A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

【正誤表、追加情報】『地下音楽への招待』刊行記念/ネクロ魔『久坂華恋』卒業 2016.10.16(sun)

2016年10月17日 02時21分53秒 | 書物について


●「地下音楽への招待」刊行記念イベント
2016年10月16日(日)
OPEN 18:30 / START 19:30
予約¥2500 / 当日¥3000【学割】¥1500(共に飲食代別)

【出演者】剛田武(「地下音楽への招待」著者)、加藤彰(「地下音楽への招待」編集)
【ゲスト】宮沢章夫、山崎春美、宇田川岳夫



『地下音楽への招待』正誤表、追加情報(2016年10月16日現在)→コピペ印刷用
*イベント入場者に配布された資料です。青字部分は剛田武による追記。

166ページ11行 CD→アルバム
183ページ9行 不出者→不失者
198ページ・キャプション 1978年→1979年
219ページ終3行 接点ができんです→接点ができたんです
237ページ終3行 消化器→消火器
286ページ9行 内藤正邦→中藤正邦
310ページ終1行 重なり合あう→重なり合う
408ページ下段終1行 我妻哲光→我妻啓光

・「第2章 第五列の行動と思想 藤本和男の体験と記憶」の42ページ終6〜5行に「マイナーでの藤本は〔中略〕東京で知り合った園田佐登志などの演奏家とライヴ活動を行なうようになる」とありますが、藤本氏が園田氏と初めて会ったのは1977年9月26日、園田氏が上洛して「どらっぐすとぅあ」に顔を出したときであるとの指摘を藤本氏本人からいただきました。お詫びして訂正いたします。なお、その際の園田氏の肩書は「Free Music Revolution主宰」だったとのことです。

・「第4章 音、言葉、情動の奥底へ 竹田賢一の体験と記憶」の97ページ註23に「園田〔佐登志〕が町田のジャズ喫茶「カラヴィンカ」を訪れた行き帰りの駅のホームでは、ほぼ毎回、近藤〔等則〕のトランペットの音が遠くから聞こえてきたという」という文章がありますが、これには事実誤認があるとの指摘を園田佐登志氏から受けました。当時、町田市の小田急線鶴川駅近くの高台にあるアパートに住んでいた園田氏は、昼頃になるとどこからともなくトランペットのスケール練習らしき音が聞こえてくることを気に留め、後日この件について近藤等則氏に尋ねたところ、それは確かに近藤氏がまた別の高台の上で練習をしていたときの音であるのが判明したとのことでした。一方、この時期、園田氏は終電後の鶴川駅の構内で、改札から駅員がいなくなるのを待つかのようにホームの端の暗がりの中にたたずむ近藤氏を見かけたことが何度かあったそうです。これらのエピソードは本書での園田氏へのインタビューの際にも少し語られましたが、上記のような経緯をよく確認せずに事実を混同して脚註の文章を作成したことによる誤りでした。お詫びして訂正いたします。

・「第6章 マイナーの申し子として 工藤冬里の体験と記憶」の142ページ関連年表と143ページ註2で、工藤冬里と大村礼子とのユニット、ノイズのアルバム『天皇』は2014年8月にアルケミーレコードから再発されたとしていますが、これは2005年3月の間違いでした。アルケミーレコードのJOJO広重氏よりご指摘いただきました。お詫びして訂正いたします。
さらに追記:ノイズ『天皇』は1997年にパタフィジックレコードからCD、続いてオルグレコードからLPで再発されています。どちらもボーナストラック2曲入(1曲は同じ曲)。

・「第8章 ヨコハマ・サイケデリック 原田淳、増田直行の体験と記憶」の210ページ註15に「パラレルハウスは東京・高円寺にあったレンタル・レコード店で、店長の樋口泰人(現在、映画配給、書籍・音盤制作会社のboidを主宰)が慶応の学生としてイベントにかかわっていた」とありますが、樋口氏は同店を切り盛りしていたけれども、いわゆるオーナーではなくメイン・スタッフの立場だったとの指摘を藤本和男氏から受けましたのでお知らせいたします(なお、オーナーは園田佐登志氏と明治大学で同窓だった野口是人氏で、園田佐登志名義のCD『耳抜き』の初回特典ブックレットに回想録を寄稿しています)。

・「第8章」の216ページ註24に「園田佐登志のユニット「シダ」」とあるのはVelというユニットの誤りでした(「シダ」はVelによって演奏された楽曲の名前で、『耳抜き』に収録されています)。園田氏よりご指摘いただきました。お詫びして訂正いたします。

・「第12章 そして「椅子物語」はつづく 園田佐登志の体験と記憶(その3)」で取り上げてられている「テン・ミニッツ・ソロ・インプロヴィゼイション・フェスティバル」について、これを観ていた方からツイッターで「当日はトリが吉沢元治氏で、竹田氏の今日は山崎氏は来ませんでしたというアナウンスがあったので、山崎春美氏は出演していないのでは?」という旨の質問がありましたが、竹田賢一氏とともにフェスティバルを主催した鈴木健雄氏による以下の回答(ツイート)がありましたのでお知らせします。「山崎春美さんは、10ミニッツに遅刻して、当日終了してから来ました。せっかくなのでやってもらい、10分過ぎても終わらないので、竹田さんとぼくとで、山崎さんの(痙攣しながら)座っていた椅子に蹴りを入れて終了。だから、出てます」。なお、特典CDに収録されている山崎氏のパフォーマンスは、このフェスの模様を録音したカセット・テープ(事後パンフレットとともに発売されました)からのものです。

