A Challenge To Fate

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【クラシックの嗜好錯誤】第六回:<追悼>越境音響主義者ペンデレツキのトーンクラスターの感染力。

2020年03月30日 02時54分06秒 | 素晴らしき変態音楽


筆者が学生時代にスプーキー・トゥースのアルバム『セレモニー』でピエール・アンリの名前を知ったのと同様に、ジャズファンの中にはドン・チェリーのアルバム『アクションズ(Actions)』でペンデレツキの名前を知った人もいるに違いない。現代音楽界からジャズへの接近は決して珍しい事ではない。『ラプソディ・イン・ブルー』でジャズとクラシックを融合させたジョージ・ガーシュインは言うに及ばず、イーゴリ・ストラヴィンスキーやモーリス・ラヴェル、ドミートリイ・ショスタコーヴィチなどジャズの影響を取り入れた作曲家は少なくない。5,60年代のアヴァンギャルド(前衛)の時代が到来すると、ヨーロッパの現代音楽とアメリカのフリージャズが刺激し合い、作曲と即興が渾然一体とした混沌とした音楽シーンが特にヨーロッパで生まれることになった。

Krzysztof Penderecki


1933年11月23日ポーランドのクラクフ生まれの作曲家クシシュトフ・ペンデレツキは、共産主義政権下で西欧の前衛音楽を積極的に吸収し、音響美を重視して革新的な作曲活動を行った「ポーランド学派」と呼ばれる作曲家のひとりとして頭角を現す。すべての音を同時に発するトーン・クラスターの手法を多用した音響主義を標榜し、5,60年代にポーランド現代音楽界の寵児となる。1960年の『広島の犠牲者に捧げる哀歌』は8分37秒の間、弦楽器を叩く特殊奏法や全部の弦をフォルテシモで弾きまくる集団摩擦(トーン・クラスター)で、嵐か空爆のようなカタストロフを描き出す。

Penderecki: Threnody to the Victims of Hiroshima - Urbański, FRSO


一方敬虔なカトリック教徒でもあり、宗教に題材をとった合唱曲も多数作曲。創作の頂点と呼ばれる65年の『ルカ受難曲』は、グレゴリオ聖歌やルネッサンス合唱曲の宗教観と声による微分音クラスターの破壊力が同居した異様な迫力と神秘性を秘めた怪作であった。また、69年のオペラ『ルダンの悪魔』ではセックスと悪魔を修道院の中に持ち込み、宗教界のタブーを破った作品として話題になり映画化もされた。

Penderecki : St. Luke's Passion (Highlights) - Antoni Wit*


さらに興味深いのは、アルフレッド・ジャリの不条理劇『ユビュ王(Ubu Roi)』をオペラ化した『ユビュ王(Ubu Rex)』を1991年に発表していることである。アメリカ・オハイオ州クリーヴランド出身のロックバンド、ペル・ウブ(Pere Ubu)のデビュー(75年)から16年後のペンデレツキ版オペラの評判は芳しくなかったらしく、その後オペラは手がけていない。

Krzysztof Warlikowski - Ubu Rex - Teatr Wielki - Opera Narodowa


『アクションズ』は71年10月17日にドイツ・ドナウッシンゲン音楽フェスティバルでのライヴ録音である。ペデレツキは67年に同じドナウッシンゲンでアレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハ率いるグローブ・ユニティ・オーケストラのステージを観て、ジャズ・ミュージシャンに曲を書いてみたいと思ったと言う。それはすなわち即興ヘの興味であり、クラシックの演奏家とは異なるメンタリティを持つジャズ・ミュージシャンにしか出来ない作曲作品の創造であった。一方即興演奏家サイドでは、それまでシリアス・ミュージック(クラシック)の作曲家による「ジャズ作品」を演奏することを拒否して来た歴史があった。その両者が71年の音楽フェスで初めて邂逅することになった。その驚きをフェス主催者のヨアヒム・ベーレントはアルバムのライナーノーツで「a step long overdue(遅きに失した一歩)」と表現している。ドン・チェリー、マンフレッド・ショーフ、ペーター・ブロッツマン、ウィレム・ブロイカー、ハン・ベニンク、テリエ・リピダル等欧米のフリージャズ・オールスターからなるニュー・エターナル・リズム・オーケストラの演奏にペンデレツキは大いに感動し、ジャズ・ミュージシャンの為にもう2曲作曲する予定だ、 とベーレントは書いているが、果たしてそれらの曲が日の目を見たかどうかは分からない。

Don Cherry & Krzysztof Penderecki - Actions for Free Jazz Orchestra


後年音響主義を破棄して標題音楽へ後退してしまったために評価が割れていたと言われるペンデレツキは、昨日3月29日にポーランドのクラクフで86歳で死去した。長期間にわたる闘病生活の末に亡くなったという。またひとり、ジャンルの境界を破壊した音楽家が地上から旅立った。謹んでご冥福を祈りたい。

奏でよう
COVID19の犠牲者に
捧げる哀歌


Krzysztof Penderecki 23.11.1933—29.03.2020

▼ペンデレツキは猫憑きか。

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