の、ある種の言語である>としたR.G.コリングウッド、絵画論においてそれまでの歴史画を批判し、マネの平面性などに「近代性(モデルニテ)」を見出した詩人・批評家のボードレール、このボードレールの批評に近代芸術の発祥をみたフーコー、既成の商品であった便器を逆さに展示して「噴水」と名付けた作品を発表し、「芸術」がひとの観点によることなど、その定義、芸術という概念そのものを問い直したマルセル・デュシャンなど、近現代の芸術は日常生活とは全く無関係な、いわば<遊び/余暇/空想>の世界に存在するようになる。<生活>に必要のない<遊び/余暇/空想>に時間と情熱を費やすこと、それこそ他の動物には真似できない、<人間>だけが持ちうる能力に他ならない。つまり<芸術>を<生活>からいかに乖離させるか、ということが<人間性>の証であり発露だと言えるのである。
そう考えればアイドル界で最も異端の存在であるネクロ魔こそが、最も突出した<芸術>、つまり現代人のヒューマニズム(人間性)の最前衛であることは明確な事実として提示されて然るべきであろう。得てして最前衛(AVANTGARDE)は理解され難く往々にして迫害の憂き目に遭いがちであることは歴史上の事実。世が世なら魔女狩り対象の筆頭に挙げられても不思議のない異端の存在でありながら、ネクロ魔が80人もの動員をなし得た事実は、時代が異端=最前衛の芸術を理解し受け入れ始めた兆しに他ならない。ただし現時点ではあくまで<兆し>に過ぎないので、パリ行きを賭けたバトルは今一歩で敗退したことはやむを得ない。しかしながらトリを飾ったステージでの会場一体となった沸騰ぶりは、天岩戸に隠れた新時代の太陽神を呼び覚ます八十萬神の饗宴さながらであった。
Doom Blossom Vol.4 ネクロ魔定期
2016年4月23日(土)渋谷Milkyway
【出演】ネクロ魔/レッツポコポコ/厨二病/ライムベリー
その二日後に開催された定期公演では、急病で欠席した九十九ほたるの代役を夜露ひなが見事につとめて、ネクロ魔らしい暗黒感にロリ要素を加えたステージングで、Tokyo Candoll以上の一体感を生み出し、本来の目標である6/30ワンマン公演の成功へ向けて彼女たちが一丸となって走り出したことを高らかに宣言した。 時代が変わるとき、その台風の目となるのは最も過激で最も尖った先端にある渦巻きである。近づくものすべてを巻き込まずにはおかないネクロ魔現場の熱量の高さは、時代の混沌を切り裂くサイクロンになり得るだろう。
NECRONOMIDOL 4月7日 Tokyo Candoll 準々決勝
ネクロ魔で
おいしいパンを
買いました
【ワンマン情報】
物販にて4thワンマンチケット発売中!
6月30日(木)
TENEBRAE ASCENDANT
恵比寿LIQUID ROOM
一般\2500/女性・学生\1500
op19:00/st20:00
〜暗黒覚醒開幕〜