・「第13章 わたしはこの本を認めない 山崎春美の体験と記憶」の337ページに、「だから知ってる思うけど、あの『渋谷陽一vs宝島』の時」で始まる一節がありますが、これについては補足説明が必要だったと思われ、以下に経緯をたどっておきます。
 まず、『ロッキング・オン』1981年6月号に、同誌編集長の渋谷陽一によるSF映画『アルタード・ステーツ』の評文(見出しは「60年代サイケデリック・ブームを今だに引きずってちゃ駄目」)が掲載され、それに対して『宝島』8月号にソーマ・ヒカリというライターが「アルタード・ステーツの映評、キノコじゃなくてトカゲとは 渋谷陽一氏の場合、何を考えておるのか?」という文章を寄稿し、映画の中の一場面について渋谷陽一が見間違いをしていることを罵倒。すると『宝島』9月号に渋谷陽一が反論として「対決から逃げ回り自らの駄文の後処理もできぬソーマ・ヒカリは自己批判せよ」を寄稿(337ページ10行「激怒した渋谷陽一が、その『宝島』に書かせろ、と言って書いたのは」がこれにあたります)。対してソーマ・ヒカリが『宝島』10月号の「自らの保身にQQし、見るも触れるもおぞましい駄文を書いた渋谷陽一を、徹底粉砕せよ」(後日、同記事は山崎春美によるリライトを経たものであることが判明)で反論し、同号では山崎春美の連載記事『ヲンナコドモ新聞』において渋谷陽一に対する揶揄もなされ、これらを受けて同誌11月号に「『宝島』の読者に向けて」(渋谷陽一)、対談「渋谷陽一vs関川誠(本誌編集長)」、「『宝島』の読者にむけて」(関川誠)の3本の記事が掲載されることで一連の「論争」は集結。そして、『ロック・マガジン』82年8月号の雑誌内雑誌『HEAVEN』に、「渋谷陽一直撃インタビュー!! by 山崎春美」が掲載され、「この不毛のバトルの最終の顚末は〔中略〕インタビューという形で渋谷陽一と「話の平行線」の確認をしている」(山崎春美著『天國のをりものが』収録の「ヤマザキハルミの懺悔! ザンゲ! ゲゲゲのThank Gay !(ざんげ!)」より)として決着がつけられました。

各インタビューの日付・場所は以下の通りです。
園田佐登志 2013年3月2日 総合荻窪病院内食堂、2014年2月23日 東中野・ポレポレ坐
鳥井賀句  2013年3月23日 新宿・らんぶる
藤本和男  2013年6月1日 代々木・TOM
我妻啓光  2013年6月12日 吉祥寺・くぐつ草
安井豊作  2013年7月13日 西荻窪・それいゆ
生悦住英夫 2013年7月27日 明大前・WIRED CAFE
竹田賢一  2013年8月25日 千葉・竹田氏自宅
山崎尚洋  2013年9月7日 渋谷・エクセルホテル東急・エスタシオンカフェ
成瀬(仮名)2013年9月22日 吉祥寺・くぐつ草
白石民夫  2013年10月29日〜12月26日 ニューヨークと東京の間でのメールによるインタビュー
原田淳・増田直行 2014年1月19日 丸の内カフェ ease
工藤冬里  2015年1月12日 阿佐ヶ谷・ハーネス
山崎春美  2015年3月15日 新宿・ロフトブックス

文責:加藤 彰(『地下音楽への招待』編集・註執筆・関連年表作成)


●ネクロ魔【久坂華恋卒業公演】@渋谷チェルシーホテル


出演:NECRONOMIDOL
op9:30/st10:00
入場料2000円+1D



日曜の朝早いイベント、しかも対バンなしのネクロ魔単独公演だというのに大勢のファンが集まり、凄まじい盛り上がりを見せた。推しアイドルグループのメンバーの卒業を経験するのは初めてだったが、目が潤んだのは最後の「旅立つ日に」斉唱の時だけ。普段通りに特典会は進行し、明るい昼間の渋谷の街に魔ヲタたちは消えて行った。





夜ネイキッドロフトでの打ち上げを終え、帰宅する電車の中で久坂華恋ツイキャスのラスト配信がはじまっていた。配信しながら、ツイッター、インスタグラム、ブログなどSNSのアカウントを一つ一つ消して、最後はツイキャスアカウントを消し配信終了。久坂華恋というアイドルが存在停止する瞬間、頭に浮かんだのは映画『2001年宇宙の旅』で、ディスカバリー号船長ボーマンによりモジュールを一つ一つ引き抜かれ機能停止していく人工知能『HAL 9000』が最後に歌う「デイジー・ベル」のメロディーだった。



Deactivating Hal 9000 HD (COMPLETE)


人生に
正誤表は
ありません

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